乱入
――――さま
(何……?ここは……どこ?暗くて良く見えない)
――ス――ィさま!
(だれ……?誰か呼んでるの……?)
「ルーファスセレミィ様!」
真っ暗だった視界に光が灯り、ルーファの意識は急速に浮上する。
ぼやける視界の中に、シュヴァリエの焦燥に満ちた顔が映った。
「大丈夫」そう言おうとした口から洩れるのは荒い息ばかり。
ハクハクと口を動かすルーファに上着がかけられ、そこで初めて自分の身体が酷く震えていることに気付いた。
シュヴァリエの手が落ち着かせるようにルーファの身体を摩り、ハラハラと零れ落ちる涙を駆け寄ったエメラーダが拭う。
「大丈夫ですか?大丈夫なら手を握り返して下さい」
ルーファが言われた通りにその手を握り返すと、シュヴァリエの顔にホッと安堵の笑みが浮かぶ。
その顔を見て少しばかり落ち着きを取り戻したルーファが周りを見回せば、矢の刺さった的が目に入った。
「戻ってきた」そう思うと同時に、胸を焦がすのは先程見た映像だ。
急げ、急げ、時間がない……そう囁き続けるのは誰なのか。
『シュヴァ……リエ……汚染獣、ヴィー、に』
ルーファが途切れ途切れの思念と映像を送れば、シュヴァリエの雰囲気が鋭く変わる……が、それも一瞬。
へにょりと眉が八の字を描き、情けない顔つきで彼は頭を下げる。
「申し訳ありません。我が君に連絡を取ろうとしたのですが、〈眷属通信〉が繋がりません。その……非常に申し上げにくいのですが、迷宮の出口まで運んでいただけると助かります」
ルーファが倒れてからこの間、彼らは何も出来ずにいた。
ここが普通の迷宮であればシュヴァリエは力任せに突破し、即座にヴィルヘルムの元へルーファを運んだだろう。
だが……この迷宮は凶悪に過ぎた。
竜王種へ進化しているシュヴァリエはともかく、未だ進化に至っていないダリアとエメラーダではとてもではないが先に進めなかったのだ。
事実、彼女たちは一度ヴィルヘルムの元へ向かったのだが……僅か5分で満身創痍となって戻ってきた。
かと言って、最も強いシュヴァリエがルーファの側を離れると言う選択肢はない。
その結果、彼らはヤキモキしながらルーファの目覚めを待っていた次第である。
『待って……今』
ルーファは目を閉じると迷宮に命じる――自分達を出口へ、と。
一瞬の浮遊感の後、彼らの目の前にはまるで最初からあったと言わんばかりに、出口へと繋がる扉が佇んでいた。
「先に行く。貴女達は後から来なさい」
白い翼がシュヴァリエの背に広がり、丁重に抱き上げられたルーファは落ちぬようにしっかりとその首に手を回す。
「分かりましたわ。お気をつけて」
エメラーダの声だけが聞こえ、ダリアの姿が見えぬことを不思議に思ったルーファが振り返るよりも早く、翼を力強く羽ばたかせたシュヴァリエが扉へ向かって飛翔した。
一気に目の前へ迫る扉に、先程感じた疑問は手の平からするりと零れ落ち、ルーファはぶつかってはたまらない、とばかりに慌てて叫んだ。
「開け!」
間一髪、僅かに開いた扉の隙間を縫って外へと飛び出したシュヴァリエは、そのまま空高く舞い上がった。
バサバサと風がルーファの髪を弄び、足元に広がるのは抜けるような青い空。
空と大地が交わる西の果てを見つめ、ルーファは願う。
(どうか、間に合いますように)
一方、ルーファとシュヴァリエの姿が見えなくなったのを確認したエメラーダは、今まで一度も言葉を発しなかったダリアへと歩み寄る。
横たわりピクリとも動かぬその姿は酷いの一言に尽きる。
溶けた身体からは未だにジュワジュワと煙が上がり、筋肉と骨が剥き出しになった姿は生きているのが不思議なほど。
美しい顔は見る影もなく、斑に残った髪の毛が憐れを誘う。
近づくにつれ強くなる肉が焼ける臭いに、僅かに秀麗な眉をしかめたエメラーダがクルクルと指を回せば、それに呼応するように宙に魔法陣が描かれる。
――〈風ノ極〉
竜魔法の権能〈自然ノ支配者〉に内包されし力だ。
風が彼女の意思に従い、匂いを彼方へと運んでいく。
「無様ね。聞こえているかしら?」
それはとても仲間に対する台詞ではない。
いや、竜種にとってこれは普通のことだ。彼らにとって弱いということは“悪”そのものなのだから。
「私、言ったわよね?あの魔物には敵わないって。貴女だけであれば止めたりしないわ。強敵と戦うことは竜種の誉れですもの。でもね、私たちにはルーファスセレミィ様をお守りするという使命があった」
ゴスッ!
