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信念を貫く者

「行くぞ」


 ヴィルヘルムの合図と同時に転移陣に光が灯り、彼らをリィンへと運ぶ。

 既に先触れが出ていたのか、そこには宰相マイモンと将軍ザナンザが彼らの訪れを待ち受っていた。


「こちらです」


 挨拶も歓迎の言葉すらなく、マイモンは急ぎ足で歩き始める。その先にあるのは新たな転移陣……いや、魔導エレベーターだ。

 全員が魔法陣の上に立ったのを確認し、ザナンザは基点となる魔石へと魔力を注いでいく。


「「ご武運を」」


 頭を下げる2人の姿が消えれば、そこには見渡すばかりの青い空が広がっていた。

 ここは光星城の屋上。以前、ヴィルヘルムが城を破壊したことを教訓に、転移陣が敷かれた部屋から直接屋上へと移動できる魔導エレベーターが設置されたのだ。


 竜へと戻ったヴィルヘルムがその巨体を晒し、それに見惚れる暇なく魔法がルーファ達を包みこむ。

 彼らの身体は重力に引き寄せられるかの如く、静かにヴィルヘルムの背の上へと降り立った。


「な、何と言う、恐れ多い」

「座れ!我が君を土足で踏みつけるなどあってはならん!」


 汚染獣討伐に参加している竜種は23体。

 会議室にいた20体とセルギオスにシュヴァリエ、そして追ってきたエメラーダだ。その全員がヴィルヘルムの上で正座している姿は何とも滑稽ではあるが……彼らは至ってまじめである。


 既に大地は遠く離れ、下を覗き込めば如何に常識外の速さで移動しているのかが分かるだろう。

 轟々と吹き荒ぶ風に、高高度の飛翔に伴う気圧の変化、そして凍えるほどの寒さ……通常であれば、そこは決して生物が生きられる空間ではない。

 だが……彼らの側を通り抜ける風は優しく、肌に触れる空気はこの上なく温かい。すべてはヴィルヘルムの望みのままに。


 使用されている魔法の繊細さに竜種は揃って感嘆の息を吐き、セルギオスに至ってはヴィルヘルムの鱗に頬刷りしているところをシュヴァリエに殴り倒されている。

 彼らにとって人種(ひとしゅ)の生き死になどどうでも良いこと。戦闘が始まるまでの至福の時間を十分に謳歌していると言えるだろう。


 それと対照的なのがキアラとその護衛であるアルブレヒト。もう1人の護衛は固有魔法を使えぬため、ここにはいない。

 彼らはただ祈っていた。胸の前で手を組み、一心不乱に。今この瞬間も、彼らの国は滅びに瀕しているのだから。





 全員が腰を下ろす中で、ルーファだけが立っていた。


「ルーファ、危ないぞ」


 声を掛けるガッシュを振り返ることなく、ルーファはただ前だけを見つめている。

 ルーファに手を伸ばそうとしたガッシュは……僅かに逡巡した後、その手を下ろした。



 邪魔をしてはいけない。触れてはいけない。

 そこは絶対不可侵の領域だ。

 


 白銀色の光がルーファの身体より立ち昇り、ゆっくりと掲げられた手に顕現せしは神の弓。

 浮かび上がった長い髪が水中の如く宙を揺蕩(たゆた)い、神秘的な藤色の眼が彼方を見通す。


 雲が道を開け、太陽が大地を照らし出す。

 雷が道を示し、止まることなき風が凪ぐ。



 白く、優美な手が……弦を引く。



 





 ◇◇◇◇◇◇





 ここはフォルテカ公国にある商業都市フィランセ。

 シルキス一帯を治める領主カーライル・ヒュースティン辺境伯の居城がある都市だ。


「転移陣が動かなくなりました!」

「間に合わなかったか……」


 部下の報告にカーライルは強く拳を握り締めた。

 いや、ここは嘆くのではなく喜ぶところか。民の8割近くが避難できたのだから。

 シルキスの冒険者ギルドマスターからの報せがなければ、全滅していた可能性すらあったのだ。犠牲は最小限に留められた。


 それでも……払った犠牲の何と重いことか。


 カーライルはシルキスの住人全てを見捨てた……その判断に後悔はない。

 何度過去を振り返ってもその選択は正しかったと胸を張って言える。煙弾は「援軍の必要なし」「逃げろ」そう報せてきたのだから。

 もし、これが「援軍求む」であったのならば、彼はそう簡単に切り捨てることが出来なかっただろう。そうなればこの街の住民の避難も遅れ、より多くの民が死んでいったはずだ。


「感謝する、アイリス殿」


 彼はギルドマスター(アイリス)の決断に感謝の念を送る。

 自分も無様な戦いは見せられない。それが見捨てた側のせめてもの償いだ。


「聞け!我が民よ!転移陣はもう動かん。我々は自らの足で移動するしかない」


「そんな!」

「ああ、神獣様!お助け下さい!」


 嘆く民に僅かなりとも希望を与えるために、カーライルは口を開く。


「嘆くな!嘆くにはまだ早い!我々は生きているのだ!よいか、お前たちは門を出てバラバラに進みなさい。街道だけでなく森を、草原を、川の中を進むのだ。なに、優秀な兵をつけるから心配することはない。それに魔物も逃げ出していることだろう。さあ!早く門へと急げ!時間はないぞ!!」


