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喧嘩・上

「レイナ、話があるから部屋に来てくれ」


 インディゴにそう声を掛けられたのは、レイナが書類を整理している時だった。


「これが終わったらすぐ行きます!」


 今持っている書類を手早くファイルに閉じると、レイナは足早にギルドマスターの部屋へと向かう。



 最近ギルドは多忙を極めていた。


 始まりはドラグニルの声明からだ。

 元荒野がルーファの領土と決まったために、カサンドラの民は故郷への帰還を半ば諦めていた。そんな中、ルーファが()()()()()でカサンドラ一帯をリーンハルトへ割譲したと発表があったのだ。それも、100階層に及ぶ迷宮付きでだ。

 更に神獣神殿が元荒野を聖地と認定したことにより国内外からも移住の希望が殺到し、これから訪れるであろう明るい未来にカサンドラの民は大いに沸いた。


 既に大工や鍛冶職人といった技術者がカサンドラへ向けて出発し、全国にある冒険者ギルドにルーファが創った迷宮――カサンドラ迷宮と呼ばれる――の攻略依頼が張り出されたのである。


 ――期間は1年間。


 まあ、目的は攻略ではなく復興に必要な資源の確保だが……未知なる迷宮なだけあってどんな資源が得られるのか、といった調査から始めなければならないのだ。

 それでも迷宮につきものの魔物暴走(スタンピード)が発生がないこともあり、多くの冒険者の興味を引いた。


 各地から依頼を受けた冒険者の移動の日時や人数の調整で、レイナも忙しい毎日を送っている。

 その件で何か問題が起きたのかもしれない、そう思いつつ扉を潜ったレイナを待ち受けていたのは、何とも微妙な顔をしたインディゴだった。


「何かあったんですか?」

「ああ……うん……実は……いや、だが……」


 何とも煮え切らないインディゴの反応に現在進行形で仕事に追われているレイナはイライラと口を開く。


「忙しいので早くしてください」


 うう~、と唸ったインディゴが薄くなってきた頭部を掻きむしったかと思えば、バン!と両手で机をたたく。


「やめだ!やめだ!単刀直入に聞くぞ。お前、リィン冒険者ギルドに何かしたか?」

「どういう意味ですか?確かに異動希望は出しましたけど」


 異動希望を出しているのは何もレイナだけではない。

 これを機会にリィンへ……と考える者は意外と多かったりする。やはり開拓村となれば物資は不足しがちであるし、他の街と同じレベルまで発展させようと思えばそれこそ10年単位の年月が必要だからだ。


 不便な上に仕事量が確実に増すだろうカサンドラにいるよりも、華やかな王都に行きたいと願う若者は多い。

 神獣(ルーファ)が王都で暮らすとなればそれも尚更(なおさら)だ。

 受付嬢の中でもレイナと同世代の者はほぼ全員異動願を出しているといっても過言ではないのだ。


 首を傾げたレイナにインディゴは何かを悟ったのか、急に真面目な顔をしてレイナの肩に両手を置く。


「いいか、落ち着いて聞け。お前にリィンへ()()()()が出ている」

「えっ!?」


 一瞬嬉しそうに顔を綻ばしたが……すぐにそれは訝し気な表情へと変わる。

 インディゴは()()()()だと言った。異動願が受理されたでも、許可されたでもなく。


「……どういう意味ですか?」


 僅かに声を固くしたレイナが問えば、インディゴは言いにくそうにレイナを見る。

 暫しの逡巡の後、彼は重い口を開いた。


「オレはなぁ、お前が真面目で真っ直ぐな奴だって知っている。これでも子供のころから面倒見てきたんだ。本当は言わずにおくべきかとも思ったんだがな……だが、どちらにしろ傷つくのはお前自身だ。いいか?冒険者ギルド総本部から圧力がかかった。お前をリィンへ異動させるようにってな」


