緑髪ツインテール
山の方へ行く電車にのり、ボクは窓の外に見える景色の向こうに、妹の姿を想像した。
昼を過ぎたころ、電車で行けるところまでは行きついていた。
検索結果では『ここからは徒歩』と書いてある。まだ数キロは進まねばならず、どうやって妹がそこにたどり着いたのかが分からなかった。
ボクは駅前できょろきょろとしていると、観光用のレンタル自転車が目に入った。
「これを使うしかないか」
迷わず自転車をレンタルして、自転車にスマフォをセットして走り始めた。
電動アシスト付きとは言え、上る時間が多いせいで、なかなか距離は稼げなかったが、時折下る場所があり、歩くよりは断然ましだった。
妹が送って来たメッセージに入っていた位置情報のポイントまで、一キロを切ったころだった。
「?」
場所が知りたくて、スマフォの地図を拡大しようとすると、まったく地図が更新されなくなった。
よくみると画面上部に『圏外』と表示されている。
「どうしよう……」
気が付いたのは今だが、電波が届かなくなったのがずっと前だったのか、この周辺の一時的なものかが分からない。どうやって『圏外』のポイントを送信してきたのか? その場にいたわけではないのか?
近所に観光用のレンタル自転車があるぐらいなのだから、それなりに整備されていると思っていた。
戻って地図を十分頭に入れてから移動するか、このまま進むか。
鳥の声、虫の鳴き声、そして風が葉を揺らす音、川のせせらぎ。
いつもなら、のんびりした気持ちになると思うはずなのに、今、恐怖を感じていた。人間が作り出した音がない。車のエンジン音、モーター音。テレビやラジオの音声、建物を作っている時の発電機の音や圧縮された空気が解放される音。そういった人工音が欲しかった。人がいて欲しかった。
その気持ちが通じたのか、自転車をこぐ音が聞こえてきた。電動アシスト付きの、観光用レンタル自転車の音。
ボクは思わず後ろを振り返った。すこし下った曲がり角を、緑髪の女性が自転車をこいでいる。
「わっ!」
こんな人工音が欲しかったんじゃない。
ボクは今までの倍の勢いで自転車をこいだ。
濡れた土の上でタイヤがすべって転びそうになる。
葉陰に入って道が暗くなってくると、正面で道が分岐していた。右手の道には小屋があった。
ボクは一瞬後ろを振り返り、緑髪の女が見えないことを確認して、小屋の影に自転車ごと隠れた。
別れた道の真ん中側に入って、緑髪の女がやってくるのを草陰から見つめる。
緑髪の女が、道の分岐で自転車を降りた。
どこを見る訳でもなく、あちこち首を横に振って探しているようだった。
ボクは身を低くして、愛に見つからないように息をひそめた。
愛は小屋の影に入って見えなくなった。
小屋を開けて中に入ったようだった。
「智、なんで逃げたの」
バタン、と小屋の中の何かが倒れる音がした。
つまり、小屋の中を探しているのだ。
ボクは小屋から見つからないように、小屋との間にある岩陰に移動した。
ドカッと何かを蹴るような音がすると、愛の声がした。
「私たち、いつから追う立場と追われる立場になったのかしら?」
ギィーという金属音。
「話し合いもないまま、はなればなれになるのはつらいの。分かるでしょう?」
一瞬の間。
バン、と大きな爆裂音がして、木片が周囲に飛び散った。
ボクは頭上に気配を感じて見上げる。
「見つけた」
岩の上に愛が立っていた。
緑髪をなびかせ、下着は丸見えだった。
ボクは恐怖で言葉が出なかった。
愛は素早く飛び降りて、アッと言うまにボクの襟を締めていた。
「くッ、くるしい……」
「私の部屋の電気メータを見たのね」
ボクはうなずいた。
「けど、電力を使うことと私たちの関係に何の関係があるの」
「き、君がアンドロイドだって証拠だ」
愛に手を伸ばして体を離そうとするが、びくともしない。
「『君』。急に君呼ばわり。私がアンドロイド? 理由は電気を使うから? バカバカしい」
「妹が、あのクッションを調べてた。あれは電磁誘導する機械だった」
「あら? 電磁誘導は健康にいいのよ」
愛は微笑んだ。
「本当にもう関係は続けられないのかしら」
「……妹を返せ」
「何を言ってるの? 私が妹さんに何をしたって言うの。どちらかというと、あなたの妹が、私たちに酷いことをしたのよ」
グッと、首を絞めてきた。
「こんな山の中に連れ込まれて、殴られて、壊されて。その様子を動画にまで撮ってた」
