静かなる陥落
ピカッ!ゴロゴロゴロドシャーン!
急に崩れた天気は雷を伴い、激しい雨が大地を叩く。
轟々と吹き荒ぶ風が怒り狂う獣の如く唸り声をあげ、ガタガタと音をたてる窓を食い破らんとしているかのようだ。
昼というにも関わらず空は墨を落としたかのように暗く、時折輝く稲光が周囲を僅かに浮かび上がらせる。
溜まっていた書類にペンを走らせていたアクラム・ヴァン・ジュール・シリカは、ふとペンを置くと窓辺へと近づいた。
カーテンを開ければ雨の音が激しさを増し、激流のただ中にいるかのような錯覚に襲われる。
「気が滅入るな」
憂鬱そうにため息を吐いたアクラムは、荒れ狂う空を見上げた。
先程から降り続く雨が、まるでこれからの世界の行く末を暗示しているかのように思えてならない。
世界会議を終えて数日。
中断された世界会議は翌朝には再開され、事の顛末が説明された。
アンセルムは滅亡、フォルテカも国境は壊滅状態だという。
ハッキリ言って他人事ではない。シリカはこの両国と国境を接しており、1つ間違えればシリカが滅んでいた可能性もあったのだ。
「汚染獣を操る者、か」
今回の襲撃事件もその者たちの手によるものなのか。
だとすれば恐ろしいことだとアクラムは思う。それは決して人が手にしていい力ではない、が……
「ガッシュ殿はアグィネス教を疑っていたが……アンセルムが襲われたとなると違うのか?」
アンセルムはナスタージアの属国だ。
それを考えれば、襲撃者はアグィネス教宗主国に唾を吐いたことになる。
「いかん、いかん」
アクラムは頭を振ってその考えを追い出した。
全ては憶測。それは視野を狭める毒となりなねない。
アクラムがやるべきことはもっと別のことだ。
「魔銃に聖魔導砲か……」
1枚の紙を見つめながら、アクラムは再びため息を吐いた。
魔銃はまだしも聖魔導砲の運用は厳しいと言わざるを得ない。
その金額もさることながら、消費魔力量が莫大に過ぎるのだ。発動させられない武器などただの置物だ。
では疑似聖剣はどうかと言えば、それを作ろうにも材料である“神獣の気まぐれ”自体が希少なもの。
「汚染獣とは厄介なものだな」
打てる手はあまりに少なく頼りない。
再び考え込んだアクラムの耳に、控えめなノックの音が聞こえたのはそんな時だ。
「入れ」
姿を現したのは王妃ツェツィーリヤ――アクラムの妻である。その姿は成人した子供が2人いるとは思えぬほど若々しい。
「お勤めご苦労様でございます」
「おお!ツェリ!よく来たな」
嬉しそうに破顔したアクラムはツェツィーリヤを抱き寄せる。
ここ数日は忙しさのあまり共に食事を取る時間すらなかったのだ。
「ふふっ。よろしいのですか?執務中でございましょう?」
「何、行き詰ってな。丁度休憩にしようかと思っていたところだ」
「それはようございました。あら?この言葉は失礼かしら?」
口に手を当てて悪戯っぽく笑ったツェツィーリヤに笑い声をあげたアクラムは、胸の内にあった不安がスッと消えて行くのを感じた。
(敵わないな)
いつも自分を支えてくれるツェツィーリヤにアクラムは頭が下がる思いだ。
「世界会議は如何でしたか?」
お茶を淹れた侍女が下がると同時に聞いてくるツェツィーリヤに、アクラムは世界会議で起きたあらましを語っていく。
彼女が最も食いついてきたのは竜王ヴィルヘルムの登場シーンだ。
頬を染め、興奮するその姿はまるで少女のように初々しく、アクラムは憮然とした面持ちで紅茶を啜る。
「怒らないでくださいまし。伝説の竜王様ですもの。それに……憧れと愛は違いましてよ」
そう言って手を握ってくるツェツィーリヤにアクラムは苦笑する。
「分かっている。その、なんだ、少し面白くなかっただけだ」
昔からツェツィーリヤは竜王ヴィルヘルムに憧れていた。
シリカでは圧倒的にガッシュファンの方が多いのだが、幼少の時から時折ガッシュに遊んでもらっていた彼女にとって、ガッシュは身近に過ぎたのだ。
故に、彼女が憧れたのはガッシュが聞かせてくれた竜王ヴィルヘルムの話。