蹴り上げられたダリアの身体がまるで木の葉のように飛び、それを追って飛翔したエメラーダは再び足を振り上げる。
ドガン!
地面に減り込んだダリアの髪を掴み、その醜く爛れた顔を覗き込んだエメラーダの顔に浮かぶのは、激しいまでの怒り……いや、憎悪だ。
「分かってんのか!ああ!?テメェの所為であたしまで無能だと思われただろぉが!」
目に見えぬ速さで繰り出された拳が次々とダリアに突き刺さり、激しく揺れる姿はまるでサンドバッグ。
その執拗な打撃に真っ先に音をあげたのは……残された僅かな赤い髪だ。
ブチブチブチィィ!
壊れた人形のように地面へと投げ出されたダリアに殺意の籠った眼差しを向け、エメラーダは手に絡みついたソレを不快気に払った。
大役を仰せつかったにも関わらず、何1つ役に立たなかったこの身が呪わしい。
自分勝手に行動した挙げ句、戦闘不能に陥ったダリアが憎い。
そして何より、一緒に連れて行ってもらえなかった事実が彼女を打ちのめした。
どれ程ダリアを痛めつけようと彼女の怒りは収まることはなく、苛立ちばかりが募っていく。
「足手まといだと思われた?いいえ、いいえ、違うわ。そう、動けないダリアがいるから残されたのよ。どこまでも邪魔な奴」
ギリリ、と歯を食いしばったエメラーダはゆっくりとダリアへ近づき、倒れ伏す身体に足をのせると……
ボキン!
背骨が折れる音と共に僅かにうめき声をあげたダリアを冷たく見下ろしながら、彼女は艶やかに笑った。
「あらあら、痛かったかしら?じゃあ、私はこれで失礼するわね。貴女が無事に迷宮を出れることを祈ってるわ」
そう言ってエメラーダは迷宮の出口に向かって踵を返し、後には動くことすらままならぬダリアだけが残った。
◇◇◇◇◇◇
ガシャ――――――ン!!
その音と共に世界会議は終わりを告げた。
砕け散った強化ガラスの欠片を吹き飛ばすように、純白の翼が大きく羽ばたく。
破壊された窓からはびゅうびゅうと音を立てる風が室内へと侵入し、参加者の髪を激しく揺らした。
予期せぬ闖入者に護衛の兵たちが主を守るように動き出すが……そこには戸惑いの気配が強い。
何故ならそこにいるのは何処からどう見ても竜族なのだから。
そんな中、誰よりも早く動いたのはこの男。
「何故連れて来た」
一瞬でルーファの側まで移動したヴィルヘルムが静かに問う。
だがその声音とは裏腹に、金色の眼は怒気を孕んでシュヴァリエを見下ろしていた。
シュヴァリエが答えるよりも早く、その腕より抜け出したルーファがヴィルヘルムへ飛びつくなり叫ぶ。
「ヴィー!汚染獣が動いた!皆を助けて!」
悲鳴のようなその声は会議室中に響き渡った。
殺気立つ竜種に、不安に騒めく参加者たち。
詳細な情報を求めた彼らがルーファを見つめたのは必然か。
幼さを残すものの、その姿は間違いなく“絶世”と呼ぶに相応しい美貌。
緊急時にも関わらず全ての者がルーファに魅了される。
ある者はその澄んだ美しい声に名を呼ばれたいと欲し、またある者はその淡い紫水晶の如き瞳に映りたいと欲す。
ある者はその赤く熟れた唇を奪いたいと欲し、またある者はその白磁の肌に舌を這わせたいと欲す。
心清きものは敬虔なる気持ちを抱き、心悪しきものは邪なる思いを抱く。
それが“ルーファスセレミィ”という存在だ。
舌打ちしたくなる気持ちを堪え、ヴィルヘルムはルーファを隠すように翼を広げた。
「襲われておるのは何処の国ぞ?」
「フォルテカと……あと1つは知らない場所」
ヴィルヘルムが西を、フォルテカの方を向く。
唯それだけで全てを知る――それこそが〈神竜ノ眼〉の力。
ヴィルヘルムは一陣の風……否、光となりて世界を渡る。
街も森も川も……全てを置き去りにしてただ前へと。
そこは音なき世界――静寂と情報が集いし場所だ。
光が世界を巡るよりも尚短き刹那の後、彼はソコにいた。
数多の汚染獣の只中に。
「フォルテカと……アンセルムか!セルギオス!転移陣の用意を!リィンへ飛ぶ!」
「はっ!直ちに!」
矢継ぎ早に指示を出すセルギオスの声を聞きながらヴィルヘルムが背後を振り返ると、そこには待ち構えていたかのようにガッシュがいた。