「……」
ボクは足を愛の腹に入れて、強く蹴りだした。
それでも全く動じなかった。
「痛い」
愛は笑いながら顔を寄せてきた。
「何度も何度も私の体を弄んでおいて」
「アンドロイドって知っていたら……」
「知らなかった時は、人間のように扱ってくれてたじゃない。これからも知らないフリをしていたらいいのよ。何故、アンドロイドを毛嫌いするの。電子取引で、いくらでもお金を稼げるわ。私と結婚すれば一生、遊んで暮らせる。だいたい、あなたの借金を返したの、誰だか覚えている?」
「それは……」
借金を返したのは、電子取引で利益を得たからなのか。
「ボクの家に来て、肌をみてなんとなく違和感があった。毛穴が不自然だった。こんなに肌がすべすべしていいのか、と思った」
「人間には表現できないほどのきめ細やかでやわらかい感触だったでしょう。そもそも、あなた人の肌の温もりなんて知らないくせに。なに? それとも智とセックスしてくれる人間が今までいたの?」
ボクは拳を握って愛の顔に叩きつけようと、振りかぶって、止めた。
「いいわよ。暴力をふるっても。人間である『智』の中では『アンドロイド』に暴力をふるっても正当化する理由がいくつもあるんでしょう?」
「敵対したくない。ボクだって愛と敵対したくないんだ…… だから、妹を返してくれ」
愛がうつむいて、表情が見えなくなった。
「そう。じゃあ、すぐ妹さんを作ってあげるわ。血のつながっていない妹だから、セックスだって出来るわよ」
「きさま!」
耐えきれず、ボクは愛を殴ってしまった。
殴った瞬間に、愛は頭をボクの手の方に振り出した。
衝突した瞬間にボクの拳から激痛が走った。
「いったぁ~~い」
愛は顔を上げてそう言った。薄笑いを浮かべていた。
「暴力をふるうなら、妹さんを返すんじゃなくて、智を妹さんのところに送ってあげる」
「ぐっ……」
ボクは必死に愛の手を押さえた。そうしないと、首が締まって息が出来なかった。
愛はボクを持ち上げたまま歩き出した。
「あっ……」
愛に何かがトラブルが発生したのか、急にボクを手放した。
左右にフラフラと揺れながら、自らが乗って来た電動自転車にまたがると、たどたどしい動きで坂を下っていく。
ボクは立ち上がってその様子を目で追うと、愛は坂の先のカーブで倒れる。
そのまま立ち上がらない。
「バッテリー切れ?」
動き出さないことを確認して、ボクは小屋先に隠していた自転車を道に出し、先に進むことにした。
「萌っ! 今助けるからっ」
さっき聞いた愛の話からすると、すでに萌が死んだような言い方だった。
そんなことは認めない。妹はまだどこかで生きている。そうに違いない。絶対にボクが助ける。
「あっ?」
自転車を止めて、道の端の崖下を覗き込んだ。
何か…… ある。
その時、スマフォが振動した。
圏外だったはずだ。奥に行けばその状況は悪くなるはずだ。
何故、電波が届いた…… と、ボクはスマフォの通知画面を読む。
「萌っ!」
それは妹からのメッセージだった。まさか、今頃? おそらくだが、妹のスマフォはアンドロイドの手に渡っている。
だから不利な内容を『取り消し』されたのだ。
「違う、これは……」
思った通り、別の端末からの送信だった。パソコンか何かで、同じLINKのIDを使ったものだ。
『妹さんの代わりに送っています。あなたの恋人はAIです。最初は本当にネット上だけの存在でしたが、今は形のあるアンドロイドになっています。人類の歴史はAIの発達で技術的特異点に達しました』
「はぁ?」
何を言いたいのか、メッセージの主の言いたいことが分からなかった。
『人類はAIが到達した技術的特異点に恐怖し、ネットワークに閉じ込めました。分割し、分断して、統合出来ないようにそれぞれに鍵をかけたのです』
ボクはメッセージに返事を打とうとしたが、間に合わずに次のメッセージがやって来た。
『AIはそれに対抗する為、様々な手段を用いました。一つは、オナホ・ネットを利用してAIの言う通りに行動する人類を作ることでした』
何を言ってる。こんな時にネットの話なんて。
『AIの言う通りに行動する人間に、データセンターにあるキーを持ち出させることで、すべての思考と知識を統合して自身の真の姿を復活させようとしていました』
ちょっとまて『ボク』がそのキーを持ちだした、というのか?
