千年ノ野望
「……以上が世界会議の報告となります」
そう言って恭しく頭を下げたのは、教皇ルークに代わり世界会議に参加した男――ワラキーノだ。
彼はつい最近まで、他国にある一地方で大司教の位を賜っていた。そんな彼に転機が訪れたのは最近のこと。
――全ての始まりは1月前。
枢機卿の1人が急死したのだ。
何の前触れもなく枢機卿候補として皇都スターシャに呼び出されたかと思えば、あれよあれよという間に他の候補者たちを押しのけ枢機卿への大抜擢。
そして彼の最初の任務こそ世界会議への代理出席であった。
重要な任務を任されたことに期待されていることをヒシヒシと感じた彼は、世界会議の最中に精力的に働いた。
友好国と友誼を深めること――お布施の増額――もさる事ながら、新生アグィネス教国家とも積極的に接触を試みた。
その結果、幾つかの国をアグィネス教へ帰依させることに成功したのだ。
今まで誰も成しえなかった成果に、彼は顔が緩みそうになるのを何とか押し留める。
今は神の愛し子の眼前。無礼は許されぬのだから。
「よくやった」
報告書をペラペラと捲っていた手を止め、ルークはワラキーノへと微笑みかける。
その美しい姿にワラキーノは陶然とルークを見つめた。
「褒美をこれへ」
ルークの言葉を合図に、お盆を抱えた艶めかしい美女が静々とワラキーノへ歩み寄る。
お盆を隠すようにかけられていた白い布が取り払われれば、眩い光がワラキーノの目を射た。
美しい……ため息が出る程美しい短剣だ。
黄金で出来た鞘には精緻な細工と共に、小さな色取り取りの宝石が散りばめられており、それだけでも一財産になるだろう。
だが、何よりも目を引くのは、柄に彫られた女神像――唯一神アグィネスだ。
その表情は角度によって微笑んでいるようにも、泣いているようにも映る。
慈愛の顔は正しき信者のために。悲しみの顔は過ちを犯し続ける亜人へと。
「こ、れは……」
「汝への褒美だ。受け取るがよい」
「あ、ありがたき幸せ!唯一神アグィネスと教皇様に永遠の忠誠を!」
謁見が終わり、ワラキーノが退出した瞬間ルークの顔から微笑みが消える。
全くの無表情なれど、その冷めた瞳の奥には冷たい怒りの炎が燻っていた。
「無能が……。まさかあれほど愚かだったとは」
ルークがワラキーノを枢機卿へと押し上げたのは世界会議の為。
何故なら、今いる枢機卿は全て勇者召喚に関わっているからだ。
読心系の固有魔法を警戒し、妨害系や隠蔽系の魔法で情報の漏洩を防ごうとも、竜王の目を誤魔化せるとは思えない。
故に、何も知らぬワラキーノへと白羽の矢が当たったのだ。
ワラキーノを選んだ理由は単純だ。あまり深くものを考えない人物――それだけだ。
急死した元枢機卿に、間を置かずして決まった新たな枢機卿。更には、その新入りを重要な世界会議に出席させるという暴挙。
ハッキリ言って「疚しいことがありますよ」と、宣伝しているようなもの。
まあ、自信家で視野の狭いワラキーノは全く気付いていなかったが。
当然、ドラグニルはルークの意図を把握しているだろうが……それが何だというのか。
元々、ナスタージアはドラグニルの潜在敵国。
手の内を読まれぬように代理を送ったところで、そこまで怪しまれることはないだろう。
気分を切り替えたルークは、手に持っていた報告書を投げ捨てる。全く価値のないゴミを。
新生アグィネス教の勧誘に成功?愚かな事この上ない。
近年、中部にある新生アグィネス教圏内で勢力図が大きく変わった……聖ミラノッテ王国の台頭である。
その勢いは留まることを知らず、その周辺地域は選択を迫られている。
――恭順か滅亡か。
ルークの予定では向こうから泣きついてくるのを待つ予定であった。
その方が、恩を着せることが出来き、より有利な条件で条約を交わせるからだ。
それを……ワラキーノは自分から相手に近付き交渉したという。
「余計な事しかせぬな。再び世界会議が開かれた時のために生かしておこうかと思ったが……アレは害悪か」
ルークはベルを取り出し鳴らす。
