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暗号解析

 警察署の外に出た時は、辺りはすっかり夜だった。

 スマフォには妹からのメッセージが沢山入っていた。

 順番に読むのも面倒なので、電話した。

『お兄ちゃん! 今どこっ?』

 予想外の音量だったので、ボクはスマフォを少し耳から離した。

「ああ、大丈夫。今警察を出たところ」

 息をのむような小さな音が聞こえて、しばらくの静寂。

『け、警察って、どういうこと?』

 警察の所で妹の声が裏返っていた。

「他人の口座をハッキングして、不正送金したんじゃないかって、疑われた」

『ハッキング? 何それ? お兄ちゃんが?』

 妹は完全に混乱していた。ハッキングが理解できていると思えなかったし、兄の頭の出来から考えてそんな犯罪をするとは思えないのだろう。

「当然だけど、やってないから」

『そ、そうね。当然よね』

「被害届も取り下げられたし、そもそも何かの勘違いだと思うんだ」

 いや、ボクの借金が埋められているのは間違いない。きっと、愛さんがご両親を説得してくれたに違いない。

『早く帰ってきて。話をちゃんと聞かせて』

「うん。わかった」

 ボクは通話を切り、家路を急いだ。

 家に着くと、いきなり玄関先で妹に抱きつかれた。

「心配したんだよ……」

「ごめんな」

 借金が残っていたら妹が無事ではなかっただろう。そう思うと、この件は妹も無関係な話ではないのだ。

 愛さんが妹のために借金を肩代わりしてくれた。それが不正送金だと思われたのだ。

 愛さんには感謝しかない。

 ボクを愛してくれて、ボクを借金から救ってくれて、結果として妹を助けてくれた。

「さ、ごはんにしょう。今日は、パスタとか、簡単なものでいい?」

「うん」

 ボクは食事を作って、妹と一緒に食べていた。

 妹は学校であった話を延々と話しかけてきた。

 楽しそうで良かった。

 ボクは妹の笑顔に救われていた。

 食事の洗い物を妹がしてくれている間、ボクは居間のパソコンでニュースを見ていた。

 普段は見逃してしまう、IT系の記事があった。

『不正送金逮捕者激増』

 というタイトルで、スマフォのアプリやパソコンソフト、ウェブサイトを使った様々なハッキングについてまとめてあった。ボクと同じようにと突然、警察に連れていかれる人も多いらしい。逮捕されて証拠不十分や被害届の取り下げで釈放されることも多いようだ。

 その記事では、こう締めくくられていた。

『電脳空間セックス、オナホ・ネットが背景にあるのではないか』

 ハッキングの手法は分からなかったが、警察に連れていかれるくだりは、まるで自分を狙って書かれたようなその記事だった。

 まさか…… この記事、ボクのことを書いたのか。それとも本当にこんな事件が多発しているのか。

「どうしたの、お兄ちゃん」

 洗い物が終わって、妹がエプロンを外しながらこっちに近づいてきた。

「何を読んでるの?」

 パソコン画面を覗き込んでくる。

「いや、ネットニュースを……」

「あっ、これってお兄ちゃんと……」

 妹が読み始めて、気付いた。このままだと、背景にある『オナホ・ネット』のことが知られてしまう。妹が『オナホ・ネット』を知っていて、ボク使っていると知られたら最悪だ。もし、妹が『オナホ・ネット』を知らなかったとしたら、この場で説明をさせられてしまうだろう。それも同じくらい地獄だ。

「あっ! お兄ちゃん、私もその記事読んでたのにぃ」

「ごめんちょっと別の調べものがあるから」

 画面を隠しただけだと調べて記事を読むかもしれない。後で、こっそりと検索履歴を消しておこうと考えた。

 妹はあまり落ち込んだような感じではなく、横に座って来ると言った。

「テレビつけてもいい?」

 テレビをつけると、ちょうどその日の最後のニュースが始まっていた。

 妹は眠そうに目をこすりながらテレビを見ている。

『……次のニュースです。不正送金の検挙数が増加傾向にあります』

「あっ、ほら、テレビでやってたよ」

 テレビを消す理由を考えようとしたが、うまい言い訳が思いつかない。

『近年の不正送金はパスワードの流出やハッキングではなく、実データの通信を直接改ざんして実際の取引より大きな金額に見せかけるというもので、事実上あり得ないとされていた暗号化データの第三者による解読が可能性が疑われています』

