神獣の役割
「じゃあね!また明日!」
元気よく手を振るマサキにカトレアは手を振り返す。彼女に明日は無いというのに。
「……よろしかったのですか?」
そう声をかけたのは、木の陰に隠れていた神獣騎士隊長ギャゾンだ。
ギャゾンの言葉に激しい憤りを感じ、カトレアは手をギュッと握りしめた。
(……妾にどうしろと?泣いて縋れとでも?それとも誰か代わってくれるとでもいうのかえ?)
心の中の苛立ちに蓋をしてカトレアは静かに答える。
「よいのじゃ。マサキに知られとうはない」
カトレアは空を見上げた。双子月が中天に差し掛かる時が彼女の命が終わる瞬間だ。
「今宵は誰も神域へ近づけぬよう。後は頼みましたえ」
深く頭を下げるギャゾンを振り返ることなく、カトレアはゆっくりと神域内を歩く。直接神樹の元へ転移しないのは彼女の感傷なのだろう。
「……っ……っ……!」
いつの間にか彼女の目からは涙が溢れ、声を上げることなく泣き続ける。
「マサキ……主と、生きたかった」
切ない彼女の願いは誰にも届くことなく、木々の間へと消えていった。
同時刻、異変に最初に気付いたのは巡回していた戦士たちだ。
瘴気が汚染獣がいる筈の南からではなく、反対側の氷冷山脈から流れてきている。即座に照明を打ち上げた彼らは息を飲んだ。彼らの目に映るは数多の汚染獣が山の斜面を下って迫り来る姿だったのだから。
その中で一際目を引く汚染獣が1体――漆黒の汚染獣だ。
ピイイイイイイイイイイイイイイイ!!
笛の音が大気を震わせ汚染獣の襲撃を知らせる。
何故、汚染獣は北から現れたのか……その答えは単純だ。ヴィルヘルムが作った山を越えずに、海の中を進んで来たのだ。
ヴィルヘルムは異世界人が漆黒の汚染獣へ変わったことは把握していた。その汚染獣が通常の個体より強いことも。だが……その汚染獣の知能が高いことまでは知らなかったのだ。それ故のミスである。
今現在、多くの戦士は最前線たるヴィルヘルムが作り上げた山に詰めていた。山を越えようとしてくる汚染獣に対し、光魔法を打ち込み時間を稼いでいるのだ。
更に言えばノースティアは最北の街。汚染獣から最も遠いこの街の戦力は微々たるものに過ぎなかった。
幸いな事と言えば、神域の御膝元にあるため光魔法士の数が多いという事か。いや、その言葉は正確ではない。
神獣が50体近くいた影響で光魔法士の存在は希少でも何でもないのだ。〈浄化〉を使える者もそれ相応に多ければ、光魔石の産出量も他の属性に引けを取らぬほど多い。
それの意味するところは……対汚染獣に特化した武器を全ての人種が手にする事が可能だという事。
ここでは特級魔法で汚染獣に攻撃する者などいない。それよりも遥かに効率の良い魔道具が開発されているのだから。〈浄化〉と上級魔法を組み合わせた複合魔法〈聖嵐〉を発生させる刻印魔法。それがメイン武器である。
その武器は魔力を大量に消費するものなれど、彼らは全く意に介さない。魔石から魔力を抽出する技術と魔力石がそれを支えているのだ。
それらの装備に助けられ、少ない人数でありながら彼らは善戦していると言えるだろう。
◇◇◇◇◇◇
慌ただしい声と足音に、眠っていたマサキの意識は急速に覚醒する。
(何か起きたのか?)
戦闘時に感じる高揚が身体を支配し、戦いの予感に彼は部屋を飛び出した。武器は何も持ってはいない。彼の武器は己の身体1つだ。
ヴィルヘルムは3日前から姿が見えない。バカと連呼したのがいけなかったのだろうか。それでへそを曲げたヴィルヘルムの心の狭さにマサキは内心毒づく……が、彼は気付いていない。それは心配と不安の裏返しだという事に。
廊下を進んでいると人の声が聞こえ、反射的に身を潜める。そっと様子を窺うと神獣騎士が慌ただしく動き回っていた。
「汚染獣の襲撃だ!全員出撃!急げ!」
「狙いは氷姫様だ!何としてでも食い止めるぞ!」
「「「おうっ!!!」」」
氷姫――それはカトレアを表す言葉。
(カトレアが危ない!)
