借金取り
「智、智……」
「愛……」
初めて名前で呼び合う異性。
ボク達は愛し合っていた。
ネットを通じてだが、見える世界として、確実に二人はここにいた。
彼女が描く曲線を、憶えるくらいに何度もみつめていた。
その曲線は、体のラインであり、くねらせる動きだったり、所作が描くものだった。
ボクたちはネットに入る度、何度も何度も愛し合った。
周りから見れば、彼女に溺れる、という表現がぴったりくるような状況だった。
至福のネット空間から出て行かなければならない時、激しい後悔が襲った。
「また言えなかった」
このネット空間を利用して会っていると、ものすごい金額が掛かってしまう。
だから愛さんに、今日こそ、こう言うつもりだった。
『リアルで会えませんか?』
掲示板とかを見ると、ネットでの彼女に『リアルで会えないか』と言うことは『断わられるからやめとけ』と言う回答が多く、失敗した事例もいくつも見つかる。
課金で作ったイケメンが、リアルの不細工をさらす必要はない、とか。逆にリアルであった女性側もけっこう『盛られて』いて、幻滅した、とかいう話もある。
だから、ボクは怖かった。
『リアルで会いませんか?』
と言い出したとたん、今の関係が『壊れて』しまうことが。
けれど、ネットにつなぎ続ける金がない。
いつかそれを言い出さなければならない。絶対に、だ。
通信履歴全部消して、パソコンを閉じると、居間に戻す。
妹は今日は部活でまだ帰って来ていない。
玄関に出て、郵便受けのものを取り出して整理する。
「あっ……」
DMなどの広告やポスティングチラシに交じって、一通の封書があった。
赤く重要と書いてあって、差出人はローン会社からのものだった。
まだバイトの金の振り込みには日数がかかる。
滞納を始めると、一気に借金が膨らみ始めることは知っていた。
ボクは慌ててスマフォで別のローン会社を検索した。
兄妹二人きりの夕食が終わり、食器を洗っている時だった。
「あれ? お兄ちゃん、スマフォ鳴ってるよ」
バイブレータの振動音で、妹に気付かれた。
一瞬画面を見て、ローン会社からだと分かる。
「あ、うん……」
すぐに画面をスライドして着信拒否した。
「えっ、出なくていいの?」
一瞬、逆切れして『どうでもいいだろ!』と言いそうになったが、妹が不安げにこっちを見ているのに気づいた。安心させなければいけない、という思いが湧き上がる。
無理やり笑顔を作って、少し肩をすくめてみせる。
「最近、なんか変な電話が多くてさ」
妹は軽くうなずいて、言った。
「そうよね。なんか私も近所で変な人見るの。サングラスをかけた、感じ悪い人がうろうろしてるの」
「……後つけてきたりするのか?」
「ううん。おうちのインターフォンを押してたみたい、だけど」
まさか…… ローン会社の人間が?
「どうしたのお兄ちゃん」
「何でもない」
そのまま、何事も無かったように食器を洗い続け、その晩は何事もなく過ぎた。
翌朝。
妹がいつものようにボクより早く家を出たかと思うと、突然戻って来た。
「お兄ちゃん、お客様来てるよ」
「お客様?」
「いいから来てよ。私学校間に合わなくなっちゃうから」
軽く着るものを羽織って、玄関に出ると、そこには肩に着くかつかないかぐらいまで髪を伸ばした男が立っていた。服装はスーツだったが、胸元を広く開けていて、金色のネックレスが掛かっていた。
妹は、それだけすると、学校へと走り去っていった。
「あなた、どちら様で……」
いいかけて、男が前に出してきた名刺で気が付いた。ローン会社の取り立てに違いない。
「かわいい妹さんだな。いやあ、ちょうどいいタイミングだったよ」
ちょうど、妹が曲がった角の方に親指を向け、そう言った。
「か、関係ないだろ」
「関係あるかはこっちが決めるさ。妹さんを俺に紹介すれば、ひと月分くらい立て替えてやっても……」
そんな、自分のネット課金の為に、妹の人生が……
周囲に人がいないことを確認し、深く頭を下げた。
「ごめんなさい。払いますから、払いますから、一週間待って」
「お前のバイト代なんかあてにならねぇからな。妹かっさらって店で働かせば、月百万ぐらいかせぐだろう」
「おい、妹は関係ないって」
おもわずローンの取り立て男の襟をつかんでしまった。
すぐに、取り立て男に、もっと強い力でボクの襟を締め上げられてしまう。
「逆ギレはよくないな。関係あるかはこっちが決める。大体、担保も、まともな稼ぎもない大学生に、金貸すってことはそういうことが含まれてんだよ」
く、苦しい……
「何社から借りてるかしらないとでも思ってるのか? 全部調査済みなんだ。それで俺がここにきてんだ。待てないっていうんだ。家の中にあるものを『○○オク』とか『○○カリ』で売って金にしろ。そうじゃなきゃ、妹を使わせてもらう」
