受け継がれしシリカの魂
シリカ王国ビッケ
サンライト侯爵の居城がある街だ。
元は鉱山都市として名を馳せていたが、産出量が激減し衰退の一途を辿っていた。それを見事立て直して見せたのが先代のサンライト侯爵だ。
現在では風光明媚な避暑地として富裕層に人気があると同時に、元鉱山跡地に巣食う希少な魔物を狙った冒険者にも一攫千金を狙う稼ぎ場として有名である。
鉱山を越えた先はリーンハルトだが、険しい地形と強い魔物が多く生息することもあり、ビッケからリーンハルトへ抜けるのは自殺志願者か余程腕に自信のある者かのどちらかだろう。
ゴツゴツとした岩場と切り立った崖が行く手を阻み、食べられる植物も極わずか。正に人を拒む死の山だ。
以前はその麓にあった鉱山都市も20キロ程先へと移動し、今では美しい湖を一望できる水の都となっている。
地下水が豊富なこの地域の湧水は長寿と美肌の奇跡の水として、シリカのみならずリーンハルトからも観光客が訪れる程だ。
その湖を見下ろす小高い丘の上に、領主の館があった。
「まったく。あたしの方が先にくたばると思ってたのにねぇ。人生は分からないものだよ……ダレン」
墓石を前に佇むのはジェーン・サンライト。
現サンライト侯爵にして、少し前まではシリカの女将軍として名を馳せていた猛者である。
弟が代官として代わりに治めていたのだが……1月程前、視察中に落馬し命を落としたのだ。
彼女自身50歳を超えたこともあり、引退を考えていた矢先の出来事であった。
ジェーンは結婚をしておらず、弟も中々子供が出来なかったこともあり、後継となる甥っ子まだ18歳。
現在は修行もかねて皇太子クロードに付き従い、リィンで冒険者となっている。
そう言った諸々の事情により、ジェーンは帰郷を余儀なくされた。他に領地を治められる者がいなかったからだ。
ザアアアアアアア……
風がジェーンの髪を弄び、彼女はふと空を見上げた。
勢いよく流れる雲を見つめ、彼女は顔を顰める。
「一雨降りそうだね」
「ジェーン様」
呼ばれて振り返ればそこには弟の片腕だった男――オニキスがいた。
「どうした?」
「どうしたもこうしたも……今日は懇意にしている商人が訪ねて来るのではなかったのですか?」
ため息混じりにそう言われ、ジェーンは懐中時計を開いた。約束の時間まで後5分。
「いやだねぇ。年を取ると時間の流れが早くてかなわないよ」
「……私も同い年ですが」
オニキスの言葉を聞こえなかった振りをして、ジェーンは足早に屋敷へと向かった。
「おお!ジェーン様!お元気そうで何よりです」
「久しぶりだねキルゲイ!アンタは……まあ、相変わらずだね」
キルゲイと呼ばれた男は商人とは思えぬほど厳つい体躯の持ち主だ。それもその筈、彼は元Aランクの冒険者なのだから。
Aランクという人が羨む身分を捨て、物資に困窮する辺境の地を渡り歩く大商人……ではなく、吹けば飛ぶようなしがない商人だ。
辺境は魔物の討伐が追い付かず、商人も寄り付かぬ場所も多々ある。
国の目も中々届かぬため、気付けば滅んでいたという話しも珍しくない程に。
そんな現状を知ったキルゲイは今まで溜めてきた金を元手に商会を立ち上げたのだ。
