瘴気に侵されし国の末路
(楽しい)
それがガッシュの感想だ。いや、笑いながら戦っているところを見るとロキもそうなのだろう。
この200年間、自分と同程度の実力を持つ者などいなかった。人種は脆過ぎ、ヴィルヘルムは強すぎたのだ。
漸く思いっきり戦える存在にガッシュは嬉しくなる。好敵手など、もう出来ぬものだと思っていたのだから。
ガッシュ目掛けて突っ込んできたロキの翼をひょいっと避ければ、背後にいた汚染獣が断末魔の悲鳴を上げる。
お返しとばかりに、ガッシュはロキ……の真後ろにいる汚染獣目掛けて〈虚空消滅〉を魔力弾にして放つ。
次の瞬間、ロキが悪童のように嗤った。
嫌な予感に警戒を強めれば、背後にロキの魔力の気配。
即座に回避行動を取ったのは、ガッシュの本能の為せる業か。
掠めるようにガッシュを通り過ぎた魔力弾が汚染獣を消滅させた。
ロキの前に広がった深淵を見て、ガッシュは原理を理解する。
ロキは深淵を2つ用意したのだ。自分の前とガッシュの背後……入口と出口だ。
つまり魔力弾を一旦深淵に取り込み、そのまま別の出口から吐き出したのだ。
こういう使い方もあるのか、と感心すると同時に悔しく思う。
戦いが終わる前に1発は当てたいところだ。ガッシュが更なる魔力弾を作ろうとしたところで――ソレは起こった。
魔力がガッシュとロキを包み込んだかと思えば、一瞬にして空高くへと引っ張り上げたのだ。
「「げえ!!」」
その魔力が誰のものか察した2人は顔色を悪くする。
地表は既に遥か彼方。逃げることは叶わない。白い雲を突き抜けた先には、多くの竜種が整列していた。
2人は竜種……ではなく、その前に佇むヴィルヘルムを注視しする。
側にルーファの姿が見えないことに彼らは同時に天を仰いだ。
「終わった……」
果たしてそれはどちらの言葉か。いや、どちらにせよ2人の心情を代弁していることに変わりはない。
なればこそ、ヴィルヘルムの次なる言葉は彼らにとって意外なものであった。
「よくやった」
まさかのお褒めの言葉に……ガッシュは罠かと疑い、ロキは逃走経路を計算する。
疑り深い2人の性格を嘆くべきか、ヴィルヘルムの日頃の行いを嘆くべきか、微妙なところだろう。
「ロキの成長は我も驚くほどだ。それを手助けしたガッシュも評価に値する」
「おお!」と喜色を浮かべた2人にヴィルヘルムは続ける。
「互いに協力し合うことも正しき判断ぞ。だが、瘴気の排出を全てロキに任せるのは頂けぬ。特訓は受けてもらうぞ。良いな、ガッシュ」
「分かった」
瘴気の排出はガッシュにとっても急務であるため否やはない。
ルーファかロキが側にいなければ戦えぬなど、戦士たるガッシュにとって屈辱の極みだ。
ガッシュはやる気を漲らせ、逆にロキは冷めた様子でそれを見つめる。
彼らは気付かない。ヴィルヘルムがにこやかに笑っていることに。
「では最後のレッスンに移る」
「「……れっすん」」
ロキとガッシュの目から光が消えた。
既にお仕置きはないと思っていた彼らの気分は……天国から地獄だろうか。
「ロキ」
「はっ!」
名を呼ばれて姿勢を正すのは、最早反射の領域だ。ヴィルヘルムの教育の成果だと言えるだろう。
「深淵を広げよ」
ヴィルヘルムに言われるがまま、ロキは深淵を展開する。ロキを中心に闇が大地を覆い尽くし、それに巻き込まれた汚染獣の身体が……沈む。
それは死の沼。
一度捕まったが最期、逃れることは叶わない。
蜘蛛の巣に捕らえられた蝶のように
水に溺れた人のように
我武者羅に腕を動かすその姿は哀れの一言。
嘆きの声も、怨嗟の声も、やがて深淵へと呑み込まれ……全てがロキの糧へと変わった。
――これが“深淵”
闇黒よりも尚深く
漆黒よりも尚昏く
全てを貪欲に呑み込むモノ
深淵をのぞく時……あなたは既に深淵の一部である。
深淵を操る〈深淵ノ化身〉とはロキの切り札であり、非常に使い勝手が良い力だと言える。
視認できる範囲であれば好き勝手移動できるし、自分を基点に広げればかなり広範囲まで広げることが可能だ。
