淡い恋心
ノックもなしにマサキの部屋へと入ったヴィルヘルムはソファーにだらしなく寝そべり、何やら青く薄い箱をじ~と眺めているマサキに近づき声を掛ける。
「それは何ぞ」
「うわあ!!」
器用にソファーの上で跳ねるマサキを感心したように見つめ、ヴィルヘルムは青い箱を取り上げる。
「あ!ちょ!俺のスマホ!!」
「スマホ……?異世界の道具か?」
言葉と同時にヴィルヘルムの手の中から素早くスマホが奪い返された。
力ではヴィルヘルムが勝っているが、スピードではマサキが上回っているのだ。もし先の戦いでヴィルヘルムが〈人化〉して戦っていれば、勝敗は逆転していたかもしれない。身体の大きい竜形態はマサキにとって格好の的であったのだから。
空っぽになった己の手の平を見つめ、不機嫌そうにマサキに目を向けたヴィルヘルムは、先程まで彼が触っていた箇所を丁寧に服で拭っているマサキの姿に青筋を立てる。
ヴィルヘルムは静かにソファーへ腰を下ろすと、その腕をマサキの肩へ回して引き寄せた。
「マサキよ、我は何かと聞いておるのだ」
マサキの耳元で囁かれたその声音はねっとりと優しい……が、彼の竜爪はピキピキと音を立てて伸び続けている。
「ヒィ!あ、あのヴィルヘルムさん、爪が食い込んでるんですが……」
「何ぞ文句でもあるのか?」
にっこりと笑ったヴィルヘルムに顔をひきつらせたマサキは、そっとスマホを差し出した。
当然のようにそれを受け取ったヴィルヘルムはマサキを解放し、〈竜眼〉で詳細を調べ始める。アカシックレコードはこの世界の記憶しか載っていないため、残念ながら異世界の道具を調べることは出来ないのだ。
「それさぁ、スマホって言うんだけど充電切れてて使えないんだよね。くそぅ!!麗しのカトレアをカメラに収められないとわ!何という不条理!世界に対する冒涜である!!」
ぶぅぶぅ文句を垂れるマサキを適当にあしらいながら、ヴィルヘルムはスマホの解析を進める。
「ふむ、なるほど。こちらにはない技術だ」
言葉と同時にヴィルヘルムの手の平に魔法陣が浮かび上がり、スマホを包み込んだ。
雷魔法・最下級〈静電気〉だ。人を驚かす以外役に立たぬ魔法として有名であったが、この日別の使い道が判明した……異世界の携帯電話限定であるが。
「あー!!何すんの!俺の可愛いスマホちゃんが!」
あわあわとおかしな動きをするマサキに、ヴィルヘルムはスマホを差し出した。
「使ってみよ」
ヴィルヘルムとスマホを交互に見つめていたマサキはスマホを受け取ると、そ~と電源に手を伸ばす。
「なにぃ!充電率100パーだと!?ヴィルヘルム、天才か!!」
カシャカシャとシャッターを切りながらヴィルヘルムを試し撮りしていたマサキは、自慢げにスマホの画面を彼に向ける。
「見るがいい!これが俺の世界の技術力だ!!」
そこに映る自分の姿に眉1つ動かすことなく、ヴィルヘルムは足を組み換えた。
「この世界にもカメラはあるぞ」
その言葉に打ちのめされたマサキは床に亀のように丸まり、絨毯の毛を握りしめる。
「まさかの技術力現世レベルだと!?これじゃぁ、知識チート出る幕ないじゃん!!」
「何を訳の分からぬことを呟いておる。そなたに話がある。座れ」
ヴィルヘルムはマサキの襟首を掴むと強制的に自分の隣へ座らせ、話を切り出す。
「カトレアは止めておけ。別の雌にせよ」
「はあ!?何で!?」
ヴィルヘルムに詰め寄り、その襟元を掴むマサキに僅かに眉を顰めながら、彼は言い聞かせるようにゆっくりと語りかける。
「神獣と人種の間で子が出来たことは今まで1度もない。そもそも神獣は神気から生まれるもの故、同種間であろうと子が生まれた事例すらないのだ。目的を忘れてはならぬ。生きたくば人種を選べ」
大きく目を見張ったマサキはぎゅっと唇を噛み締め、何かを絶えるように俯いた。
「…………だ」
「……マサキ?」
小さく口の中で呟かれた言葉を聞き取ろうと屈みこんだヴィルヘルムをマサキは思いっきり突き飛ばした。
その馬鹿力によろけたヴィルヘルムの腕を押しのけ、マサキは扉へと走る。
