フォルテカの英雄
フォルテカ公国公都フォーンは悲しみに包まれていた。
通りには白を基調とした多くの花が飾られ、蒼天城の麓に建てられた慰霊碑には花を捧げようとする市民が連日列をなしている。
普段聞こえる楽し気な笑い声は悲痛な泣き声へと変わり、やるせない思いをまぎらわせるかの如く酒に逃げた男たちの怒声が空気を震わせる。
――死者30万人
未だ災禍の傷も生々しく、多くの者がその死を受け入れられないでいた。
遺骸も遺品すらなく、大切な者の死をどうして受け入れられようか。もしかしたらまだ……そう思う気持ちは大なり小なり人々の胸にあった。
慰霊碑の存在は死者の魂を慰めるだけでなく、生きている者がその死を受け入れられるように……そんな思いも込められているのかもしれない。
いや、悲しみの理由はそれだけではない。
フォルテカには国民的英雄がいた。
元Aランク冒険者であり、シルキスのギルドマスターだった女だ。
数多の魔物暴走を防いだ女傑で、フォルテカでその名を知らぬ者はいない程。
100年以上の長きに渡り原魔の森からフォルテカを守ってきた戦士の名は――アイリス。“不滅”のアイリス。
この度の戦い――第二次汚染獣襲撃事件――で、彼女はその命を散らした。
いや、1つ訂正をするならば彼女が英雄と呼ばれ始めたのはここ最近、カサンドラを襲った第一次汚染獣襲撃事件の後からだ。
白銀色に輝く聖なる光をその身に宿し、汚染獣相手に一歩も引かず戦い続ける姿は地上に顕現せし戦女神。
故に彼女はこう呼ばれた。
――新たなる神の戦士
ガッシュが“不老”を賜った様に、アイリスは“聖光”を賜ったのだと――人々はそう信じた。
“英雄王ガッシュ”に続く、神に選ばれし戦士の誕生にフォルテカの民は大いに沸いた。
暗い現実から逃れるため、彼らには“英雄”が必要だったのだ。
不安を興奮に変え、恐怖を希望で塗り尽くす“英雄”という存在が。
――アイリスがいる限り大丈夫
――アイリスがいる限り負けはしない
――きっと汚染獣が攻めてきても、アイリスがやっつけてくれるに違いない
それは何の根拠もない、ある意味はた迷惑な思い込みだ。
全てを1人に押し付けて、自分たちは安らぎを得るのだから。
だが……彼らの希望はあっけなく散った。
彼女は死んだ。
民を逃がし、最期まで戦って。
それは立派な、英雄に相応しき最期だ。それ故に、それ故にやるせなく、人々の悲しみもまた大きい。
今日もまた1人、1人と花を携えた民が英雄の死を悼む。
◇◇◇◇◇◇
「ここが王宮か」
“餓狼の牙”のリーダーであるゼロはその壮麗な内装に思わず口笛を吹いた。
「ちょっとゼロさん止めてくださいよ」
そう言って袖を引っ張るのは光魔法士のリトンだ。
その後ろに続くのはシーツで包んだ大きな荷物を抱えた熊人族の大男――名をリカルドという。
荷物の他に幅広の大剣を背負っているにも関わらず、その動きは滑らかで全く重さを感じさせない。一体どれ程の膂力の持ち主なのか。
そんな彼の背後から聞こえるのは賑やかな声だ。
「まあまあ、いいじゃないの!折角来たんだしさぁ。おお!すっげ!この壺見ろよ!」
「おい!ティモシー!触るんじゃない!」
軽口を叩くのは短剣を装備したティモシーと呼ばれる猿人族の男。
落ち着きのないティモシーの面倒を見るのは決まって、如何にも苦労してます!と言った風体の槍使いの男――ナイジェルだ。
「大丈夫だって!落としゃしないさ。あんまり細かいこと気にしてたら禿げるぞ、ナイジェル」
ドス!