マサキは即座に窓から飛び出し、カトレアの神域へ向けて疾駆した。
神域の前まで辿り着いたマサキはいつもの風景にホッと胸を撫でおろした。
どうやら汚染獣はここまで来ていないようだ。だが、安心したマサキを嘲笑うかのように、神域の奥から天へと昇る白銀色の柱が顕現した。
「……何だよあれ」
一瞬身構えたマサキだったが、美しくも神々しい光が汚染獣の力でないことは一目瞭然。あれはカトレアの力なのだろう、と理解する。
だが何故だろうか。その美しい光の柱を見つめるマサキは得も言われぬ胸騒ぎを覚えた。
ざわざわと胸の内を騒めかせるそれは、時を追うごとに大きく膨れ上がっていく。
「カトレア!!入れてくれ!俺だ!マサキだ!」
神域の結界を叩くマサキの手が氷に覆われる。
だがそれもマサキにとっては些事に過ぎない。本来なら触れたモノに等しく永遠の死を与えるその魔法は、彼が手を振るだけで一滴の雫さえ残さずに消え去った。
「カトレア!!」
いつもであれば即座に出迎えてくれる彼女の姿はない。
嫌な予感、それがマサキを突き動かす。
マサキは己の力をただ単に身体能力が凄いとしか思っていなかった。もし本当にそれだけならば、彼がヴィルヘルムに勝利することなど不可能だというのに。
彼は一旦神域の結界から距離を取ると大きく息を吸い込み、結界へ突進する!
バリィィィィィィィィィン!!
マサキの振り抜かれた右腕が結界を砕く。
彼が砕いた結界は2種――〈神域〉と〈氷嵐ノ世界〉。ヴィルヘルムですら容易に破れぬ結界を、彼はただの拳で打ち砕いたのだ。
この力こそ彼の本質。彼に魔法は通じない。
「カトレア!!」
マサキはカトレアの名を叫びながら奥へと向かった。
木々を抜けたその先に光の柱が現れる。否、それは正確に言えば柱ではなく魔法陣。
幾重にも弧を描きながら天へと昇る魔法陣の輝きが、柱の如く展開しているのだ。流れるように上へ上へと翔け昇る幾何学的な紋様は、まるで物語の中の神の降臨を思わせる。
その光の中心には一人の少女――カトレア――が祈りを捧げるように跪いていた。
彼女の無事な姿に顔を綻ばしたマサキはすぐさま走り寄る。
「良かった!無事だったんだね!」
光の内側にいるカトレアに触れようと手を伸ばしたマサキに鋭い声が突き刺さる。
「触れるでない!!」
初めて聞く拒絶の言葉にマサキは反射的に手を引っ込めた。
「何故来たのかえ?早うここから去りなんし」
カトレアは厳しい眼差しでマサキを睨む。
「ご、ごめん。その……俺、カトレアが心配で……」
「去りなんし」
有無を言わせぬ強い口調で言い放つカトレアに、マサキはしょんぼりと肩を落とす。
「……ごめん」
もう一度呟いたマサキは悄然と俯き、来た道をトボトボと歩いて行く。彼は気付かない……カトレアの顔が泣きそうに歪み、その手がマサキを求めて持ち上がったことに。
だがそれも僅かな時間、伸ばされた手は力なく下ろされた。
「グゥ!」
小さく圧し殺した声にマサキが振り替えれば、そこには地面に手を着いたカトレアがいた。
「カトレア!!」
慌ててカトレアの元へと駆け寄ったマサキがよくよく見てみると、その顔色は蒼白で、額からは汗が止めどなく流れ落ちていた。痛みに耐えるように顔を歪ませるカトレアにマサキは再度手を伸ばす。
「触れてはならぬ!」
「なんで!!こんなに苦しそうなのに!」
「マサキ……世界を滅ぼすつもりかえ」
低く呟いたカトレアに、ビクリと動きを止めたマサキはその揺るがぬ眼差しに彼女の覚悟を知る。
「神獣は世界を守るために存在するものじゃ。もう……妾以外の神獣は残っておらぬ。責務を果たす時が来ただけのこと」
カトレアはマサキに笑って見せる。それが彼女の気遣いであり、精一杯の強がり。
「責務を果たしたらどうなるんだよ!?ちゃんと明日も会えるのかよ!?」
