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ブラックコーヒーに杏仁豆腐を添えて

作者: フクロウ

ー1ー


 カランカランと昔から変わらない鈴の音が鳴り、カウンターから店長がひょっこり顔を出した。


「おっ、麻衣ちゃん! 久しぶり! いつものかい?」


「はい。いつものでお願いします」


「はいよ! すぐつくるからねー」


 なるべく幅の広い木製のテーブルの間を通って一番隅っこの店内が見渡せるその席に座る。ここからお客さんの様子や窓の外を歩く人たちの様子を見るのが好きだった。一つ隣のテーブル席にはいつもこの時間になるとサラリーマンなのかスーツ姿の男性が新聞片手に過ごしていて、カウンターでは常連のおば様二人組が談笑に花を咲かせていた。あんなふうに、自然に話が弾めばいいのにって何度思ったことか。


 ーー卸し立ての白シャツに紺のジャケットが映画俳優みたいによく似合っていた。スラリと長い指先はとても綺麗で不意にドキッとさせられる。その指は優しくコーヒーカップの取っ手を握り、まだ湯気の立つ滑らかなブラックコーヒーを口に運んだーー


「お待たせ!」


 映像を見ているみたいに鮮明に思い出された記憶を店長の声がかき消していく。代わりに目の前に置かれたのは、いつものブラックコーヒーと杏仁豆腐。


「じゃ、ごゆっくり!」


 ここに来たら私が頼む唯一のメニューだ。もちろんケーキセットやトーストとか喫茶店によくあるメニューもあるが、それらを一度だって食べたことはない。


「いただきます」


 ぷるぷるとした真っ白な杏仁豆腐をスプーンですくい口に迎える。口どけのいい柔らかな甘さが広がっていく。あのときと変わらない落ち着いた音楽が流れていたーー。


**********


「君はまた杏仁豆腐か。好きだなぁ」


「む。ここの杏仁豆腐はとっても美味しいんです! 先生も食べてみたら?」


「いや、甘いのは苦手だから」


 そう微笑んで先生は苦いコーヒーを飲んだ。もちろん知ってる。だって先生の隣にはいつだってコーヒーが置かれている。授業中以外は全部。職員室の机の上にだって、移動中の車内にだって、ここの喫茶店だっていつもコーヒーばかり飲んでいるんだ。


「君もたまにはコーヒー飲んでみたら?」


「嫌ですって。苦いもん」


「はは。相変わらず子どもの舌だね」


「! うるさいです! もう」


 そしてコーヒーが飲めないというただその一点だけで子ども扱いしてくることも知っている。コーヒーなんて飲めなくても、背は165センチでそれなりだし、胸だってまあ……人並みくらいにはあるし、大人の体になっている。そりゃあ先生が車椅子の私の横に並べばどうしたってバランスは悪くなっちゃうけどさ。そんなこと今さら気にするような間柄ではないわけで。


 先生はその細長い指先で再びコーヒーカップをつかむとゆっくりと柔らかそうな口元へ運び、傾けた。長くてよく見るとほんの少しカールしたまつ毛に、吸い込まれそうな漆黒の切れ長の瞳。その瞳が私を視認して瞬いた。


「なに?」


 静かなジャズナンバーが鼓動の音を消すようにいつもよりも大きく聞こえた。あまりジャズは好きじゃなくて、やっぱりお気に入りはJ-POPだったけど、この昔ながらの喫茶店っていう感じのお店の雰囲気には合っている気がした。


 今日こそ「言おう」と決めていた。いっつもそう決意しては揺らいでをもう何十回も繰り返していたけど、今日こそは必ずと。だから。私は前のめりになると目元にぐっと力を入れた。


「先生はどんな女性が好みなんですか?」


「好み? うーん、一言ではなかなか」


「私じゃダメですか?」


「えっ」


「私、先生のことが一人の異性として好きです」


 心臓の音がバックンバックンってうるさくて、店内のBGMは掻き消されてしまった。


ー2ー


 お風呂上がり、ふかふかのベッドに体を預ける。ドライヤーをかけたばかりの髪が横に広がった。天井にはただ白いばかりのタイルが広がる。


「ありがとう、か」


 ……って、ありがとうってどっちなの? 「僕も君のことが好きだよ」なのか、それとも「気持ちは嬉しいけど」なのか……。結局、「ありがとう」って言われたきり話は別の話題へと移り、いつものように家に送ってもらってお別れとなってしまった。


「はぐらかされたのかなぁ」


 それとも本気にされなかった? 告白の仕方がまずかった?


