復活の時
ルーファは“餓狼の牙”へと微笑みかける。
彼らには感謝しかない。
いや、彼らだけではない。アイリスと共に戦い散っていった他の仲間たちにもルーファは感謝を捧げる。
彼らが瀬戸際で食い止めたからこそ、多くのシルキスの民を救うことが出来たのだから。
もう少し早く救援に向かうことが出来たのなら……そう思う心も勿論ある。
だが、それは言っても仕方なき事。結局、ルーファ1人で出来ることは限りがあるのだ。
今回のことを通して、ルーファは自分の役割を朧げにではあるが理解した。
ルーファは導き手。
未来を読み解き導く者。
ヴィルヘルムを戦場へ送り出したように、アイリスに祝福を与えたように、ルーファは流れを創りだす。
けれども、ルーファに出来るのはそこまでだ。
未来を紡ぐのは多くの紡ぎ手たち。
戦うことを選んだアイリスに、民を逃がすために奔走したカーライル。
そして……クルルカを捨て、多くの民を死に追いやったステファン。
“現在”は彼らが紡いだ過去の結果。
ならばこそ、育まねばならない。
より良き未来の紡ぎ手を。
黒き未来に抗う者を。
大きな波が世界を呑み込んでしまう前に――
ガッシュの腕からスルリと抜け出したルーファは、迷いなく中央に置かれた台座へと歩み寄る。
「アイリス……」
ルーファの目が映すのは入れ物に非ず、人の本質を表す魂そのもの。
シーツに包まれて尚、明るく燃え上がる金緑の光にルーファは眩しそうに目を細める。これこそがアイリスの魂の輝き。
アイリスに祝福を与えたのは親切にしてくれた礼のつもりだった。謂わば気まぐれのようなもの。
それが2度フォルテカを救うことになろうとは思いもしなかった。いや……今となっては本当に偶然だったのか疑問なところだ。
ルーファが動くのは理屈ではなく直感。
それが〈時空眼〉の力でないとどうして言えよう。
とは言え、ルーファの行動の根幹など考えたところで何の意味もない。真に大切なのは過去ではなく未来。
――アイリスがいる未来を取り戻す。
そのためにルーファは来たのだから。
ルーファがアイリスに手を伸ばしたその時……
「迷宮神獣様!」
どこか焦りを帯びた声がルーファを呼び止めた。声の主を探してみれば、強張った顔の男の姿。
あれは誰だったか……考えたのは一瞬だ。
垣間見た未来の映像は、不思議な事に劣化することなくルーファの脳裏に刻まれている。彼の名も、どういう男なのかも。
「ゼロ」
ルーファがその名を呼べば、ゼロは驚いたように目を見開く。
僅かの逡巡の後、ゼロは重い口を開いた。
「ご無礼をお許しください。その……ギルドマスターの遺体は損傷が激しく、ご覧になられない方がよろしいかと思います」
神獣が穢れを嫌うのは有名な話だ。
これはルーファに対する気遣いなのだろう。
(……どうしよう)
ルーファの心に迷いが生じる。
アイリスを蘇生するのに姿を見る必要はない。
ルーファには好き好んでスプラッタな遺体を見る趣味はなく、アイリスも自分の酷い姿を他人に見られたくはないだろう。
だが……本当にそれでいいのか。
――“目を逸らしてはならぬ。戦うと決めたのならば前を見よ”
思い出すのはヴィルヘルムに言われた言葉。
ここにあるアイリスの姿は、これからルーファの選択が生み出す未来の断片だ。
いずれルーファは選ばなくてはならない。何を救い、何を切り捨てるのかを。
ルーファは多くの人を殺すだろう。
ルーファは多くの人を救うだろう。
それが未来を知るということ。
そして“死”の重みを知らぬ者は、より多くの犠牲を生みだす。
ならば、見届けるべきだ。
自分が選んだ未来の結末を。
ゼロは動揺していた。
彼がルーファを止めたのは、神獣だからという理由だけではない。見た目が12・3歳の少女が見るには酷だと思ったからだ。
だが……ゼロを見つめる藤色の目はどうだ。
ただ静か。そうとしか言いようがないほど、感情の揺らぎが感じ取れない。それは決して普通の少女の“眼”ではない。
まるで死を待つ老人の如く
まるで胎内を揺蕩う赤子の如く
全てを受け入れ、受容する。
――これが“神獣”
自分達とは異なる時を……異なる理を生きる存在。
そう自覚したと同時に、湧き上がるのは“納得”と“確信”だ。
「ギルマスに力を与えたのは迷宮神獣様なのですね」
そこで言葉を切ったゼロは、唇を湿らせるともう一度口を開く。
「教えて下さい。ギルマスは……ギルマスは……」
ゼロはその先を口にする事が出来なかった。もし否定されたなら……希望は完全に潰えてしまうのだから。
ゼロの言葉の続きを正確に読み取ったかのように、ルーファは微笑むと応えを返す。
「大丈夫。私の力がアイリスを守ってる。彼女はまだ生きている」
その言葉は衝撃と共にゼロを……“餓狼の牙”を襲った。
――まさか。
――助かるのか?
