竜王と勇者と神獣と
次々と魔導飛行船が堕とされていく姿は、これから訪れるであろう未来を象徴しているかのようだ。誰もが必死に手を伸ばし、生きようともがき続ける。
だがそれすらも無駄な抵抗なのだろう。彼らの力では何1つ変えられはしないのだから。
絶え間なく続く振動に、エドモンは汚染獣が目の前にいる1体だけでないことを知る。
もう終わりだと、そう理解している。だが彼は無意識に腰に下げた短杖を構えた。その先端にあるのは黄金色に輝く光魔石。〈浄化〉の刻印魔法が刻まれている魔道具だ。
エドモンは自分の行動が可笑しく、喉の奥で押し殺すように嗤った。
死ぬと分かっていながら足掻く姿は何と滑稽なのか。父の最期の言葉のせいか、それとも生物としての本能なのか……いや、きっと自分は最後まで戦い続けたいだけなのだろう――尊敬する父のように。
彼は首から下げている魔力石を握りしめる。
魔力石とは〈亜空間〉の刻印魔法が刻まれている魔石のことを指す。誕生と同時に子供は親から魔力石が贈られ、コツコツと毎日魔力を注いでいくのだ。その貯蓄された魔力は、固有魔法士でなくとも膨大な量となる。
だがエドモンの魔力石は船の動力に費やした為、残りは〈浄化〉1発分と言ったところか。
無様に震える杖を構えて魔力を込める彼を叩き潰さんと、汚染獣が巨大な手を振り上げたその時、暖かな浄化の光が辺りを包みこんだ。
苦痛と怒りを孕んだ咆哮が至近距離で轟くが……ただそれだけ。
動きこそ僅かに鈍ったものの汚染獣は未だ健在。
エドモンは何も変えられぬ己の非力さを苦く笑うと、振り下ろされる巨大な手に、訪れるであろう未来を思ってそっと目を閉じた。
ズウウウウウウウウウウウウン!!
衝撃で地面を転がったエドモンは、襲ってくるはずの痛みがないことに訝し気に目を見開く。
彼の前に佇むは黒髪黒目の1人の少年。
その場違いな光景にエドモンは夢だろうかと目を瞬いた。
汚染獣の腕を片手で易々と受け止めたその少年は、エドモンを振り返りニカっと笑う。
「良かった!おっさん大丈夫?」
喉が張り付いて声の出ないエドモンの応えを待つことなく、少年は汚染獣へ向き直る。
そして……彼は目撃する。信じられない光景を――。
一撃だ。僅か一撃で汚染獣が蹴鞠の如く外へと吹き飛ぶ。それを為したのは魔法でも何でもないただの蹴り。
ヒュッと息を飲みこみ認識が現実に追い付かぬエドモンの目の前で、少年は汚染獣を追って外へと飛びだした。それを呆然と見送ったエドモンはハッと我に返ると、慌てて少年を追いかける。
破壊された船の側面から、轟々と唸り声をあげる風が荒れ狂っている。その風に逆らうようにエドモンは開いた穴へと近づき、外へと目を向ける。いや、彼だけではない。そこにいる全ての人が同じように顔を外へと覗かせていた。
――驚愕。
それが最も近い感情だろう。
墜落しつつあった魔導飛行船がピタリと止まり、ぐんぐんと上昇していく。同時に張り付いていた汚染獣が引き剥がされ上空へと吸い込まれていく姿に、彼らは反射的にその先を仰ぎ見た。
彼らの目に映るは美しき紅の輝き。
力強く羽ばたく長大な翼、鋼の如き強靭な肉体、如何なるものをも切り裂く鋭い鉤爪。全長1キロメートルはあろうかという巨大な竜が優美に空を泳いでいる。
その竜を囲むように炎を纏いし竜巻が展開し、魔導飛行船に張り付いた汚染獣をまるでゴミのように吸い上げているのだ。時折、内部に入り込んだ個体を少年が外へと蹴り飛ばし、それらもまた例外なく竜巻へと吸い上げられている。
それは通常であれば恐怖を覚えるほど絶大なる力。
だが……彼らの胸の内に宿るのは恐怖とは別の感情だ。歓喜、憧憬、畏怖……否、もっと熱くもっと激しい感情。英雄に向けられるように熱狂的に、或いは神に向けられるように狂信的に。
ガクン、と揺れた魔導飛行船が動き出す……ゆっくりとゆっくりと。誰も操縦などしていないにも拘わらず、全ての船は何かに導かれるかのように北へと舵を取った。
「……せ!放せって!俺は子供じゃないし!!」
「マサキは飛べぬであろう。暴れると落ちるぞ」
墜落していくマサキを回収したヴィルヘルムは、落ちぬようにその身体をガッチリと片腕で抱いている。ヴィルヘルムの逞しい腕に(強制的に)腰を下ろし、足を万力の如き力で掴まれているマサキは悲鳴を上げる。体格差も相まって遠目では女の子にしか見えないだろう。
「ほらあるじゃん!違う運び方とか!!」
マサキのリクエストに応え、ヴィルヘルムはにひょいっと抱き方を変えた――お姫様抱っこへと。
「やめて!ライフが0になっちゃう!!」
「……どうすればよいのだ?」
どんどん機嫌が悪くなっていくヴィルヘルムに、マサキは焦った様に答える。
「お、おんぶとか?」
「飛ぶのに邪魔だ」
ヴィルヘルムは人型で飛行中である。背におぶれば翼を動かすのに支障が出るのだ。
仕方なしにヴィルヘルムはマサキの襟首を猫のように摘まみ上げた。
すると急に大人しくなったマサキに、これで満足なのだろうと納得した彼はそのまま司令船と思わしき船へと向かった。
実際は満足したのではなく、首が締まって声が出なくなっただけなのだが……。
開いた穴から船内へと侵入したヴィルヘルムは、そのまま襟首から手を放す。
ゴンッ!!