「な、なんで……」


 言葉の意味を理解したレイナの顔から血の気が引いていく。


 冒険者ギルドとは権力を嫌い、武力を重んじる組織だ。

 どんな権力者であろうと……いや、例え国王であろうと命令することが出来ぬ組織、それが冒険者ギルドである。

 過去には首輪をつけようと多くの国があの手この手で干渉してきたが、その全てを圧倒的な武力で以て跳ねのけてきたのだ。

 時には制裁として特定の国からギルドを撤退させたこともある。誰にも屈しない――それが冒険者ギルドの信念であり誇りだ。


 本来、一介の職員の異動のために総本部からリィンへ直接連絡が来ることはない。

 総本部が絡む人事となれば、それこそリーンハルトの統括支配人――王都リィンのギルドマスター――の任命の時のみ。


 つまり、レイナの人事異動に総本部が口を出した時点で何らかの圧力が働いたということだ。そしてそれは……誇り高いギルドがその圧力に屈したことを意味する。

 いや、それだけではない。多くの者はその圧力にレイナが関わっていると見なすだろう。

 レイナは本人の与り知らぬところでギルドの顔に泥を塗ったことになる。


「分かってる!お前はそんなことをする奴じゃない。このギルドに入った時だって親父さんのコネを使わずに自力で勉強して勝ち取っただろ?お前がこういうやり方を嫌ってるのは知ってんだよ……だがなぁ、他の奴らはそうは思はない」


 インディゴは痛まし気にレイナを見る。


 レイナがルーファ(ルウ)と仲が良いことを彼は知っている。

 恐らくこの采配は2人が一緒にいられるように何者かが手を回したことなのだろう。

 だが、知らない者からすれば……いや、知っている者でさえも、レイナがルーファに頼んだと思うに違いない。


 リィン冒険者ギルドマスターであるバライから連絡が来た時も、レイナに対して怒りを露わにしていた。インディゴも取りなしたのだが……「お前も懐柔されたのか」と言われる始末だ。

 このままリィンへ行ったとしてもレイナが苦労することは目に見えている。かといって、一介の職員が総本部からの命令に反することは出来ない。


 レイナが身の潔白を証明する方法は1つ――。 


「言いたかないんだが……冒険者ギルド以外でも働き口はいくらでもあるぞ?何ならオレが紹介してもいい」


 それは冒険者ギルドを辞めること。

 これにより、レイナの意思ではないことを証明できる――彼女の“夢”と引き換えに。


「何で!?何で私が!?私は何もしてないのに!!」


 インディゴの手を払いのけ、レイナは怒りに任せて彼を睨みつけた。

 だが心配気に自分を覗き込むインディゴを見たレイナの怒りは、春先の雪の如く溶けて消え失せる。

 いや、理不尽に対する怒りは変わらず彼女の中にあり、その怒りの矛先がなくなっただけに過ぎない。

 胸の内を荒れ狂う感情をレイナは唇を噛み締めて耐え、その重苦しい沈黙に耐えかねた様に勢いよくドアが開いた。



 バターン!!



「た、大変です!ルウ様がいらっしゃいました!!レイナさんに会いたいと……」


 息を切らしてやって来た職員が興奮して言葉を捲し立て、レイナは以前ルーファから言われた台詞を思い出す。




 ――『ヤダ!ヤダ!ヤダ!一緒にリィンへ行こうよう!』




 そう言って泣きそうな顔で見上げてきた子狐(ルーファ)


(……ああ、そうか)


 レイナは理解した――誰がギルドに圧力をかけたのかを。

 レイナの頭の中が真っ白に染まり、彼女は抑えきれぬ激情に従い走り出した。


「おい!レイナ!何処へ行くんだ!」


 レイナの背に焦ったインディゴの声が虚しく響いた。

 


 



 ◇◇◇◇◇◇





「るんた♪るんた♪」


 ルーファはご機嫌にスキップをしていた。


 昨夜セルギオスがやって来て、レイナがリィン冒険者ギルドへ異動できるように手配したと報告を受けたのだ。

 そのため今日はレイナに知らせるべく、朝から迷宮内にあるカサンドラ冒険者ギルドへ向かっている次第である。


 冒険者ルウの正体が神獣だとバレて以来避けていた場所ではあるが、ゼクロスに聞いた話によると長距離転移陣での移動が始まったために、ギルドへ来る冒険者の数が激減しているのだとか。

