フォルテカの奇跡①
「視えた」
ルーファは番えた矢を放った。
その白銀色に輝く光は夜空に浮かぶ月そのもの。
月が闇夜を優しく照らし出すように、その光は人々に希望を齎すだろう。
月が暗闇を歩む者に道を示すように、その光は人々に導きを与えるだろう。
凛と輝く月は、やがて幾本もの星へと姿を変える。
それは白き流星雨、絶望を切り裂く破邪の矢なり。
カーライルは不思議なほど静かな気持ちで最期の時を待っていた。
後悔がないと言えば嘘になる。気立ての良い妻に、未だ成人を迎えていない息子と娘。
卒業式、成人の儀、そして結婚式、せめて子供たちが巣立つまでは側で見守りたかったのだが……それは最早叶うことなき未来。
悔いはあれど、彼は胸を張ってこう言える。自分は精一杯頑張ったのだと、誰にも恥じぬ人生だったと。
「アイヴィ……子供たちを頼むよ」
届かぬと分かっていながらも、カーライルは妻へと話しかけた。
穏やかに笑う彼の眼前には3体の汚染獣が獲物を手に入れんと相争い、やがて勝利した1体がカーライルに向かってその手を伸ばす……
バシュン!
「え……?」
間の抜けた声を上げたカーライルの前で、汚染獣が……消えた。
何が、一体何が起きたと言うのか。
カーライルは無意識の内に上空を……到来せし希望を仰ぎ見る。
天から降り注ぐは白き流星。
其は音なき雨の如く
其は熱なき炎の如く
幾千幾万の汚染獣を貫かん。
嗚呼、これは夢か幻か……
カーライルの前には何もない。汚染獣も、喰われた人々も……何も。
ただ遠くに見える破壊された外壁が、この惨劇が夢でないことの唯一の証。
「カーライル様。これは、いったい……」
振り返れば、そこには両腕に子供を抱えたケインの姿があった。
どこまでも職務に忠実な男の姿に苦笑を洩らしたカーライルは、再び空を見上げて目を細める。まるで、そこに答えがあると言わんばかりに。
いや、確かにそこに答えはあった。何故なら……
「終わったんだ……感謝します神獣様」
その光は神獣が御座すリーンハルトから飛来したのだから。
カーライルは深く、深く頭を下げた。
「なんで!なんでだよぉ!」
厳つい男が恥も外聞もなく哭いている。
彼の側には4人の男と……横たわる1人の女。
「あと……あと五分早ければ助かったのに!」
嘆く男に槍を背負った男が掴みかかる。
「文句を言うな!このままいけばどの道全滅だったんだ!それに、死んだのはギルマスだけじゃないだろうが!それを……」
更に文句を言い募ろうとした槍使いの肩を、今度は別の男が掴む。
「よせ!あいつは……ギルマスに惚れてたんだ。そっとしておいてやれ」
彼らは生き残った冒険者達……光魔法士リトンを有するAランクパーティ“餓狼の牙”だ。
彼ら以外のパーティは戦いに殉じた。それ程の死闘だったのだ。
いや、死闘と思っていたのは自分達だけで、汚染獣にとっては取るに足らぬただの遊びか。
自分達が手も足も出なかった相手をいとも容易く滅ぼして見せた白い光に、リーダーであるゼロは面白そうに口を歪めた。
「まさか、汚染獣が蹂躙されるとはな」
目を閉じれば先程の光景が浮かんでくる。
1撃だ。全ての汚染獣が1撃で屠られた。
飛来した矢の数は汚染獣の数+1本。全てが狙ったかのように汚染獣へと突き刺さり、最後の矢は地面に落ちると同時に弾け、傷ついた人々を癒した。
それを成した存在は、汚染獣の場所も数も全て知っていたのだ――まるで未来を見通していたかの如く。
そうでなければ動き回り、数を増していく汚染獣にどうして対応できようか。
ぞくり……とゼロの背が震える。
それは恐怖ではなく歓喜の震えだ。
「未来を読み解く神獣様、か。お会いしたいもんだぜ」
ゼロは静かに感謝を捧げた。
地方都市クルルカ
そこはアンセルムの国境から徒歩で3日の距離にあるフォルテカ東部最大の都市だ。
公都フォーンには及ばぬものの、綺麗に区画された通りを飾る街路樹は人々に癒しを与え、街全体に咲き誇る多種多様な花の姿は、正に百花繚乱と言うに相応しい。
――“花の都クルルカ”
その名に恥じぬ華やかさを誇る都市だ。
水が豊富で気候も穏やかなこの地は年中を通して花が溢れ、その名物は何と言っても花を用いた各種料理。
サラダには色取り取りの花びらが散りばめられ、様々な花の蜜を使ったタレは各店ごとに味が異なる。美しさもさることながらその深い味わいを求め、遠方からわざわざ足を運ぶ者も珍しくない。
そんな雅な都の姿は、ある時を境に一変することとなった。
…………ォォォォォォォォ
風に乗って僅かに聞こえた悍ましき咆哮。