英雄王が憧れた存在に彼女も憧れを抱いたのだ。そしてそれは娘にも語り継がれ、今では母娘揃って竜王ファンである。
「ふふふ、きっとエリザベスも羨ましがりますわ」
その言葉にアクラムは顔を引きつらせた。
「ズルいですわ!お父様!」そう叫びながら剣を振り回すエリザベスの姿が脳裏に浮かんだのだ。
「あの子は何であんなに過激なんだ……いったい誰に似たのか」
ため息をついたアクラムは、妻の呆れた眼差しには最後まで気付かなかった。
「陛下にご報告がございますわ」
「聞こう」
姿勢を正したツェツィーリヤにアクラムも真剣な顔で応じる。
「世界会議の最中に、わたくしが視察へ向かったことはご存知の通りですが……途中で賊に襲われたのです」
「何!?大丈夫だったのか!?」
「はい。重傷者こそでましたが、駆けつけた冒険者のお陰で事なきを得ました。ただ……ここ最近、貴族を狙った襲撃が多いようです。調べましたらこの1月の間に6件ほどございました」
「何だと!?そんな報告は受けておらんぞ!!」
立ち上がり部下を呼ぼうとするアクラムの腕を、ツェツィーリヤは引っ張ることで止める。
「落ち着いて下さいまし。話はまだ終っておりませんわ」
その言葉にアクラムはムッツリと黙り込むと、ドスンと音をたてて座り直した。
「それで?」
「はい。どうやら全ての事件で大した被害が出なかったたために、誰も気に止めなかったようですわ。汚染獣の襲撃で民も不安を感じていますし、瘴気の影響で農作物にも影響が出ておりますので、盗賊崩れの仕業だと判断したのでしょうね」
「だが警護の厚い貴族が狙われるなど……」
「一件だけならまだしも、この数は異常ですわね」
どこか組織的な動きを感じるが……それにしてはやり方がお粗末と言わざるを得ない。
陽動か、それとも他に狙いがあるのか。
「襲われた貴族に共通点はあるのか?」
「いえ、特にそう言ったところはございません。ただ、孤児院への慰問や視察など、予め日程が決められていた用事の途中で襲われたようです」
つまり、貴族の予定を知ることの出来る立場の人間。
複数の貴族が襲われたことを考えるに、使用人ではあり得ない。おそらくは貴族が直接絡んでいるのだろう。
「襲われた者の派閥はどうなってる?」
「それが……困ったことにバラバラなのです。ただ2つの襲撃事件に関わった冒険者がおりますので、話を伺えば何かしら分かるかもしれませんわ」
「そんな偶然があり得るのか?そいつらが襲撃者側の関係者ではないのか?」
眉を顰めたアクラムの疑念に、ツェツィーリヤはポンッと両手を合わせる。
「それでしたら直接話してみればよろしいかと。丁度王宮に滞在しておりますし」
「はあ!?牢屋……じゃないんだよな?」
「ふふふ、わたくしの恩人を流石に牢屋へは入れられませんわ。先方はどうやらリィンへ向かっている途中らしく、今は無理矢理引き留めておりますの」
扇で上品に口元を隠して笑うツェツィーリヤに、アクラムはグリグリと眉間を揉む。
「どういうことか説明してくれ」
「まず、わたくしを助けた冒険者はAランクパーティ“輝く剣”、今までは中部諸国で活動していたようです。話を聞いた所、一番最初の被害者セオドリク・マリオット伯爵を暴漢から救ったのが彼らでした。勿論マリオット伯にも確認を取っておりますわ。それから護衛として雇っていたそうですが……元々の目的が試練迷宮であるらしく、継続を断ってリィンへ向かう途中だったようです」
「それは……襲撃とは無関係なのか?」
「恐らくは、としか言いようがありませんわね。当初は褒賞を渡そうと王宮へ招いたのですが、最初の襲撃事件にも関わりがありますでしょう?何かヒントにでもなればと、滞在して頂いているのですわ。ただ、あまり長いこと留めれば冒険者ギルドが黙っていないでしょうし、一度陛下にもお会いして頂ければと」
確かに有望なAランクパーティともなればギルドも黙ってはいないだろう。
「調書はもう取ったのだろう?」
「ええ、皆さま協力的でございました」