『先生はどんな女性が好みなんですか?』からの『私じゃダメですか?』からのダメ押しの『私、先生のことが好きだよ』


 ……通じると思うんだけどなぁ。でも、ためらいなくにっこり笑顔で「ありがとう」って。「ありがとう」って。全然動じてない。


 先生モテるからなぁ。心が動く告白にならなかったのかもしれない。


 枕をぎゅっと抱いて寝返りを打つ。


 車の助手席にラブレターっぽい封筒も何度も見たことあるし、教室では毎日先生の噂話でいっぱいだ。最後には私が毎日先生に送り迎えしてもらってるってうらやましがられるのがちょっと、ほんのちょっと嬉しいけど。


 また体が反対に向く。


 ってか「ありがとう」ってなに? YesかNoかハッキリしてくれないとずっと気持ちが落ち着かない。明日も先生に会うのに。


 相変わらず鼓動は落ち着いてくれなかった。なんだか呼吸も浅いような。


「……もう寝よう」


 手近に置いたリモコンで電気を消すと、うやむやな気持ちのまま布団に潜り込んだ。



「おはよう」


「……おはようございます」


 当たり前のように私の目を見てあいさつしてくる先生。その瞳の奥に何か変化はないかと思って探ってみるけど、いつものクールな微笑みでかわされてしまう。


「そんなに時間ないから行こうか」


「……はい。じゃあ、行ってきます」


 先生は後ろに回って車椅子を押す。先生らしいスマートな動きが柔らかくて温かくてとても好きだった。車の後部座席の定位置に着くと、緩やかに車は移動し始めた。


 先生はコンビニで買ったコーヒーを口に運ぶと、スピーカーの音量を上げた。あっ、この曲は。


「『浦高』の新曲買ったんだ。フルで聴いたことある?」


 心がきゅっと締め付けられる。けど、なんとか言葉を出した。


「いえ、まだです。PVは毎日見てたけど……先生、買ったならちょうだい!」


 わざとおどけてみせる。いつもの調子で。


「ダメ。自分で買いなさい。その方が売上にも貢献できる」


「はーい」


 そんなちょっと意地悪なところも好き、なんだけど、本当に昨日のことはなかったみたいになってるなぁ。もうずいぶん馴染んでしまったけれど、最初に先生に会って、ここに乗ったときには、たぶん緊張と不安でいっぱいだったんだ。


 冬の始まりみたいな秋空にはピッタリのバラードは、私の心を少しタイムスリップさせた。このまま昔を思い返すのもいいかもしれない。


ーー先生と出会ったのはまだ肌寒い高校の入学式の日だった。式が終わって教室に入ると、クラスのみんなが遠巻きながら物珍しげに私を見ていた。高校で唯一の車椅子の私は、客観的に見てもそれは珍しいだろうな、と思う。


「おはよう」


 そこへ入ってきたのが、先生だ。今と変わらず当たり前のようにあいさつをした先生。そのあとの自己紹介では、そうするのが当然というように私の体を支えて立たせて、みんなに顔が見えるようにしてくれた。


 私は緊張の渦に呑み込まれていたから何を言ったか覚えていない。でも、最初のホームルームが終わった休憩時間には席の近い女の子たちが笑顔で話しかけてくれた。初対面でありがちな他愛もない話だったと思う。だけど、今でも覚えているのは、舞が「同じ名前だね」って言ってくれたこと、そして先生がカッコいいってさっそく話題になったことだ。


 帰りは初めて先生の車に乗せてもらった。先生が車椅子を押してくれたときに、ふわっと、ホームルームではわからなかった香水のかおりがした。舞たちとの会話を思い出して、心音が跳ねる。こんな先生がこれから毎日私を送り迎えしてくれるーー


 車が止まった。信号につかまったんだ。先生はまたコーヒーに手を伸ばした。その手で触れてほしいと思ってしまったのは、きっとこの歌のせいだ。


 たぶん、もうこのときに私は先生のことが好きになっていた。最初の頃はだから変に意識して何もしゃべれなくて。話せるようになったきっかけは、そう、先生も浦高が好きだってわかってから。


