フォルテカの奇跡④
キアラは空に浮かんでいた。
これがヴィルヘルムの力だと分かってはいても人生初の体験に、彼女は恐怖で身体を震わせる。
「キアラ様」
そう言って彼女の手を握るのは近衛騎士団長にして数少ない固有魔法士でもあるアルブレヒト。彼女が最も信頼する部下の1人だ。
アルブレヒトにぎこちないながらも微笑みを浮かべ、キアラは深呼吸すると顔を上げる。
そこには先程あった恐怖も不安も何1つ浮かんではいない。あるのは……大公キアラとしての“顔”だ。
「フォルテカの民よ、わたくしはキアラ・ファウス・マギ・フォルテカ。よくぞ今まで生き延びました」
その声はクルルカの民全てに届いた。街の中にいる者も外にいる者も皆等しく。
誰もが耳を疑いキアラの姿を探し首を巡らせた。
運の良い者は目にすることが出来ただろう――空に浮かぶその姿を。
「竜王様と神獣様が我らのために助けに来てくださいました。ですが脅威はまだ去ったわけではありません。わたくしの声が聞こえたのなら、西門の外へ集まりなさい!」
キアラの声が1つの指向性を与えた。
闇雲に逃げ回っていた民衆に目的ができ、それはやがて希望へと変わる。
彼女が西門の外を指定したのは単純な理由からだ。
瓦礫で埋まった街中には民を集めるだけの広さはなく、炎の壁から最も遠い門が西門であったというだけ。
逃げ惑う人々が、汚染獣が入り込んだ東から西方面へと向かって逃げていたこともその理由の1つだ。
「落ち着きなさい!冷静に行動するのです!怪我で動けぬ者は報せを!」
声を張り上げながらも、キアラは驚嘆した……一体どこにこれ程の人がいたのか、と。
西門の外は人で溢れ、未だに多くの人が街の内外から集まり続けている。
キアラは嬉しく思う反面、訝しくも思う。これだけ多くの民衆が集まりながら、指示を出す者がいないということに。
所々に見える軍服を着た兵たちの数を見るに、生き残りは多いように思えるのだが……領軍は全くと言ってよいほど機能してはいなかった。
キアラは疑問を一旦胸に仕舞う。
検証は後でも出来る。今はとにかく避難が先だと言い聞かせて。
キアラが避難に精を出している間、ルーファはと言えば……ヴィルヘルムと空に浮かんでいた。
汚染獣を探して辺りを見回すが、相変わらず地中へ潜んでいるのかその姿を見ることは叶わない。
「ヴィー、汚染獣は近くにいるの?逃げたりしてない?」
「我の力で囲いを作っておる故、1匹たりとも逃がしはせぬ。ククッ、まあ無用であったが」
機嫌よさげに笑うヴィルヘルムにルーファは首を傾げる。
「何とも都合の良い展開だ。いや、それは向こうも同じか?」
その言葉は一体誰へのモノなのか。
片手でルーファの髪を弄りながらも、ヴィルヘルムの眼は東を向いている。
「ヴィー?」
不安そうなその声に、漸く金の眼がルーファを映した。
そこに浮かぶのは、いつもと同じ優しい笑み。だがそれは、この場において酷く不釣り合いだ。ここは戦場……いや、狩場なのだから。
人種を1箇所に集めたのは汚染獣に狩らせるため。謂わば、誘き寄せるための餌。
そして引き寄せられた汚染獣を狩るのは……ルーファだ。
「もうじき食事が終わる。我が狩りの仕方を教えよう」
ソレは唐突にやって来た。
人がまるでゴミのように空を舞い、地中より現れいでたるは漆黒の獣――知恵ある汚染獣だ。
「我の神竜呼気から生き残るとは……実に愉快。いや、生き残るという言葉は侮辱か。我の力に耐えきったのだ。見事と言うべきであろうな」
あの時、神竜呼気を感知した3体の知恵ある汚染獣は即座に融合し、1体へと変わった。莫大なる力を得たソレが次にしたことは……同胞を喰らうこと。
〈浸食〉が幾千幾万という汚染獣を取り込み、その力は知恵ある汚染獣へと還元された。
そして……逃げた。
只々ソレは逃げ続けた――終焉の力から。
その選択は正しかったのだろう。神竜呼気に身体を削られながらも、ソレは見事に生き残って見せたのだから。
既に周辺に汚染獣はいない――喰われたのだ。
ルーファが甦らせた草も木も、再びその姿を消した。
逃げ遅れた人種も、隠れ潜んでいた虫や獣も同様に。
「ここへ来るか……」
ヴィルヘルムが小さく呟いたその言葉は轟音に紛れ、誰にも届くことはなかった。
敵わぬと分かっていながら、死ぬと分かっていながら、知恵ある汚染獣はここに来た……高い知能を有しているにも関わらず。ならば当然、その行動には意味がある。
それこそが――“学習”。