「マサキ!!」
「ヤダね!!バーカバーカ!ヴィルヘルムのバーカ!!」
そのまま走り去ったマサキにヴィルヘルムはテーブルを殴りつけた。
「クソッ!!」
そのまま深くソファーに凭れ掛かり天井を仰ぐ。
「……マサキ。カトレアはもうじき死ぬ」
言えなかった言葉を呟き、ヴィルヘルムは天井を見つめ続ける。まるで、そこに何らかの答えがあると言わんばかりに。
やがて音もなく立ち上がった彼は窓から身を躍らせる。静かな空間に彼の立てた羽音だけが僅かに空気を震わせた。
◇◇◇◇◇◇
「全く!ヴィルヘルムは全然分かってないし!」
マサキにとってこれが初恋である。諦めることなど考えられない事なのだ。
ブツブツと愚痴を垂れ流している姿とは裏腹に、彼の手は優しく花を手折っている。綺麗な紫色の花は、まるでカトレアの瞳のようだとマサキは思う。それに白い小さな花を添えて花束を作ったマサキは満面の笑みを浮かべ、神獣騎士を探して歩き出した。
カトレアの神域に行くには彼らの協力が必須なのだ。
暫く歩くと白い服を纏った騎士を発見し、近寄っていく。
「あの!すみません!カトレアのところに行きたいんですけど」
ジロリと睨まれたマサキは反射的に身を縮こまらせる。
先日のこともあり、マサキは騎士とか王様とか身分のある人がどうも苦手だ。そもそも彼らの様な身分は日本にはなかったため、まず接し方が全くと言っていいほど分からない。元より畏まったことが苦手なことも相まって、思わず緊張してしまうのだ。
「……ご案内いたしましょう」
思ったより丁寧な対応にマサキは安堵の息を吐く。これは騎士たちが、ヴィルヘルムとマサキに絶対に無礼を働いてはならない、とカトレアよりきつく申し付けられているためだ。
自分より遥かに大きい男を見上げ、マサキは心の声を呟いた。
「デカい……」
神獣騎士はとにかく身長が高く、全員ガッチリとした体格を誇っている。
ヴィルヘルムも体格が良いことからも、この世界の人間は全員背が高いのだろうか、とマサキは劣等感に苛まれる。実はカトレアも身長が高く、マサキとそれ程変わりないのだ。
「自分は巨人族ですので。これでも〈縮小〉を使い小さくなっているのです」
実はカトレアの神獣騎士の大半は巨人族で構成されており、平均身長は世界単位で見ても飛び抜けていたのだ。
その理由は、単純に寒さに最も強い種が巨人族なためである。女を含め全員が190センチ超えとなる。
「えっ!!これで小さくなってんの!?じゃ、じゃあ実際はどの位の大きさで?」
好奇心に負けて尋ねるマサキにムッツリとしたまま男が答える。
「6メートルと少しです」
あんぐりと口を開けたマサキは「さすが異世界。マジパネェ」と口の中で呟いた。
これ以上は会話が弾むこともなく、暫く歩くと小さな森が見えて来た。
森と言っても普通の森ではなく、氷でできた樹が生い茂る白い森だ。ここがカトレアの神域の入口。許可なく立ち入れば、二度と出ることが叶わぬ死の領域となる。
男は懐から体格に似合わない小さく可愛いらしいベルを取り出し鳴らす。
リリリン
リリリン リリリン
リリリン リリリン
リリリン リリリン
リリリン……
幾重にも聞こえる不思議な音色が響き、冷たい風がマサキの頬を撫でたかと思えば、彼らの目の前にはあたかも最初からいたと言わんばかりに、カトレアが微笑みを浮かべ佇んでいた。
「マサキ、よう参られました。こちらに」
マサキは初めて会った日から毎日のようにカトレアの元へと通っている。それでも未だにドキドキする自分の心臓を落ち着かせながら、差し出された手に自分の手を重ねた。
次の瞬間、彼は白銀色の若木の側にいた。先程まで自分を案内してくれた騎士の姿は見当たらない。
「これ!!カトレアに」
そう言って先程摘んだ花束をカトレアに差し出す。
「ほほっ、毎日ありがとうございます」
「敬語はいらないって言ってんじゃん!普通に話して欲しいんだけど」
カトレアは困った様にマサキを見つめる。
