被害届
ボクは最初に愛さんから指示された通りに、大きなターミナル駅のIDカード型ロッカーで荷物を取り出すと、トイレでその服に着替えた。
着替えを入れた袋は、繁華街の近くにあるマンションのゴミ収集所に置いた。
駅に戻ると、地下鉄の乗り換えルートをいつもと変え、回り道をして家に戻る。
「ふぅ……」
やっと家に戻れた。
自分の部屋にある愛さんご指定のパソコンにワイヤレス・イヤフォンを置く。
画面に『データ転送中』のプログレス・バーが表示された。
スマフォが振動した。愛さんからだった。ボクの気持ちは勝手に高まっていた。
「もしもし!」
「成功したんだね! ありがとう!」
ボクは、とにかくネットに接続して結ばれたかった。
借金を増やさないように、ネットで愛さんと会うことを控えていたからだ。
「わかった、待ってる」
スマフォを切ると、俺はさっそく居間のパソコンを持って自分の部屋に戻り、部屋の鍵をかける。
下を脱いでオナホを腰につけ、パソコンに接続する。グローブと、膝当て、頭にVRゴーグル…… スイッチを入れるとVRが投影され、フィードバックが始まる。
ネット空間に没入していく。
「智!」
いきなり緑髪のツインテールが、腕をたたんで胸を隠すかのようにしてじっとこっちを見つめている。
ボクは、時間を節約する為、ショートカットを仕込んでいるジェスチャで、一気に近づく。
そこにいるのは、冴島愛。ボクの恋人。
「愛っ!」
抱きしめる…… ような錯覚をする。
ボクは愛に顔を近づけていく。
音と視覚に返る反応で、キスをしているように思える。
「しよ、しよ!」
ボクはそう言いながら愛にねだる。ボクは頭がおかしくなっているのかもしれない。
目の前の彼女を思うがままに、次、次と、行為を重ねていく。
「愛してる……」
「私も」
見つめあうその瞬間は、永遠にも思えた。
ピンポーン、と玄関のインターフォンのチャイムがなった。
するとネット空間に、一つ窓が開く。愛が、それを見ている。
「智、逃げて! 早く!」
「えっ?」
愛はウインドウを掴むとくるっと回し、ボクの目の前に置いた。
「ほら、これ、あなたの家のインターフォン」
「?」
確かに家のインターフォンから見える風景に違いなかった。
「警察?」
「ネット切って、早く逃げて!」
「ね、だから、どういうこと?」
「!」
突然、緑髪のツインテールの女性が見えなくなる。空間にあった家具類もなくなって、ありとあらゆる方向感覚が失せた。
強いめまいと吐き気が引き起こされるなか、VRゴーグル、膝当て、グローブ、オナホ、と体から外していく。
体の変調を感じながら、接続機器類をすべてしまい、パソコンを閉じて居間に戻す。
いつの間にかインターフォンの音は鳴りやんでいた。
ボクは、いなくなったか確かめる為に玄関のドアスコープから外を覗く。
一瞬、誰もいなくなったかに思えたが、塀の上から頭が動くのが見える。
「まだ、いる……」
静かだった家の中に、再び、ピンポーンというインターフォンの音が、何度も何度も繰り返され始める。
『ネット切って、早く逃げて!』
愛の言った言葉が思い出される。
これは、おそらく重大事だ。早く逃げなければならない。
「窓から逃げよう」
ボクはそこで靴を手にとり、玄関とは反対側に回って、窓を開けた。
周囲に誰もいないのを確認して、静かに窓を閉める。
ここから塀をつたって、裏道に抜ければ警察を出し抜けるかもしれない。
塀に手をかけて、塀を上ろうとした瞬間、家の側から足をつかまれた。
「こら、逃げるな!」
ボクは塀を上れずに、庭に腰を打ちつけて倒れてしまう。
打ったところを押さえながら、仰向けになる。
さっきからずっと足は抑えられている。
家の外を回って、スーツの男がやってくる。
「捜索令状が出ている。部屋を確認させてもらうぞ」
と言って紙を広げて見せる。何が書いてあるか、なんて気にしてみる余裕はない。
「な、何をしたって言うんですか。説明してください!」
「説明はする。しかし、令状が下りてるんだ、拒否できないぞ」
なんだか分かっていない状況のなか、ボクは警察に捕まった。
部屋の中のいろいろなものを調べられた。
そして警察署に任意で同行を求められた。
断われる状況ではなかったし断って有利な方にもっていけるのかも不明だった。