ただし、これは取り込んだものを解析・再現することが主たる力であるために、その本質は攻撃ではない。要するに、“死”というものは汚染獣を分解し、吸収する過程で得られる状態の一種に過ぎないのだ。
この過程でロキは敵の全てを知る。
弱点も、力の性質も、肉体の構成要素も全てだ。そして……解析したモノをロキは自身の肉体へと再現できる。
例えば触手。汚染獣が身体の一部を触手に変える力には、当然メカニズムがある。
ロキはそのメカニズムを自身に反映出来るのだ。ロキが望めば手や足を触手に変えることも可能だ……気持ち悪いのでやらないが。
「それが限界か?」
深淵の先を見つめ問うたヴィルヘルムに、ロキは頷きで以て応える。
アンセルム全域を覆うまではいかぬものの、その範囲は規格外だと言ってもよい。視認できる範囲は全て深淵で覆いつくされているのだから。
「ロキの課題は眼に関する権能を集めることか。遠視系と透視系の権能があれば応用の幅が広がろう」
ロキにはありとあらゆる権能を手に入れる力がある。
バーンの武王魔法しかり、アイザックの暗殺魔法しかり。
だが……それらの強力な権能ではなく、ヴィルヘルムが指示したのは遠視と透視。
ロキはヴィルヘルムが求めるモノを正確に理解した。
遠視系と透視系の権能が揃えば、離れた場所の屋内であろうと深淵を展開することができる。
つまり、近付かなくとも誰かを秘密裏に消すことも容易。
暗殺と諜報――これが自分が担う役割なのだろう。
ロキは僅かに口角を上げる。
元より彼は闇の住人。〈呪縛眼〉を利用すれば手足となる奴隷を用意することも容易い。
ヴィルヘルムが圧倒的な武威を誇るなら、自分はあらゆる情報を支配しよう。
ルーファを狙う者を炙り出し、秘密裏に処理する。
それは何と心踊ることか。
想像するだけでロキの身体は甘く痺れるほどだ。誰よりも早く敵を屠るのはヴィルヘルムではなくロキなのだから。
ガッシュは……まあ、ルーファの飼い犬としてなら置いてやらなくもない。
だがそのためには……もっと“力”が必要だ。
「ヴィルヘルム、転移系も欲しい。ドラグニルにはいないのか?」
「中々良い着眼点だ……セルギオス」
「はっ!」
「聞いておったな?遠視・透視系と転移系の持ち主を探せ。魔物でも構わぬが上位格魔法に限定する」
「畏まりました」
笑みを深めたヴィルヘルムはロキへと近づき、その頬を優しく撫でる。
「他に欲しい力はあるか?」
それはまるで悪魔の囁き……悪魔はロキだが。
古今東西悪魔との取引とは、ナニかを犠牲にして成り立つモノ。
ロキはぞくり、と肌を粟立たせると、本能が命じるまま口を開く。
「いや!後は自分で何とかするからいい」
「…………そうか」
どこか残念そうに返事をしたヴィルヘルムに、ロキは自分がお仕置きの罠を掻い潜ったことを確信した。
ここで遠慮なく権能を要求すれば、「自分でどうにかする気概もないのか」とか言われてめった打ちにされたに違いない。
「まあ、良い。次はガッシュだ」
そしてターゲットがガッシュへと移った。
顔を引き攣らせたガッシュに近付いたロキは、ポンっと肩に手を乗せ爽やかに笑う。
「頑張れよ」
「クッ!」
殺意の籠った目で見られてもロキはどこ吹く風。いや、むしろニヤニヤしながらガッシュを眺めている。
ガッシュはロキを視界から排除し、深呼吸する。まずは〈虚空ノ眼〉だ。
〈虚空消滅〉はこの眼で見たものに働きかける力。ロキの深淵とは違い、もう一手間かかるのが難点だ。
ガッシュの蒼き眼が輝き、空間ごと全てが消……
ズブリ
行き成り右目を貫かれたガッシュはくぐもった声を上げた。
普段は即座に再生が始まるはずだが……未だにヴィルヘルムの指が入り込んでいる現状、それは不可能。
残った左目で睨みつけるが、彼は涼しい顔で佇んでいる。
「そなたは〈虚空ノ眼〉の効果範囲を知っておるか?」
グチャグチャと眼窩を掻きまわすヴィルヘルムに、堪らずガッシュはその手を掴むが……ギリギリと力を込めても、まるで巌のようにびくともしない。
「目で見えた範囲だ」
酷い頭痛を堪えながらもガッシュが掠れた声で答えた瞬間、ヴィルヘルムの指が更に奥へと侵入する。