ジェーンとは冒険者時代からの付き合いで、現在では色々と便宜を図ってもらっている間柄である。
「それでどうしたんだい?アンタがビッケまで来るなんざぁ珍しいじゃないか。だたの挨拶な訳ないんだろ?」
その言葉に鋭く目を細めたキルゲイに、ジェーンは直ぐに厄介ごとだと察した。
「全員出ておいき」
室内にはジェーンとキルゲイの2人きり。
だが、念のためにと盗聴防止の魔道具を発動させたジェーンは真剣な表情で先を促す。
「ハラマダが……いや、シリカがおかしい」
「どういう意味だい?」
「言葉通りだ。ここ最近、小麦と鉄の値が上がってきている。軍が密かに集めているようだ」
「まさか……ベリアノスが動いたのかい?」
そこでキルゲイは躊躇うように口を噤み、暫しの沈黙の後、彼は重い口を開いた。
「いや……カゼイ商会の旦那に探りを入れた。あそこはシリカで1、2を争う大手で貴族とも関わりが深いからな。そしたら、汚染獣の対策の為だと抜かしやがった。おかしいだろ?剣が通用しない汚染獣相手に鉄の値が上がる意味が分からない」
一気に茶を飲み干したキルゲイは続ける。
「それにハラマダにいる騎士の数が減っている上に、街の出入りもここ最近厳しい。よく分からない容疑でしょっ引かれた奴が何人もいる。まあ、オレは吹けば飛ぶような商人だから見逃されたが……リーンハルトの国境の出入りはそれ以上の厳しさだそうだ。知り合いの冒険者連中も足止めを食らっている」
儲け度外視で商売をするキルゲイは商人仲間では頭がおかしな奴扱いだが、その情報網は驚くほど広い。
今まで助けた人々は勿論のこと、冒険者連中から絶大な支持を得ているからだ。
冒険者を目指す者の3割近くが食うに困った貧民層出身で、彼らの中には辺境出身の者も多く、キルゲイの活動がどれだけ町や村を救っているのかを身をもって知っているのだ。
そんな彼らにとってキルゲイは文字通り正義のヒーローであり、キルゲイに憧れて冒険者になった者も多い。
そして……冒険者の噂はバカにできない一面を持つ。
彼らは世界各地に散らばっており、ギルドを通じて情報のやり取りが出来るからだ。それは、過去の情報ではなく生きた情報。
「お待ち!それがどういう意味を持つか分かっているのかい?」
「分かってる!だからオレはここへ来たんだ!戦争の相手は恐らくリーンハルト。シリカはおかしい……いや、狂っている」
「そんなバカな……あたしは1月前までハラマダにいたんだよ。そんな兆候は……」
動揺するジェーンに、キルゲイは僅かにためらう素振りを見せたが……やがて真っ直ぐに彼女の目を見る。
「ジェーンの弟は、本当に事故死なのか?ハラマダが狂ったのはジェーンがいなくなってからだ」
その言葉の意味が分からぬジェーンではない。
彼女の固有魔法は“全知魔法”。鑑定系の最高峰の力だ。
それの意味するところは……
「……あたしをハラマダから引き離したかった。なら、陛下は既に敵に操られている……いや、軍部もだろうね」
「他の領地でも軍を動かしている。貴族も根こそぎやられていると考えていい」
ジェーンは思い出す。
弟の葬儀の時、やけに代理を送ってきた者が多かったことを。
てっきり汚染獣の対策に追われているのだと思っていたのだが……もし、そうでなかったとしたら?