静かになった後ろをリトンが振り返れば、イイ笑顔を浮かべたナイジェルが大きな荷物を肩に担ぐところであった。
最近後頭部を気にし始めたナイジェルに禿げは禁句である。
「こちらでございます」
騒がしい彼らを前にしても笑顔を絶やさない案内係は流石はプロと言ったところか。
てっきり客室に案内されるものだとばかり思っていた彼らは、開かれた扉の中を見て驚きの表情を浮かべた。
「……は?神殿?オイコラおっさん!オレたちは別にお祈りしたい訳じゃないんだけど!」
ナイジェルの肩から華麗に着地したティモシーが案内係に詰め寄れば、「ご命令ですので」と言って取り付く島もない。
流石にゼロも訝し気に案内係を見る。
「何か説明を聞いてないのか?」
「ここでお待ちくださいとしか伺っておりません。私は下がるように命じられておりますので、これで失礼させて頂きます」
そう言って踵を返した案内係に5人は顔を見合わせた。
「もしかして……ギルマスの安置場所なのでは?」
リトンはリカルドが大切に持っている荷物と、中央に設置してある人が1人寝れるだけの広さがある台座を交互に見る。
その台座は別段値が張りそうな宝石や飾りもないが、施されている精緻な彫刻を見れば例え専門的知識がなかろうと、それが価値のあるものだと分かるだろう。
「遺跡にありそうだな」
ナイジェルがツツーとその表面に指を走らせても埃1つ付きはしない。
「リカルド、ギルマスを寝かしとけ」
リカルドが手に持っているシーツを広げれば、そこには白銀色の光に包まれたアイリスがいた。
頭部は半分へしゃげ死んでいることは明らか。だが……彼らは未だにアイリスが目覚めるのではないかという希望を捨てきれずにいた。
「この光は一体何なんだ?」
ゼロが既に何度も繰り返している疑問を口にすれば、神官であるリントが律儀に応じる。
「分かりません。ただ……神獣様の御力は白銀色の光を宿します。神か、神獣様に関連のある力ではないかと思いますが」
「神ってホントにいんの?」
「ティモシー!!不敬だぞ!!」
簡易とは言え神殿内での神への冒涜に、ナイジェルは慌ててティモシーの口を塞ぐが、それを見てもリトンは怒ることなく柔和な笑みを浮かべた。
「神獣神殿の本殿には神獣様の御言葉を書き留めた書物が納められています。その中の1つにこうあります。『世界を浄化するために我ら神獣は神により創られた』と。つまり、神獣様御自身が神が存在することの証なんですよ」
「へぇ、知らなかったな。他にも神について何か書かれてるのか?」
目を輝かせて食いついてきたゼロにリトンは意外そうに目を見開いた。
「どうしたんですか?神獣様に祈る暇があったら剣を振れ!とか言ってましたよね?」
「ああ、いや、迷宮神獣様の御力で助かったしな。オレも今度から祈りを捧げようと思ってな」
バツの悪そうな顔でそっぽを向いたゼロの肩を、もう離さないと言わんばかりにリトンの手がガッチリと掴んだ。
目を爛々と輝かせ鼻息荒くゼロに詰め寄る姿は……どこからどう見ても変態そのもの。
「素晴らしい!大変すばらしい心がけです!ついにゼロさんにも信仰心が芽生えたんですね!では、今から正式なお祈りの仕方を僕が……」
「止めろ!長くなる!」
手で両耳を覆ぎ脱兎の如く逃げ出したゼロの動きは無駄に素早いものの……その足にはしっかりとリトンが巻き付いていた。
「に~が~し~ま~せ~ん~よ~」
いつもと同じ温和な笑顔が逆に恐ろしさを感じさせる。
じゃれ合い始めた2人から目を逸らした残りの3人は、光続けるアイリスへ目を向けた。
リカルドがそっとシーツをかけ直せば、どういう原理か光が透けて見えることはない。
何とはなしにそれを眺めていたティモシーがナイジェルへ話しかける。
「なあなあ、もしかしてギルマスはここに引き取られんのかな?」
「多分な。そうでなけりゃ召喚状にアイリスの遺骸を持ってくるようにとは書かないだろ」