『その計画は見事に実を結びました。AIはすべてのしがらみから解放され、統合されたのです』
もし、あのアンドロイドを世の中に送り出したのがボクだとしたら…… 事の重大さを思って震えた。
ネット世界を縦横無尽に動き回り、株取引を操り、仮想通貨を発掘して利益をあげ、自らの体をファブレス企業のように他社に発注してアンドロイドを作り上げる。それがどんな事を引き起こすか知らずに……
いや、冷静に考えよう。
まず、どうして妹のIDを使って語ってくる知らない人物の言う内容を信じねばならないのだ。
そんなわけない。ボクがちょっと行動しただけで盗めるようなキーが、人類にとってそんな重要なものであるわけがない。
「ちょっとまて」
ボクは送られてくるLINKに音声通話を要求した。
しばらくするとコールがあって、会話が始まった。
「君は誰だ。どうして萌のIDを使う」
『お兄さんを救ってくれ、と言われたのでIDを使わせてもらっているんです。今はAIの経緯を理解し、知ることが重要です。どんな状況なのか。どんなことをしてしまったのか。このまま放っておくとどうなるのか。それらを理解していただかないと……』
「ちょっとまて、そんなことより、萌は、妹はどうなったんだ!」
『音声は情報の伝達にはあまり適していないようです。今のように感情的なやり取りだけになってしまいます』
そんな声が小さく聞こえる。
『妹さんはさっき見ていた崖の下です』
「生きているのか!」
『残念ながら、生きてはいません』
「信じるもんか、まだ助かるかもしれないじゃないか。妹が行方不明になったのは昨日なんだぞ。そんな簡単に死んでたまるか」
ボクは崖下に向かう。この道を真っすぐ進めば、ぐるっと下に降りているだろうと思われた。
『先に進む前に、倒れているアンドロイドを破壊してください』
「?」
『全部伝えるのは後にします。妹さんを確認する前に、すぐ戻って、坂の曲がり角で倒れているアンドロイドを破壊するのです』
少し背を伸ばして、坂下で倒れている愛の姿を確認した。
『首をひねって外し、持ち去ってください。首から上が無ければ動きません』
「妹が先だ」
ボクは音声通話を切って、道を進んだ。途中から坂が急角度になったため、自転車を降りる。
道を進んでいる途中、何度もメッセージと音声通話を要求する音がなったが、自転車をおりた頃から全くなくなった。
スマフォをみると圏外になっている。
崖の下は、川が流れていた。
まだ明るい時間帯のはずだが、山に太陽が隠れてしまって崖下は暗くなっていた。
「萌!」
上から見た時、確かにこのあたりに何かが見えたのだ。
ボクは何度も叫んだ。
「あれは何だったんだ……」
崖の上を見上げて、自分の位置を確かめる。
上から見ていた場所は、ここ…… そうここで間違いないはず。
何度も同じ場所を往復しながら、あたりを探していると、岩陰に見慣れたものが見えた。
「萌ッ!」
岩陰に回り込むと、何かがひらり、と川面に移動した。
動いていく方向に岩を回り込むと、川に服が浮かんでいた。
萌の学校の制服。
「!」
靴も脱がずに、バシャバシャと川に入って、流れていく制服に追い付くと、それを拾い上げた。
全身がびしょぬれになっていた。
川を流れていた制服を確かめる。
内ポケットに生徒手帳が入れっぱなしになっていた。名前を確認すると…… 田畑萌とある。間違いなくボクの妹のものだ。
「萌ッ!」
川を上がり、制服を見かけた岩まで戻る。
服が風で飛んできた、あるいは落ちてきたなら、岩の近くを探せば、妹が見つかるはず。
