ヴィルヘルムの思惑
その日、竜王国ドラグニルが発表した声明により世界は混沌の渦へと叩き込まれた。
メディアは我先にその内容を掲載し、情報誌の売り上げはいつもの何倍にも膨れあがった。
大通りのそこかしこからは噂する市民の声が聞こえ、普段は酒場でくだを巻いている酔っ払いたちが声高に議論を交わしている姿は一種異様だといってもいいだろう。
だが最も動揺したのは誰かと言えば……各国の首脳陣である。
さて、世界に混乱をもたらしたその声明の内容は大きく分けて2つ。
1つが荒野消失のあらましとその所有権についてだ。
では、その一文をここに抜粋してみよう。
“5000年間不毛の土地であった荒野を迷宮神獣ルーファスセレミィが癒し、大地は息吹を吹き返した。この地を永遠に迷宮神獣ルーファスセレミィの領土とし、何人たりとも侵すこと能わず”
この声明が発表された時点で汚染獣襲撃とカサンドラ消滅のニュースは既に世界各地で報道されており、余程の僻地にいない限り知らぬ者はいない。〈大災厄〉の文字が紙面を飾ることも珍しくなく、ラジオも繰り返し汚染獣の脅威を伝えている。
各国の記者はこぞって荒野へと訪れ、その悍ましき姿を写真に収めた。そんな中での発表は人々の度肝を抜くこととなった。
何せ5000年間、母なる神獣ですら癒すことが叶わなかった大地だ。
いくらドラグニルの発表と言えど疑う者もそれ相応に多かったと言える。
だがメイゼンターグに滞在していた記者から送られてきた写真――花が咲き乱れた何処までも続く草原の姿――に、その疑いは完全に払拭された。
そして何よりも人々が興奮と共に語ったのが――“迷宮神獣ルーファスセレミィ”の存在だ。
母なる神獣をも凌駕するその聖なる力に人々は歓喜した。
その最たる存在が神獣神殿であったことはある意味必然だろう。彼らはカトレアが身籠っていたことを知っており、ゼクロスからの報告もあってルーファがカトレアの実子であることを把握していたのだ。
声明発表後の神獣神殿の行動は早かった。
即座にドラグニルに賛同の意を表すると同時に、その行動を英断だと褒め称えたのだ。そして、元荒野を“聖地”と認定した彼らは、その近郊に神獣神殿の建造許可をガッシュへと求めた。
この諸々の出来事により、世界有数の大国でありながら、西部諸国以外からは見向きもされていなかった獣王国リーンハルトは、一躍注目の的となっている。
それと同時に、この声明は様々な憶測を呼んだ。
その代表的なものが「“聖地”を狙った各国の争いを防ぐための措置」というものや「リーンハルトの勢力拡大にドラグニルが汲みした」というものである。
現実問題、この声明によって確かに争いは回避され、迷宮神獣ルーファスセレミィを有するリーンハルトは、間接的にではあるが聖地を手に入れたと言える。
さて、各国が真相を探ろうと動き出す中、ヴィルヘルムは一体何を思って聖地をルーファの領土としたのか。その答えは……ルーファの魔法の練習場に丁度良いという至極残念な理由からだ。
ルーファが普段魔法を練習している場所は迷宮なのだが、そこではルーファの魔法を補助する効果があるために適切だとは言い難い。
迷宮の中で出来たことが外では出来ない……それではいざという時に役に立たないのだ。
これがヴィルヘルムが聖地を欲した理由である。
そんなしょぼい理由だとは露知らず、この地を狙っていた国々は内心、不満を燻らせていた。
本来であれば、他国――しかも遠方の地である西部諸国――の領土に対して、何の関係もないドラグニルが干渉するなど、いくら大国と言えど許されざる行為だと言える。
これが西部諸国との交渉の結果であればまだしも、一方的な宣言に過ぎないのだから。
だが……今回に限り誰もが口を噤んだ。
何故ならその声明に記載されている名は竜公セルギオスではなく、ヴィルヘルム・セイ・ドラグニル――伝説に語られる竜王であったのだから。
世界は震撼した。
“竜王が動いた”――その事実に。
そして更なる激震が世界に奔る。
それがもう1つ記載されていた事柄――世界会議の開催だ。
マスメディアに対しては世界会議開催としか記されていないが、各国首脳陣に対しては80万体に及ぶ汚染獣の出現と、それを率いる知恵ある汚染獣について言及されていた。
勇者召喚が行われていることを各国の王が認識した瞬間である。そして……最後にこう記してあった。
“竜王の名において拒否することは許さぬ”
全ての王がその真意を正確に理解した。参加を拒否すれば、勇者召喚に関わった国として滅ぼされることを。
カサンドラを中心に起こった異変は、今や波紋の如く世界全体へと広がりつつあった。
「代理参加を許してもよろしかったのですか?」
セルギオスがお茶を淹れながらヴィルヘルムへと尋ねる。
世界会議への参加資格は各国の代表者としか記載されておらず、国王の名代であれば誰でも構わないというスタンスである。
ヴィルヘルム至上主義のセルギオスからしてみれば、無礼千万な許されざる行為だと言える。
「構わぬ。どちらにしろ後ろ暗いことがある者は影武者を送ってこよう。そうなれば、本人かどうかを確認する手間がかかるだけのこと。それに我が名を出して尚、代理を送って来るようならば……それは疑ってくれと言っているようなものぞ」
