竜王の怒り
――ベリアノス 地方都市――
その日、空には薄っすらと雲がかかり、雲と雲の切れ間より太陽の光が柔らかく降り注いでいた。
快晴とは言えぬものの雨の気配もなく、地上では普段と同じように働く人々の姿が見てとれる。それは何の変哲もない日常の一コマだ。
昨日と同じ今日が続き、今日と同じ明日が続く……誰もがそう信じていた。
そう、その時までは――。
それに最初に気付いたのは一体誰だったのか。
「おい、なんだありゃぁ」
――遠く、遥か遠くに赤い光が空から堕ちる。
「隕石か……こんなにハッキリ見れるなんて珍しいな」
手を止めた人々が物珍し気に空を見上げ、隕石を指さしている。そこには危機感など無く、あるのはただの好奇心。
暫く空を見上げていた人も、やがて見るのに飽きたのか1人、また1人と仕事へ戻り、隕石のことなど忘れたかに見えたその時……
「お、おい!ヤバいぞ!」
その声に重なるように至る所から悲鳴があがる。
慌てて空を見れば……そこには数十にも及ぶ赤い光が流星の如く空を流れていた。
ボっ!
円形に霧散した雲の間から見えるのは青く澄んだ空と……迫りくる灼熱の塊。
「に、逃げろぉぉぉ!!」
その言葉を皮切りに人々が一斉に動き始める。
だが安全な場所も分からぬままに、人々は右往左往するばかり。そこに規則性はなく、あるのは混乱と恐慌だ。
「邪魔だぁぁぁ!どけぇぇぇぇ!!」
前にいる人に殴りかかる冒険者。
「ママぁ!」
母を探して立ち止まった子供が容赦なく蹴り飛ばされる。
「やめろっ!やめて……ぎゃあああああ!」
踏み潰される人、人、人。
先程までの日常は鳴りを潜め、そこにあるのは地獄絵図だ。
――そして隕石……否、真っ赤に燃えた炎の塊が街へと降り注ぐ!
最初は誰もがその異常性に気付かなかった。
空から堕ちたにもかかわらず、衝撃波もなにもない。ただただ燃え盛る炎の異質さを。
そして……炎はまるで意思を持っているかの如く特定の人物を襲い始めたのだ。
「たしゅけでぇぇぇぇ!誰がァァァ……!」
「あじゅい!あじゅいよおおおお!!」
「みず……み、ずを゛……」
炎に焼かれながらも、もがき続ける彼らの皮膚は焼け爛れ、ミイラのように干からびていく。
そこかしこで響いていた悲鳴が嘘のように静まり返り、聞こえるのは苦悶の声と人肉が焼ける音のみ。
「待ってろ!今水を!」
不気味な沈黙を破ったのは1人の男。
それを皮切りに燃え続ける人々を助けようと周囲が動き出す。
だが炎は水をかけても鎮火するどころか増々勢いを増し、濡らした布でくるんでもそれは変わらない。
それどころか不思議な炎は他の者が触れても燃え移ることすらなかった。
30分経っても1時間経っても死ぬことなく燃え続ける人々に誰かが呟く。
「……祟りだ」
「神の怒りだ!」
「こいつらは神の怒りに触れたんだ!じゃなけりゃ、あり得ねぇ!」
皮肉なるかな――彼らのの行き着いた結論こそが最も真実に近いものであった。
時は少し前に遡る。
大気圏の更に上から地上を見下ろす影があった。
均整の取れた雄々しき肉体に、美しいとしか言いようのない完璧なる美貌。
暗い宇宙空間にありながら平然と佇むその姿は正に神そのもの。
――竜王ヴィルヘルム。
この場から地上を……いや、惑星を見下ろす光景は彼の特権だ。
未だ誰1人として宇宙空間に到達した者はいないのだから。
そこから見た惑星は地球と同じ青と白――生命の色だ。
だが……その美しき光景を見るヴィルヘルムの金眼は酷く冷たい。
彼の手が水平に上がり、手の平の上に炎が生まれる――紅い赤い炎だ。
それは当然ただの炎ではなく、消えること無き復讐の業火。
徐々に徐々に相手を焼き、数時間かけて燃やし尽くす……そう、魂すらも残さずに。