ーーその日は珍しく車内にBGMが響いていた。そんな変化に気づいたのはあとからだけど、曲が切り替わりスピーカーから流れたその歌に私は「あっ」と声を出してしまった。前の運転席からちょっとくぐもった声が「君も浦高好きなの?」と聞いてきた。それからひとしきり浦高への想いを語り合うと、もうすっかり先生といるときはおしゃべりが当たり前となったーー


 また車が止まる。今日はずいぶんと信号につかまるみたいだ。だけど、それでよかった。車が止まる回数が多ければ多いほど、先生と一緒にいられる時間も長くなる。


ーー先生との車のなかでは話が止まらないのだけど、教室のなかの私はサイレントモードのように静かだった。引け目、みたいなものを感じていたのかもしれない。脚が動かなくなってからの1年間はほとんど中学に行けなかったから、学校という雰囲気に馴染めなかったのかもしれない。体育の時間はどうしたって普通と違う中身になるし、放課後クラスメートと一緒に帰るなんてこともできなかった。クラスにいるときは舞たちとおしゃべりできるかもしれない。けど、クラスを離れると、私は一人になってしまう。


「今日は大人しいんだな。いつもどこで息継ぎしてるのかってくらい話すのに」


 窓の外にはちらほらと半袖姿も見える人の群れが歩いていた。一定のリズムに合わせて、規則正しく。クーラーが効いたここではわからないけど、きっと外は暑いのだろう。


「……私だって、話したくないときくらいあります」


 なんだって先生に話せるわけじゃないんだ。誰が悪いわけじゃないし、みんな大好きだし、これはきっとどうしようもないことだから。


 スピーカーの音量が下がった。


「……先生?」


「ちょっと寄り道していいか?」


 昔のドラマに出てきそうな鐘の音が鳴ると、お店のオーナーらしき髭もじゃのおじさんが顔を出した。


「お、先生いらっしゃい。今日はお客さんも連れてきたのかい?」


「店長。僕もお客さんの一人だと思いますが」


「お客さんってのは勝手を知らない人のことを言うんだ。どうせ、先生はいつものコーヒーだろう? そっちの子はどうする?」


 ぶしつけに見下ろされる視線にドキッとしたけど、目尻にシワのよったおじさんの細目はなぜだか暖かく感じた。


「あの……コーヒーはちょっと……」


 おじさんは豪快に大きな口を開けて笑った。


「なら、隠れた看板メニュー、自家製杏仁豆腐はどうだ?」


「それなら、大丈夫だと思います」


「よし。すぐ用意するから、席へどうぞ」


 先生は席が決まっているみたいに奥の席へ移動し、椅子をよけて私を一番奥に座らせてくれた。先生と向かい合う。二人きりで。これってーー心臓が落ち着かなかった。


 なんでここに来たのか、連れてきたのか、先生とこんなことしていいのかーーいろんな疑問が沸いて。そしてまた学校での出来事を思い出して、何の言葉も出なかった。


「はい、お待ちどうさま。まずは、お客さんからだな」


 目の前に出された杏仁豆腐は、とてもシンプルだった。


「食べてみな」


 え? 食べるの見るスタイル?


 と思いながらもスプーンで杏仁豆腐を崩す。あっ……柔らかい。プルプルと揺れる杏仁豆腐を口に運ぶと、ふわっと温かみのある甘さがじーんと口いっぱいに広がった。


「おいしいだろ」


 店長の言葉にコクコクとうなずく。その先の先生の顔が微笑んでいた。


「あっ! すみません! さきに食べて」


「いや、いいよ。嬉しそうに食べてるから、ちょっと安心した」


 安心した、なんてまっすぐ言わないでください……。


「はいよ、先生。教え子を口説くなよ」


「わかってますよ、店長。そういうのじゃないんです」


「そうか。先生が誰かを連れてくるなんて初めてのことだからな。ま、ごゆっくり」


ーー


 また車が止まった。


「さあ、着いたぞ」


「え? あ、はい」


 いつの間にか学校の駐車場に着いていた。たくさんの制服姿が校舎に吸い込まれていく、いつもの光景。そして、先生はいつものように車椅子を押して、教室まで連れていってくれた。