「差し出がましいことを申しました」
深々と頭を下げるセルギオスにヴィルヘルムは鷹揚に頷いた。
今回開催される世界会議の目的は、勇者召喚が行われていることを各国に知らせるため、となっている……表向きは。
異世界人が原因だと思われるアカシックレコードのノイズが世界各地に広がり、読み取れない箇所が日を追うごとに増えている。
遠からず世界全体が黒く染まり、アカシックレコードは無用の長物と化すだろう。
当初は西部に勇者召喚陣があるのではと思われていたが、ノイズの広がりと異世界人の動きが連動しているのならば、別の場所で召喚されて西部に連れてこられた可能性も否めない。
それを踏まえれば、他の地域の調査も蔑ろには出来ないのが現状だ。まあ、最も怪しい地域が西部であることに変わりはないのだが。
いずれにしても地道に各国を調べて回るよりも、世界中に散らばっているであろう異世界人を捕らえて、勇者召喚陣の在りかを聞き出す方が効率的だ。
知恵ある汚染獣へと変わる異世界人が自分たちの国にいる可能性を考えれば、各国は全力を以て調査に乗り出すことだろう。
要するに調査の手が足りないのなら、各国に自主的に調査をしてもらえば良い、という考えである。
幸いなことに、黒髪黒目の黄みがかった肌というのは、この世界に於いて非常に珍しい色彩だ。
それに異世界人は種族固有スキル〈言語理解〉と〈身体強化〉を持っており、“真実の水晶”で確認すれば直ぐに異世界人かどうかが分かるのだ。
だが……調査は所詮ついでに過ぎない。
世界会議の真なる目的は勇者召喚に関わっている国家の炙り出しだ。
ヴィルヘルムは勇者召喚に高確率で国家が関わっていると睨んでいる。
何故なら、国家ぐるみでなければ、80万体もの汚染獣を誰にも知られることなく隠し通すことは不可能だからだ。
更に条件を絞るのならば、汚染獣を密やかに移動することが容易な原魔の森か海……もしくは荒野に面している国々か。
原魔の森で瘴気が発見され、尚且つ叡智ある魔物が消えたことを考えれば、森に面する国が最も怪しいと言えるのだが……ここでの問題は、原魔の森に面している国が20カ国もあるということだろう。
そこで、今回の世界会議を利用して関わっている国家を篩にかける予定なのだ。
相手の鼓動や血流すら視ることが可能な〈神竜ノ眼〉にかかれば、嘘をついているかどうかなど一目瞭然であるし、今回は〈叡智ノ眼〉を持つロキもいる。確実に的が絞れることだろう。
ヴィルヘルムは考察を一時中断し、手に持っているカップをソーサーへ戻すと本題へと入る。
「それで……禍津教についての調査はどうなっておる」
「ハッ!ベリアノス、アンセルムに関しては所在地の確認が取れました。今は部下を張り付けてあります。中部諸国の拠点も半数以上は把握できておりますが、全てを調査するまではもう少々お時間を頂きたく存じます」
ヴィルヘルムがセルギオスに命じてからまだ5日。
凄まじい速度だと言えるだろう。これも竜種の存在があればこそだ。彼らの竜魔法〈闇ノ極〉には、精神支配系の力も組み込まれているのだから。
要するに、竜種たちは教えられた禍津教支部へと赴き、そのまま責任者を支配して回ったのである。支配した責任者の情報を元に新たな支部や人員を芋づる式に把握していったという訳だ。
「ただ……」
淡々と報告していたセルギオスが初めて口ごもる。
「何ぞ。はっきり申せ」
「ハッ!ただ、行方知れずになっている者が幾人かおります」
ピクリと眉を動かしたヴィルヘルムが続きを促す。
「枢機卿4名、ラシム・カトゥン、アデリン・ネッラ、カーデス・プタハ、ツタン・フィンクォーツそして彼らの部下たちです。捜索しておりますが街を出た形跡も他の街へ入った形跡もなく、まるで足取りが掴めません。それとゴードン・デルビエルですが……脱走したことすら知っている者はおらず、こちらの足取りもようとして掴めておりません」
「枢機卿4名が最後に目撃されたのはどこだ?」
「こちらになります」
スッと差し出された紙を一瞥し、ヴィルヘルムは目を細めた。
そこに書いてあったのは4つの街の名だ。
つまり、彼らはバラバラに姿を消したことになる。ゴードン・デルビエルが脱走した地下牢に転移の痕跡があった事を考えれば、この件にも転移能力者が絡んでいるだろうことは想像に難くない。
これで同じ人物が関与している可能性が高まったと言える。
――鍵は“瘴気”。
もし、街中に瘴気が残っていたのなら……彼らは間違いなくゴードン・デルビエルと共にいるはずだ。
ただ今回は空気がこもる地下牢ではなく、風の通る街中。瘴気が残っている可能性は低いだろうが……
(確かめねばならぬ)
そこにルーファが危険に晒される可能性が少しでもあるのなら、それを潰すのが自分の役目だ。
立ち上がったヴィルヘルムは窓辺に歩み寄りセルギオスを振り返る。
「並行して勇者召喚についても探れ。何か分かり次第報告せよ」
「畏まりました」
恭しく頭を下げたセルギオスを一瞥もすることなく、ヴィルヘルムは窓から身を躍らせる。
頭を上げたセルギオスの視線の先には、ただ青い空だけが広がっていた。




