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 ここは迷宮にあるヴィルヘルムの居室。

 テーブルを挟んでヴィルヘルムとロキが向かい合うように座り、お互いに殺気を飛ばし合っていた。



 ピピピピピピピピピ!



 突如、室内に鳴り響いた音に2人が同時に目を向ければ、そこにはテーブルの上で自己主張を続けるアラームがあった。


「次は我の番だ。早くルーファをよこせ」


 素早くアラームを止めたヴィルヘルムはその手をロキへと伸ばし、対するロキはルーファを撫でていた手を止めることすらせず、馬鹿にしたように嗤う。


「生まれたばかりのオレから(ルーファ)を奪うのは大人気ないと思わないのか?だからルーファに恋愛対象として見てもらえないんじゃあないのか」

「何だと……」


 不愉快そうに目を細めたヴィルヘルムの角から白い雷が放たれ、ロキの頬を掠めて背後の壁を削り取る。もし少しでもずれていたのなら、今頃ロキの頭部は消失していただろう。

 自身の命が危険に晒されていたにも拘わらず、ロキは気にした素振りも見せない。まるで当たらぬことが分かっていたかのように。


「おいおい、事実を言われて腹を立てるのか?底が知れるな」


 その言葉と同時に本日3個目のテーブルが消滅するが……ロキは相変わらずの余裕の態度。

 ヴィルヘルムの強さを理解できぬほど未熟なのか、それともその性格を知らないが故の暴挙なのか……否、逆だ。

 ロキはヴィルヘルムが自分を殺せないということを知っているのだ。何故なら、ロキはルーファの子供なのだから。


 ロキはヴィルヘルムという男を分析する。


 ロキは生まれ落ちる時にルーファの“記憶”をもらった。

 それはカトレアとヴィルヘルムがルーファへ教えた知識から、自分で体験したものまで様々だ。中には教えてもらったはいいが忘れてしまったものまで含まれている。

 更に言えば、子狐生の大半を神域で過ごしてきたルーファの記憶は、その殆どがヴィルヘルムとカトレアについてだと言ってもよい。


 その記憶を受け継いだロキは、誰よりも深くヴィルヘルムを知っている。


 この男がルーファに注いできた愛情の深さを……そして、ルーファを傷つけるモノは誰であろうと決して許しはしないことを。例えそれがヴィルヘルム自身だとしても。

 故にヴィルヘルムはロキを害せない。それはルーファを傷つける行為に他ならないからだ。


 だが……果たしてロキは理解しているのか。


 彼が知っている“ヴィルヘルム”はルーファから見た“ヴィルヘルム”。それはルーファにしか見せないほんの一面に過ぎない。



 バキイイイイイイ!!


 

 その攻撃をロキが視認することは叶わなかった。

 気付けば彼の身体は床へ叩き付けられ、うつ伏せに倒れていたのだ。痛みを堪え起き上がろうとしたロキの頭をヴィルヘルの足が踏みつける。

 いつの間にかロキの腕の中にいた筈のルーファは、今ではヴィルヘルムの手の中で静かに寝息を立てている。


「甘い顔をすれば付け上がりおって。そなたには(しつけ)が必要なようだな」


 全く温かみを感じさせない目でロキを見下ろしたヴィルヘルムは、躊躇(ためら)うことなくロキの腹を蹴り上げた。

 ヴィルヘルムが甘いのはルーファのみ。それをロキは見誤った……いや、ある意味ロキは正しいのだ。ルーファの記憶の中のヴィルヘルムであれば、このような暴力を振るいはすまい。


「グゥ!ガ……ハッ!」

「どうした?口先だけか?反撃してみせよ」


 ヴィルヘルムの挑発にもロキが応じることはなく、苦し気に顔を歪めて荒い息を吐くばかり。それも仕方のないことなのだろう。これはロキが生まれて初めて感じる“痛み”なのだから。


 “痛み”とは慣れるもの。


 毎日殴られている者と、生まれてから一度も殴られたことがない者が同じ暴力を受けた時、果たしてどちらが先に音をあげるのか……その答えは明らかだろう。


「弱いな。迷宮守護者が聞いて呆れる。これではガッシュの方が余程強い」


 瞬間、白き眼球は漆黒へと染まり、ロキの雰囲気が一変する。3本の尾が鞭の如くヴィルヘルムへと絡みつくと、深淵がその身体を呑み込まんと覆いつくす!