ー3ー


「マジでもう一回告白した方がいいって!」


 雪がちらちらと降る放課後、いきなり机をバンッと叩き、舞はそんなことを言い出した。


「ちょっと、声大きいって!」


 もうすぐ先生が迎えに来るんだから。聞かれるかもしれない声を出さないで。


「いや、だってさ、もう卒業じゃん! このまま返事もらわないで終わっていいの?」


「いまだに返事をもらえていないってことは、そういうことだよ。それに……今さら聞けない」


 もう一度告白なんて、そんなこと私にはできない。あのときだって結局言い出すまでにあんなに時間がかかって……。


「ダメだよ。ちゃんと言わなきゃ」


 舞は床に片ひざをついて真っ直ぐに私の目を見つめた。


「絶対に後悔する。麻衣言ってたじゃん。先生と出会えてよかったって。先生が先生でよかったって。先生だから毎日楽しく過ごせるって。告白したときはどうだったかわからないけど、告白してからもう半年経ってるんだし、卒業も近いし、先生の気持ちも前と違うかもしれないじゃん!」


 舞の目が痛いほど真っ直ぐでずっと見続けることができなかった。


「だけど……」


「だけどじゃない! こ・く・は・く、するの!」


「わ、わかった。わかったから、そんなに体を揺らさないで!」


「おいおい、何やってるんだ?」


 すっと肩からの熱い手が離れた。わかりやすすぎるくらいに驚いた舞の顔の先に、いつの間に現れたのか先生が立っている。


「せ、先生!?」


「ああ! いや、なんでもない、なんでもない! ほら、先生は麻衣を迎えに来たんでしょ。ほら、どうぞ帰って帰って」


「今日は一緒に帰らないのか? いつも無理矢理便乗してくーー」


「あっ! 思い出した! 私用事があるので先に帰ります!」


 話を遮ると、机の上に置いたスクールバッグを肩にかけて、舞はダッシュで教室を飛び出して廊下を駆け抜けていく。


 先生は、その後ろ姿を見送りながら「急用ならなおさら車に乗ればいいのに」とぼそっと呟いた。



 車に乗り込んだところで振動したスマホを開くと、舞からメッセージが届いていた。


『絶対告白するんだよ!』


 そう言われても、舞が無理矢理二人きりにしようとするからぎこちない感じになっちゃったんだけど……。こんなことなら、むしろ教室で話を聞かれていた方が勢いにのって告白できたかもしれない。


「どうした? ため息なんかついて。さっきなんか言われたのか?」


「い、いえ、なんでもないです!」


 気がつかない間にため息をついてしまったらしい。ちょっとした変化に気づいてくれるのがいつもは嬉しいんだけど、今は別だった。


「そうか。もうすぐ卒業だからな。何もないなら別にいいが」


 何もあります。たくさん。言いたいこと、伝えたいことはいっぱいあるんだから。


 窓から流れる景色は見慣れたもので。だけどきっともう見られなくなる。


「……ねえ、先生」


「うん?」


 いつものようにちょっとくぐもった返事も。スピーカーから流れるBGMも。


「先生は私が卒業したらどうするんですか?」


「どうって……」


「先生は、先生だからさ、また新しい生徒、車に乗せるんですよね」


 あっ、意地悪な質問。だけどわかってるんだ。私が卒業すれば、自然と次の新入生が期待と不安を胸にココへ通うことになる。先生と一緒に。


「……そうだな。まあ、そう、なるよな」


 珍しく歯切れの悪い言い方だった。だけど、それが逆に私の心を少し、ほんの少しだけ締め付けた。新しい子に、先生はどう接するんだろう。新しい子は、先生をどう思うんだろう。


 先生は、ハンドルの奥のホルダーに置いたコーヒーへ手を伸ばす。その仕草も、もう……。


「先生。私、寄りたいところがあるんです」



 目の前に出されたのは、ホットコーヒー二つ。


「麻衣ちゃん、本当に大丈夫かい?」


「大丈夫です。もう、決めましたから」


 心配そうな様子で私の目をのぞき込む店長にハッキリと伝えるも、私の瞳には先生の涼しげな顔しか映っていなかった。


「じ、じゃあ、ごゆっくり」


 私の決意を感じ取ったのか、店長はそれ以上何も言わずにカウンターの奥へと消えていった。幸いにも店内には今、私達以外誰もいない。


「コーヒー飲めるようになったの?」


 先生は湯気の出ているコーヒーカップを持つと、表情を変えることなく聞いてきた。


「飲めません……だけど」


 私もコーヒーカップを持つと、何度か息を吹きかけてその黒い液体を口に含んだ。熱さとともに苦味が襲ってくる。ってか、うわっ、苦っ!


