仁義なき戦い・上
ルーファは細く長く息を吐き出す。
魔力が身体を満たし、溢れ出たソレが焔のごとく立ち上る……
『ルーファ☆アーイ!』
ルーファはカッと目を見開く!
……何も起こらないようだ。
『ルーファ☆アーイ!!』
ルーファはクワッと目を見開く!
……何も起こらないようだ。
『ルーファ☆アーイ!!!』
ルーファはグワッと目を見開く!
……何も起こらないようだ。
しょぼんと狐耳と尻尾を垂らし、クルリと後ろを振り返ったルーファは潤んだ目でロキを見つめる。
「あー、うん、少しは(目の大きさが)成長しているぞ」
『えー!ホント!?やったぁ!』
飛びはね無邪気に喜ぶルーファの姿から、ロキは辛そうに目を逸らせた。
さて、現在ルーファが何をしているのかと言えば、〈時空眼〉の練習である。
フォルテカの危機の際にはコントロール出来ていたかに見えたこの力だが……終わってみれば全く使えなくなっていたのだ。
これではいけない!と奮起したルーファは修行に明け暮れている次第である……成果があるかどうかは別として。
「それより時間はいいのか?」
あからさまに話題を反らしたロキに気付くことなく、ルーファがワタワタと時計を取り出すと……時刻は午前10時を指そうとしていた。
『大変なんだぞ!皆もう来てるかもしれないんだぞ!』
大慌てで身を翻したルーファに、ホッと安堵の息をついたロキはその後に続いた。
◇◇◇◇◇◇
「少し早かったか?」
そう言いながらバーンは会議室の扉を開けた。
「遅いよりはいいだろ」
バーンに続くのはアイザックだ。
ミーナとゼクロスは茶菓子を準備するとかで先に出て行ったのだが……暗い室内を見るに、どうやら自分達の方が先に着いたようだ。
チカッ!
誰もいないと思われていた室内に明かりが灯る。否、それは明かりではない。暗闇の中、不気味に瞬くのは……一対の目だ。
「誰だ!」
アイザックの誰何の声が室内に響き渡り、バーンが素早く明かりを点ける。
そこに現れたのは……異形の存在。
身長は2人よりも高く、分厚い筋肉に覆われた肉体は見事の一言。
発達した大胸筋に8つに割れた腹筋、そしてはち切れんばかりの大腿四頭筋。
鍛え抜かれた丸太の如き太い首の上に乗っているのは……羊の頭だ。
一見、羊のマスクを被った男のように見えるその姿は、ここが迷宮でなければ性質の悪い悪戯だと思っただろう。
だが……ソレは人たり得ない。背面は羊毛に覆われ、膝から下は明らかに人とは異なる形状――蹄だ。
そして何より、ソレを異形たらしめるのは、鈍く輝く横長の瞳孔。
曲がりくねった角と相まって、まるで全ての“悪”を司るといわれる悪魔王の如き邪悪さを感じさせる。
その姿を目にした2人は思わず1歩後ずさった。
動揺に揺れる彼らの目に浮かぶのは恐怖……ではなくドン引きか。
何故なら、羊頭が身に付けているのはピッチリとした黒革のビキニパンツただ1つ。更に、それをサスペンダーで吊り下げていたのだ。
果たしてサスペンダーを着ける意味はあるのか……疑問が残るところだろう。
「何だ……変態か……?」
バーンがジリジリと後退りながら、額へ滲んだ汗を拭う。
アイザックは影の中に逃避済みである。
ドン!
床が捲り上がり、残像を残して羊頭が疾駆する。その速度はバーンの〈疾風〉に勝るとも劣らない。
「しまっ……!」
今から魔法を発動しても間に合わない。
距離を取ろうと後ろへ飛ぶバーンの抵抗虚しく、その肩がガッチリと掴まれた。
「おうおう酷いじゃねぇか、兄弟。オレ様から逃げるなんてよぉ」
ふしゅ~と青臭い息がかかり、バーンは嫌そうに顔を背けつつもその顔を押し返す。
「初対面の癖にやけに図々しい、ぜ!」
素早く蹴り上げられたバーンの足を予知していたかのように、羊頭はバックステップで鮮やかにかわしてみせた。
睨み合う2人。
先に視線を逸らしたのは羊頭だ。
クルリと踵を返したかと思えばドッカリと椅子へと腰をかけ、偉そうにふんぞり返ったのだ。
「かー!失礼なヤツだぜ!初対面だと?オレ様を見殺しにしようとしたくせにな!」
「何……?いつの話だ。お前みたいな珍妙な魔物は1度見たら忘れない筈だ」
警戒しながらも近付くバーンを気にすることなく、羊頭はビキニパンツの中へと手を突っ込み葉巻を一本取り出し咥える。
指先に灯るのは小さき炎――〈灯火〉だ。
やがて爽やかなハーブの香りが立ち上ぼり、羊頭は旨そうに煙を吐き出した。
「そうかい。テメェにとってのオレ様の価値はその程度か。人種ってぇのはエラく傲慢だなぁ?」
顔を引きつらせながらビキニパンツと葉巻に視線を送っていたバーンは、ハッとしたように羊頭を凝視する。
もう少しで何かを掴めそうな、そんな気がしたからだ。
(オレはこいつを知っている……?)
