大きな荷物
数日間、ボクは大学と家の往復だけをして、極力外に出ないようにした。
バイトは理由をつけて休んだ。
その日は大学の講義をいくつも取っている日で、家に帰るのが遅かった。
駅からの帰り道、家の方を見ると、灯りがついていた。たまに部活がない日は、妹の方が早く帰っている日がある。どうやら今日はそういう日だった。
ボクは玄関のカギを開けると、居間の方から妹の声が聞こえた。
「お帰り~」
靴を脱いでいると玄関先に妹がやってきて、何か目をキラキラさせながら言った。
「ものすごい大きな荷物が届いているよ。こーんなの。ね、何買ったの。見せてくれる?」
「……」
通販で何か買った覚えはなかった。とっさに妹にたずねた。
「もしかして、代引きじゃなかった? お金取られなかった?」
「うん。何も。いつもの宅配便のお兄さんが、サポートを一人つけてお兄ちゃんの部屋に持って行ってくれたけど」
「……」
送りつけておいて、金を請求するタイプのものだろうか。
とにかく、身に覚えのないものは返品するにこしたことはない。
「二階だな」
「ね、もしかしてお兄ちゃん注文してないの?」
階段の下から見上げてくる妹に小さくうなずいた。
「とにかくものすごい大きいにもつだったよ。置くとこないからベッドの上に置いたけど」
「……お前は下にいろ」
「けど、重いよ? 一人じゃ……」
ボクは妹の言葉を制していった。
「いいから! おとなしく言うことを聞くんだ」
「……」
おびえた顔の妹に、こころの中で手を合わせながら、階段を上がる。
自分の部屋の扉をゆっくりと開ける。暗くて何も分からない。
手を伸ばして、部屋の灯りをつける。
ベッドの上、と言っていたな。
ゆっくりと扉を開けて、閉める。
……ない。
ベッドの上にそれらしきものが乗っていない。それだけの大きさのものなら、布団に跡がつきそうだが、そんなものもない。
突然、家のインターフォンが鳴る。
下で妹がインターフォンで会話している声が小さく聞こえる。
「お兄ちゃ~ん。お客様ぁ~」
「?」
階下から呼ぶ声が聞こえた。
荷物のことはいったん置いておいて、下に降りていく。
「お客様?」
階下で妹が見上げている。
「うん。女の人だよ。びっくりしたよ。緑髪のツインテールなんだもん」
「えっ!」
緑髪のツインテール。ボクは心が躍った。と同時に、妹が後ろで見ている状況を想像して、足が鈍った。
「どうしたの?」
「……」
ここで会うのはまずい。
どこか別の所で会わないと……
ガチャリ、と扉が開いてしまう。
「こんばんは。智さん、いらっしゃいますか」
妹が答える。
「こんばんは。ほら、お兄ちゃん、早く降りてきて」
何で入って来てしまうんだ…… ボクは顔に手を当てながら、必死に考えた。
とにかく今は妹がいるから、外で話そう、と言うしかない。
階段を降り切って、玄関の方に向き直った瞬間、愛が抱き付いてきた。
やわらかい。
ネットのフィードバックではない、リアルな感触。桃のような、甘い香り。
「やっと逃げてきたわ」
「そう、逃げることが出来て、本当に良かった」
「だけど私、泊まるところがないのよ。智の家にしばらくいさせて欲しいの」
「えっ…… いきなり泊るって言われても」
妹が言う。
「それなら、お父さんとお母さんの部屋を使えばいいじゃない」
『……』
ボクと愛さんが振り返って、妹を見つめる。同時に二人に見つめられた妹は、何を考えたのか突然手を振った。
「あっ、ごめんごめん。お兄ちゃんと一緒じゃないとイヤだよね? なら、私がお父さんとお母さんの部屋に移るね」
愛さんは、ボクの首に回していた手をはずして、妹の方に向き直った。
「私、冴島愛と申します」
会釈すると妹も言う。
「妹の田畑萌です。よろしくお願いいたします」
ぺこり、と頭を下げる。
「かわいい!」
愛さんが、妹を抱き上げ、グルっとその場で一回転半した。
びっくりした表情でボクを見る妹。
妹を下ろすと、ボクと妹に向かって、深々と頭を下げる。
「どんな部屋でもいいので、しばらくこの家に泊めてください」
妹が、正面のソファーに座った。何か言いたげにこっちを見ている。愛さんはシャワーを浴びたいというので、お風呂場に案内していた。
「お兄ちゃん、あの人とどんな関係なの?」
「……」
やっぱり。想定された質問だった。
少し間を置いてから、答えた。
「……恋人、かな」
「恋人? あの人と付き合ってるの? デートとか行ってたっけ? あっ、もしかしてバイト先? お兄ちゃんが出かけるのは大学か、バイトだけだもん」
「そんなこと、いいだろ。プライバシーに踏み込むなよ」
「あと、あの緑髪はなんなの? コスプレ? どっかのボーカロイドかと思ったわ」
「おい、大きい声を出すな。愛さんに失礼だぞ」
妹は上半身を乗り出し、膝上に頬杖をついた。
「いきなり泊めてくれっていうのも、結構非常識な感じだし」
「ああ、ごめん、あの、愛さんには事情があって」
「知ってるのね?」
「えっ?」
「うちに泊めなきゃいけない事情、知ってるのね?」