「ルーファを頼むぞ」
「任せろ」
ガッシュがルーファを預かろうと手を伸ばすが、それを避けるようにルーファはヴィルヘルムの首にしがみついた。
「オレも行く!」
「ならぬ!我儘を言うでない」
「我儘じゃない!フォルテカは……まだ助かる。でも、ヴィーじゃ助けられない。ううん、ヴィーは助けない。そうでしょう?」
眉を寄せ、ため息を吐いたヴィルヘルムは逸らすことなくルーファを見つめる。
「……世界の均衡を保つことこそ我が役目。これは必要な犠牲ぞ」
これ即ちフォルテカとアンセルムを国ごと殲滅させる、と言う宣言に他ならない。
静まり返った室内には物音1つせず、ただ誰もが息を殺し次なる言葉を待っていた。
皆理解しているのだ。この会話の行く末が2国の命運を左右するのだと。
「神獣の役目は瘴気を浄化し人種を導くこと。助かる未来があるのにそれを為さぬは神獣の恥。ヴィーに私を止める権利はない」
強い光を宿す藤色の瞳に、ヴィルヘルムは説得が不可能だと知る。
普通に考えれば、置いて行ったところでルーファに追いかける術はないのだが……ルーファの力は未知数に過ぎた。
ヴィルヘルムが真に脅威を感じるのはガッシュでもロキでもない、ルーファなのだから。
「……我の側を離れるな。それが条件ぞ」
「ありがとう!!」
漸く笑顔を見せたルーファを一撫でしたヴィルヘルムは、有無を言わさぬ口調で命じる。
「ガッシュよ、そなたは共に参れ。無様な戦いは見せるな」
「上等だ」
歯を剥き出しにして笑ったガッシュがヴィルヘルムの横へと並び、ルーファの影が僅かに自己主張するように波立った。
「セルギオス、竜種を集めよ。この機会に汚染獣との戦い方を知れ」
「おお!ありがたき幸せ!その……わしも参加しても宜しいでしょうか?」
本来ならば竜公たるセルギオスが行くなど言語道断。彼には国を守ると言う責務があるのだから。
だが……未だに勇者召喚陣が見つかっていないことを考えれば、これから先汚染獣との戦いが激化するのは確実だと言える。
ヴィルヘルムの身体が1つしかない以上、汚染獣と戦える戦力は必ず必要になってくるだろう。
「不都合がなければ構わぬ」
竜種が全員出払うという事は防衛力が下がるということ。これは最低限の守りは残せ、と言う意味だ。
「都市防衛魔法陣を起動させましょう。例え汚染獣が攻めて来ようと幾ばくかは持ち堪えられましょう」
基本的に防衛魔法陣とは外壁に組み込まれた魔法陣の事を指し、これは外壁の強化及びその上空へ結界を張る機能を有しているのだが……あくまでも外壁を基点として垂直に作用するものであり、都市全体を覆うタイプではない。
故に上空からの攻撃に対してはめっぽう弱いのが特徴だ。
それに対し、ドラゴに組み込まれている都市防衛魔法陣とは、都市の地下に直接魔法陣を描くことで都市全体を球状に包み込む超巨大魔法陣のことである。
当然、強力な分より多くの魔力を消費するため、他の国では決して真似できぬ代物だと言えるだろう。
着々と準備が進む中で、ヴィルヘルムの前に進み出た人物が1人。
「竜王閣下にお願いしたき義がございます!」
そう言って跪くのは美しい女だ。
「どうかわたくしも一緒にお連れ下さい。足手まといになるようなら切り捨ててもらっても構いません。何卒……何卒、お願いいたします」
深く頭を下げた女にヴィルヘルムは問う。
「そなたを連れて行く意味はあるのか?」
「汚染獣に攻められているとなれば、民は間違いなくパニックを起こしている筈です。わたくしを連れて行くことで彼らを落ち着かせ、皆様方の戦闘の邪魔にならぬよう誘導致しましょう」
「命の保証はせぬ。邪魔であれば、我はそなた諸共汚染獣を消し去ろう。それでも来ると申すか?」
「構いませんわ。わたくしは国母なれば、子と共に国に殉じましょう」
間髪入れず答えた女にヴィルヘルムの口角が僅かに上がる。
それは親しい者にしか分からぬ程の変化。彼の機嫌が良いことの証だ。
「その覚悟や良し。そなたの身の安全は我が名において保証しよう。キアラ・ファウス・マギ・フォルテカ」