ゾッとジェーンの背筋に冷たいものが走った。
一体どこまで敵が侵入してきているのか。誰が味方で誰が敵なのか。もしかしたら、まともな貴族は自分だけなのかもしれない。
「リーンハルトへっ!」
勢いよく席を立ったジェーンをキルゲイが止める。
「オレが行く。ジェーンにはジェーンにしか出来ないことがあるだろ?」
リーンハルトへ報せる方法は2つ。
1つは通信の魔道具で報せる方法。
だがこれには制約があり、国を跨いだ通信には国王の許可か必要となる。
当の本人が操られているだろうことを考えれば、この方法は使えない。そしてそれは手紙も同じこと。
もう1つが直接伝令を送る方法。
国境が封鎖されている現状、これも難しいと言わざるを得ない。
その上、敵が精神支配系の魔法を有しているため、伝令が裏切る可能性も念頭に置かなければならないのだ。
固有魔法に対抗できるのは、固有魔法士であるジェーンとキルゲイしかいないのだから。
ジェーンは悔しそうに目を瞑る。
どちらかが残るのならば、それは自分しかいない。
支配魔法を見破る力を持ち、侯爵軍という手足を持っているのだから。それが権力を持つ者の責務だ。
ならば、ジェーンに出来ることはキルゲイに精一杯の便宜を図ること。
「鉱山を越える気かい?」
「いや、リーンハルトへ抜ける坑道を行く。上手くいけば半月で抜けられる筈だ」
「あそこは魔物の巣窟だよ?」
「安心しろ。選りすぐりの精鋭を用意して来た。ジェーンには物資の支援をお願いしたい」
「あるだけ何でも持って行きな。……死ぬんじゃないよ」
数日後、去り行くキルゲイの背をジェーンは見送った。
◇◇◇◇◇◇
自室で書類を捲りながら、ジェーンは物思いに更ける。
――5人。
支配魔法に支配されていた部下の数だ。
敵の手は既にここまで伸びてきている。そのまま泳がしておこうかとも思ったが、現在進行形で反撃の準備をしている手前そういう訳にもいかない。
ジェーンが気付いたことは程なくして敵側も知ることになるだろう。
「オニキス、隠れ家の用意は?」
「3か所ほど用意しております。食料の搬入も大半が済んでおります」
準備は万端……とは言い難いが、短期間で出来る限りのことは済ませた。
既に領軍の精鋭部隊は演習の名目のもと出立させ、残るはジェーンと僅かの護衛騎士のみ。
ただし、領地を守る領軍の全てを動かす訳にはいかず、半数以上は領地に残る予定だ。魔物の脅威もあるのだから。
(後は……)
ジェーンが必要な物を思い浮かべた矢先、勢いよく扉が開いた。
「大変です!軍団がこちらに向かって来ております!」
息を切らして駆け込んできた騎士の言葉に、ジェーンは拳を握り締めた。
敵側の動きが思った以上に速い。
「どこの軍勢だい!」
「ラズベル領とタイラント領の家紋の軍旗を確認しました!総勢おおよそ8万!」
今ある戦力で勝てぬ数ではない。
戦うか否か……悩むジェーンの肩をオニキスが掴んだ。
「ジェーン様お逃げください。戦うべき場所を間違えてはなりません。敵方に精神支配系の魔法士がいるのなら、味方も敵へと変わりましょう。後は私にお任せを。他の領の現状を見るに、降伏したのなら領民に手出しをすることはないでしょう」
逡巡は一瞬。
ジェーンは領主であると同時に、国を守る騎士でもあるのだから。
「すまないね……オニキス」
力強く頷いたオニキスへの未練を断ち切るように、ジェーンは身を翻した。
ジェーンが去って行ったのを見送ったオニキスは降伏の書状を持たせた使者を派遣し、領軍に武装解除を命じた。
屋敷で働く使用人たちにも避難するように言いつけ、現在ここにはオニキスしかいない。
オニキスは静かに窓からビッケの街を見つめる。
彼の見つめる中で門が開かれ、軍勢が粛々と街中を進む。直にここまで辿り着くだろう。
それを確認したオニキスは手に持っている魔道具を起動させる。
バァァン!バン!ドカァァァン!!
次々に起こる爆発を、燃え上がる炎を、彼は無表情に何の感慨もなく見つめる……否、それは誤りだ。
彼の中にあるのは灼熱の怒り。共に育った幼馴染を、苦楽を共にした親友を……殺されたのだから。
「私が捕まる訳にはいきませんからね」
オニキスは隠れ家の場所も、味方の勢力も全て知っているのだ。
「これで少しは仇が討てたでしょうか……ダレン」
炎に包まれながらオニキスは笑った。
これぞ誇り高きシリカの魂。
最期の瞬間まで気高くあれ。




