喧嘩・下
――カサンドラ冒険者ギルドより緊急連絡!神獣様に異変あり!至急ガッシュ陛下の応援を求む!
その報せを受けると同時にガッシュは部屋を飛び出した。
彼がギルドマスターの部屋の扉を開けたのは連絡を受けて僅かに5分後、その慌て具合が分かるというものだろう。
室内に入ると同時にガッシュはソファーの上で膝を抱えて泣いているルーファに目を止め、次いで側にいるインディゴを睨みつける。
まあ、傍から見れば美少女を泣かす強面のおっさんの図にしか見えないのでその反応も致し方あるまい。
「……ルーファに何をした」
剣の柄に手をかけて魔力を放つガッシュの姿にインディゴはというと……グビリと唾を飲み込み、そのままガッシュへと向かって走る!
「申し訳ありませんでしたー!!」
見事なスライディング土下座を決めたインディゴに気を削がれたガッシュは、そのまま横を素通りしてルーファの隣へ腰を下ろす。
普段であれば、ガッシュが近付けば嬉しそうに尻尾を振るルーファだったが、今日ばかりはピクリとも反応を見せない。
ガッシュはそんなルーファをひょいっと抱き上げ、自らの膝の上へと乗せるとその頭を優しく撫でた。
「どうした?何があったんだ?」
ガッシュの言葉にノロノロと顔を上げたルーファが涙に濡れた目を瞬く。
「レ、レイナちゃんが……ヒック、オレのこと、だ、大っ嫌いだ、て。うえええええん」
――“レイナ・ラプリツィア”。
ガッシュもその存在は知っている。とは言っても彼がレイナの事を知ったのはつい先日の話だ。
ルーファが禍津教に攫われてから救出されるまでの一連の事件の詳細をラビに尋ねたのだ。
ガッシュのことをルーファを狙うロリコンだと思い、目の敵にしているラビだが……この時ばかりは素直に教えてくれた。
その話の過程でレイナがルーファを守って死に、その後生き返ったことを把握したのだ。
それを踏まえれば、ルーファがレイナのことを大切な友人だと思っていることも想像に難くない。
「理由は聞いたのか?」
普段からは想像も出来ぬほど優しい声音で語りかけるガッシュに、ルーファは首を左右に振った。
その動きに合わせてフードが外れ、露わになった白銀色の髪を優しく梳きながら、ガッシュはルーファの顔を覗き込んだ。
潤んだ藤色の目が縋るように自分を見つめる姿は今にも消えてしまいそうなほど儚く、ガッシュの庇護欲を大いに刺激する。
蜜に引き寄せられる蝶の如く、ハラハラと零れる透明な雫に唇を寄せた彼はペロリとソレを舐め取る。
(……甘い)
この瞬間ガッシュの脳内からインディゴの姿は削除され、あるのはルーファの涙を止めなくては、という謎の使命感のみ。
ペロペロと絶世の美少女の顔に舌を這わせる犯罪者顔の男。そこには甘酸っぱい空気が漂いながらも、何故か犯罪臭がする不思議な空間が出来上がっていた。
ギイイィィィィィィ……
突如響いた異音に、ハッと我に返ったガッシュが音の出所を見れば……こっそり部屋から退出しようとしていたインディゴとバッチリと目が合う。
「「……」」
ここにきて漸くガッシュは現状を認識した。
客観的に見るとこうだ。
――膝の上に美少女
――その細い腰に手をまわし、ペロペロしている自分
良くてロリコン。悪ければ性犯罪者といったところか。
ガッシュの脳裏に手枷を嵌められ弾劾される未来の自分の姿が過ぎり、背中に嫌な汗が流れ落ちる。
1つ咳払いしたガッシュは至極真面目な口調でインディゴへ話しかける。ここで動揺をみせてはならない。
「何処へ行くつもりだ?」
ビクリと身体を揺らし、今まさに扉を閉めようとしていたインディゴの顔に胡散臭い笑みが浮かぶ。
「お、お茶を淹れに行こうかと……」
ギルドマスターには副官とは別に助手がついており、彼らはギルドマスターの仕事の補佐から受付業務、お茶くみまでこなす秘書兼雑用係りだ。
レイナの業務がこれにあたり、彼女が飛び出した手前、確かにギルドマスター自らお茶を淹れてもおかしくはないのだが……
「お茶をお持ちいたしました」
無情にもお茶をお盆に載せた副官が廊下を歩いてやって来た。
退路を奪われたインディゴは大人しくガッシュの正面へと腰を下ろすこととなった。
微妙な雰囲気の中、喉を潤したガッシュは本題を切り出す。普通に話を進めて自分の行動を有耶無耶にする作戦である。
「それで?一体何があったんだ?」