「?」

「眠くなっちゃった…… お休み」

 妹が口に手を当ててあくびを隠して、立ち上がる。

「なんだ、見ないならテレビ消すぞ?」

「うん。先に寝るね。おやすみ」

 リモコンを使ってテレビを消す。

 妹が二階の部屋に戻っていくと、パソコンでテレビのニュースの検索をかける。

『鍵がない第三者が暗号化した通信パケットを解析できる可能性』

 テレビのニュースと同じだった。

 安全と思われていたデータの暗号化が、実は安全ではないということ。そして、新しい暗号化を使って世の中のインフラが整う前に、この解析方法を知っている連中に世界の情報を支配されてしまう可能性があること。そんなことが記事には書かれていた。

「そんなことになったら大変なことになるぞ」

 あまり情報処理に詳しくないボクでも分かることだった。

 今、安全と思われている通信がすべて見ようと思いさえすれば見れてしまうものだったら、通販サイトの注文も、電気代やスマフォの料金の支払いと言った、現金を使わない取引が全部だめになってしまうだろう。

 そうなって、自動振り込み全部がダメになってしまったら、日々の生活であちこちに現金を持って運ぶ『作業』が大量に発生し、世の中が回らなくなる。

 現金を運ぶ仕事をしている人たちには、仕事が増えてうれしいかもしれないが、給料もなにもかも現金で渡されたら、落としたら終わってしまうし、電車で寝ていたら取られてしまう。

 と、スマフォが振動した。

 愛さんだった。

「もしもし!」

『智、今どこ?』

「家だよ。ご両親が被害届を取り下げてくれたみたいで、出てこれた」

『良かった……』

 ボクは自分の声が大きかったことに気付き、小さい声で話し始めた。

「で、ボクは約束を果たしたからさ。ね? 会える、よね」

『うん。会えるよ。もうすぐだよ』

「すごくうれしいよ」

 ボクは実際に会うことを想像し、感情が高ぶって気が遠くなりそうだった。

『私もよ。持ち出してくれたデータのおかげだわ』

「データ?」

 ワイヤレス・イヤホンに入って来た『アレ』は何かのデータだったのか。

『うん』

 データ。このデータと引き換えに、愛さんが監禁を解かれるということなのか。

「今回のこと、すこし聞いてもいい? いろいろ思うことがあって」

『今、すべては話せないかもしれないけど、話せることなら』

「持ち出したデータって、何?」

『話せない』

「あの建物に入った時にワイヤレス・イヤフォンが接続したけど、どうして?」

『私たちの協力者がいるからよ』

 協力者だって? 確かに『フジ電気製作所』の作業服を手に入れることや、ワイヤレス・イヤフォンが建物内で使えるようになるには、中継装置などをこっそり設置しなければならない。そんなこと、ボクがやらなければ、監禁されている愛さんには出来ないだろう。

「愛さん、カメラの映像を見れてたんでしょ? どこにいたの?」

『それは言えない。とにかく遠隔からあの中のカメラのすべてを見れる状況にあったのは確かね』

 遠隔から監視カメラを覗き見て、どこかの中継器を使ってワイヤレス・イヤホンで指示する。

 こんなこと漫画かアニメの世界でしか見たことがない。

「それも協力者のおかげ……」

『そういうこと』

「ルートも事前に分かっていたの? どうして」

『知っていたわ。それ以上は言えない』

 ルートについては、これまで言っていた『協力者』という都合の良いワードは使わなかった。

「じゃ、ボクの指紋はどうやって? どうやって入手したもの?」

『ごめんなさい。写真から作ったものよ』

「写真? それも協力者が?」

『そうね』

「じゃ、協力者って、何人いるの?」

『大勢、としか言えない』

 大勢…… 本当に一国の諜報部がバックにいたとしたら…… 愛さんがどこかの国の諜報部員で…… もしかして、ボクはとんでもなく大きなことをしでかしてしまったのではないだろうか。

「もしかして、それだけの人数をかける価値があるデータだったってこと?」

『そうね。けど、それは特定の人にとって、ね。関係ない人には無価値な情報だわ』

 なんだって関係ない人には無価値だ。ニューヨークに暮らしている人にとって現金は必要だが、無人島に置き去りにされた人は金より水が欲しいだろう。

 いや、そうじゃない。事が重大であるなら、その結果としてボクの身に火の粉が降りかかってくるだろう。

「ボクは今後、警察に追われる?」

『大丈夫。また同じように私が守ってあげる』

 守ってあげる? ということは、追われる身であることは否定しないのか。

 ボクは、頭の中が不安でいっぱいになった。

 スマフォを持っている手が震えているのが分かる。何か救いを…… すがれる何かを……

「今、ネットで会えない?」

『今は駄目。もうすぐリアルで会えるんだから、それまで我慢して』

「そんな……」

『ごめん、もう切るね』

「まっ…… て」

 通話が切れる音がして、しばらくすると、つながっていないことを示す信号音が聞こえてきた。






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