「主様は竜王様の御連れの方。無礼を働くわけには参りませぬ」
「ヴィルヘルムはヴィルヘルム!俺は俺なの!!」
ごねにごねるマサキに苦笑し、カトレアは提案する。
「ならば、2人だけの時だけでよければ普通に話しましょうかえ?」
マサキは嬉しそうにコクコクと何度も頷く。
それからは他愛もない話をした。
マサキの世界の事、彼がこの世界に来てからどうやってここまで辿り着いたかを面白おかしく語って聞かせる。その話に相槌を打ち、時には笑いながらカトレアは楽しそうに耳を傾けている。やがて空が夕焼け色に染まる頃、名残惜し気にマサキが立ち上がった。
「今日はもう帰るよ。明日もまた来ていい?」
快く頷いたカトレアの姿に、マサキはパッと笑顔になる。神域の端まで送ってくれたカトレアにぶんぶんと大きく手を振りながらマサキは走り去っていった。
マサキの姿が見えなくなったと同時にカトレアの顔から笑顔が消え、その姿もまた空気に溶けるように消え失せた。
神樹に背を預けながらカトレアはマサキのことを思う。
最初はおかしな人種だとそう思った。でも彼は……他の者とは全く違った。
カトレアは神獣だ。家族と言えば、同じ神獣である兄様と姉様。彼女は最も若い神獣であるため弟妹は存在しない。
彼らはカトレアに優しく、いつも可愛がってくれていた。そんな彼らは……もういない。ヴィルヘルムが作った山より北に神域を構えているのはカトレアただ1人だけ。
最初は家族の無事を信じた。
きっとここまで逃げて来るに違いないと。だがそれも儚い夢と散った。誰も……誰一人としてカトレアの元へ辿り着きはしなかったのだから。
彼女が生まれてから僅かに300年、彼女の経験は浅い。今まで何か困ったことがあれば、必ず家族が助けてくれた。だが最早彼女を助ける者はいないのだ。
彼女は唇を噛み、必死に前を向く。
泣き崩れそうになる身体を叱咤して凛と立ち続ける。
人種に希望を与え導くことこそ神獣の役割。不安な表情は見せられない。神獣としての責務を果たす時が来たのだ。
そんな彼女を神獣騎士は守り、敬い、畏怖する。否、彼らはカトレアを守っているのではない。神獣を守っているのだ。
そんな中、彼女はマサキに出会った。
マサキは彼女を神獣としてではなく、ただの少女カトレアとして扱ってくれた。それは彼女にとって衝撃であった。人種は神獣を信仰し、彼女を崇め奉る。それがこの世界で生きる者の普通の反応なのだから。
マサキを見て、最初に思ったのは家族の存在。
家族のように一点の曇りもない愛情で彼女に接する温かな人。でも……それは違った。
マサキはカトレアを喜ばそうと彼は毎日色々なプレゼントを持ってくる。それは決して高価なものではない。美味しそうな木の実、綺麗な花、珍しい色の石。彼女はそのプレゼントよりも、照れたようにそれを渡すマサキの存在に癒されていた。
彼の話は面白い。
身振り手振りを交え、時には大げさに時には面白おかしく今までの出来事を語る。彼は……辛い目に遭ったはずなのに。
家族から、友人から、世界から切り離され、こちらの世界へと召喚された。それはどれほどの悲しみなのだろうか。
だが……彼はそんな悲しみなど感じさせない明るい声で良く笑った。彼女はその笑顔に何度救われたか分からない。彼の前では、彼女は神獣ではなくただのカトレア。
何もかも放り出して彼の手を取れたのなら……身勝手な思いに彼女は俯く。
本当は分かっている。マサキと仲良くしてはならないことを。それは……マサキを傷つけることになるのだから。突き放さなくてはならない、そう思いつつもマサキの優しさに縋る己の弱い心に彼女は自嘲する。
もっと別の出会い方であったのなら、とそう思わずにはいられないほどに。
(……残された時間は後僅か)
彼女の命はあと3日。
その日、双子月は満月を迎え、神獣の力が僅かばかりとはいえ高まる時だ。
「マサキ……ごめんなさい」
頬を伝う涙を拭うことすらせず、彼女は何度も何度もマサキに謝った。もし自分の心がもっと強ければ、マサキを傷つけなくてすんだだろうに、と。