ガッシュの薄汚れた内心など露知らず、ルーファもじっとインディゴを見つめている。
「それが……」
ルーファに目を止めたインディゴは僅かに逡巡するが、やがてポツポツと事情を語り始める。
冒険者ギルドに圧力がかかり、レイナに異動命令がでたこと。そして……それによりレイナが苦しい立場に追い込まれていることを。
(どうしよう。オレの所為なんだぞ)
話を聞き終えたルーファは後悔の真っただ中にいた。
自分が仕出かしてしまった過ちの所為で、レイナが悪く思われているという事実がルーファの心に重くのしかかる。
カサンドラの皆に嫌われ、意地悪をされたことはルーファの記憶に新しい。当時、どれだけ辛くどれだけ悲しかったことか。
その悲しみのどん底から救いだしてくれたのがレイナだ。
それなのに……レイナをかつての自分と同じ辛い状況へと追いやってしまった。そのことが無性に腹立たしく……そして許せない。
「何とかしなくては」そう思うのに、ルーファは何をすればいいのかが分からない。
どうすればレイナを救えるのか、どうすればレイナに許してもらえるのかが。
(……泣いたらダメ)
本当に辛いのはレイナであり、自分には泣く資格など無いというのに……だがルーファの想いとは裏腹に、次から次へと涙が溢れ出す。
無言で涙を溢すルーファの頭にガッシュの大きな手が乗せられる。
「いいか?過ぎてしまったことを無かったことにする事はできない」
レイナにもう許してもらえない、そう言われた気がしてルーファは大きくしゃくり上げる。
「だがな、それを挽回することは出来る。自分が何をすべきか分かるか?」
「レ、レイナ、ちゃんに、謝る?」
それしか思い浮かばないルーファは自信なさげに答える。
「そうだな。謝ることも大切な事だ。だが……それじゃあ状況は変わらない。レイナが悪く言われたままでもいいのか?」
「嫌!レイナちゃんは悪くないの!オ、オレが、間違え、たの……オレの、所為で、レイナちゃん、が悪く言われるの、は嫌……」
ルーファは知らないということが“罪”だと初めて認識した。
いや、きっと知ろうとしなかったことが“罪”。思えば、自分はいつも周りに頼ってきた。頼もしい家族に友人、そして眷属たちに。
頼ることは悪いことだとは思わない。いや、頼れる人が周りにいることは幸せな事なんだと思う。
ただ……ずっと頼ってばかりじゃいけないんだと強く感じた。自分で学ばなければならないのだと。
ゴシゴシと袖で涙を拭ったルーファは顔を上げる。
「誤解を解きたいの。レイナちゃんはいい子だって皆に知ってもらいたいんだぞ!」
真っ直ぐガッシュを見つめたルーファの頭がわしゃわしゃと乱暴に撫でられる。
「よし!インディゴ!!」
「はいっ!」
「明日、リィン冒険者ギルドへ行くから連絡をいれとけ!」
「分かりましたあああぁぁぁぁぁ……!」
退出の挨拶もなしに飛び出して行ったインディゴを見送り、ガッシュが再びルーファに問いかける。
「自分が何をすべきか分かったか?」
「うん、自分がしたことをちゃんと話して謝って来るんだぞ」
そうすればレイナが悪くないと分かってもらえる筈である。レイナに謝るのはそれからだ。
「ガッシュ、あのね……ありがとう」
ルーファはガッシュに凭れ掛かると、はにかむように笑った。
ルーファは知らない。この時、優しく自分を見つめるガッシュがロリコンという名の欲望と戦っていたことを。
◇◇◇◇◇◇
大きな木の下で膝に顔を埋めて泣いていたレイナは、ふと何かの気配を感じた気がして辺りを見回す。
ザワザワ……ザワザワ……
耳を澄ませても木々の騒めきしか聞こえない。気のせいか……そう思ったレイナは地面に視線を落とす。
「殴っちゃった……」
レイナも本当は気付いているのだ。
ルーファに悪気はなかったという事を。いや、ルーファのことだ。きっとレイナのためを想っての行動に違いない。
それなのに……
「最低だ……」
レイナは自分の手の平を見る。
未だにじんじんと熱を持っているソレを。人を思いっきり引っ叩いたのはこれが初めてかもしれない。
「こんなに痛いんだ」
叩いたレイナも……叩かれたルーファはもっと。
今頃ルーファは泣いているだろう。「謝りに行かなくては」という思いと、「今は会いたくない」という思いがせめぎ合う。
結局レイナが選んだのは後者だ。