「ならば、私が話を聞いたところでどうかなるとも思えんが……ツェリの恩人ともなれば礼を言わねばなるまい」
アクラムは侍女を呼び寄せると晩餐に“輝く剣”を招待するように申し付けた。
◇◇◇◇◇◇
「この度はお招き頂き感謝します」
そう言って頭を下げたのは、厳つく貫禄のある男。
恐らくは“輝く剣”のリーダーなのだろう。次いで後ろに控えた3名が頭を下げた。
「いや、礼を言うのはこちらの方だ。お前たちのお陰でツェツィーリヤは怪我もなく無事戻ることが出来た。感謝する。さあ、立ち話もなんだ掛けるといい」
全員が席に着いたのを見計らい、給仕が食事を運んでくる。
普段であれば前菜から始まって順々に料理が提供されていくのだが……客人が冒険者だということもあり、全ての料理が一斉に並べられた。
「自己紹介がまだだったな。私はアクラム・ヴァン・ジュール・シリカ。この国の国王だ。そして、もう知っているだろうが……隣に座っているのが王妃のツェツィーリヤだ」
「Aランクパーティ“輝く剣”のリーダーをしております。ドマノフと申します」
「同じく“輝く剣”のルイージです。お見知りおきを」
「同じく“輝く剣”のギネモアですわ。国王陛下にお会いできるなんて夢のようです」
「同じく“輝く剣”のアサトと言います。よろしくお願いします」
アクラムの目が1人の男……いや、アサトと名乗った少年を捉える。
その瞬間、冷たい汗がアクラムの背を流れた。髪こそ薄い茶色をしているが、黒い目に彫りの薄い顔、黄みがかった肌――異世界人の特徴だ。
(……罠だ)
内心の動揺を押し隠して、アクラムは笑顔で食事を勧める――気取られるわけにはいかない。異世界人は固有魔法を有しているのだから。
当たり障りのない会話をしながらも、食事を終えたアクラムは席を立つ。
「すまないが、少々席を外させてもらう。ツェツィーリヤ」
アクラムの意を汲み取ったツェツィーリヤがドマノフに冒険譚をねだるのを横目で見つつ、彼はゆったりと出口へ向かって歩く。
妻を敵の前に置いて行くのは気が引けるが、怪しまれることなく時間を稼ぐ必要がある。
心の中でツェツィーリヤの無事を祈りながら執務室へと向かったアクラムは、扉を閉めるなり防音の魔道具を起動させた。
「もう、これを使うのか」
アクラムは自分の指にはまっている指輪を見つめる。
世界会議でセルギオスから貰った通信の魔道具だ。ガッシュへ先に連絡することも考えたが、異世界人に関する情報は世界を左右する重大なモノ。
アクラムは指輪の使用を決断した。
ガチャ……
僅かに響いたその音に、アクラムは指輪を手の中に隠して振り返った。
「誰も入れるなと言った……」
だがその言葉は途中で途切れ、最後まで続けられることはなかった。
何故なら、そこにいたのは異世界人と思わしき人物だったのだから。
「陛下、何をしてるんですか?」
笑顔を浮かべて歩み寄る朝人に、アクラムはじりじりと後ろへ下がる。
多くの疑問が彼の脳裏に浮かぶ。
――ツェツィーリヤはどうなったのか。
――一体どうやってここまで来たのか。
――扉の前に立っていた近衛騎士はどうしたのか。
まるで他の人間が全て消えてしまったかのような錯覚に襲われる……が、それは直ぐに誤りだと気付いた。事態はより深刻だと。
「あなた、どうなさいましたの?」
朝人の背後から現れたツェツィーリヤが、いつもと変わらぬ笑顔で問う。その細い首に自ら刃を宛がって。
プツリ
流れ落ちた深紅の血がツェツィーリヤのドレスを汚していく。
「やめろ!!」
ツェツィーリヤの命よりも報告を優先させろ、王としての理性がそう叫ぶ……が、彼が選んだのは妻の命。
アクラムはツェツィーリヤの手首を掴み、刃をその首から引き離した。
――この瞬間、1つの運命が定まった。
シリカに動乱の幕が上がる。
多くの血が流れ、多くの命が失われるだろう。
全ては愚昧にして優しき王の選択の結果。
「チェックメイト」
アクラムの首にひんやりとした手が触れた。