ブルっと震えが走った。体自体も震えたが、気持ち、心が震えて、恐怖がすべてを満たしてしまった。
そうだ、売ってでもなんでもいい、目の前の借金を返さないと……
ローン会社の男が手を離した時に、ポタッとコンクリートに染みがついた。ボクは自分が泣いていることに気付いた。
「ほらっ、高そうなやつ見繕ってやるから、家の中に入れろ」
ローン会社の男を家に入れることだけは断った。代わりに期限内に金が出来なければ『わかっているな?』と言われた。
大学に行っても、授業なんて、ひとつも頭に入らなかった。
家にあるもののなかで、妹や両親に気が付かれず、何が売れるか。売っていくらになるのか。
別の高給バイトを探すことも考えた。
いや、それより、ネットに入るのを最後にしないと。
愛さんに今日こそ言うんだ、ネットの外で会いましょう、と。
「智、帰り学食寄ってゲームしねぇ?」
「ごめん、今日は駄目だ」
「えっ?」
「めずらしい」
「初めてじゃね?」
ボクはなるべく顔を合わせないように、下を向いた。
「本当にごめん」
友達が小声で言うのが聞こえる。
「(また例のネットか)」
「(課金しすぎで借金してるって話もあるぜ)」
「(『ジイ狂い』って、中学生かよ)」
悔しかった。けれど自分のしたことだった。反論は出来ない。
急いで家に帰ると、妹が帰ってくる前に家のなかの、高額なものがないかを探した。
宝石、アクセサリ類、金券類、ゴルフクラブ、スキー板、ガラクタ、ガラクタ、ガラクタ……
とりあえず、宝石やアクセサリを自分の部屋に隠す。
ふと、時計をみると、愛さんとの約束の時間だった。
居間のパソコンを持って、部屋に戻る。
下の肌着を脱いでオナホを腰につけ、パソコンに接続する。そして専用のグローブと、膝当てをつけてから、頭にVRゴーグルをつける。この一瞬が、一番他人に見られたくないところだった。VRが投影され、グローブや膝当て、オナホへとフィードバックが入って、ネット空間に没入してしまえば、現実空間に残された裸の体を『恥ずかしいと思う』気持ちは吹き飛んでしまうのだ。
「智!」
接続するなり、いきなり緑髪のツインテールがボクの胸に飛び込んでくる。
下に視線を移すと、ゆっくりと見上げてくる。冴島愛。ボクの恋人。
「愛っ!」
そっと手を伸ばして、見上げているその頬を撫でる。
その表情は、嬉しさで涙を浮かべているように見える。
そのまま顔を近づけていく。
唇にはフィードバックがないが、音と視覚に返る反応で、キスをしている気持ちになる。
「しよ、しよ!」
ボクは頭がおかしくなっているのかもしれない。
目の前の彼女が誘うがままに、次、次と、行為を重ねていく。
快楽の波が、うねりながら頂点に達する。
サーフィンで次の波を求めるように、また沖に向かってぱどリングする。
そして、また大波がやってくる。
刺激的な彼女の行動に、その波を何度も上り、下った。
「……智」
ベッドで横になっているボクの目と鼻の先で、キスを求めるように愛がそうささやく。
ボクは視野の端に表示されている接続時間を見て、忘れかけていた重く苦しい言葉を思い出す。
「ちょっと、話しがあるんだ」
「?」
ボクが上体を起こすと、愛も正面にちょこん、と座った。
「あの…… リアルで会えないかな」
言ってしまった。何も前振りも説明もなしに。
反応が薄い愛の様子に、ボクは理由を言った。
「リアルで、こんなことをしたい、っていうんじゃないんだ。ボクは愛と真剣に付き合いたいんだ。それに……」
これを言い出したら、貧乏人と思われてしまうかもしれない。けど……
「ネットの費用が、その、払えなくて……」
「あっ」
愛は、何かを察したように、手の平をポンと叩いた。
「そうよね。男の人の使用料って、高いのよね……」
ボクは目を合わせられずにうつむく。
「もしかして、借金とかしてない?」
「えっ……」
そのものズバリを言い当てられ、ドキドキしてきた。
「大丈夫。正直に言って」
「うん。はっきり言って、このままだと妹が借金取りに」
瞬間、愛がボクに抱き着いてきた。
いや、違う。ボクが愛の胸に抱きしめられていた。
柔らかな胸の様子が視覚に飛び込んでくる。
「そう…… そんなに…… いいわ。私がその借金を…… 全部は払えないと思うけど、妹さんを危険な目に合わせない程度になら」
ボクはその言葉に膝立ちして、愛と視線を合わせる
「ダメだよ、そんなことしたら愛が同じ目に」
愛は何か言いたげな表情で、少し距離を置いた。
「実は、私も智にお願いしたいことがあるの」