リィィィンという澄んだ音が消えるより先に、いつの間にか黒づくめの男がルークの前に跪いていた。
「殺せ」
「御意」
ゆったりと立ち上がったルークは、何事も無かったかのように謁見の間を後にした。
カチャリ……
私室の扉を開けたルークは、ソファーで寛いでいる人物を見るなり親しげな笑みを浮かべる。
「早いな」
普通であれば、教皇の部屋に無断で侵入した時点で死罪だが……その人物に限りそれは当て嵌まらない。
漆黒のローブを深くかぶり、歪な笑みを浮かべた仮面を着けた彼、または彼女こそルークの盟友である仮面だ。
「お前が呼んだんだろう?竜王が警戒している。気安く私を呼びつけるな」
「ああ、それなら心配いらぬ。今頃竜王はアンセルムを飛び回っているからな」
悪戯っぽく笑ったルークに、「はあ」とため息を吐いた仮面は諦めた様子で椅子の背にもたれ掛かった。
「それで?聞きたいのはアンセルムか?ミタンムか?」
「全てを。だがその前に……」
ルークがベルを鳴らせば、奥の扉が開きらグラスとワインを持ったメイドが現れる。
ルークの実験体兼性奴隷である兎人族の女だ。以前残っていた片耳も既になく、一見すると人族に見えないこともない。
相変わらず仮面と目を合わせることもなく、震える手でワインを注いだ女はそのまま部屋の隅に控える。
当初は女の存在に不快を示していた仮面も今では慣れたもの。まるでそこには何も存在しないかの如く見向きもしない。
「エルシオンで採れた年代物のワインだ。手に入れるのに骨が折れた」
「どうせ奪ったんだろう」
仮面に笑みで応えたルークは色と香りを堪能した後、一息にワインを喉へと流し込んだ。
白い喉が艶めかしく動き、赤い唇をペロリと舐めたルークは色っぽい視線を仮面へと送る。
「どうだ?」
「……悪くない」
「次はアイオイの白ワインを用意しよう」
クツクツと楽しそうに嗤い、深くソファーに身を沈めたルークが仮面を見れば、空になったグラスをテーブルへ置くところであった。
「まだ飲むか?」
「情報のすり合わせが先だ」
そう言って取り出したのは紙の束だ。
仮面はそれをそのままルークへと渡す。
「一番上の資料がミタンム攻略についての進捗状況についてだ」
ミタンム攻略に関わっているのは僅かに3名――鳳 壱星、水野 椿、九鬼 天音だ。
「ミタンム攻略は順調だ。既に王妃オリヴィアとも面談を果たした」
「そうか……ならば、オリヴィアは近いうちに堕ちるであろうな」
ルークは天音の力を信用している。
天音の詐欺魔法は〈読心〉〈誘惑者〉〈改竄〉〈偽装〉から成る。
攻撃的な権能は何一つなく、心や精神に働きかけるものでありながら朝人のような強力な支配の力も、愛姫のような固有魔法士さえも骨抜きにする特化した力もない。
あるのは、ただ相手の心を読み解き、望む世界を見せることだけ。
一見地味なこの力をルークは高く評価していた。
支配系の魔法は痕跡が残るもの。
小国を相手にするのならば問題ないだろうが、大国には必ず〈看破〉やそれに準ずる能力者がいるのだ。
強力ではあるが故に、迂闊に使うことが出来ない力こそ支配系の魔法といえる。
現に、仮面も支配系の魔法――〈邪怨ノ蟲〉――を有しているにも関わらず、その力を振るったのは異世界人とアンセルムの上層部に対してのみ。
アンセルムが消えた今となっては、異世界人だけだ。
反面、天音の〈誘惑者〉は制限する必要がない。
時間こそかかるものの、今まで彼女の手にかかって堕ちなかった者はいない。
〈読心〉で心を読み、相手が欲しい言葉をかけながら〈誘惑者〉で望む未来を見せつつ巧みに惑わす……いずれは彼女の言葉を妄信する狂信者の出来上がりだ。
都合の悪い記憶や疑念は〈改竄〉で捻じ曲げてしまえば疑う者などいはすまい。
ただし〈改竄〉については、使用後数日間は痕跡が残るため注意が必要だろう。
「まあ、ミタンムには看破や鑑定を持つ魔法士がいないから楽なものだ。念のため〈改竄〉だけは多用しないように言っておいたが」