――本当に?
それは望んでいた答えなれど、彼らは信じることが出来なかった。
死を身近に感じる冒険者だからこそ、その思いは大きい。彼らにとって死とは終わり……だからこそ幼少の頃からただひたすら己を鍛えてきたのだから。
この時、彼ら“餓狼ノ牙”は誰1人として冷静ではなかった。故に……反応が遅れた。
目を充血させたリカルドが前へと踏み出し、ルーファを掴もうと手を伸ばしたのだ。
神獣の身体に許可なく触れるなど許されざる暴挙。ゼロが慌てて止めに入るが……遅い。
ドガン!
ゼロには何が起きたのか分からなかった。いや、他の誰にも分かりはすまい。
いつの間にかリカルドは床に倒れ伏し、ルーファを守るようにガッシュが立ちはだかっていた。
いつもは隠されている右目が蒼く輝き、ゼロ達を冷たく睥睨していた。
「死にたいのか?」
低く呟かれたその声からは何の感情も読み取れず、なればこそ逆に恐ろしい。
何の躊躇いもなくゼロたちの命は刈り取られるのだろう、と。
「申し訳ありません!リカルドはギルマスに惚れてまして、決して神獣様を傷つけるつもりはなかったと断言できます!どうかお許しを!」
「僕からもお願いします!」
「「すみませんでした!」」
蒼褪め咄嗟に土下座したゼロに、仲間たちも続く。
「ガッシュ」
ルーファの手がそっとガッシュの手を握れば、“餓狼の牙”へと向けられていた殺気が綺麗に消え去った。
フッと小さく息を吐きだしたガッシュがゼロへと目を向ける。
「次はないぞ」
「「「「ありがとうございます!」」」」
「わたくしからも感謝と謝罪を。迷宮神獣様、驚かせてしまって申し訳ありません」
大公自らが頭を下げる事態に、ゼロたちは逞しい身体を縮こまらせた。
「気にしないで。それよりも……始めよう。余りこの状態が長く続くのは良くないから」
ルーファの力で肉体に魂を押し留めているとはいえ、これは本来あり得ぬ状態だ。
そもそも祝福に魂を保護する力はなく、これは祝福を通してルーファの力がアイリスに流れることにより起きた現象だと言える。
つまり、祝福とはルーファとアイリスを繋ぐ回線であり、彼女の魂を保護しているのは〈輪廻操作〉の力となる。
ルーファはそっとシーツを捲る。
中から現れたアイリスの痛ましい姿に、ルーファは僅かに息を飲む。
半分潰れた頭に、剥き出しになった眼球。
捲れあがった皮膚からは生々しい肉が覗く。
元が美しい顔だけに、その姿はより一層悍ましさを感じさせた。
覚悟はしていたつもりだ。
ルーファはアイリスの“死”の瞬間を視ていたのだから。
だがそれでも、かつて優しくしてくれた人の変わり果てた姿にルーファの手が知らず震える。
「ルーファ」
横合いから伸ばされた手がルーファの手を取る。
「ガッシュ……」
大きく温かな手に励まされ、ルーファは力を解放した。
ザアアアアアアアアア……
気持ちのいい風がアイリスの髪を揺らす。
彼女は1本の大きな木の下にいた。前面には見渡す限り草原が広がり、懐かしい故郷を思い起こさせる。
サクリ、サクリ
ぼんやりと草原を見つめていた彼女の耳に草を踏む音が届く。
彼女は戦士、音には敏感な筈だが……今はただ心あらずといった様子で前を見つめるばかり。
「アイリス」
はじめはソレが何を意味するのか分からなかった。
重ねてもう1度「アイリス」と呼ばれ、ソレが漸く自分の名前だと気付いた。