一体どの面下げて謝りに行けというのか。それに……またみっともなく八つ当たりしてしまうかもしれない。
そうなれば、今度こそルーファに嫌われてしまうだろう。
(ああ、そっか)
自分は怖いのだ――友達を失うことが。
怒りに任せてルーファを傷つけ、それでいて嫌われたくないなんて何と虫のいい話だろうか。
「馬鹿みたい。殴る前に気付きなさいよ……」
自嘲したレイナはノロノロと立ち上がると、冒険者ギルドではなく自宅へ向けて歩き出す。
流石のレイナも今更ギルドへ戻る勇気はなかったのだ。
「明日謝ろう……」
そう決意したレイナだったが、その顔は不安に曇っている。
トボトボと歩くレイナを木々の騒めきが見送っていた。
レイナが立ち去って暫し、森に異変が起こる。
騒めいていた木々が口を閉ざし、暗雲が太陽を覆い隠す。緑に輝いていた森は鳴りを潜め、昏い影が森全体を支配する。
深淵が地面に円を描き、中からロキとラビが姿を現した。
「何故止めた?あの女はルーファを傷つけた……殺すべきだ」
殺気を放ちながら、ロキはレイナが立ち去った先へと目を向ける。
『ダメじゃ。それがルーファを傷つける行為だと何故分からん』
「ふん、レイナは所詮人種、どうせすぐ死ぬ。なら、オレが手を下したところで変わりないだろ?」
『それでは済まんから言っておるのじゃ!ルーファもレイナもお互いを大切に思って……』
「必要ない!ルーファにはオレがいればいい。他はイラナイ。人種などといった下等生物はルーファに相応しくない。そうだろ?」
頑ななロキの態度にラビはため息を吐く。
ロキがレイナを殺そうとした瞬間、割って入ったのはラビだ。
何とか殺害を思いとどまらせたものの、未だにロキはレイナへ殺意を向けている。
このままでは目を離した隙にこっそり始末しかねない、そう思ったラビはロキを止めるべく口を開いた。
『調子に乗るでない若造よ。今のお前さんは我慢の効かぬただの子供じゃ』
自分に向けて放たれる殺気を柳の如く受け流したラビは、恐れることなくロキへと近づく。
『確かにルーファはお前さんを愛しておろう。じゃが知っておるか?“愛”が転じれば容易く“憎悪”へ変わるということを。“愛”が深ければ深いほど“憎悪”はより激しくなるじゃろう……それが“心”というものよ』
黙り込んだロキにラビは続ける。
『“心”を学べ。理解せずともよい……ただ学べ。それがルーファを守ることに繋がろうて』
無言で転移で去って行ったロキにラビは大きく息を吐く。
いずれロキはルーファを傷つける、そんな気がしてならない。
『まあ、最後まで聞いて行ったのじゃ。改善の余地はあろうて』
やれやれ、とため息を吐いたラビはルーファを想う。
ルーファの心は人種のソレに近い。彼らを仲間だと思い、笑い合い……そして今回のように喧嘩する。
それは対等でなければ成立しない行為だ。
それを考えれば、ヴィルヘルムですらルーファの心を理解できていない、と言ってもいい。
彼の根幹は竜種。人種を殺すことで世界のバランスを保とうとする魔物なのだから。
そして……悪魔であるロキもそれは同じ。
ただ、1つだけ違う点は、ヴィルヘルムがルーファの“心”を想像して気にかけているのに対し、ロキは自分の感情を優先しようとしていることか。
自分の考えが絶対だと思うのは幼い子には多々あること。生まれたばかりのロキが感情のままに行動するのは仕方がないのかもしれない。
これから学んでいけばいいのだろうが……
(儂には荷が重いわい)
確かにロキはラビを多少なりとも敬っているようだが、それがいつまで続くかは疑問なところだ。
そもそもラビは格下なのだから。
故にラビがロキのストッパーとしての役目を期待するのはガッシュだ。
ルーファの“心”を真に理解できるのは元人種であるガッシュをおいて他ならない。
この男こそルーファの心に寄り添える唯一無二の存在だ……ロリコンだが。
(これが天の采配というものか)
ルーファの側に必要な人材が集まって来ている。そんな気がしてならない。
ラビはこの感覚に覚えがあった。
“英傑”――そう謳われる人物が同じ時同じ場所に複数人集まることがある。
それは激動の時代の幕開けだ。いや、集まっているのは“超越種”。果たして何が起きるやら。
ラビは湧き上がる不安……ではなくワクワクとした気持ちに小さく笑った。
『……儂もまだまだ若いのう』