当然の如く額を床へ盛大に打ち付け、のたうち回るマサキを気にすることなく、ヴィルヘルムは船内を見回した。
「司令官は誰ぞ」
「は、はい!私です」
1人の20代後半と思しき男が跪き、恭順を示す。
「私はマギカ技術連邦国の幹部が1人、エドモン・マクロワと申します。この度は危ないところを助けていただき、誠にありがとうございました」
「礼はマサキに。マサキが言わねば見捨てておった。我の要求は1つ。そなたらをノースティアまで運んでやる代わりにマサキに食事と寝床を提供せよ」
即座に最高級の食事と部屋が宛がわれ、ヴィルヘルムはベッドですやすやと気持ち良さそうに眠るマサキの隣に腰を下ろす。
マサキの顔を覗き込んだヴィルヘルムは拙い手付きでその頭を撫でるが……次の瞬間、秀麗な顔が忌々し気に歪んだ。
汚染獣に触れたことでマサキの“歪み”が酷くなっているのだ。一刻も早く神獣がいる場所へ連れて行かねばならない。
「……変わるでないぞ、マサキ」
◇◇◇◇◇◇
生存が絶望的だと思われていた矢先の魔導飛行船団の到着は、ノースティアの人々に歓声と共に受け入れられた。その中でも彼らに希望を齎したのは、汚染獣を一撃で吹き飛ばす“勇者”マサキと圧倒的なまでの強さを誇る“竜王”ヴィルヘルムの存在だ。
彼らの名は一夜にしてノースティアで知らぬ者はない程に轟くこととなった。そしてそれは……良くも悪くも権力者を呼び寄せる。
「失礼」
そう言って入室してきた3人の男女をヴィルヘルムは冷めた目で見つめた。
最初に現れたのは最北の国ビアンカ王国国王、その後ろに近衛騎士団長が続き、最後にノースティアを治める女辺境伯が入室する。
ここは女辺境伯の居城の一室。他国からの避難民を乗せた魔導飛行船を救った礼にと招かれたのだ。
「これはこれは最強と謳われる竜種である御方が味方になって下さるとは何と心強いことか。国を代表してお礼を申し上げますぞ」
人好きのする笑みを浮かべた小太りの国王が手を差し出す……が、その手を握ることなくヴィルヘルムは切り出す。
「話があるのであろう。用件を申せ」
「無礼でありましょう!こちらは国王陛下であらせられますよ!」
キンキン声で叫んだ女辺境伯が立ち上がり、ヴィルヘルムを睨みつけた。黙したまま背後に佇む近衛騎士団長に、女辺境伯を止めようともしない国王。
彼らは人種の置かれた現状を理解しているのだろうか。滅びるか否かという局面で権力を振りかざすその愚かさを。
「話にならぬ。行くぞマサキ」
「え?ちょ!?」
ソファーの端っこに腰かけて身体を小さくしていたマサキはヴィルヘルムの言葉に蒼褪め、あたふたと国王とヴィルヘルムを交互に見やる。その小動物的仕草にヴィルヘルムは僅かに心を和ませた。
「所詮は魔物か。礼儀を知らんようだ。その男は渡してもらうぞ」
今までの丁重な態度を180度転換し、鼻を鳴らした国王の目にはハッキリと侮蔑の感情が浮かび、明らかにヴィルヘルムたちを見下している。
「分からんとでも思ったのか!黒髪黒目……異世界人の特徴じゃ!この世界に破滅を齎す汚らわしき汚染獣の尖兵よ!貴様が協力するのであれば目溢ししてやろうかと思っていたが……儂の心遣いは無駄になったようじゃな!騎士よ、出合ええええ!!」
その言葉と同時に室内へと雪崩れ込んできた騎士たちが、国王を守るように展開した。
彼らの殺意を孕んだ目が真っ直ぐにマサキへと向けられるが、その矛先である筈のマサキは反撃する素振りも見せず青い顔で俯いている。
無表情にその様子を眺めていたヴィルヘルムの内心は、グツグツと煮えたぎっていた。
今まで他人に興味の無かった彼は怒りというものを知らない。初めて感じる荒れ狂わんばかりの怒りが、彼の思考を真っ赤に染め上げる。
「……殺すぞ人間。無理矢理攫われてきたマサキに何の咎があるというのだ。咎は同族の蛮行を止められなかったそなたらにこそあるというのに」