一体の知恵ある汚染獣が学んだことは他の知恵ある汚染獣へとフィードバックする。
つまり、目の前にいる知恵ある汚染獣はヴィルヘルム、もしくはルーファの力を調べる為の捨て駒。そして、それが意味することは……
「……まだ他にも知恵ある汚染獣がいるということか」
一見不利に見えるこの状況もヴィルヘルムにとっては好都合。
彼の絶大なる破壊の力に弱点などないからだ。
問題があるとすればルーファだが……癒しの力たる“豊穣ノ神”は神獣が必ず有しているものだ。
まあ、上位版だが相手にそれは分かるまい。“迷宮ノ神”も迷宮を支配している時点で隠し通すことは難しいだろう。
ならば、隠すべきは“時空ノ神”と“創造ノ神”。この2つはルーファの切り札とも言うべき力なのだから。
『ルーファ、“豊穣ノ神”以外使ってはならぬ。〈結界〉もだ。防御は我に任せよ』
『わ、分かったんだぞ』
緊張のあまり声を強張らせたルーファを、ヴィルヘルムは抱き寄せる。
「何を恐れる必要がある。そなたには我が付いておるというに。汚染獣など我が敵ではない」
その言葉通り、知恵ある汚染獣は重力の檻に囚われ地面に押さえつけられている。そして空には……浮遊する人々の姿。
知恵ある汚染獣に派手に吹き飛ばされたかに見えた人々だったが、実際にそれを為したのはヴィルヘルム。
彼は交わした約定は必ず遂行する。キアラが約定に則り人種を一箇所に集めたのなら、それは必ず守らねばならぬ命だ――竜王の名において。
「落ち着きなさい!これは竜王様の御力です!心配はいりません!」
空を漂う人々はキアラの再三の呼びかけに落ち着きを取り戻しつつあった。
眼下には300メートルはあろうかという漆黒の獣が、牙を剥き出しにして唸り声をあげている。その禍々しき威容は圧巻の一言。
ビキリビキリ
それは大地があげる悲鳴。
それはヴィルヘルムの力に抵抗している証。
陥没と隆起を繰り返す大地の姿は、古代より連綿と続く地殻変動を思わせる。
形成された小さき山が、1つの生命体によって作り出されたと一体誰が想像できるだろうか。
人々は恐怖する――獣の力に、竜王の力に。
それは“災厄”だ。人が決して介入できぬモノ。
“大災厄”――かつてそう呼ばれた歴史の重みを、彼らは真に理解した。
叫び声をあげていた人々は嘘のように黙り込む。
せめてあの獣の注意を引かぬように、と。
彼らが固唾を飲んで見守る中で、先に動いたのは……竜王。
竜王が手を振れば獣がまるで木っ端の如く吹き飛んだ。あれだけ恐怖を抱かせた獣が小さく感じる程に。
気付けば、空を漂っていた人々は大地の上にいた。
そして……彼らを守るように、竜王と神獣が獣の前へと降り立つ。
「あれはルーファの獲物ぞ。好きに料理せよ」
それが開始の合図。
今まで囚われていた獣が解放され、轟音と共に大地を蹴った。
その狙いは明らかだ。一瞬で距離を詰める獣にルーファは慌てて〈豊穣ノ化身〉を放つが……獣は足を止めることすらしない。
ならば、とルーファは豊穣の力を矢に乗せ……射る!
ボン!ボン!ボン!
獣の肩が、腕が、顔が弾け……瞬時に再生する。
既に獣は目と鼻の先。グワリ、と開かれた巨大な口に、ルーファは過去を思い出す――友達が喰い千切られた姿を。
「いやあああああああ!」
ぎゅっと目を閉じたルーファを力強い腕が抱きしめる。
「目を閉じてはならぬ。前を見よ」
ヴィルヘルムの声が……遠い。
(怖い、こわい、コワイ……)
フェンの叫び声と噴き出した赤い血を、ルーファは今でも鮮明に覚えている。それは恐怖と絶望の記憶。
ルーファの身体は激しく震え、心臓はバクバクと鼓動を刻む。
イヤイヤ、と首を振るルーファの目から透明な雫が宙へと散った。
「ルーファ、選べ。戦わぬならそれでも良い。我が必ずそなたを守り抜こう。だが……そなたが戦う道を選ぶというならば、その目を開け。敵から目を逸らせてはならぬ」
いつもは甘いヴィルヘルムが、この時ばかりは逃げることを許さない。
「守って」そう答えるのは簡単だ。きっとヴィルヘルムは約束通りルーファを守ってくれる――今までと同様に。
それは甘美な誘惑だが……果たしてそれでいいのだろうか。
自分はフェンを失って何を思った。
守りたいと思ったのではないか。大切な誰かをこれ以上失うことがないように。
自分はフェンに誓ったはずだ。立派になると。誰かを守れる存在になると。
目を開けなくては……せめて心だけは強く在らねばならない。