そう思いはすれど、確信をもつには至らない。
自分は何を忘れているのか……モヤモヤする気持ちを持て余すバーンに終止符を打ったのは、いつの間にか影から出てきたアイザックだ。
「もしかして……メーか?」
疑問系でありながら、その声は確証に満ちていた。
まあ、彼らの身近で羊と言えばメーしかいないので当然と言えば当然か。
「ようやく気付いたか」
羊頭はルーファのペットであるメーの進化体。
スッパイダーによる修行とロキによる蠱毒を耐え抜いた結果、進化するに至ったのである。
ちなみに、蠱毒に強制参加させられた他の幹部たちも進化する条件を満たしているのだが……ロキが制限をかけているため未だに進化へは至っていない。
メーだけが進化したのは、ルーファが生み出した魔物でないからだ。
現在では屋敷内に部屋を与えられ、幹部候補生として忙しい毎日を送っている。
「進化したのか」
バーンは驚きと共にメーを見つめる。
メーの種族――逃走羊――は扱いやすいため、商人が魔獣車を引かせることを目的として愛用することが多い。
それ即ち、魔獣の中でも温厚で捕まえるのが容易い……つまり、強くないということ。
実際、10年以上冒険者をやっているバーンたちも、逃走羊が進化したという話は1度も聞いたことがない。
逃走羊が肉食ではなく雑食なこともその原因の一因だろう。
魔物が進化する条件は、他の魔物の魔石……それに内包された魂を喰らい続けなければならないのだから。
立ち上がったメーが驚きに固まっているバーンの肩に手を回し、煙をぶふぁーとその顔に吹きかける――ビキニパンツから取り出した葉巻の煙を。
「ゴホッ!ゴホッ!てめぇ、何しやがる!」
バーンの右ストレートを素早い動きでかわしたメーは、歯を剥き出しにして威嚇する。
「ああん?オレ様にそんな口聞いていいと思ってんのかぁ?仲間を見捨てるロクデナシがよぉ。まさか覚えてねぇとは言わせねぇぜ」
その言葉にバーンは口をへの字に曲げる。
それは因縁をつけられたからではなく、心当たりがあったから。
彼は思い出したのだ――カサンドラへ向かう途中でアンデッドに襲われたことを。そして、崖を登れぬメーを置いて行こうとしたのは確かにバーンである。
「あれは……悪かった」
あの時、バーンはルーファが生物を収納できる〈亜空間〉を持っているとは知らなかったのだ。とは言え、メーが死ぬと分かっていながら見捨てようとしたのは動かぬ事実。
バーンは神妙な顔で頭を下げた。
その様子をじっと見つめていたメーは仕方なさげにふぅと小さく息を吐く。
「顔を上げな」
言葉通り顔を上げたバーンの視線とメーの視線が交差し……
ぶふぁー
「ゴホッ!てめぇ……いい度胸だぜ」
剣の柄に手をかけたバーンを見てもメーは余裕の態度を崩さない。
だが、その目はバーンの一挙手一投足を見逃すまいと鋭く細められていた。
「逆切れかぁ?相変わらずの心の狭さだなぁ。テメェがそのつもりならオレ様にも考えがある。後悔するぜぇ」
「後悔するのはどっちか試してみるか?」
腰を落とし獰猛に笑うバーン。
そこには膨らみきった風船の如く、いつ弾けるとも知れぬ緊迫した空気があった。
「……メー、ミーナはオレのことどう思ってると思う?」
飛び出そうとしたバーンの動きがピタリ、と止まる。
一気に青ざめたバーンの周りをクルクル回りながらメーは囁く。
「オレはミーナに相応しくない。
ゼクロスみたいな奴と一緒になった方が幸せになれる。
でもな……止められないんだ。この気持ちを。
オレはミーナを愛して……」
「止めてください。お願いします」
バーンは即座に土下座した。
その後ろではニヤニヤしながら様子を見守るアイザックの姿があった。
勝敗は……ここに決した。
「どうしよっかな~どうしよっかな~。ミーナさんに言っちゃおっかな~」
「止めて!マジ止めて!オレが悪かったから!」
メーの腰に縋りつくバーンの姿は超一流の冒険者だとは思えぬ程惨めなもの。
その必死さを例えるのなら、なけなしの金を手にギャンブルへ行こうとする夫を必死に止めようとする妻の図か。
「おうおう!哀れだなぁ兄弟。だがよぉ、オレ様の気はその程度じゃぁ治まらねぇんだよ!許して欲しけりゃぁオレ様の足を舐めな!」
そう言って差し出された蹄にバーンの額に青筋が浮く。
ゆらりと立ち上がった彼の手に握られるのは2振りの長剣。
「殺せばいい。そうすれば証拠は残らない……」
幽鬼の如くブツブツと呟くバーンの目は殺意に濁り、口元には引き攣った笑みが浮かんでいる。狂気を孕んだ魔力が獲物を仕留めんと牙を剥く!
「待て!殺すのは不味い!ルーファが悲しむだろうが!それに……プッ……ゴホン!恋愛相談ならオレが乗ってやるから」
背後から羽交い絞めにされたバーンが振り返れば、笑いをこらえるアイザックと目があった。
まあ、羊相手に恋愛相談しているいい年をした男がいたのなら、笑われるか憐れまれるかのどちらかだろう。
長年苦楽を共にした相棒兼悪友に自分の痴態を知られたバーンは力なく地面へと崩れ落ち、その様子を満足そうに見つめたメーが次のターゲットへと目を向ける。
「他人事とはいいご身分だなぁ、アイザック。覚えてるぜぇ。テメェもオレ様の背を鞭でビシバシ叩いてくれたよなぁ?」
距離を詰めるメーをアイザックは冷ややかに笑う。
そこには一片の動揺も見られない。そもそも彼はメーに恋愛相談どころか、話しかけたことすらないのだから。
「騎獣に鞭を入れて何が悪い。恨むならチンタラ走っていた自分にしろ。責任転換も甚だしい」
見えぬ火花が2人の間に散り、戦いの第二ラウンドが幕を開けた。