ゆっくりと振り返った彼女の前には黒いショートカットの藤色の目をした少年がいた。
懐かしい……そう感じはするものの、それが誰かは思い出せない。
自分の隣にちょこんと座りこんだ少年はアイリスの目をじっと見つめる。
「オレが誰か分かる?」
その問いの答えを持っていないアイリスは申し訳ない気持ちで一杯になった。
「すまない。知っているような気はするんだが、思い出せないんだ」
「う~ん。長く死んでたから接続が上手くいってないのかな?」
意味不明な事を言う少年にアイリスは首を傾げる。
「少年、ここが何処か知っているのか?」
「うん!ここはアイリスの魂の内側なんだぞ!」
「魂……?内側……?」
アイリスが周りを見渡しても草原しかない。
地面に生えている草を引っこ抜いても、別段変わったところもなくただの草である。
「大人を揶揄うんじゃない」
わざと怖い顔をつくって少年を睨み付けるが、彼は怯えるでもなくいじけた様に頬を膨らませた。
「本当なんだぞ!ここは魂の中なんだから!アイリスは最期どうなったのか覚えてないの?」
「最後……?私は確か……私は……ギルドマスターで、それで…………ダメだ。全く思い出せない」
まるで霞を掴むかのように、考えれば考えるほど重要な何かが遠のいていくかのようだ。
頭を振って気分を変えたアイリスは、自分のことを知っているであろう少年に尋ねる。
「君は私のことを知っているんだろう?教えてくれないか?」
「それは……構わないけど。オレが持ってるのは余りいい記憶じゃないんだぞ」
「持ってる……?」
少年の言い回しに僅かに疑問を感じるが、今は記憶を取り戻すのが先だと思い直す。
先程から胸の中がモヤモヤし、早く早くと彼女を急かしているのだ。
「構わないから教えてくれ」
「分かった。今からオレの視たアイリスを流すね」
少年がアイリスの頬を両手で掴み、額をコツンと当てる。
その瞬間、彼女の脳裏に映画の早送りのように映像が流れた。
『転移陣と通信の魔道具はまだ使えるのか?』
『確認したところ、もう既に……』
『街の住人を見捨てるのですか!?』
『援軍を待っても死ぬだけだ。その前に街を出る』
『我々は荒野へ……いや、聖地へと向かう』
……暗転。
『これが終わったら皆で飲み明かそう。私の奢りだ!』
『『『『『うおおおおおおおお!!!!』』』』』
『くそぉ!私はここだ!かかって来い!』
『やめろぉぉ!やめろ……やめてくれ!』
…………
…………ぐしゃり
いつの間にか、アイリスは自分を見下ろしていた。
潰れた頭にねじ曲がった手足。
(ああ、そうだ。思い出した。私は死んだのだ)
「っそうだ!皆は皆はどうなったんだ!?」
ハッとして顔を上げたアイリスの手がぎゅっと握られる。
「……ルウ」
「大丈夫。見て」
ルウが天を指さし、釣られてアイリスも空を見上げる。
彼女の見つめる先で、空から堕ちてきた白銀色の光が汚染獣を貫いた。
ルーファはそっとアイリスをの様子を窺う。
自分が死ぬ記憶というのはいい記憶とは言い難い。もう一度体験したいかと言われれば、殆どの者はこう答えるだろう――「否」、と。
だが、ルーファの心配を他所に、振り返ったアイリスは笑顔を浮かべた。
「久しぶりだな。元気にして……」
ハッと何かに気付いたようにアイリスが口に手を当て、苦しそうに形の良い眉を歪める。