だが、肉体のみならず魂をも焼かれる痛みに脆弱な人種が耐えれる筈がなく、5分とかからず精神に異常をきたすだろう。
ヴィルヘルムはそれを防ぐために1つの魔法を付与した。
闇に属するその魔法は心を操ることは勿論、精神に影響を与えることが出来るものだ。
ヴィルヘルムが与えた命令はただ1つ――正気たれ、と。
これにより狂うことすら出来ぬ哀れな犠牲者たちは、死の瞬間まで苦しみぬくこととなる。
「む……忘れておった」
ヴィルヘルムは更なる力を追加する。それは追尾機能だ。
「禍津教徒の数は15,896人……1人も逃しはせぬ」
1人も、と称したが実際は幾人か抜けている。それはゴードン・デルビエルと枢機卿4名、そして彼らの部下たちだ。
枢機卿が姿を消した街をヴィルヘルムが調べたところ、1箇所だけ瘴気だまりを発見した。そこは禍津教支部の地下にある生贄を捧げる間であった。
これはヴィルヘルムにとって幸いだったと言える。
何故ならそこは風の通らぬ地下であり、尚且つ怨嗟と恐怖を抱えた人種が多く殺害された場所。それ即ち瘴気が残りやすい環境だったのだから。
ヴィルヘルムが出した結論はこうだ。
ゴードン・デルビエルを助け出した何者かがこの4名に接触し、連れて行ったということ。
彼らが禍津教の中で優秀であったことを考えれば、間違いなく引き抜きだろう。
逆に言えば他の禍津教の教徒は切り捨てられたと言っていい。
これ以上接触を待ったところで得られるものはないだろう。ならばやることは決まっている……
「行け」
ヴィルヘルムの命に従い炎が尾を引いて堕ちていく。
2つ、4つ、8つ……
分裂し数を増やした炎の数は15,896個。禍津教徒と同じ数だ。
大気圏に突入した炎は燃え尽きることなく獲物を求めて荒れ狂う。
炎が消える時……それは禍津教徒の命が消え失せる瞬間以外に有りはしないのだから。
「……帰るか」
ヴィルヘルムは結果を見届けることすらせず、炎を追うようにその身を躍らせた。
◇◇◇◇◇◇
ルーファはレイナの家の前に来ていた。
「1人で大丈夫か?」
背後から聞こえる心配そうなガッシュの声に、ルーファは力強く頷いてみせる。
『1人で行かなきゃいけないんだぞ』
意気込んでそう言ったはいいものの、押し寄せる不安にルーファは狐耳をペシャンと伏せる。
本当は一緒に付いてきてもらいたいのだが……その思いを口に出すわけにはいかない。これは自分が犯した過ちなのだから。でも……
『もし……もし、許してもらえなかったら。また相談に乗ってもらえる?』
無意識のうちに口からこぼれ落ちた弱音に応えるように、ガッシュの大きな手がルーファの頭へと乗せられる。
「その時は一緒に謝ってやるさ。何度でもな」
ニヤリと男臭く笑ったガッシュにルーファは漸前を向いた。
『ありがとう、ガッシュ!行って来るんだぞ!』
決然と走り出したルーファは一度振り返ると、感謝を込めて前足を振る。
そして今度こそ真っ直ぐにレイナの家の前まで行くとチャイムに前足を伸ばし……伸ばし……
……
……
『そ、そうだ。まだレイナちゃんは帰ってないかもしれないんだぞ』
度胸のないルーファはあっさりと決意を棚に上げた。
とは言え、実際日勤であるレイナの終業時間は17時なので彼女が家に帰るのはもう少し先になるだろう。
(どうしよっか)
玄関先をうろついていたルーファの脳裏に、家の中で待たせてもらうという選択肢が浮かぶが……その考えに敢えて蓋をする。
これは決して逃避ではない。まずはレイナの様子を確認し、その怒り具合を見定めるのだ!
そう、これはルーファの智略が生み出した素晴らしき計画……もとい、戦略的潜伏(?)なのである!
