失踪
それからボクは、朝、家に帰り妹の朝食と大学の支度をして学校に通い、妹の夕食を作って愛の家に行って泊まる、という生活が始まった。
オナホ・ネットに繋がって、愛と知り合いになった頃と同じように、ひりひりするぐらいに行為を繰り返す日々だった。
ボクは何も考えず、ただ楽しいことだけを考えていた。
グラスだけではなく、ペアのモノが次第に増えて行った。
食器を洗ってくれることがあったが、愛は、食事自体には興味が無いようだった。
外に食べに行こう、と言っても家で食べるのでいい、と言っていた。
別にお金がもったいない、ということではない。それは部屋の中の家具の増え方などから判断して、間違いないと思われた。
そんなある日、夕食を作って家を出た時だった。
外で、女子高校生が待っていた。
「?」
門の正面にいるので、思わず声をかけようとした時、その女子高生の方から話し始めた。
「あの。私、萌と同じ部活している友達です。今週なんですけど、一度も部活出てこなくて」
「えっ? だって、あれ?」
作った夕飯は食べているようだった。今朝もご飯を食べて、急いで出かけて行った。そんな、変わった様子はなかったのだが。
「部活にくるように、いえ、部活に来ない理由を話してほしいって、萌に…… いえ、萌さんに伝えてください」
「あ、ああ……」
大きく頭を下げると、後ろで結んでいた髪が跳ね上がる。
そして、そのまま、妹の友達は走り去ってしまった。
「……」
ボクはその日も愛の部屋に行って、そのまま泊まってしまった。
翌朝、妹の朝食をつくるのと、大学へ行く準備をする為に家に戻ると、作った朝食を食べに妹が降りてこない。
何度か呼ぶが、返事がない。
時間は過ぎていく。
二階に行って、妹の部屋の扉を直接ノックする。
やはり反応はない。
「おい、起きないと学校に遅れるぞ」
扉には鍵が掛かっていない。部屋に入ると、そこに妹の姿はなかった。
起きたままベッドのかけ布団はめくれたままだった。
何か考えて、決意してどこかに出て行った、という訳ではなく、帰ってくるつもりで帰ってこれなかったように思えた。
ボクはスマフォにメッセージを入れる。
「『送れませんでした?』って」
驚いて返ってきたメッセージを読み上げてしまった。
初めて見るような状況を示すメッセージに、どういうことが起こっているのか想像が出来なかった。
妹のスマフォが止まっている? それとも電波の届かないところにいる?
メッセージを開けば『既読』なのだろう。『既読』がつかないなら、開いていないだけなのだろう。
では、送信できませんでした、という状況はなんだ。ボクのスマフォのせいか?
別のニュース・アプリなどは最新の情報を表示している。こっちから通信は出来るはずだ。
「……」
妹は、昨日の晩家に戻っていない。
その前の朝は、ボクの作った朝食を食べている。
昨日の晩、だけだ。
友達の家に泊まりたいこともあるだろう。
部活だって、やすみたいことがある。
過敏に反応するべきではない、とボクは思った。いや思い込もうとしていたのかもしれない。
とにかく大学に行かなきゃ、そう思って妹の部屋を出て、大学に行く支度をして家を出た。
学校の授業中にスマフォが鳴った。教室を抜けて、電話に出ると、妹の高校の担任からだった。
『お兄さんでしたっけ? 妹の萌さんですが、昨日、今日と学校に来ていないんですが…… 病気とかでしょうか?』
「えっ? 『昨日』も行ってないんですか?」
『ええ。じゃあ、『今日』は何か理由があるんですか?』
「いえ、そういうわけではないんですが…… 学校に行っていないんですか?」
ボクはどうしていいか分からなくなった。
行方不明。失踪。誘拐、殺人、駆け落ち? どこに行ったとか、誰といるのかとか、死んでいるのか生きているのか。
とにかく考えなければならないこと多すぎる。
どこか、立ち戻って考える場所…… 家に戻ろう。
ボクは授業をそのまま抜けて、家に戻った。
とにかく家の中を探しまくる。
呼びかけ、扉という扉を開ける。
トイレだろうと、物置の扉だろうと。
しかし、返事もなければ、今さっきまでいました、という痕跡すらない。
部屋は確かに戻ってくるつもりだったろう、という感じで布団や教科書などは雑然と置いてある。
それは昨日確認したのと同じだった。
「どうして……」
スマフォで呼びかけても、呼び出しているようだが通話は出ない。メッセージは既読にならない。
どうなっているんだ……
探すのに疲れ、妹の部屋の勉強机に座った時だった。
『ヴヴゥ……』
ボクのスマフォが振動した。
急いで画面を見ると、通知が入っていた。LINKのメッセージ。ボクのメッセージは『既読』にはなっていない。
「妹のメッセージが届くのに、ボクのメッセージは見ていない?」
やはりどういう状態かは分からなかった。
しかし、妹からのメッセージに何かヒントがあるかもしれない。
ボクはLINKを開く。
「……」
メッセージをタップする。
どうやら地図情報が入っているようだった。
「どこだここは……」
地名がほとんどなく、等高線の表示ばかり。山か谷、細く『山道』と書かれたものが続いているぐらいだった。
「東むこう山」
なんの心当たりもない場所だった。妹や家族との思い出もない。なぜこんなところを指し示すメッセージを送ったんだ?