マサキの言葉にカトレアは悲し気に眦を下げた。
「……お別れじゃ、マサキ。妾は世界を守る礎に……汚染獣を滅ぼす神剣となろうに」
「嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!」
子供のように駄々をこねるマサキに、カトレアは優しく微笑んだ。
「分かっておくれ……妾にマサキのいる世界を守らせておくれ」
(……ああ、そうか)
カトレアは自分で言った言葉に深く納得する。マサキを守るために死ぬのならば……それは悪い選択ではない。むしろ、そうあれる自分が誇らしい。
彼女は笑う。それは今までのように無理矢理作ったものではなく、本心からの笑みだ。彼女はいつの間にか、自分の命に代えても守りたい存在を手に入れていたのだ。
「ズルイよ!そんな言い方ズルイ!!俺は嫌だよ!カトレアのいない世界なんて!!」
カトレアは顔を歪め涙をこぼすマサキに近寄り、そっと手を伸ばす。だがその手は魔法陣に隔たれ彼に触れることは無い。それでも彼女はマサキの顔を撫でるようにゆっくりと手を動かし、マサキもそれに応えるように手を伸ばした。
2人の手が魔法陣越しに合わさる。
「ありがとう。その言葉だけで妾は充分満たされんした。願わくば妾の剣を主へ……愛しいマサキ」
恥も外聞もなく大声で泣き始めたマサキを困った様に見つめていたカトレアだったが、一筋の涙を溢すと天を仰ぐ。
「時間じゃ」
その言葉と同時に魔法陣が一際強い光を放ち、最期の魔法が発動する……
「え……?」
背中を押されたカトレアはマサキに向かって倒れ込んだ。
目を見開いたマサキがカトレアを受け止め、2人は同時に魔法陣を……その中に佇む人影を見つめる。
「よく1人で頑張りましたね、カトレア」
カトレアと同じ白銀色の髪を靡かせた、兎の耳を持つ美女が、彼女に優しく微笑んだ。
「姉様!どうしてっ!!」
「彼の方に助けていただいたのです」
兎耳の美女の視線の先には、不機嫌そうな面持ちのヴィルヘルムが魔法陣へと手を翳していた。
彼はマサキと喧嘩した後、カトレアの身代わりとなる神獣を救うべく動いていたのだ。
「……あまり長くはもたんぞ。早く済ませよ」
魔法陣に干渉し、発動を遅らせているヴィルヘルムが声を掛ける。
神獣でない彼に神聖魔法へ干渉するなど本来なら不可能なこと。それを今まで培ってきた膨大な知識と魔力で、強引に法則を捻じ曲げているのだ。
「姉様、妾は……」
「あなたは死ぬには早すぎるわ。ここはわたくしに任せなさい」
「でもっ!それでは姉様が……」
泣きじゃくるカトレアを彼女は温かく見守る。その眼差しはまるで娘を見つめる母のように温かい。
「わたくしは長く生きました。あなたよりずっとずっと長くね。それに……これは年長者の役割ですよ?わたくしの仕事を奪う気ですか?」
彼女は茶目っ気たっぷりにウィンクすと、泣き笑いの顔を作るカトレアに静かに告げる。
「生きるのです、カトレア」
「……っ姉様ぁ」
次いで彼女はマサキに目を止め、面白そうにその目を細めた。
「カトレアを頼みますよ、マサキ」
「任せてください!!」
抱き合う2人を微笑まし気に見つめる彼女の身体から白銀色の光が溢れる。やがて手が、足が、リボンのように解け、光の帯となって魔法陣の中を舞い、最期に彼女の口が言葉を紡ぐ。
「幸せに……わたくしの可愛い妹……」
全員が見つめるその先で光が卵のように凝り、輝きを増していく。
ピシリ
罅だ。小指の先ほどの小さな小さな罅は、瞬く間に全体へと広がり……爆ぜる。
太陽の如き光がその場を満たし、何かに吸い込まれるかのように集束する。
そこに在るは神々しきひと振りの剣。
神獣が命と引き換えに生み出す破邪の剣にして、世界の“神”が与えし救世の神具。
汚染獣が最も恐れる“神ノ剣”なり