 それを見たヴィルヘルムが浮かべるは驚愕と絶望……ではなくただの嘲笑。

 ヴィルヘルムは魔法を発動させることすらしない。彼が動くだけでロキの尾は音を立てて砕け散り、軽く振った手が〈深淵ノ化身〉を消し去った。逃げようとするロキにお返しとばかりにヴィルヘルムの尾が絡みつき……貫手がロキの腹を貫いた。



 ビシャァァァァァ……



 ヴィルヘルムがその手を無造作に抜けば返り血が身体を汚し、それでもその無機質な目に感情が宿ることはない。ロキのことなど忘れ去ったかのように一顧だにしないヴィルヘルムは、真っ赤に染まった己が手に舌を這わせた。



 ピチャリ……ピチャッピチャ……



 血を舐める湿った音がやけに大きく室内に響き、愉悦を孕んだ金の目がロキへと向けられる。


「ククッ、これが超越種の味か。悪くはない」

 

 その言葉に怯えたように身体を揺らしたロキに、ヴィルヘルムは笑みを深めた。

 彼とて本気でロキをどうこうしようという意思はない。文字通り、これが彼にとっての躾だ。

 そもそも殺すのであればロキが生まれる前に殺していた。ルーファはロキに怯えていたのだから、殺す理由としてはそれで充分。


 それをせずにロキの誕生を促したのは他でもないヴィルヘルムだ。

 それはロキの力がこの先ルーファの為になると感じたからに他ならない。だが、ヴィルヘルムもまさか超越種が生まれるとは思っていなかった。誤算ではあるが……これは好ましい誤算だ。

 ロキが持つ深淵ノ神は()()()()()()()()()()()()()なのだから。


 ヴィルヘルムには予感がある。


 この先、自分が動かねばならぬ事態が起こるであろう予感が。

 〈大災厄〉以上の災禍がこの世界に襲いかかる……そう強く感じる。

 マサキが守り、ルーファが生きるこの世界を破壊されることは、ヴィルヘルムにとって到底容認できるものではない。ならば、自分が動く際にルーファを守る者が必要だ。


 最初はそれをガッシュにしようと考えていたのだが……王としての立場がある以上、常にルーファの側にいることは難しいだろう。何より自由奔放なルーファが大人しくガッシュの側で守られている訳がない。

 その点、ロキは都合が良かった。ルーファに創り出されたために裏切る心配もなく、立場もルーファを守る迷宮の守護者だ。


 不安があるとすれば戦闘能力。


 ロキは戦闘特化のタイプではない。

 同じ超越種であるために〈神竜ノ眼〉を以てしても大まかな能力しか把握できはしなかったが、どちらかと言えば手数の多さと搦め手で戦うタイプだろう。当面の方針としては手数を増やし、実践を積み重ねると言ったところか。




 大人しくなったロキを見つめヴィルヘルムは声を掛ける。

 

「弱いことが許せぬか?それとも……気になるのはガッシュの方か?」

「アイツよりオレの方が強い!力を……強くなることを放棄した奴に負けはしない!!」


 憎々し気に言い放ったロキの紅き眼が漆黒の中で爛々と輝く。


 人とは不思議なものだ。

 強さ、金、権力、才能、美貌……もしもソレらが手の届かぬほど遠くにあるのなら羨望や憧憬の感情を抱くだろう。テレビの中のアイドルのように。

 だが逆に、自分の身近に……手の届く範囲にあったのなら、果たしてそれは憧れのままでいられるのか。

 努力では埋めきれぬ天性の才能に、生まれた時に決まる家柄と環境、実力と幸運で伸し上がった一握りの成功者たち。


 持つ者と持たざる者、幸運な者と不運な者……その差は確かに存在するのだ。世界は平等ではなく、ソレが(もたら)すのは妬みや恨みといった負の感情。


 ロキもまたその感情に囚われる。


 自分と同等……いや、それ以上の力を持ちながらガッシュはその力を拒絶した。誰よりも強者たれ、と創り出されたロキにとってそれは許すことの出来ぬ冒涜(ぼうとく)だ。

 