脳内を掻き回される衝撃に、ガッシュは反射的に後ろへ下がろうとするが、その動きは髪を掴まれたことにより封じられた。
「愚かな返答だ。〈虚空ノ眼〉は空間を掌握する力。眼帯をつけても変わらず見えることも、その力の一端よ。故に眼を失ったところでその力は消えぬ。それは肉体ではなく魂に由来する力だからだ。眼に頼るな、魔力で視よ」
眼に関する権能には特徴がある。肉眼に依存するものと、そうでないものとだ。
肉眼に依存するモノは直接目で見なければ発動しない。ヴィルヘルムの〈神竜ノ眼〉とロキの〈叡智ノ眼〉がこれに当たる。
そして、もう1つのタイプは空間系に分類される力だ。ルーファの未来視がその最たるモノ。未来は決して肉眼で見ることが叶わぬ領域なのだから。
「そなたの殺気は中々に心地よい」
止まることなく流れ落ちる血がガッシュの右顔面を真っ赤に染めあげ、獣のような唸り声がその口から洩れる。
その姿は手負いの獣そのものだ。もし今手を放したのなら、間違いなく喉笛を喰い千切られることだろう。
「早くせよ。それとも……もう片方の眼も潰されたいか?」
ヴィルヘルムから放たれた殺気が、ガッシュを僅かに正気へと戻す。
荒く呼吸を繰り返し、ガッシュは集中する。意識するのは空間だ。
「そうだ。立体的に魔力を広げよ。それがそなたの領域」
声に導かれ、ガッシュは円形状に魔力を編み込んでいく。
完成したのは自分を基点とした真円の空間。
「支配せよ。全てを己が魔力で染め上げ掌握するのだ」
出来上がった空間に、ガッシュは一気に魔力を流した。
(見える)
ヴィルヘルムが、ロキが、そして竜の背の上で眠るルーファが。
宙に舞う砂が、通り過ぎて行った風の形が、本来見えぬ筈の地面の中でさえ。
今まで感じなかったものを感じ、その情報量の多さに目眩を覚える。
「それがそなたの本来の視野。その眼に死角は存在せぬ」
解放されたガッシュは、再生した目を開く……が、広がる2つの視界に思わずもう1度目を閉じた。
慣れるまでには時間が必要なようだ。
「〈虚空ノ眼〉はそなたが思うより高性能ぞ。今までは目に映った空間を消しておったようだが、本来は消す対象を選べるもの。もっと深く見れば概念ですら見えよう」
「概念……?」
「例えば時間。時間の概念を消滅させればどうなるか……時間がなければ動くことは出来ぬ。つまり支配空間において自分以外の時間を止めることが可能ということ」
消滅以外の使い方があったことに驚きで目を見張ったガッシュは、同時に自分の未熟さを思う。
自らの力すら理解できていないなど戦士として三流もいいところ。ガッシュはロキに偉そうに講釈を垂れていた過去の自分を恥じた。
自分は気付かぬ内に傲っていたのだろう。超越種としての強さに。
「まずは自分の空間を完全に掌握することだ」
考え込んでいたガッシュはハッとして顔を上げた。
先程まで感じていたヴィルヘルムに対する怒りは消え失せ、あるのは強くなれる喜びか。
「ありがとう……」
口をついて出た言葉に、ガッシュは恥ずかしくなってそっぽを向いた。
M属性なのかもしれない。
「感謝は強くなることで示すことだ。帰るぞ」
そう言って、乱暴にガッシュの頭を撫でたヴィルヘルムは掌の上に炎を作り出す。
それは手のひらサイズの小さき炎。
風吹き荒ぶ上空において、その炎は蝋燭の火の如く頼りない。
ヴィルヘルムが手を傾ければソレは重力に従い……落ちる。
…………
…………
ボウっ!
大地へ炎が花開く。
それは美しき終焉の花。
全てを滅ぼし、全てを終わらせる。
古きを滅ぼし、古きを終わらせる
滅びの使者にして新たな到来を告げるモノ。
炎はアンセルム全域を覆い尽くし、生き残った街も全て平らげた……汚染獣と共に。
後に残ったのは新たに生み出された荒野だけ。
この日、アンセルムは地図上から消えた。
生き残りは――いない。
完全なる滅亡だ。
これで第三章世界会議は終了です。
都合により、1、2ヶ月ほど休ませていただきます。
ご迷惑をかけますが、これからもよろしくお願い致しますm(__)m