ボクは考えた。
一つは、今、ここにいることを示す為のメッセージ。二つ目は、スマフォを捨てた、あるいは捨てさせられたところがここであることを示すもの。
いまこの家の中よりも、妹の手がかりがありそうだった。
続けて、いくつかのメッセージが送られてくる。
LINKに戻ると、メッセージが表示された先から『取り消し』されていく。
「えっ?」
取り消し操作は、誰かがスマフォを操作しなければ出来ないはずだ。
ボクは妹のアカウントに通話の要求を送る。
しかし、応答がない。
もう一度メッセージを見る。
ドンドン『取り消し』されてメッセージが見えなくなる。
消えないうちに、書かれていることを読む。
『愛はアンドロイド』
ボクのメッセージにも『既読』がついた。
『愛は充電している』
誰か妹ではない人物の手にスマフォが渡って、メッセ―ジを消されているに違いない。
『動画投稿サイトにアップした』
なんだ、どんな動画をアップしたんだ。
『早くここに来て』
よく見ると、時刻は昨日夕方のようだ。
『助けて』
「今助けに行くぞ!」
『愛に見つかった』
「えっ?」
そのメッセージが最後だった。そのメッセージも『取り消し』された。
ボクはLINKで何も確認出来ない状態になると、妹のスマフォの音声通話用の電話番号にかけた。
『電波のとどかないところにあるか、電源が入っていません』
そんな馬鹿な。さっきまで誰かが……
ボクは急いでカバンを手に取り、家を飛び出た。
さっきの地図のポイントへの行き方を検索した。
「その前に、確かめたいことがある」
駅につくと、ボクは愛の部屋に向かった。
玄関まで行って、チャイムは押さずに、左右を見回していた。
廊下の監視カメラが、ボクに焦点を合わせてくるのを感じた。
同時に、ボクは愛の部屋の電力メーターを見つける。
「これは……」
すると、愛の部屋の扉がガチャガチャと音を立てた。
ボクは思わずエレベータの方へ走った。音が止まると、今度は扉が開いて緑髪の女が出てきた。
緑髪の女は、躊躇わずにボクを追いかけてくる。
手を伸ばしてくるが、寸前でエレベータの扉が閉まって動き出す。
目的階にとまると、エレベータの扉が完全に開くのを待たずに外に飛び出した。外で待っていた住人にぶつかって転ばせてしまう。
「ごめんなさい!」
走ってくる足音に、振り返ると、エレベータを追いかけ階段で下りてきた緑髪の女が見えた。
そしてボクが転ばせてしまった住人を避けようとして、時間をロスしていた。
とにかく駅前の人込みのなかをジグザグに走り続けた。
捕まったら…… どうなる?
なんで追いかけてくる? あれは愛じゃないのか? なんでボクは逃げている?
様々な疑問が頭の中を駆け巡っていた。
そのなかで変わらなかったことは、妹のメッセージにあった『東むこう山』のポイントに向かうことだけだった。