(これは……好都合だ)


 ヴィルヘルムの口角が上がる。

 ()る気は強くなるために必要な因子(ファクター)。更に実践を積ませるにあたり最も重要な事は実力が拮抗している者と戦うことだ。ガッシュも鍛えられて一石二鳥というもの。

 ヴィルヘルムは今後の訓練計画に(勝手に)ガッシュを組み込んでいく。


「確かにアレは未だに半神狼。権能の強さで言えばそなたに軍配があがろう。だが、戦いはそれだけではない。そなたの負った傷程度であればガッシュは膝をつくことすらない。己の弱さを認めることも強くなるには必要な事ぞ。そなたはガッシュより弱……」



 ガキン!



 ロキの手から伸びた紫暗色の爪――魔爪――がヴィルヘルムへと襲い掛かり、それを迎え撃つは竜爪。拮抗は一瞬。

 魔爪の破片が両者の間を舞い散り、間髪入れず叩き込まれたヴィルヘルムの蹴りがロキを吹き飛ばす!

 咳き込み、動けぬロキに近づいたヴィルヘルムはロキの髪を掴んで持ち上げると、その目を覗き込んだ。


「そなたは戦闘経験が圧倒的に足りぬ。情報だけで勝つことは叶わぬぞ」

 

 情報戦に於いてロキの右に出る者はいない。


 ロキの力を例えるならスーパーコンピューターが近いだろうか。

 特筆すべきは彼の持つ演算能力と並列思考。情報を処理するスピードもさることながら、幾つもの情報を並行処理しながら戦闘することも可能だ。

 これに〈叡智ノ眼〉と〈権能創造〉が合わさることで彼の真価が発揮される。


 ロキが固有魔法を取り込むのに必要な時間は僅かに一瞬。


 ロキは固有魔法士を一目ひとめ見るだけで、その力を我が物とすることができるのだ。否、それだけではない。より強力に改造することも、別の権能に統合し新たな権能を生み出すことでさえ瞬き1つの間にやってのける。

 正にチートと言うに相応しい力だと言えるだろう。


 だが問題があるとすれば……その力は超越種に通じないことか。


 ロキが所有できるのは所詮上位格の魔法まで。例え幾千幾万の魔法を所持しようとも超越種には届かない。

 では、超越魔法を解析し獲得すればいいと思われるかもしれないが、それは不可能なのだ。超越魔法とは世界の(ことわり)を越えた力――例え解析できたとしてもその力を他者が振るうことは叶わない。


 これが戦闘特化の超越種にロキが勝つことが難しい理由だ。

 ロキは決め手となる破壊力を秘めた一撃を有していないのだから。


 故にヴィルヘルムが鍛えるのは接近戦。


 魔法が決め手に欠けるのなら直接その手で引き裂けばいい。

 先程ロキが見せた魔爪は魔装の応用。まだまだ魔力圧縮は甘いと言わざるを得ないが、既に高い水準で魔力操作を行っている。とても生まれたばかりとは思えぬ程に。

 

(問題は痛みに対する耐性の無さと精神面の未熟さ……か)


 少し挑発しただけで冷静さを失い、実力差を分かっていながら正面から向かってくるなど愚にも付かぬ行為だ。せめて罠なりフェイントなりを使うべきだろう。

 魔力操作は超一流だというのに、そのアンバラス差が面白いとヴィルヘルムは感じた。それは、まだまだ強くなれるという証なのだから。

  

(……実に楽しみだ)


 ヴィルヘルムは掴んでいたロキを投げ捨て、終焉の力をその身に(まと)う。

 幸いなことにロキは超越種。肉体を滅ぼしたところで復元可能だ。体勢を低くしてじりじりと後退るロキを見つめながら、ヴィルヘルムはペロリと唇を舐めた。



 ――レッスンの開始だ。







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