借金への入口
彼女が監禁されていると知って、ボクは慌てた。
いや、いきなり少しウソがあった。
彼女、と呼んでいるが、付き合っているわけじゃない。いや、付き合っているといえば付き合っているのだが、それはネットの中でのことだ。
ネットの上では…… その…… かなり強く結びついていて、本当にお互いが大好きだった。
気持ちも分かり合えるし、あの…… あれも良かった。
彼女がパソコンを買い替えてくれ、というから、パソコンも買い替えた。
「どうしてこのパソコンじゃないといけないの? おしゃれだから?」
「違うの。どうしてもそのOSじゃなきゃダメなのよ」
「そうなんだ」
時折、彼女はそんな感じに不可解なことを言ったり、突然沈黙したりする。
けれど、結局は彼女の指示に従って、同じパソコンを買った。
監禁されている、というのもその不可解な発言の一つだと思っていた。
「今すぐに助け出すよ」
「ありがとう。けど、監視カメラがいっぱい仕掛けてあるから、私の言う通りに行動してね」
監禁されている割に、ネットだ電話だ、と彼女が自由に出来るのは不思議だった。そういう意味でも突然の『監禁されている宣言』はショックだった。
「うん。それでどこに行ったら良い?」
「待って、怪しまれないように業者の服を送るから。明後日、それに着替えてきて」
「えっ? 何それ、マジなの」
けれど、もうボクは彼女なしでは生きられなかった。
だからこの突飛な申し出も、従うしかないと思っていた。
彼女と知り合ったのは半年前。
ボクは買ったばかりのVRグラスと、ネット連携タイプのオナホをパソコンに接続して、誰でもいいから試しでやってみよう、と思っていた。
お互い、ネット越しに仮想で行うのだ。
エッチをだ。
確かに目の前には居ない。いるように見えるだけだ。
しかし、レスポンスしているのは『人』なのだ。
ああすればこうなるというパターンがあるわけでもないし、ストーリー通り進んでいく『動画』でもない。
ネットの向こうに『人』がいる。
そこに肉体はなくとも、人とつながっている。そんな感じだった。
初期についてきた無料接続分をあっという間に使い切ってしまうと、ボクはすぐさま課金した。
そもそもは無駄遣いするほうじゃなかったし、お年玉も残っていた。
そこから、狂ったように課金して、ワクワクしながらオナホ・ネットをさまよっていた。
その世界で彼女と出会った。
最初は、何でもない会話が始まったのに、あっというまに普段喋らないことまで語り合っていた。なんというか、ばっちり気持ちが合う感じだった。
そして、そのまま。
無料接続してやったのとは次元が違う気がした。
ボクはリアルの『それ』をしらないから、本当にそれを超えているんじゃないかと思った。
冴島愛。
それが彼女の名前だった。
長い緑髪をツインテールにしている。多少フォトショ修正がかかっているかもしれないが、抜群のプロポーション。少し丸顔で綺麗な大きな瞳。可愛らしい声なのだが、あえぐとそれが余計に刺激する。
彼女とツーショットを撮ると、自分の容姿に気分が落ち込む。ネット上だから、ボクだって課金してかなりデフォルメしているのだが……
「そんなことないよ。私、智タイプだよ」
「お世辞でも嬉しいよ」
「お世辞じゃないのに」
「あっ、そろそろ切るね。また明日」
「う、うん。またね」
女性は接続にあまりお金がかからないらしい。
しかし、女性同士で使うときは男ほどではないものの、料金が掛かる。
男性は、女性と接続しようが、男性と接続しようが、かなりの金額を要求してくる。男だけが性欲が強く、それだけの金額を払う、と思われているようだ。
まあ、それに納得するから、この接続を使うわけだが。
今、接続を切ったのはそう言った料金とは別の訳もある。
バイトに行く時間だからだ。ボクはつい最近、バイトを始めた。まあ、なぜバイトを始めたかと言えば、この接続に支払う金が必要だからなので、そう言う意味では同じ理由とも言える。
とにかく、このまま接続していたらバイトに遅れてしまう。
オナホをバレないように片付けて、パソコンを戻した。
着替えて、家を出ようとすると妹が帰ってきた。
部屋を出たところで、妹とすれ違う。
「あれ、お兄ちゃんどこいくの?」