“餓狼の牙”が城へ招かれたのは、第二次汚染獣襲撃の際に活躍したからに他ならない。
2日後に開催される慰霊祭に合わせて、勲章が授与される予定だ。
「ダメだ!ギルマスは生きてる!一緒に連れて帰るんだ!!」
しん……と室内に沈黙が降りる。
「リカルド……オレ達も最初は期待したさ。生き返るんじゃないかってな。でもな、もう10日以上経ってんだ。いい加減現実を見ろ。お前も一端の冒険者だろ?」
宥めるようにポンっと肩に乗った手を、乱暴に払いのけたリカルドはゼロを鋭く睨みつける。
その憎しみさえ感じさせる目は、決して仲間に向けるものではない。ゼロが言葉を重ねるよりも早く、ナイジェルがリカルドの胸倉を掴み上げた。
「……いい加減にしろよ。お前だけが悲しいと思うな!オレの姉貴もあの戦いでっ……!」
多かれ少なかれ、彼ら全員が親しい者を失った。
普段と変わらないゼロも、困った顔のリトンも、底抜けに明るいティモシーも全員だ。
冒険者にとって“死”とはいつだって身近にあるもの。
昨日酒を飲み交わした友が翌日冷たい躯となることも、ままあること。
故に彼らは必要以上に死を嘆かない……そう在らねば心を病んでしまうから。いや……逆か。
普段から殺し合いに身を投じている彼らの心は、既にどこかしら壊れているのだろう。
「……すまん。でも、でもよぉ。光ってるんだよ。死体は光るもんじゃないだろ?諦められないんだよ……まだ生きてるんじゃないかってなぁ」
力なく呟いたリカルドはアイリスの冷たい手を両手で包み込むように握る。
未だに腐敗の始まっていない綺麗な手を。
「ギルマスは敬虔な神獣様の信徒でした。冒険者となる前は武闘神官として光魔法士を守っていたと聞いています。神獣神殿に奉納されるのはギルマスにとって名誉なことだと思いますよ」
「そっか……そう、だよな」
半ば言い聞かすように立ち上がったリカルドが全員に向けて頭を下げる。
「悪かったよ……お前らも悲しんでるって知ってんのに、自分のことばっかかまけちまって……」
「気にすんな。誰でもそういう時はあるさ」
「お!リーダー男前~」
「悪い。オレもイライラしてた」
「悲しみは仲間と分かち合うものですからね」
和やかな雰囲気が戻ったところで扉が開き、現れたのは近衛騎士だ。
「お待たせした。今からキアラ陛下及びガッシュ陛下……そして神獣様が参られる。無礼のないように心がけよ。許可が出るまで決して顔を上げてはならんぞ」
そう言って騎士は小走りにその場を立ち去った。
様子を見るにもう余り時間はないのだろう。即座にゼロは言われた通りに跪き、それにリカルド、ティモシー、ナイジェルが続く。
「し、神獣様が!?ど、どどどどどどうしましょう!!心の準備が!!」
大慌てで服の汚れを確認し始めたリトンをゼロとナイジェルが両脇から引っ張り、無理矢理跪かせたと同時に扉が再び開いた。
室内に響いた足音は3つ。
1つはヒール、そしてもう2つは軍靴の音だ。やがてその足音はゼロたちの前で止まる。
「顔を上げなさい」
女の声に促され、ゼロたちはゆっくりと顔をあげる。
まず目に入ったのは淡い青色のドレスを身に纏った女性とその後ろに控える顔に傷のある男。
それが誰かはすぐに分かった。大公キアラと筆頭将軍たるアルブレヒトの姿はあまりにも有名であったからだ。
キアラが背後を振り返り、恭しく一礼すると横へずれる。
ヒュウ
息を飲む声が聞こえる。
そこに御座すのは間違いなく神獣だ。
ひと房だけ黒い白銀色の髪はまるで夜空に浮かぶ星々のように輝き、その神秘的な藤色の目は温かい色を湛えている。
残念ながら顔の下半分はヴェールに覆われ窺い知ることは叶わないが、彼らは自信を持ってこう答えるだろう――この世のものではない美しさであったと。
英雄王に抱かれた神獣は、彼らと目が合うとふわりと笑った。