 今ならば安全(?)にギルドへ行けることだろう……多分。


「ふふっ!レイナちゃんきっと喜んでくれるんだぞ!」


 レイナの喜ぶ顔を思い浮かべたルーファは、嬉しくなって大きく尻尾を左右に振る。

 最近はメイゼンターグのギルドを利用していために、久々に目にしたギルドの扉を懐かしく思いながらもルーファは押し開いた。


 その途端に突き刺さる視線にビクリと身体を震わせたルーファは、反射的に尻尾を股の間に挟み込んだ。

 虐めはすでに過去の出来事だが、あれ以来ルーファは大勢の人に見られるのがどうにも苦手なのだ。

 ルーファの脳裏にこのまま回れ右して帰るという選択肢が浮かんだが、ここが迷宮の中だという事を思い出してグッと耐える。いざとなれば頼もしい仲間が助けに来てくれるのだから。


 決意も新たに当初の目的を果たすべく受付を見回すが、レイナの姿は見当たらないようだ。

 そのままトコトコ歩いて受付に近づけば、ルーファが声を掛けるより早く受付嬢が慌てて転がり出て来た。


「ル、ルウ様!ようこそおいで下さいました!本日の御用件は何でございましょうか!」

「レイナちゃんに会いに来たんだけど……」


 今更ながらにレイナが仕事中だということに思い至ったルーファの言葉はどんどん小さくなる。

 不安そうなルーファとは裏腹に受付嬢は笑顔で頷くと「少々お待ちください」という言葉を残して猛然と駆け出して行った。

 他の受付嬢が同僚の考えなしの行動に頭を抱えながら、放置されているルーファを個室へ案内しようとした矢先、2階から目当ての人物であるレイナが駆け下りてくるのが見えた。


「あっ!レイナちゃん!あのね……」


 近付いてくるレイナに駆け寄ったルーファが話しかけたその時……



 ――バチィィィィィン!



「え……?」


 鋭い痛みが頬を突き刺し、ルーファは呆然とレイナを見る。

 ルーファを睨むその目には怒りと悲しみが宿っていた。


「何てことしてくれたのよ!ルーファのバカ!大っ嫌い!!」


 そのまま横を通り抜けて外へ出て行くレイナの背を見送ったルーファは何が何だか分からなくなり混乱する。

 いや、ルーファにも分かることがただ1つ。それは……レイナに嫌われたという事。


「ふえっ……ふええええええええん!」

「ルウ様!?ええと、どうしたら……クソ!おい!ガッシュ陛下に連絡しろ!!緊急事態だ!!」


 遅れて駆け付けたインディゴが職員に指示を出し、「し、失礼します」と一言断りを入れてから抱き上げられたルーファは、そのままギルドマスターの部屋へと運ばれたのだった。


 





 一方レイナは冒険者ギルドを飛び出してから、当てもなく走っていた。


 どれだけ走ったのか……レイナの呼吸は激しく乱れ、辺りを見回せば木に囲まれ人っ子一人いない。

 本来であれば迷宮の一階層とはいえ、武器も所持せず走り回るなど自殺行為なのだが……ここは違う。ルーファの采配により1階層は魔物のいない安全領域になっているのだ。


「はあ!はあ!はあ!」


 足を止めたレイナは大きな木に背を預けそのままズルズルと座り込んだ。

 その途端に今まで(こら)えていた涙が(せき)を切って溢れ、彼女の頬を濡らす。

 声を押し殺して泣く彼女を見守るのは雄大な自然だけ……否、違う。


 ポツン、と彼女の頭上に黒い染みができる。 


 光を通さぬ黒い、闇よりも尚黒い染みだ。その染みが徐々に徐々に大きくなり、中からゆっくりと人が現れる。


 3対の翼に3本の尾を持つ男――ロキだ。


 無音で浮かぶロキの眼球は漆黒に染まり、その中から血の如き紅い目がレイナを冷たく見下ろしている。

 ロキから溢れ出した紫暗色の魔力が両腕へと絡みつくと鋭いかぎ爪へと姿を変え、その口が音なく言葉を紡ぐ。



 ――死ネ。




   

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