それは本能なのか。1度も聞いたことのない声の主を人々は紛うことなく理解した――それは自分達を滅ぼすモノだと。
そこからは急落の一途を辿った。
踏み躙られた花に、至る所で聞こえる怒声と悲鳴。
まるで戦場の真っただ中にいるかのように“暴力”が都市全体を支配し、“理性”が侵食される。
それにより引き起こされるは――恐慌だ。
少しでも助かる可能性に賭けた民衆が我先にと転移陣へと群がり、そこは混沌が支配する狂気の坩堝と化した。
爛々と輝く彼らの目は酷く吊り上がり、引き攣った口からは聞くに堪えぬ罵詈雑言が流れる。
理性をかなぐり捨てたその姿は……夜叉か、それとも鬼か。
伸ばされる数多の手に容赦なく人が引きずり降ろされ、転移陣の上へ降り立った勝者は狂ったように嗤う。
愚か……何と愚かなことか。
彼らは火に飛び入る虫そのもの。転移陣は最早動かず、そこに“未来”へ続く道は……ない。
多くの者が助け合う心を忘れた。
多くの者が思い合う心を忘れた。
そこかしこで起こる争いに民を守る筈の兵が剣を抜き、既に少なくない血が流された。
そこに“秩序”はなく、あるのは生きたいという“本能”のみ。
だが……その中でまだ良識を手放さぬ者がここに1人……いや、2人。
「クソッ!応援はまだか!?」
額から流れる血を拭い、転移陣の警備に当たっていた隊長が悪態をつく。
「ダメです!人が多すぎて応援が来れません!!」
悲鳴のような声で報告するのは彼の部下だ。
逃げるべき場所も、取るべき行動も、助けが来るのかさえ分からない……そんなあまりにも理不尽な状況に隊長は思わず壁を殴りつけた。
「あんのクソ領主共が!!」
憎しみは自然と、この状況を作り出した男へと向けられる。
クルルカの領主ステファン・ラヌエルが汚染獣の存在を知ったのは1日以上前のこと。
この時はまだフォルテカに侵入を許してはおらず、アンセルムが滅びる姿を国境守備軍は砦の上から震えながら眺めていた。
当然その報せはステファンにも届けられ、彼が真っ先にしたことは……援軍を派遣するでも、民を逃がすことでも、防御を固めることでもなかった。
宝石やドレスをしこたま積み込んだ魔獣車と共に、彼は一足先に避難したのだ――守るべき民を見捨てて。
悲劇は更に加速する。
ステファンが逃げるまでの間、混乱を防ぐために汚染獣襲撃の報は隠蔽され、彼に普段から媚びへつらっていたラヌエル伯軍の上層部までもが我先にと逃げ出した。
司令塔を欠いた軍はただの烏合の衆と化し、異変を感じた民衆がステファンの城に雪崩れ込んだ時には……何もかもが遅かった。
汚染獣は既に目と鼻の先。
彼らは自分達が切り捨てられた事を、この瞬間理解したのだ。
怒り、悲しみ、絶望、憎悪……ありとあらゆる負の感情が渦巻き、瘴気が活性化されていく。それは汚染獣の力であり、その根源たる力に近しいモノ。
皮肉なことに、彼らは自分たちで死刑執行の時を早めた。
西門は逃げる人で溢れ、兵の大半はその責務を放棄した。
転移陣を巡って始まった争いは殺し合いにまで発展し、神殿で最期の祈りを捧げた敬虔なる信者は自らその命を絶った。
冷静な者はすでになく、彼らは程度の差はあれ狂気に支配されている。
故に彼らは見逃した――空を翔ける流星雨を。
人知れず、白き光が外壁に迫ろうとしていた汚染獣を駆逐していく様を、彼らが目にしなかったのは……幸いであった。
遠く、遥か地平線まで続く赤黒く蠢く異形の化け物。
それは果て無き絶望の海。
光の矢は海へ降る雨宛らに、赤黒い波の狭間に消えて行く。
瀑布の如き大群に対して、その力は余りにも小さく……余りにも弱かった。
アンセルム全域を喰らった汚染獣の数は、カサンドラ襲撃の比ではない。
いや、それすらも些事。真なる脅威は――3体の知恵ある汚染獣にあるのだから。
グオッ!
知恵ある汚染獣の合図でクルルカへ向かって走りだした100体ほどの汚染獣に、流星雨が降り注ぐ。その瞬間、今までは為す術なく消滅していた汚染獣の動きが……変わる。
ドガアアアアアアアアアアアアン!
まるで地震の如く地面が揺れ、広がる土煙と飛び散る大地の破片が汚染獣の姿をその内へと隠す。
〈豊穣ノ化身〉は癒しの極意。
本来、それは滅びを与えるモノではない。
砂が、岩が、汚染獣を守る結界となり、白き矢の行く手を阻む。
大地を巻き上げながら進む汚染獣は……遂にクルルカへと到達した。
――神弓の御業、ここに破れたり。
ニタリ、と嗤った知恵ある汚染獣が深く、深く息を吸い込む。
グラオオオオオオオオオオオオオ!!
それは進撃の合図。
絶望が……動き出す。