それは失った友との最後の約束なのだから。
いつの間にか震えは止まり、ルーファは閉じていた目を開く。
「それが……そなたの答えか」
どこか残念そうに呟いたヴィルヘルムの前には、口を開けた状態で動きを止めた獣がいた。
フーッフーッと荒い息を吐く獣の口から、ダラダラと滴り落ちた黒い液体が地面を穢し、長い舌が何度も何度もルーファへと執拗に伸ばされるが……それが届くことはない。
「煩わしい害虫が」
不愉快そうにヴィルヘルムが呟けば、獣が再び宙を舞う。
大地を削りながら吹き飛んだ獣の行く末を見ることなく、ヴィルヘルムはルーファに囁く。
「我が戦い方を教えよう。汚染獣が再生する力が何か分かるか?」
「……魔法?」
自信なさげに答えたルーファの髪を優しく梳きながらヴィルヘルムは微笑む。
「そうだ。アレが有するのは暗黒魔法。全てを喰らう力だ。見よ、草木は勿論のこと虫や獣も既に喰いつくされておる。人種が無事なのは魂の格が高い故に魔法で取り込むことが出来ぬせいだ。これは魔物にも言えること」
ヴィルヘルムはそう言って背後にいる人種を指し示す。
成程、確かにここで生き残っているのは彼らだけだ。教えられなければ、そういうものだと思い気付きもしなかっただろう。
「汚染獣は常にこの魔法を発動しておる。喰らったモノをそのまま魔力に還元する〈浸食〉に、際限なく増え続ける〈増殖〉……常識はずれの再生能力もこの力の恩恵の1つよ。だが、真なる脅威は喰らうモノがある限り尽きることなき無尽蔵の力。謂わば、1つの永久機関と言えよう。分かるか?力の流れが。アレは何処からエネルギーを得ておる?」
ルーファはじっと目を凝らす。
そうすると、今まで見えなかったものが見えて来る。
それはまるで樹だ。地中深くに根を下ろし、養分を吸い上げる黒く悍ましいナニか。
「大地から?」
「そうだ。空気中にも干渉しておるが、その範囲は狭い上に餌となるエネルギーもそこまで多くはない。故にあれらが喰らうのは大半が地中からだ。ならば大地とアレを切り離せば良い。そなたであれば簡単にできよう」
切り離す……その言葉から思い浮かぶのは“時空ノ神”の権能〈多次元結界〉と〈異界〉。
だが……ヴィルヘルムは戦いの前に“豊穣ノ神”以外使ってはいけないと言った。ならば、該当するのは1つだけ。
「〈神ノ領域〉」
ルーファを基点に力が発動する。ただし、発動したのは劣化版の〈神域〉だったが……それでも十分。
白い、白い空間が広がる。
そこは神気溢れる真白き大地。
一面に咲き乱れた水晶の花がシャラシャラと澄んだ音色を響かせ、白銀色の光が蛍火の如く大地より揺蕩う。
ルーファは王であり、神であり、世界そのもの。
ルーファの意思に従い瘴気が一欠けらも残さず消え失せ、邪に傾いた魂すらも白く染め上げる。
そこは清廉にして歪な世界。
そこは神聖にして冷酷な世界。
ルーファの認めたモノだけが存在することを赦される、完全なるルーファの領域。
「感じるか?アレはこの世の全てから切り離された哀れな贄だ。さて、ルーファはどうしたい?まだまだアレは元気が良いぞ」
愉し気に嗤いながら、ヴィルヘルムはルーファの髪へと口付ける。
その視線の先には、飢えに苦しみ、神気に侵された哀れな獣がいた。
グアアアアアアアアアアアア!!
目に狂気を宿し、獣はルーファへ肉薄する。されど、ルーファの心に波紋1つ立ちはしない。
ルーファは世界を感じる。
アカシックレコードを完全に掌握しているヴィルヘルムよりも、全ての叡智を見通すロキよりも、世界の本質を理解しているのはルーファ。
ルーファはただ感じる――有りのままを在るがままに。
≪解けよ≫
それは力ある言葉。
それは絶対なる理。
ルーファへと伸ばされた腕が、大地を力強く走る足が……解ける。
まるで風に流される煙の如く
まるで水に溢したインクの如く
かつて獣だったモノが宙へと広がる。
≪還れ≫
終わりだ。
その一言で全てが終わった。
後世、この日の出来事はこう呼ばれる。
――“フォルテカの奇跡”、と。
~もしもここが現代地球だったら~
ヴィ「……まだまだアレは元気が良いぞ」
愉し気に嗤いながら、ヴィルヘルムはルーファの髪へと口付ける。
サワサワ、ナデナデ
ル「お巡りさん、コイツです!」
ルーファはヴィルヘルムの手を掴み掲げた!
――竜王、強制わいせつ罪で逮捕!神獣が赤裸々に語る真実とは!?
次の日、紙面を飾ったこの見出しは世界に衝撃を与えた。
つづく……かもしれない。




