指示された作戦
愛は『監禁されている』と言った。
どういう意味だか分からなかった。監禁されているのに、こんな、ネットに接続して遊んでいるはずはない。どうしてそんなことが許されているのだ。
結局、『監禁されているようなもの』という意味だと思う事にした。所謂、『軟禁』というやつだろうか。
そして愛は裕福な家に生まれていて、ある程度、自由になるお金を持っているようだった。
その証拠に、ネットからの切断直後、ボクの借金の一部を払ってくれたようだった。どうしてそう思ったかというと、ローン会社からの通知があったからだ。
逆に言うと、愛と交わした約束を守らねばならなかった。
『違うの。どうしてもそのOSじゃなきゃダメなのよ』
ボクは、過去言われた通り、愛が指定したパソコンを買って、自室でセッティングした。
そして家に送られてきた服を着て、ワイヤレスイヤホンをして、指示された場所に向かうことになった。
着いたのは、窓のない大きな建物だった。
「倉庫?」
首をかしげながらも、愛さんからあった事前の説明通りに近づいていく。
大型の車を通す為の門は閉まっていて、その端にある通用口のような部分に向かう。
インターフォンのカメラに向かって顔を向けると、インターフォン側から声がした。
「お待ちしておりました。どうぞ、お進みください」
ボクはよくわからないものの、インターフォンのカメラに向かって会釈した。
カチャリ、と電磁石が働いて錠が開く音がする。
そのまま小さな通用口を開けて中に入る。
中の空間は縦横に舗装された道路が走っていて、倉庫のような窓のない大きな建物をぐるっと囲っていた。
広い空間であるが、誰一人あるいている様子はなかった。まるで無人の工場、いや倉庫に入っていくような気持になっていた。
ボクは入口と思われる部分を見つけて、歩道を進んでいく。
まっすぐ歩いていると、突然、ピロン、と音がした。
「えっ? 接続した?」
指示されたまま着けていたワイヤレスイヤホンが、接続した時の音を出した。
『聞こえる?』
声は愛さんのものだった。ボクは動揺した。周りに人がいないからだった。
「どこにいるんですか?」
その声がどうやって愛さんに届くかも想像できないまま、そう言っていた。
『聞こえているなら、右手を上げて?』
周りをキョロキョロと見回しながらも、言われた通りに手を上げる。
『確認出来たわ。OK、そのまま進んでから、建物側に曲がって』
こっちの声がどこかで拾われているような気がして、声を出してみる。
「どこにいるんですか?」
返事はない。
『智は何か喋ってるようだけど、ここのカメラは音声は拾えないの。一方的にこっちが話すことになるから、覚えておいて』
そういうことか。
よくみると道路に一定間隔で道路を照らす灯りとともに、カメラを付けた柱が立っていた。
ボクは入口に着く。
ここまでが最初の指示だった。
入り口脇の横に細いのぞき窓のようなところに視線を感じる。
「そこでお待ちください」
と男の声が響く。
『これから、構内の警備員が出てくるから、差し出された装置に右の人差し指を置いて』
カチャリ、と通用口と同じような軽い電磁石が動作する音がすると、扉が開いた。
「認証を行います」
そう言って、名刺大の機械を差し出した。表面に滑らかな黒い面があった。ここに指を押し付けるのだろう、と考えた。
ピーと音がする。警備員が、いぶかし気な顔をして、左手で持っている表示装置を覗き込む。
まずい……
愛さん、本当にこの建物に入れるような手続きをしたのだろうか……
「……」
何度も表示装置を操作して、ボクの顔と見比べる。
すると突然、警備員はニヤリと不気味な笑みを浮かべる。
「フジ電気製作所の緑山さんですね」
はい、と言いかけたが、安堵のため息で消えてしまう。
一礼すると、警備員が扉を開けてボクを通してくれる。
入った後、警備員が扉を閉める。閉めるとすぐ、チェーンロックをかけている。
「そこの書類にお名前を書いていただいていいですか」
警備員に言われるがままにサインをする。
「ありがとうございます。本日の作業は、3Fと伺っています。ここへは何度かいらっしゃっていますか?」
「えっと……」
『何度も来ている、と言って』
「なんども来ています」
サインした書類を確認しながら、警備員が言う。
「それでしたら、ご説明は省きます。持ち物はこちらのロッカーに預けてもらって、作業で必要なものはこちらのトレイにいれてください。ここのゲートをくぐってから、あちらにあるロックバーを回して中に入ってください」
「ハイ」
よく見ると、空港でよくあるX線照射器と、金属探知のゲートだった。
つまり、金属性のものはここでロッカーに預けないといけないわけだ。ボクは耳に着けているワイヤレスイヤホンをどうしようか、と考えた。金属探知機に引っかかるからだ。
耳に手を伸ばした瞬間、愛さんの声が聞こえた。
『これは外しちゃダメ。補聴器、という事で事前申請しているわ』
そのまま手を下ろしてポケットの中の鍵やスマフォ、財布などをロッカーに預ける。
鍵をして、鍵とイヤホンをトレイに置くと、ゲート側を抜ける。
トレイはX線で確認されて、ゲートの先で返される。
警備員が、申請書のプリント・アウトを見て、ペンでチェックをしている。
「両耳の補聴器って、珍しいですね」
「?」
トレイからワイヤレス・イヤフォンを取って付け直しながら、その警備員の言葉を無視した。
警備員はそれ以上、そこには触れなかった。