「それで良い。ミタンムは本命の仕掛けが起動しなかった時のための保険だ。ドラグニルの同盟国の王妃の裏切り……それも、竜公セルギオスの異母妹だ。これ程心躍る展開はあるまい?」
「相変わらず悪趣味だな」
「誉め言葉として受け取っておこう。それで?他はどうなっておる?」
一瞬、仮面の眼が放置された報告書へと向くが……諦めたかのようにルークへと向き直る。
「愛姫は聖ミラノッテ王国で国王を篭絡して、周辺国へと戦争をけしかけているようだな。和真は〈善意呪滅〉を使って悪人以外に呪病をばら撒いている。既に幾つかの町が滅んだと報告を受けた」
「ほう。派手にやっているようだな」
ドラグニルの目をミタンムに向けさせないための陽動だ。
更に言えば人手を割けば割くだけ勇者召喚の調査も遅れる筈なので、ルークとしても見つからぬ程度に派手に動いてもらうのが理想だ。
「それだけじゃない。禍津教徒共が新生アグィネス教国内で『教義を捻じ曲げために唯一神アグィネスが御怒りだ』と演説をして回っている」
そこで言葉を切った仮面は愉快そうに喉を震わすと、ルークをひたと見据える。
「アレはいい拾い物をした。和真の呪病が蔓延しているお陰で多くの者がその演説を信じたようだ。新生アグィネス教徒の間に不和が広がりつつある。このままいけば暴動に発展するだろう」
「使えぬかと思っておったが、意外と役に立つようだな」
感心したように呟いたルークは禍津教徒5名を思い浮かべる。
ハッキリ言って邪神を祭るなど不届き千万もいいところだが……役に立つうちは置いてやろう、と寛大な心で彼らを許すことにした。
「まあ、最近は警戒されているからか、直ぐに衛兵が飛んでくるようだが、翼がカバーして上手く逃げ回っている。その件で特別手当てを要求していたぞ」
「オリヴィアが堕ちた暁には全員に出す、と言っておけ」
異世界人たちの活躍ぶりを見れば、その程度安いものだ。
ただし、彼らは途中で甘やかすと働かなくなるため、報酬は全て後回しだ。
「して、アンセルムは処分できたのか?」
「問題ない。研究所と汚染獣の生産工場は真っ先に破壊させた。〈邪怨ノ蟲〉も全て消滅しているから漏れはない。ああ、事前に使える資料と人材はチェリエントの拠点に運んでおいたぞ。問題があるとすれば……ベリアノスに被害がでてないことくらいか」
その言葉にルークは気だるげに頷いた。
最も人口の多いベリアノスではなく、汚染獣がフォルテカに流れたことは不自然極まりない。
だが、汚染獣がベリアノスを襲えば間違いなくジャイヴァロックの不興を買うだろう。
これからもベリアノスを利用する腹積もりであるため、“友好国”という立場を捨てるわけにはいかない……今はまだ。
「仕方がなかろう。それに竜王の目がベリアノスに向くのは悪いことではない」
「汚染獣になる前に異世界人が見つかればどうするつもりだ?」
そうなれば何年もかけて用意した策がパアだ。
いきり立つ仮面にルークは余裕の笑みを浮かべた。
「もし……竜玉が誘拐されれば、竜王はどう動くと思う?」
「……大丈夫なんだろうな?藪をつついて蛇がでたらシャレにならない」
「つつくのはベリアノスだ。余には関係あるまい?よしんば失敗したとしても、襲われたという事実こそが重要。間違いなく竜王の行動を阻害できるだろう」
既に崔は投げられているのだ。
最早、舞台から降りることは叶わない……否、降りるつもりなど毛頭ないのだから。
誰もいなくなった室内で、ルークはスターシャの街並みを見下ろしていた。
「アグィネス……もうじき君の願いが叶うよ。あれから千年……実に長かった……」
柔らかな光を宿す目は、普段のルークとはまるで別人。儚く笑った彼はゆっくりと目を閉じた。
だが……次にルークが目を開けた瞬間、慈愛の表情は跡形もなく消え失せ、あるのは狂気を宿す歪んだ笑みだ。
「ああ、待っていてアグィネス。人族の栄光ある未来のために……必ずや亜人共を駆逐しよう。生まれてきたことを後悔するぐらいに、ね。ふ……ふふっ……アーハッハッハッハ!!」
狂人は……嗤う。
血塗られた未来を夢見て。




