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明かされし過去の傷跡・中

 ザアアアアアアアアア


 

 草原のように湖面を波立たせがら風が駆け抜け、白い花びらを舞いあげる……否、それは蛍火。

 ふわり……ふわり……と空中を揺蕩(たゆた)う蛍火は、まるで粉雪のように儚く美しい。


 それは妖精の舞か、はたまた夢幻の住人か。


 光の出所を辿れば1本の樹が見える。見上げんばかりに巨大な大樹だ。

 その大樹こそが光の大本にして湖の主、太古より世界を支えてきた存在――神樹だ。


 空を抱かんばかりに枝を広げた堂々とした佇まいは悠久の時を感じさせ、内から溢れる白銀色の輝きはオーロラの如く同じ顔を見せない。


 悪戯な風も神樹の前では貞淑な淑女のようにしとやかに立ち去り、後に残るは静謐(せいひつ)さを(たた)えた鏡の如き水面(みなも)のみ。

 湖面に映る逆さの神樹と白い雲はまるで別世界の入口のように、生命力さえ感じられる。 

 

 静謐(せいひつ)なる青と白の世界にフッと別の色が指した。


 それは鮮やかな(くれない)。静かなる空間を飾るその色彩は、水の中で燃え上がる炎の如く異質だ。



 バサリ



 紅い竜翼が風を切り、僅かに水面に波紋を残す。

 この瞬間、この場を支配する主が切り替わった――神樹からヴィルヘルムへと。

 ヴィルヘルムが神樹の根本に降り立てば、付き従うようにガッシュとロキが背後に立った。


 ここは湖の中央に位置する浮島――神樹を育む揺り(かご)だ。遠くから見れば神樹の大きさも相まって、湖に直接根を張っているかのように映るだろう。

 

「ガッシュ」


 その言葉と同時に一歩前へ出たガッシュは、腕に抱えたコートをそっと開いた。

 そこから現れたのは、半分(つぶ)れた子竜――ラビ――だ。うっすらと開いた目からは光が消え失せ、原形を留めていない身体は()うに鼓動を止めている。

 ただの屍、それが正しい表現だろう……ここがルーファの作った迷宮でなければ。


 迷宮竜の性質は叡智ある魔物と同様に、魂さえ無事であれば肉体を再生することも可能なのだが……問題はラビに傷を負わせたのがヴィルヘルムだということ。

 超越魔法こそ使ってはいないものの、その高濃度の魔力により受けた傷は再生する兆しを見せない。

 このまま放置すれば魂は徐々に力を失い、遠からずその命は消えることだろう。

 癒しを司るルーファが眠っている今、それを防ぐ方法はただ1つ。


 

 ――神の水



 それは言うなれば超々高濃度の神獣の気まぐれ。


 神獣の魔力とは謂わば神力に最も近い力。

 それは世界の原初の力であり魔力とは似て非なるモノだ。

 光魔法を他の魔質の者が使用できないのは、その性質が神力に近いため。

 そしてその神力が最も濃い場所がこの神域であり、ルーファこそが純粋なる神力を有する世界で唯一の存在だ。


 そんなルーファが育てた神樹の守る湖が、ただの水である筈がない。

 一面に広がる湖自体が“神の水”そのものなのだ。

 それは魂が肉体に残っている状態であれば死を迎えた身体であろうと蘇生し、老いたものが飲めば若返りすらも可能とする。


 だが、底まで見通せるほど澄みきった水は莫大な癒しの力を有しながらも、生命を拒絶する死の水でもある。

 どんなに素晴らしい薬でも過ぎれば体に毒となる。それは“神の水”とて同じこと。この水が生命を育むことはないのだ。


 そんな伝説上で語られてもおかしくはない湖の(ほとり)に膝をついたガッシュは、そっとラビを水の中へと入れた。

 その手を放せば水が意思を持つかのように小さな身体へと絡みつき、ラビを水底へと招き寄せる。



 コポリ……コポリ……



 沈みゆくラビの身体から浮かび上がる水泡(みなわ)はどこか物悲しく、まるでその死を悼んでいるかのようだ。

 ラビの姿が完全に見えなくなるまで見送り、ヴィルヘルムが小さく呟く。


「暫くすればラビの傷も癒えよう」


 その声音は確信に満ちており、ラビが甦ることを微塵も疑ってはいない。

 そもそも、ボロボロになったラビの魂が未だ体内に留まっていること事態が有り得ぬこと。それ即ち奇跡ではなく必然だ。

 ルーファがラビの死を望まぬ限り、迷宮(せかい)はラビの“死”を拒絶する。ルーファの意思こそが何よりも優先すべき世界のことわりなのだから。


 

「それで……そなたの用件は終わりか?」

「いや、それが……」


 立ち上がったガッシュはヴィルヘルムへ向き直ると現状を語って聞かせた。

 血だまりを残して消えた囚人に、引き千切られた牢。ゴードンの牢だけ血だまりがなかったことを。


「ゴードンを野放しにすればルーファが狙われる可能性がある。それに現場の状況が異様だ。一連の事件と何か関連性があるかもしれない。一度現場を見てもらいたいんだが……頼めるか?」


「確かに我の力であれば何か読み取れるかもしれぬが……ロキの方が適任であろう」


 より詳細を知ろうと思えばロキの“眼”の方が解析能力が高く、更に〈深淵ノ化身〉を合わせれば、より詳しく解析できるというものだ。


 例えば――血痕。


 〈神竜ノ眼〉だろうと〈叡智ノ眼〉だろうと血痕を見ても「誰それの血痕」と出る訳ではない。「血」は何処まで行っても「血」でしかなく、個を特定できるものではないのだ。

 だが、〈深淵ノ化身〉を用いて血を取り込めば話は別だ。

 その力は遺伝子レベルでの解析を可能とし、事前にゴードンの身体の一部――髪や爪――を入手できたのなら、血痕と照合することも容易となる。

 