ヴィルヘルムの怒りを押し殺した低い声に、マサキは弾かれたように彼を見る。今にも泣き出しそうに歪んだ顔に浮かんだその笑みを、ヴィルヘルムは守ることに決めた。
ヴィルヘルムの怒りに呼応するように隠されていた金色の角が顕現し、ギチギチと音を立てる竜爪が獲物を求めて鋭く伸びる。凄まじいまでの殺気を受け、腰を抜かし失禁する国王らに向け、ゆっくりと彼の腕が上がる……
「だあああああああ!!待って!お願いだから!!」
ヴィルヘルムの腕に飛びつき、必死に止めようとするマサキを彼はもどかしい想いで見つめる。彼からしてみれば何故マサキが止めるのかさっぱり理解できない。マサキにはこの世界の住人を糾弾する権利があるというのに。
ヴィルヘルムが口を開きかけた瞬間、扉が開き再び騎士が雪崩れ込んで来た。
新たな闖入者の刃はマサキ……ではなく国王へと向けられる。よくよく見れば、彼らの着ている騎士服はビアンカ王国の騎士とは色が違い、汚れなき純白。
それは神獣に仕える騎士の証だ。
瞬く間に拘束された国王が口汚く神獣騎士を罵るが、誰も耳を貸すものはいない。罪人の如く引っ立てられた彼らは、あっという間に視界から消え去って行った。
不機嫌そうに神獣騎士を一瞥したヴィルヘルムだが、既に戦う意志を持ってはいない。何故なら、彼の〈竜眼〉はその後ろで守られるように近付いてくる一人の少女を捉えていたから。
ヴィルヘルムの目の前で左右に別れた神獣騎士が跪き、その開かれた道をしずしずと少女が進む。白銀色の狐耳と三尾の尻尾を持つ美しい少女だ。
凛とした眼差しでヴィルヘルムを見つめる彼女こそルーファの母にして、神獣カトレアの若かりし姿。
流れるように跪いたカトレアの涼やかな声がその場に響く。
「ご無礼をお許しください、叡智なる魔物の王にして世界の守護竜たる御方。貴方様に無礼を働いた者は厳しい裁きを受けるでしょう」
「いつの世も人とは斯くも愚か。そう思わぬか、神獣カトレアよ」
「他者の命を虫の如く虐げるのも人ならば、他者のために自らの命を犠牲にするのもまた人。愚かしくも愛しき存在でございます」
その言葉にヴィルヘルムはチラリとマサキに目を向ける。以前であれば全く響かなかったであろうその言葉が、今では不思議と理解できた。
「正直、人種なぞ滅びればよいと思うておったが……気が変わった。マサキを癒し汚染獣化を阻止せよ。さすれば我も協力を約束しよう……手遅れかもしれぬがな」
皮肉気に嗤ったヴィルヘルムに顔を上げることなく、カトレアは更に頭を深く下げた。
「有難きお言葉、感謝いたします。マサキ様、御手を」
カトレアは目を伏せたまま、マサキを一瞥もすることなく手を差し出した。
…………
…………
全く反応がないマサキを訝しく思い、ヴィルヘルムがその顔を覗き込むと、そこには赤い顔でボーとカトレアを見つめるマサキの姿があった。
ふぅ、とため息を吐いたヴィルヘルムは再び息を吸い込み……。
「マサキ!!」
「うわあ!!はい!!」
そのままびょーんと飛び上がったマサキは天井に突き刺さる。プラプラ揺れる足をヴィルヘルムは無言で引っ張った。
思わず顔を上げて目を丸くしたカトレアとマサキの視線が交差する。
何を思ったかマサキは焦った顔をしてカトレアに走り寄ると、未だに所在なげに差し出されていた手を掴み立ち上がらせる。
「ご、ごめん!!」
次いでしゃがみ込んでカトレアの膝の汚れをパタパタと手で落とすと立ち上がり、真っ赤な顔で口を開く。
「あああああああの!俺、マサキ・イジュウインって言います!マサキって呼んで下しゃい!」
噛んだことで増々顔を赤くしたマサキを、カトレアは微笑まし気に見つめクスクスと笑う。
「妾はカトレアと申します。どうぞよしなに……マサキ」
見つめ合う2人をヴィルヘルムは面白くなさそうに眺めていた。
捕捉
古竜王種のヴィルヘルムは全長1キロメートルを越すほど巨大でした。現在の大きさに変わったのは、超越種に進化したためです。