  

 こうして、取り残された住民による決死の逃避行が始まった。







 屋根のない魔獣車に詰め込まれているのは子供と老人、そして傷病人だ。

 カーライルもぽっちゃり……というより肥え太った豚のような身体に鞭打ってヒィヒィ言いながら足を動かしている。

 本人的にはもう大分歩いたつもりだが、後方にはいまだ街の外壁が遠くに見えた。


「カーライル様!あれを!」


 辺境伯軍隊長であるケインの言葉に後ろを振り返れば、破壊された外壁と……赤黒い化け物が映った。


「もう来たのか!?走れ走れぇ!バラバラに逃げるんだ!」


 全員が言うまでもなく走り始め、カーライルもそれに続く。

 だが小さな人種(ひとしゅ)と10メートル級の汚染獣……そのスピードは比べるまでもない。

 

 獲物を見つけた何十、何百という汚染獣が我先にと走り出す。

 

 地面が地鳴りの如く揺れ、立っているのもままならぬ程。這いずりながらも前に進む彼らの姿は、まるで地面をのたうつ芋虫だ。

 瞬く間に追いつかれたカーライルは絶望と共に思う――誰も、誰一人として助かる者はいないだろう、と。



 近くを走っていた者が巨大な手に攫われた。


「ヒィィィィィ!助け……ぶちゅ!」


 鮮血と臓物が撒き散らされ、血の匂いが辺りに広がる。


「う、うわああああああああああ!」


 恥も外聞もなく叫びながらカーライルは無我夢中で足を動かした。

 その顔は鼻水と涙と(よだれ)でぐしょぐしょに汚れ、とてもではないが高貴なる身分には見えない。

 それでも彼は立派だったのだろう。自分の身を後回しに、民の避難を優先させたのだから。



 ダン!



 一際大きく地面が揺れ、つんのめったカーライルは顔から地面に激突する。


「う、うう……助け……誰か……」

「カーライル様!ご無事ですか!?」


 その言葉と同時に助け起こされたカーライルは自分を覗き込んだ男を見る――ケインだ。


(逃げたのではなかったのか)


 カーライルの胸に宿るのは嬉しさと……罪悪感。

 彼1人ならばもっと遠くに逃げれただろうに、と。それでも足手まといの自分を助けに来てくれたケインに、込み上げてくるのは1つの強い感情(おもい)

 

()きなさい。1人でもいい、民を救うんだ!」


 カーライルはケインの背を押す。戸惑う彼に頷いて見せたカーライルはその背を静かに見送った。


 振り返ればそこは地獄。最早生きている者は無し。


 それでもカーライルは笑った。

 彼は最期まで誇り高き“領主”であった。






 ◇◇◇◇◇◇




 

「ギルドマスター!!」


 切羽詰まった叫び声にアイリスは後ろを振り返ると……その先には7体の汚染獣がいた。

 

「くっ!追って来たか!」


 シルキスを発ってから既に1日以上が経過していた。


 体力がない者は魔獣車に乗せ、幼い子供は屈強な男たちが抱えた。

 休息も最小限に、彼らは只々(ただただ)歩き続けた。それは文字通りの強行軍だ。

 戦う体力など既に残ってはいまい。否、例え十全に残っていたとしても全ては無意味。汚染獣相手に勝てる術など有りはしないのだから。


 それでも彼らが諦めぬのは“聖地”と言う名の希望故だ。 

 だが……シルキスが聖地に近いと言ってもそれは地図上でのこと。実際に徒歩で向かえば確実に5日はかかる距離となる。

 いや、幼い子供や碌に歩けぬ老人がいることを考えれば、辿り着くのは果たしていつになることか。どう足掻いても汚染獣に追い付かれる方が早いだろう。


 それを理解しながら、アイリスは賭けに出た。


 彼女は()()()()()()()()()()ことに賭けたのだ。

 シルキスから聖地まで町どころか村すらないことを考えれば、分が悪い賭けではない。汚染獣は人に引き寄せられるのだから。


 だが……ここに来て彼女は賭けに負けた事を知る。


「走れ!聖地を目指せ!!」


 少しでも聖地に近づけば神獣様の加護があるかもしれない――他力本願な考えにアイリスは自嘲する。

 全員が我武者羅に走る中、ただ1人反転したアイリスは轟音を立てながら迫りくる汚染獣をしかと見る。

 たった1人で何ができると言うのか……そう思う自分もいる。だがそれでも自分はギルドマスター。この役職を拝命した時、神獣様に誓ったのだ。住民を守る盾となり、敵を貫く刃となる、と。