「任せろ。その代り……その男が見つかったらオレにくれ」


 微笑みを浮かべた表情とは裏腹に、未だに黒く染まった眼球がロキの激しい胸の内を雄弁に物語る。


「……それは出来ん。まだ取り調べが終わっていないからな」


 勇者召喚に繋がるかもしれない研究所の情報がまだ得られていない現状で、ゴードンを渡すという選択肢はガッシュにはない。


「何ならオレが情報を搾り取ってやろうか?」

「精神支配を受けている可能性があるが……いけるか?」


「その魔法がオレの支配より強いと思うのか?」


 ロキは目を細めてガッシュを睨んだ。

 ガッシュの言葉はロキにとっての侮蔑だ。それはロキの〈呪縛眼〉がたかが固有魔法に劣るということなのだから。


「悪かった。確認するのは癖みたいなもんだ」


 両手を上げ降参のポーズを取ったガッシュに、ロキはに威嚇するようにグルルと喉を鳴らした。 


「フン、まあいい。それでどうする?」

「情報が得られるのなら構わん。その代り、先に情報を渡してもらうぞ」


「いいだろう」

 

 勘違いされることが多いが、ガッシュは別に正義漢ではない。

 ガッシュが重視するのは結果であり、その過程で手を汚すことも辞さない、それがガッシュと言う男である。

 幸いなことに、カサンドラがリーンハルトの1部となったことで、ゴードン・デルビエルの処罰はガッシュの権限でどうにでもなるのだから。

 






 再びメイゼンターグへと戻るガッシュの姿が消えたところで、今まで傍観していたヴィルヘルムがロキを見据える。


「そなたは何が起きたか知っておろう。詳しく話せ」


 ルーファが眠っている現在、迷宮を完全に掌握しているのはロキだ。

 有り余る演算領域を駆使したロキは生まれてすぐに迷宮へと介入し、その全てを手中に収めた。

 本来なら迷宮はルーファの支配領域であり、いくら超越種であろうとその領域へ介入することは不可能なのだが……その答えは単純明快。


 迷宮の守護者たるロキには生まれながらに迷宮の支配権がルーファより与えられていたのだ。

 ただし、ロキが超越種として生まれてきたために、その権限は当初与えられる筈であったものを大幅に上回っている。



 幹部やボス等の特殊体の創造。

 新たな迷宮の創造。

 既存の迷宮を支配下に置くこと。



 この3つ以外であれば、迷宮内においてルーファと同等の力を持っていると言ってもいい。いや、その力を使いこなせていないルーファよりも、明らかにロキの方が上だろう。

 そしてその力をもってすれば、過去の記録(データ)から(くだん)の映像を見つけるのも容易いこと。



「後悔するぞ」


 ロキの内に渦巻くのは灼熱の憤怒と凍てつかんばかりの殺意だ。もし自分が側にいたのなら、このような暴挙を許しはしなかったというのに、と。


「後悔?我が抱く感情がそんなに生易しいものだと思うのか?我は見届けねばならぬ……愚かな選択の結果をな」


 ヴィルヘルムは自嘲するように嗤い、細かく震える己の手を見つめた。

 未だに収まる兆しすらない……否、より苛烈に、より鮮烈に、業火の如き怒りが己が身を焼きつくさんと暴れ狂っている。それは抑えれぬ程の激情。

 ルーファの家出の原因を作ったのは、他でもないヴィルヘルムなのだから。

 

「……戻って来れるのか?」


 狂気が見え隠れする金の目を見つめ、ロキは問う。


「無論。ルーファのいる世界こそが我が世界。ルーファがここにいる限り、我に戻って来ぬという選択肢はない。……まあ、多少暴れるかもしれぬがな」

 

 ヴィルヘルムの答えに「多少……ね」と皮肉交じりに応じたロキは、先程沈めたラビを尻尾で回収する。未だに意識は戻らぬものの身体に傷がないことを確認すると、そのままラビを無造作に深淵へと突っ込んだ。


「別にこの迷宮が壊れようと構わないさ。ルーファがいれば幾らでも創れる。まあ、ここを壊すのはいくらあんたでも難しいだろうよ」


 ここは迷宮の中の神域――迷宮ノ神と豊穣ノ神が織りなす空間だ。2つの超越魔法を破るのはヴィルヘルムといえども難しいと言わざるを得ない。

 更に眠っているとはいえルーファが近くにいるのだ。最悪でも迷宮が破損する程度で済むだろう……そう判断したロキは特に反対することもなく、念のために神樹の実も幾つか回収するとヴィルヘルムへ手を差し出す。


「ルーファを」


 ルーファを受け取ったロキがスッと手を上げると、目の前にスクリーンが現れ映像が流れ始める。


 ルーファから貰った記憶の中に、これから流れる映像は一切見当たらなかった。その意味をロキは理解している。自らの心を守るためにルーファは自分でこの記憶を封じたのだ。見せる訳にはいかない、思い出させる訳にはいかない。ルーファが壊れてしまわぬように。


 ロキはその映像に一瞥もくれることなく背を向けると、その場から転移した。








 後に残されたのはヴィルヘルムただ1人。


 彼が見つめる視線の先には2人の少女がいる。髪の色こそ黒いもののその1人は間違いなくルーファだ。


『レイナちゃん急いで!!』


 少女たちは森の中を走る、走る、走る。


 その先に待ち受けるは1人の男―― 







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