話せるだけ話して、無実を主張しよう、と思っていた。
何となく知っている警察署の建物に入ると、実際なかは古くて、狭かった。
「かなりの金額を、ネットに支払っていたそうだな」
「……」
「猿みたいに、オナホとパソコンを使って、気持ちいいことばっかりしていたってわけだ」
「……」
要するに警察が知りたいのは、どうやって、借金を支払ったのか、という点だった。
どうやら話している限り、作業員のフリをしてデータセンターに入ったことで調べられているのではないらしい。
警察が疑っているのは、愛さんが借金を代わりに払ってくれたことが、ボクのハッキングによる不正送金ではないか、という事だった。
「契約しているローン会社は一社じゃない。それがどうして急に金繰りが良くなったんだ。訳を話せ」
冴島愛さんが、借金を支払ってくれたから、というのが理由だが、確かに他人が信じてくれるか、疑わしい内容だった。
「それは……」
言いかけて、警察側の反応を考えてやめた。冴島さんとボクの関係が、警察に話すにしてはあまりに曖昧過ぎるのだ。
「では、話を変えて、この女性…… 知っているか?」
警察は小さなタブレットをこちらに立てて見せた。
緑髪のツインテール。冴島愛さんのボクの知っている姿だった。
「この女性が、借金を払ってくれたそうだ。見覚えはあるかね?」
「!」
警察にこちらの挙動を見られてしまった。
「知り合い? それとも」
「恋人です」
「恋人? じゃ、連絡先は知ってる?」
ボクは言ってしまったことを後悔した。
首を横に振る。
「知らないわけないよな。恋人同士なんだろう? 連絡も取りあわないのに、恋人って言えるのかな」
「……」
机の下を見た。手を組んだり、離したり、指を握ったり、なでたりを繰り返していた。
「連絡先だよ。ネットでも、メールでもいい。何も連絡取れないのに、恋人っていうの。それとも、アイドルの推しメンみたいなもんなのかな。一方的に憧れているのかな?」
「違います、ボクは……」
「だったら連絡先だ」
ボクのスマフォを机の上に出し、スッと押してきた。
「連絡して。なんで借金を肩代わりしたのか、理由があるだろう」
「……」
「やっぱり。君は、この冴島という女性の口座を利用して自らの借金を返したんだ」
「違います」
警察は押収したパソコンを指さした。
「あのパソコンを調べれば、彼女の口座を利用してローン会社に支払いをしたことはすぐに分かるんだぞ」
「だって、ボクにそんな技術はありません」
「冷静に考えて、この女性が、知り合いでもない男の借金を返すわけいないだろう」
「だから、ボク達は恋人……」
警察はもう一度机の上のスマフォを押した。
「であれば、連絡をしてみてくれ」
出なくても適当にこっちが話しているフリをすればごまかせるか、と思ってスマフォを取る。
電話をしようとした時に、スマフォから声がした。
『智? 智なの?』
ボクの周囲に一斉に人が集まって来た。議事録を取っている制服の警官を除いて。
質問をしていた警察が、小さい声で言う。
「(返事をしたまえ)」
「ああ、ボクだよ」
『どうしたの、ネットが急に切れたから、急病なのかと』
さっき愛さんから『警察がいるから、早く逃げて』と言われたのに、今は全然違うことを言っている。もしかして、この状況を把握して、助けてくれようというのだろうか。ボクは愛さんの話に乗っかった。
「大丈夫だよ。ちょっと事情があってネットから出なきゃいけなかったんだ」
『事情ってなに?』
ボクは警察連中の顔を見回す。
「電話を代われ」
スマフォを強引に奪われる。
「こちら、ジョウナン署のナカムタと申します。あ、ご心配なく。お名前をお聞かせください」
『冴島愛です』
続けて生年月日と住所、などを聞き出した。警察はそれを大きい声で言い直して、議事録を取っている警官に記録させる。
「こちらの田畑智さんとはどう言ったご関係で」
『いう必要ありますか?』
「わかりました。結構です」
『もしかして、両親が不正送金の被害届け出しをしましたか?』
警察はボクのスマフォをもって扉近くに移動した。
何か小声で話しているが、聞こえない。
「(その通りです)」
『被害届けを下げさせます』
警察が、机に戻ってきた。
「今かかって来た番号を教えろ」