 それに……彼女には不思議な力があった。


 汚染獣に相対した時、白銀色に輝く己の身体。これはきっと神獣様の贈り物なのだと彼女は思う。


「守れ、ということなのですね?」


 誰ともなしにアイリスは問う。

 無論返答など求めてはいない。彼女の中で疾うに答えは出ているのだ。不敵に笑ったアイリスは両の拳を打ち付ける。

 今、正に彼女が駆け出さんとした時、馴染みある声が届いた。

 

「水臭いですよギルマス!」

「置いて行くなんて酷いっす!」

「〈回復〉!〈回復〉!〈回復〉!」

「ちょ!おま!フライング!」


 そこにいるのは彼女が育てた冒険者達だ。

 たった18名の援軍なれど、彼女にとっては万の軍勢より頼もしい。


「お前達……」


 “逃げろ”そう言うのは簡単だ。だがそれは、命を張って駆け付けた彼らに対する侮辱の言葉。


「これが終わったら皆で飲み明かそう。私の奢りだ!」

「「「「「うおおおおおおおお!!!!」」」」」


 結局、アイリスが選んだのは明日へと続く言葉だ。

 誰もその日が来るなど露ほども思ってはいないだろうに……それでも、信じていいじゃないか。そう彼女は思った。   

 

「行くぞ!速さに自信がある者は私について来い!それ以外は光魔法士(リトン)を死守せよ!!」




 アイリスが有するはルーファの〈祝福〉。

 白銀色の光が彼女を守り、汚染獣の力を削り取る。


 リトンが有するは光魔法。

 巨大な汚染獣に対し、その力は余りに小さい。 

 されど、その力は確実に汚染獣の注意を引いた。 


 他の戦士は何もなし。

 聖剣も魔銃も、汚染獣に傷を与えられるモノは何1つ。

 それでも彼らは戦う――大切な人が逃げる時間を稼ぐために。




 どんなに覚悟があろうとも

 どんなに信念を貫こうとも


 決して手の届かぬモノがある。


 蟻が象になれぬように

 人が竜になれぬように


 その力の差は歴然。



 


「ぐああああああああ!!」


 吹き飛ばされた槍使いの男に無造作に手が伸ばされる。


「や、やめっ!」



 ベキッ!

 ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ



 徐々に姿を消していく仲間たち。

 彼らは汚染獣と戦うには弱すぎた。



「くそぉ!私はここだ!かかって来い!」



 ――〈外気功〉



 アイリスの肉体の内部が作り替わる。より強く、よりしなやかに。

 叩き付けられる汚染獣の手の平を躱し、アイリスは大木の如き足を殴りつける。



 ――〈内気功〉



 それは相手の内部に直接魔力を叩き込む技。

 本来、汚染獣の餌にしかならぬその攻撃は、ルーファの〈祝福〉で毒へと転じる。



 グオオオオオオオオオオオ!!



 それは怒りの咆哮か、それとも痛みに対する悲鳴なのか。



 何度も!何度も!アイリスは汚染獣へ痛撃を浴びせ、何度も!何度も!その剛力で叩き伏せられる。



 ――〈完全回復〉


 

 千切れた腕が、折れた足が、飛び散った臓物が、瞬く間に元へと戻る。それは気力や魔力だとて例外ではない。

 何度でも死の淵より(よみがえ)る……それが彼女の力だ。

 

 だがその力を以てしても、彼女が抑えられたのは1体の汚染獣だけ。




 それを考えればリトンの方が遥かに優秀だと言えるだろう。

 彼は汚染獣の気が逸れるのを見計らい、的確に〈回復〉をぶつけることで3体もの注意を引き付けているのだから。その機を的確に読み取る力は正に一流。

 リトンを支えるのが彼のパーティ“餓狼の牙”だ。要となるリトンを抱えて走りながら、汚染獣の攻撃をいなし続けている。


 善戦を続ける彼らの顔に浮かぶのは……焦燥と絶望。 




 咆哮が聞こえる。

 悲鳴が聞こえる。

 

 蹂躙、虐殺、狂乱……一体どの言葉が最も相応しいか。

 

 ある者は逃げ惑い

 ある者は泣き叫び

 ある者は狂ったように嗤う


 ある者は守り

 ある者は見捨て

 ある者は他者を蹴落とす

 

  

 たった20名足らずの戦士達で汚染獣7体を抑えきれるはずがないのだ。


 汚染獣の食事は……既に始まっていた。



  




「やめろぉぉ!やめろ……やめてくれ!」


 残酷な現実にアイリスは叫ぶ。

 彼女が見つめる先には、共に戦った戦友たちが倒れ伏す姿。彼らの姿が1人、また1人と汚染獣の中へ消えて行く。


 彼女は走る。只々走る。


 民を逃がすことも、汚染獣を倒すことも、この瞬間彼女の中から綺麗さっぱり消え失せた。

 彼女はただ、弟子を、仲間を、戦友を……守りたい、守りたいのだ!


(あと少し、あと少しで……)

   


 ――暗転。



 クルクル、クルクル、彼女は回る。

 まるで壊れた人形の様に。


 遠く離れた地面には彼女の愛する仲間たち。


 僅かに伸ばされた手は……結局何1つ掴めぬまま空を切った。











 ………………ぐしゃり



  

  


 

 

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