指示されるままロックバーをガリガリと音を立てながら通り過ぎ、小さなエレベータフロアに出た。
「?」
エレベータのボタンを押すが、点灯しないのだ。
よくみると、さっき警備員が持ってきたような滑らかな黒い面が、とってつけたようについている。
そこに指を乗せると、エレベータの呼び出しボタンが機能するようになった。
エレベータがくると、3Fのボタンを押した。
ゆっくりと階の表示が変わっていくのを見ながら、愛さんの最初の指示を思い出した。
『私、監禁されているの。私がここから出る為には、あるものが必要なの。智にはそれを取ってきてもらいたいの』
当然、ボクはその『あるもの』が何なのか聞いた。
『それが何か言えないわ。言ったら今度は智が監禁されてしまうかもしれない。とにかく、それを引き換えに私の監禁が解けるの。だから…… お願い』
エレベータの扉がゆっくりと開いた。
箱状の建物の外壁にそったように通路が走っていた。そとから見たままで窓はなく、通路は肌寒かった。
『3-Cエリアに進んで』
通路の壁に3-A、3-Bが右、3-Cが左だと案内がある。
ボクは左に進んだ。
大きな真っ赤な自動ドアに3-Cと書かれていた。さっきと同様に黒くて滑らかな面が壁から突き出ていて、そこに指を置いた。
ピピ、と音がして、スッと扉がスライドして開く。
真っ暗な部屋の中から、風の音がコウゴウと聞こえてくる。
戸惑いながらも足を踏み入れる。書庫のようなものが何列にも規則正しく立ち並び、それぞれの中には、小さなLEDがいくつも点滅していた。
カチッと何か音がすると、部屋全体の灯りが付いた。
「さ、サーバールーム?」
風の音はそれぞれのコンピュータやネットワーク機器を冷やすためのファンが作り出している音なのだ。
妙に肌寒い空調も納得がいく。
それにしても、ここから何を持ち出すというのか。
ここから何かを持ち出せば、さっきの警備員にすぐに見つかってしまうだろう。
『ラックの端に指を置くところがあるでしょう?』
この黒くて滑らかなものを見ると、反射的に指を置いてしまうまでになっていた。
ピーと警告音のように長い音がして、ボクは周囲を見回した。
音が止まると、カシャン、と音がして、ラックの奥の網目の扉が『ゆるり』と開いた。
『あそこよ』
ボクは愛の言う通りにそこの前に立つと、扉を開けた。
緑、赤、オレンジ、黄色、様々なLEDがそれぞれの意味を訴えながら点灯、点滅をしている。
『上から四つ目の機械の上に、ケーブルがあるわ』
ボクの目からはケーブルが見えなかった。手を差し込んで探ると、ケーブルが手に当たった。
『智の右手に監視カメラがあるから、もう少し前に出てラックの扉に隠れて』
言われた通り、機械に近づく。
『左耳のワイヤレス・イヤフォンを外して、表面をスライドするの。スライドすると、さっきのケーブルに差し込める穴があるはずよ。差して』
言われた通りにすると、ワイヤレス・イヤフォンのLEDが激しく点灯して、消えた。
『OK。早く耳に戻して。そして作業は終了。慌てずに、素早くここから出て』
慌てずに素早く、意味を考えながら、ラックの扉を閉め最短距離で扉に向かった。
ゴウゴウと風の音がするサーバールームを出ると、早足でエレベータフロアに戻る。
指をつけて認証してから、エレベータ呼び出しボタンを押す。
ゆっくりとエレベータがカウントダウンして降りてくる。
1Fに降りると、ロックバーをガリガリと動かして、ロッカーがある部屋に戻ってくる。
「作業終わりましたか?」
警備員は、ボードにクリップした紙を差し出してサインを求める。
「はい」
と言って、作業終了の時刻と『緑山』の名前を記す。
「おつかれさまです」
警備員が言うと、鍵を取り出してロッカーから預けたものを取り返す。
急いで出ないと……
「あのっ、その耳」
「!」
走って逃げようか、と思ったが、この前室を抜けても扉は単純に開かない。チェーンロックされている。慣れないボクが、がちゃがちゃとやっている間に追い付かれてしまうだろう。
不自然にならないように注意して、ゆっくりと耳に手を伸ばす。
これだ、とボクは思った。
さっきスライドした部分が、ひらいたままで、黒いコネクタ部分が丸見えなのだ。
警備員はカウンターの向こう側にいるために見えないと思うが、ボクの足は完全に震えていた。
押さえた手で、気付かれないようにそっとスライドさせてコネクタを隠す。
「どうかしましたか?」
何気ないフリをして、ゆっくりと手を耳から離す。
こっちの問いに警備員は答えない。ただじっと見つけ返すだけだ。
「……」
何も言わない時間が、やけに長く感じる。
「……どうかしましたか?」
勇気をだしてそう言った。
「……いえ。何か耳が汚れているように思えたのですが。気のせいですね」
息を大きく吐いて出したくなる衝動を抑え、言う。
「それでは失礼します」
「あっ、そちらに行きますので待っていてください」
警備員はカウンターを出て、先に前室を抜け、外の扉のチェーンロックを外し、扉を開放した。
「おつかれさまでした」
「失礼します」
ボクは何度か振り返り、その度に警備員に会釈した。警備員が扉を閉めて、中に入ったのを確認すると、大きくため息をついた。
『ごくろうさま。ここから先は、監視カメラがないから、指示も出来ないわ。早くパソコンまで戻ってきて』
構内の歩道を走って、通用口から外に出る。
データセンターの外を歩きながら、振り返ると門の上についている回転警告灯が、回り始めていた。