「バイト」
「えっ、バイト? お兄ちゃん、もしかして『おうち』の仕送り足りてないの?」
どちらかというと、父に似て身長が高くない妹が、こっちを見上げ、心配そうな表情を浮かべる。
ボクは両手の指を思い切り開いて、左右に回すように振りながら、言った。
「大丈夫、大丈夫。本当に大丈夫だから。友達の誕プレの為にさ、ちょっとお金が必要で」
「……そう。ならいいんだけど」
この家には父親と母親がいない。離婚したわけでも、死に別れたわけでもない。二人の共通の趣味である、海外ボランティアをする為、外国に行っているのだ。両親はそもそも、そう言った海外ボランティア活動で知り合って、結婚した。ボクと妹が生まれてしばらくは海外にいくのをやめていたが、ボクが大学、妹が高校に入ると同時に、両親は『待っていました』とばかりに海外に出いってしまった。
ボクと妹の『仕送り』は、母方のおばあちゃんに預けているお金が毎月自動振り込みされるお金のことだ。まるでアニメのような設定だが、事実、そうなのだから、しかたない。
「で、バイトってどこに行ってるの?」
「駅前の牛丼屋だよ」
「へぇ。じゃあ、こんど見に行く!」
「それだけはやめろ!」
思わず拳を突き出していた。
おびえた表情の妹を見て、自己反省する。
妹は小さい声で返事をする。
「ごめん…… わかった」
「うん。約束だぞ。じゃ、行ってくる」
自分が働いているところなんて見られたくないし、なにより妹をバイト仲間に知られたくなかった。それは『絶対』だった。
何故なら、ボクと違って妹はかわいい。ボクが父と母の組み合わせたらまずい部分だけを組み合わせたような容姿なのに対し、妹は組み合わせたらかわいくなる方向に遺伝しているのだ。兄であるという『ひいき目』の分を差し引いたとしても、だ。
紹介しろだの、合わせろだの、今度遊ぶ時に連れてこいだの、言われても断るがそういう目で妹を見てくる男がいるだけでイヤだった。だから絶対に合わせてはいけない。そもそも『妹の存在』がバレなければ問題は発生しない。
バイト先に来られたくない理由を一つ加えて言うなら、バイト仲間と会話している内容が妹に知られたらイヤだからということがある。家では『頼りになる兄』なのだ。
「いってらっしゃい」
バスで駅前に着くと、駅の反対側の牛丼屋のあるビルに着いた。
支給されている上かけを着ると、休憩までの仕事をこなした。
休憩に入る時、バイト仲間のコウタが聞いてきた。
「まだアレやってるの?」
アレとは『オナホ』ネットのことだ。
「うん」
「アレって、金かかんじゃん。やっぱさぁ、アレってオフラインじゃ全然使えないの?」
そう、それは買う前から何度も調べていた。
分解して、あるラインだけを取り出して、そこに直接電源を供給すれば連動して動くという話しもあった。
だが、実際はそれで感電したり、オフラインで使っていると、『アレ』がたたなくなったりするというウワサもあって、確実な『答え』がなかった。封印シールがあって、分解してしまうとメーカー保証がきかなくなるし、もし壊して買い直すには高価すぎた。
「いまのところ誰もオフラインでは使えてないみたいだよ」
「おれも実家ぐらしだったらなぁ」
「いいじゃねぇか、コウタはリアル彼女いんだから」
コウタの彼女は、サークルで知り合った別の大学の女子らしい。
「意外とめんどくせぇんだぞ」
「それが良いって言ってたじゃん」
店長がこっちを睨んできた。
「……ほら、話してないで、休憩入っとけ」
ボクは休憩室に下がって、椅子に座り、少し目を閉じて休んだ。
とにかく金がいる。
彼女がパソコンを買ってくれと言っていた。
家族共用のパソコンは一番普及しているOSだったのだが、彼女が例のおしゃれパソコンにしてくれと言ってきたのだ。
自分用にパソコンを買うなんて考えてもいなかった。
毎日のようにバイトに入っても、ふた月かかる。今の接続課金もあるから、もうひと月余計にかかってしまうかもしれない。
何か別の方法を探さないと、彼女に嫌われてしまう。
目をつぶって思い出しているうち、『オナホ・ネット』によく出ている広告を思い出した。
「あれ、どれくらい借りれるんだろう……」
しばらくしてボクは休憩を終えると、バイトに戻った。