自分の考えに無理矢理納得したルーファは隠れる場所を求めてキョロキョロと辺りを見回すと、玄関脇にある植木鉢が目に入る。
他に目ぼしい場所もないことから、ルーファはその影にサッと身を潜めるとレイナの帰りをひたすら待つことにした。
――30分後
「お嬢、何かありやしたか?」
家の鍵を開けたザハリケがレイナに振り返りざまそう尋ねた。
昨日から明らかに様子がおかしいのだ。
普段であれば勤務時間が終わるのを見計らってザハリケとセジョンが迎えに行くのだが……昨日はどういう訳か2人が迎えに行く前に家に帰って来たのである。
訳を聞いても教えてもらえず、口数どころか食事の量も少ない。
父親であるアイゼンも心配してレイナに理由を尋ねようとしたのだが……食事と風呂以外は自室に籠り、全く相手にしてもらえなかったのだ。
「……別に」
小さく返したレイナに今度は後ろからセジョンが話しかける。
「悩みがあるんなら聞きやすぜ」
「うるさいわね!何だっていいでしょ!!」
ザハリケの身体を押しのけ家の中に入っていったレイナに2人は顔を見合わすと、同時にため息を吐いた。
レイナが小さいころから護衛をしている2人はかなり正確に彼女の機嫌を読むことが可能だ。
「ありゃあ、相当なことがあったっぽいな」
「まあ、な。我慢強いお嬢があれだけ荒れてんだからなぁ」
2人がそう呟き合った瞬間……
――カタッ
何処からともなく音が聞こえ、同時に剣に手をかけた2人は辺りを見回す。
「魔物か?」
「さあな」
音が聞こえてきた周辺には人が隠れる場所など無く、考えられるのは小型の魔物か動物なのだが……元来、荒野周辺はアンデッド以外の魔物が少ない地域だ。魔物の可能性は低いといえよう。
だがしかし、魔物でなければ安全かと問われれば、荒野近辺に限り事情が違う。
ここに住む生き物は毒を有する種が多く、相手によっては魔物より余程厄介なのである。
とは言っても、治癒石があるためにそうそう死に至ることはないのだが……中には即死するほどの猛毒を持つ生き物もいるのだ。油断はできない。
素早く動いたセジョンが植木鉢を蹴り倒すとそこには……プルプルと震える子狐がいた。
コンコン
聞こえてきたノックにベッドにうつ伏せに寝ころんでいたレイナは顔を上げる……が、そのまま無視を決め込む。今は誰とも話したくない気分なのだ。
今日ルーファに謝ろうとギルドに行ったレイナだったが、結局ルーファに会うことが出来なかった。
ルーファは自分に会いに来る、そう信じていたレイナはここで重大な事実に気付いた。
それは……自分からルーファに会いに行く術がないということ。もし、ルーファがレイナに会うことを拒めば……もう2度と会えないのだろう、と。
その恐ろしい考えに行き着いたレイナの目の前が真っ暗に染まる。
(……どうしよう、どうしたら)
グルグルと同じことばかりが頭を巡り、最悪の考えが頭に浮かぶ。
その考えを何度も何度も否定しながら、レイナは込み上げてくる涙を枕に顔を押し付けることでやり過ごす。
コンコン
再び聞こえてきたノックにレイナは顔を上げることすらしなかった。彼女の心はそんな余裕さえ失っていたのだ。
ゴンゴンゴンゴンゴン!
今までの控えめなノックとは違う扉を破らんばかりの轟音に、さしものレイナも僅かに顔をしかめた。
レイナが扉を開ける気がないと知れば、いつもならそっとしておいてくれるのだが……今日はやけにしつこいようだ。
そんなレイナの苛立ちも次の瞬間消し呼ぶこととなる。
「お嬢!お嬢!開けてくだせぇ!」
切羽詰まったザハリケの声に、何かただならぬことが起きたのかとレイナは慌てて起き上がった。
ザハリケとセジョンが声を荒げるなど戦闘などの緊急時以外で聞いたことがなかったためだ。
急いで扉を開けると……そこにはレイナが会いたくてたまらなかった友達の姿があった。
ふわふわとレイナの前へ浮かび上がったルーファは悄然と頭を下げる。
『レイナちゃん……ごめんなさい。オレ、オレ、悪いことだって知らなくて。今日、リィン冒険者ギルドに行って説明して謝って来たんだぞ。だから、ね。だから、また、友達に……』
なって欲しい、そう続けようとしたルーファは突進してきたレイナに抱きしめられた。
「うわああああん!!」
許してもらえるまで謝ろうと意気込んでいたルーファは、急に泣き出したレイナに驚きで目を見開く。謝ることばかりを考えていたため、泣かれるとは思ってもみなかったのだ。
オロオロと顔を動かすルーファの身体にポタポタと雫が零れる。
「殴って、ごめんねぇ。ルーファに、悪気はないって、分かってたのに……我慢できなくて……すごく後悔したの。このまま、ルーファに、会えなくなる、んじゃないかって……」
後悔したのは自分だけじゃないことを知ったルーファは、レイナの腕を飛び出すと慰めるように顔をペロペロ舐める。
『レイナちゃんは悪くないんだぞ!オレが考えなしだったせいなんだぞ!』
1人と1匹は涙に濡れた目で見つめ合うと……
「『ごめんね』」
口を突いて出た同じ言葉に顔を見合わせ、同時に笑い合う。
「これからも友達でいてくれる?」
『勿論なんだぞ!ずっと友達なんだぞ!』
こうしてレイナとルーファの喧嘩は終わりを告げ、その背後では神獣を殴ったという事実を知ったザハリケとセジョンがレイナの豪傑っぷりに恐れおののいていた。