「ああ……」
彼女は監禁されていたんだ、とは言えなかった。監禁されていたひとと付き合ってたの? 犯罪に巻き込まれたりしないの? 『監禁されていた』をきっかけに、ボクにも答えられないことをたくさん質問されてしまうに違いない。
「じゃあ、いいわ。いい。わかった」
妹は両手で顔を覆った。
「そういや、部屋に荷物なんてなかったぞ? どっか違う部屋に入れたか?」
「何言ってんの。部屋を間違えるわけないし、荷物が来た日付を勘違いするような大きさの箱でもないのよ?」
「けど、さっき部屋に入った時には何も……」
「そんなはずない……」
次の言葉を言いかけて、妹が急に立ち上がった。
「どうしました?」
振り返ると、愛さんが顔だけを出して覗き見ていた。
「あの、私、着るものがなくて……」
緑髪は頭の上でまとめられていて、バスタオルで包まれた胸元が少し見えた。
「えっと……」
と言って妹はボクの肩をつついてきた。
「(こういう時は、お兄ちゃんが服貸すんじゃないの?」)」
「(けど男物しか持ってないぞ)」
妹の肘がボクの背中に打ちつけられた。
「(どうみてもサイズが合わないわよ。服を貸して『胸がきつーい』とか言われたら、私、恥ずかしいじゃない)」
「(すまん)」
そういう心理が動いていたのか。それはそれで見たい気もしたが……
ボクは慌てて立ち上がる。
「いま、服をもってきますから、ちょっと待っててください」
ゆったり目の部屋着とTシャツとパ…… いや、短パンの方がいいか。しかし、これを『直』ではかせるって…… 腕を組んで目を閉じ、深呼吸をして想像した。
アップにした緑髪、少し暖かく紅潮した肌。そこにTシャツと男物の短パン……
ボーッとして考えが止まってしまう。
いまはそんなことを考えている時間はない。
一揃え持って降りると、愛さんに手渡した。
想像した通り、シャワーで温まった肌が……
「どうかしました?」
「なんでもないです」
女性の肌を見るのは…… 見たことがなかったわけではなかったが…… なんというか、その……
ボクは考えを止めた。
居間に戻ってくると、妹がパソコンを脇に抱えていた。
「パソコン借りるね。お父さんたちの部屋に泊めるのがいいと思うよ。あと、くれぐれも大きな声をださないでね」
「ああ」
妹はさらにムクれた表情にになり、怒ったように吐き捨てた。
「おやすみ!」
ワザと足音を立てるようにして、部屋に上がっていってしまった。
「なんだ? 何怒ってんだ?」
すると、今に愛さんが戻って来た。
Tシャツと男物の短パンを履き、アップにした緑髪と白い肌が今までの愛さんと違った印象で、妙に色っぽかった。
「妹さんは?」
「ああ、もう寝るって部屋に戻りました」
ボクが天井を指さすと、首を傾げなら天井に視線を移した。
「こっちですよね?」
「?」
ボクにはその意味が分からなかった。
愛さんは何も言わずにボクの横に座ってくる。
テレビを見るためか、少し前傾しているせいでうなじが目に入った。
同時に、甘い、桃のような香りがする。
勝手に自分の気持ちだけが高まっていることに気付く。
「どうかしましたか?」
「なんか、不思議な感じです。今まで、ボクと愛さんがネットでしか会ったことがない、なんてことが、ウソみたいに自然にここにいるから」
「実は私も、智さんの横に座っている、って思うとドキドキしちゃうんです」
パッとこっちを振り返ると、顔と顔の距離が思っていたよりもはるかに近いことに驚く。
顔が熱く、頭がボーッとしてくる。
急に顔を近づけてくると、口づけをした。
ネットではVRによる疑似的な錯覚だったものが、今、現実として行われた。
やわらかくて、しっとりした肌と肌の接触……
「あっ、あのっ!」
ボクが突き進もうとすると、愛さんがボクの唇を人差し指で押さえる。
「ここだと、妹さんに見られちゃう……」
「あっ、あのっ!」
ボクは同じことを繰り返し言っていた。
「それに、智さんお風呂入って無いでしょ?」
「!」
襟や袖の匂いを慌てて嗅いだ。
「臭かったですか?」
「そうじゃなくて、するなら綺麗な方がいいなって」
ボクは慌てて立ち上がった。
そして、父母の部屋に入り、ベッドを確認した。
OK、ここならやれる。
振り返ると、愛さんがこっちを覗いていた。
「あっ、あのっ!」
「じゃあ、こっちに荷物とか移動して…… 待ってますね」
「はいっ!」
あれだけネットでしてきたことを、ただ肉体を使って実行するだけのことが、なぜこんなに興奮するのか分からなかった。
急いで自分の部屋に上がり、とにかく新しめの下着をピックアップするとシャワーを浴びた。
いつもより慌てていたが、いつもよりあちこち丁寧に洗っていた。
濡れた体をふくと、下には下着をつけ、上半身は裸にタオルをかけたまま、居間を抜けて父母の部屋に入った。
部屋は真っ暗だった。
ボクは灯りを付けた。
ベッドのなかから、愛さんが顔を出してきた。
「灯りは消して……」
ボクは灯りを消すと、ベッドにもぐりこんだ。