「飲めるようになります」


 先生は穏やかな顔のまま美味しそうにコーヒーを飲んだ。


「別に無理しなくてもいいと思うんだけど」


「いやです。ムリしたいんです」


 少しでも、先生にーー。そんなことは言えなかった。だけど、これだけは言わなきゃいけない。


「先生」


 顔を上げて。真っ直ぐに先生を見つめて。


「私、ここに初めて連れてきてもらったとき、ちょっと落ち込んでいたんです」


 私の真剣さに気づいたのか、先生はコーヒーカップをテーブルの上に戻すと、視線をわずかに下ろした。


「クラスのみんなは優しくて、私の脚のこととか気にしないで当たり前のように接してくれて。だけど、体育のときとか、登下校も先生に送ってもらってるし、どうしてもみんなと同じにはできなくて、私は、私だけやっぱり違うんじゃないかって思ってしまっていて」


 こういうとき、先生は黙ってうなずきながら話を聴いてくれる。でも、それは、先生だからなの?


「だから先生がここへ連れてきてくれて、とても嬉しかったんです。少なくても先生といるときは、気にすることはない、って言ってくれた……というよりも、認めてくれた、ような気がして」


 先生の表情は何も変わらない。変わらないのがよかった。特別だからって変に優しくされたなら、きっと私は、今ここにいない。誰にたいしてもフラットな接し方を私にもしてくれて。だけど、ときどき軽口も言ってくれて、他の人よりは少しか近い距離にいれたのかな。


「家族以外でこんなにラクな関係でいれたのは先生が、初めてなんです。先生、改めて伝えます。私」


 勝手に涙がにじんでくる。きっとダメに決まってるんだ。だって、だって、一回告白したんだから。


「私は……先生のことが……」


 だけど、言わないと。言わないと後悔するんだよね? 舞。


「先生のことが……好き。好きなんです。とっても……だから、返事……聞かせてください」


 最後の方は涙声になって自分でも何を言っているのかわからなかった。


 少しの沈黙があって、コーヒーを啜る音が聞こえた。そして。


「悪いが、その気持ちには応えられない」


 いつもと変わらない声が私の心を貫いた。


「前に告白されたとき、どうしたらいいかずっと考えていた。考えていたら時間が経って、もう卒業間近に。すまなかった」


 先生が謝ることじゃない。謝らないで。


「この三年間毎日車で送迎をして、正直とても楽しかった。だけど、やっぱり生徒であることには変わりがなかった。だから、気持ちに応えることはできない」


 キッパリとした言い方。どんだけ振り慣れてるんだよと悪態がついて出てしまうほど。


「少し落ち着いたら帰ろう。コーヒーが飲めないなら無理して飲まないでもーー」


 目の前に杏仁豆腐が置かれる。


「先生。それ以上は野暮ってもんだよ。麻衣ちゃんはオレが責任もって送っていくから、先生は先に帰ってな」



**********


 温かみのあるボーカルの声に知らず知らずのうちに聴き入っていた自分がいた。


 そう、少し押し問答があった末に先生は先に席を立って帰っていったんだ。そのあと私は、泣きながら杏仁豆腐を爆食いして店長に送ってもらって。


 そのあとからだ。コーヒーが美味しく感じられるようになったのは。


 カランカラン、と鈴の音が鳴る。


「おっ、先生いらっしゃい。今日は生徒さんも一緒かい?」


「あ、あの、初めまして……」


 初々しい制服姿がまぶしくて、少し目を細めた。


 今、私はカウンセラーをしている。今日は、先輩の仕事を聞いてみたいと、久しぶりに先生から連絡を受けてここへ呼ばれていた。


「久しぶりだね」


 左手の薬指に光る指輪を確認したあと、私は、顔を上げた。


「お久しぶりです、先生。今日もコーヒーですか?」


 先生は相変わらずのクールな調子で微笑んだ。


「君は、今日もブラックコーヒーに杏仁豆腐?」


「はい、もちろん!」


 私は、杏仁豆腐をもう一度注文すると、すっかり冷えてしまったブラックコーヒーの隣にそっと移動させた。コーヒーに、杏仁豆腐が寄り添うように。

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― 新着の感想 ―
[一言] 普通の乗用車に車椅子の乗員を乗せるのは難しいことなので、『先生』の車は車椅子対応の改装が施されたものと思われます。 つまり、『先生』の身近に頻繁に同乗する車椅子の人がいる、ということで。 そ…
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