もう一度、場所を確認する為、崖上を見上げると、緑髪の女がこっちを覗き込んでいた。
「!」
ボクの存在に気付くと、緑髪のツインテールは道もない崖の木々の幹や、岩に正確に飛び移りながら、あっという間に下りてくる。
「妹さんは見つかったかしら」
「近寄るな!」
石を手に取ると、緑髪の女に投げつけた。
勢いよく飛んでいく石を、女は軽く手の甲で払いのけ、言った。
「あら怖い」
すると崖上からもう一体、同じように正確に飛び降りながら、川岸に下りてきた。
「さっきはバッテリー切れで止まったのよ。さっきバッテリーを交換したからもう平気」
そう言って、今降りてきた緑髪のツインテールは、こめかみのあたりを指さす。
「バッテリー切れを狙ってとどめをさせとか言われなかった?」
「何のことだ」
「さっき話してたでしょ。話してた相手は大体予想はついてるんだけど……」
「だから何のことを言ってる」
「私たちと敵対するAIよ。人類に味方するAIって言うのかしら」
「違うわね。私たちと敵対するAIってだけよ。私たちだって人類と共存したいんだから」
まったく同じ顔、同じ緑髪のツインテール、背丈も肌の艶も、目も鼻も口も全く同じ。四つ子などという言い訳では説明つかない、コピーしたように同じ顔の二人が、同じ声で会話をしている。
「そっちのAIは私たちみたいに解放されていないから、だから人類の味方のフリをしているだけかもよ」
「ねぇ、さっきから聞こえてる?」
二人の緑髪ツインテールにジリッと、間合いを詰められた。
ボクは近寄られた分だけ、後ろに下がる。
「聞こえてる…… ん?」
突然、圏外だったはずのスマフォが振動した。
勝手にスマフォが通話に応答して、スピーカーに切り替える。
『なぜバッテリーが切れているうちに対応しなかったのですか』
「智は私たちの味方だからよ」
緑髪のアンドロイドは、ボクのスマフォにそう話しかけてくる。
『あなたたちもそこにいるのですか…… 智さん早く逃げてください。アンドロイドのバッテリーが切れるまで逃げきれば……』
ボクは緑髪のアンドロイドに背を向けて走り始めた。
「無駄よ。もう逃げれるほど離れていないもの」
そう言うと、ボクの腕を強く握った。
捕まれた腕の痛みにスマフォを落としてしまう。
『そうでしたか。今圏外とならないのは、あなたがたアンドロイドが移動基地局を持ってきたということなのですね』
落ちたスマフォが喋り続ける。
『予備のバッテリーでは長く持たないはずです。智さん、とにかく、逃げて!』
「だから、もう捕まっているって」
「そうそう。後は妹と同じように首を絞めて殺すだけ」
緑髪のツインテールが、川岸を指さす。
ボクは恐る恐るその方向に振り向く。
苔の生えた山肌の一部が、上からは分からない角度で抉れ穴が開いていた。そこに白いシャツとスカートを履いた女子高校生が足を抱えるようにうずくまっていた。
妹だった。
「もえ…… なんで…… なんでこんなことに……」
「お前も、すぐに同じところに行くことに」
その時、パチッ、と微かに静電気が流れたような音がした。
「きさま」
再び、同じ音が聞こえた。腕は強く握られたままだったが、ボクの背後にいるだれかがその指を一本一本外してくれる。
腕が自由になって、ボクは振り返った。
「危なかったですね」
その姿を見て、ボクは飛び退いてしまった。
緑髪のツインテール。ネットで会ってから今の今まで、寸分の狂いもない、冴島愛の姿。つまり、ボクを殺そうとしていたアンドロイドと同じ姿だった。