「ここにいるという事は、ルウも死んだのか……何とむごい。幼少の頃から貴族に捕らえられ、漸く自由を手に入れた矢先に死んでしまうなど!何故、神獣様はこの様ないたいけな少年に重い試練を課せるのか!!」
アイリスの目からダパーと涙が溢れ出し、次の瞬間ルーファは彼女の腕の中に閉じ込められていた。
今ではすっかり忘れていたが、ルーファの世間知らずを誤魔化すためにフェンが考えた「今まで貴族に鎖で繋がれていました設定」である。
(不味いんだぞ)
ルーファの頬をツツゥと汗が流れ落ちる。
何やら酷い誤解が彼女の中で進行している様な気がして、ルーファは訂正しようと口を開くが……その声はアイリスの声にかき消された。
「分かっている!もう何も言わなくていい!これからは私がルウを守ろう!安心するといい。こう見えても、私は強い。変態貴族の1人や100人、血祭りにあげてやろう!」
「へ、変態貴族……?」
何だろう。そんな設定があっただろうか。
悩むルーファにアイリスが慈母の微笑みを浮かべる。言っていることは血生臭いが。
「違うの!アイリスは死んでないんだぞ!」
慌てて訂正するが、思い込みの激しいアイリスは全く聞いてはいない。
ルーファは致し方なし、と姿を変える――冒険者から神獣へと。
「……え?し、んじゅう、さま?」
白銀色の髪が風に舞い、呆然とその様子をを見つめるアイリスにルーファは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「あの……騙してごめんね」
かつて、ルーファの設定を聞き号泣したアイリスの姿を思い出し、ルーファの心は罪悪感で一杯である。
考えたのはフェンだが、賛成したルーファも同罪だ。
…………
…………
完全に動きを止めたアイリスに、浮かび上がったルーファはその顔を覗き込む。
「アイリス?」
「……ハッ!申し訳ありません!今までの御無礼お許しください!」
動揺し、跪くアイリスをルーファは静かな眼差しで見つめる。
神獣と人――それは決して平等な関係ではない。
国を守る守護神獣となった今では、ルーファにも責務が生まれた。変わらぬ態度で接してくれる“赤き翼”とレイナが稀なのだ。
ルーファは一抹の寂しさを振り払い、息を吸い込む。
「顔をあげなさい、アイリス。我が戦士よ」
その言葉に驚きで目を瞬いたアイリスに、ルーファは問いかける。
「貴女は2度フォルテカを救った。故に私は2つの選択肢を与えよう。このまま静かに眠りに着くか……それとも、人種を守るために戦うのかを」
ルーファは普通に生きるという選択肢を敢えて与えなかった。
これは神獣の“審判”なのだから。
「私、は、死んだはずでは」
「――是。貴女は確かに死んだ。でも、完全には滅んでいない。貴女が望むのであれば、私は貴女を生き返らせよう。ただし……無為に生きることは許さない。私が与えるのは安らかなる死か、困難なる生か。さあ、選べ。貴女の未来を。未だ戦士の心を失っていないのならば、この手を取りなさい」
差し出されたルーファの白い手を凝視したアイリスは、迷うことなくその手を掴んだ。
この日、迷宮神獣ルーファスセレミィからフォルテカに2つのモノが贈られた。
――“迷宮”と“英雄”。
後にアイリスはルーファスセレミィが見出だした原初の戦士として歴史書に名を刻むこととなる。
これから巻き起こす数々の奇跡と共に。




