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血塗られた地下牢

 しん、と静まり返った廊下に床を叩く規則的な音が響く。

 その特徴のある足音は、一部に魔法金属(ミスリル)が使われた軍靴だろう。ピタリと止んだ音に前を見れば、地下へと続く扉が佇んでいた。


「開けろ」


 命じると同時に、ガッシュは扉を守っていた兵の1人に鍵を渡す。

 その扉を一言で言い表すのなら“頑丈”だろうか。剣で切りつけたとしても容易に弾き返すであろう石で作られた扉だ。その見る者に圧迫感さえ与える佇まいは、あらゆるモノを拒む冷たさを感じさせる。



 ガチャリ



 解錠の音と同時に鍵を支点に幾つもの魔方陣が浮かび上がり、魔法封印が次々と解かれていく。そこには重要な何かがあるのだろう。


 敬礼する兵の間を通り抜けたガッシュの顔はいつになく厳しく、その鋭い眼光は地下へと向けられていた。

 薄暗い地下へと続く階段を下れば、赤い色が視界に飛び込んできた。武骨な石造りの床と壁面を彩る赤黒い色彩は何とも不気味でおぞましい。

 立ち込める鉄のような匂いは、ソレが大量に流された血だということを示している。


「ここか」


 ガッシュはしゃがみ込み、目を細めてその現場を観察する。血溜まりが完全に乾ききっていないことからも、虐殺が行われてからまだそう時間は経っていないのだろう。

 後ろを振り返ったガッシュは警備責任者へと目を向ける。


「気付いたのはいつだ?」  

「はっ!交代の時間であります。交代の兵が来たときには既にこの状態だったとのことです」 


 ガッシュは無言で立ち上がり、その先を見る。

 普段であればその先には牢が続き、囚人の姿が見える筈だが……一体何が起きたのか。牢は無残に引き千切られ、その中には赤いペンキをぶちまけたような跡が幾つも点在していた。

 不思議なことに死体どころか肉片1つその場に残ってはおらず、むせ返るような血の臭いがなければ、ただの悪戯だと思ったに違いない。それほど現実味のない光景だった。


(死体を運んだのか?)


 流れ出た血液の量を考えれば致命傷、生存は絶望的だろう。

 ガッシュは牢を1つ1つ確認していくが、どれも似たり寄ったりで手がかりになりそうなものはない。実に50人以上の人が消えたことになる。


(タイミングが悪い。いや、このタイミングを狙われたのか?)


 迷宮が瘴気を吸収するにあたり兵は荒野を警戒し、ガッシュも要塞を留守にしていた。そしてそれは誰もが知り得る情報だ。

 何せ国軍だけでなく、冒険者ギルドや魔物も協力して行われた一大イベントだからだ。 

 つまり誰もがその日、牢の警備が薄くなることを容易に予測できた、ということだ。


 不運はそれだけではない。


 普段は牢にこれ程の人数の犯罪者は収容されていない。何故なら取り調べが終わり罪状が確定すれば、司法ギルドによって隷属魔法が施されるからである。

 隷属魔法が存在するこの世界で大規模な収容所は必要なく、犯罪の程度によって隷属期間が設定され、その期間を指定の場所で働くことにより解放されるのだ。

 収容されるのは罪が確定されるまでの間のみとなる。



 では何故メイゼンターグの牢に50人以上収容されていたのか……その理由は2つある。


 1つはカサンドラの犯罪者が移送されたため。


 もう1つは汚染獣に対する不安から、兵と冒険者が酒に酔って暴れることが増え、頭を冷やさせるという名目で牢へ入れられていたためだ。


 比率で言えば後者が圧倒的に多く、そのほとんどが犯罪ともいえぬ喧嘩である。

 そんな者が多数殺されたのだ……しかも自分がいない間に。ガッシュの内心は穏やかではない。


 奥へと進んでいたガッシュの歩みは、やがて1つの牢の前で止まった。

 それは最奥の牢――最も凶悪な犯罪を犯した者が入れられる場所だ。牢が引き千切られているのは他と同じだが……そこに血の跡はない。


「ここに入れられていたのは誰だ?」

「禍津教教主ゴードン・デルビエルです」


 ゴードン・デルビエル。

 その名は当然ガッシュも知っている。禍津教本部が復讐鬼(リベンジャー)の手によって壊滅させられたニュースは、カサンドラのみならず西部全域を震撼(しんかん)させたのだから。


「デルビエルは無事だったのか?」


 ガッシュの問いに警備責任者は口ごもる……が、向けられた鋭い眼差しに短く悲鳴を上げ、慌てて口を動かした。


「わ、分かりません!自分が来た時にはこの状態で、ゴードン・デルビエルの姿はありませんでした。ただ……」


 ゴクリ、と唾をのんだ警備責任者は続ける。


「……血の跡が足りないのです。牢の外にあった2つは恐らく見回りの兵の血でしょう。収容されていた人数は53名。血だまりの数は54です」


 つまり、足りない1名が……ゴードンである可能性が高いということ。


 普通に考えれば禍津教の信徒が教主であるゴードンを助けに来た、というのが妥当なところだろう。だが……53体もの死体を回収していく意味は何なのか。

 相手は邪神を信仰する狂信者、持って帰って神に捧げるという可能性も否定はできない……が、ゴードンが目的であれば、果たしてその様な手間がかかり、尚且つ見つかる可能性が高まる愚行を犯すだろうか。


 それとも侵入したのは研究所関係者か。


 ゴードンには精神支配系の固有魔法がかけられており、それを行った術者は研究所の一味だと考えられている。

 今現在かけられた魔法を解くために、固有魔法士を捜索していることを踏まえれば、情報を渡すことを嫌った研究所が動いた可能性も否定できない。

 ただ……仮に研究所だとすれば、何故ゴードンを生かしたまま連れて行ったのかが分からない。口封じを目的としているのならば、この場で殺していった方が手間が省けるというものだ。


 詰まるところ、よく分からないと言うのが現状である。


「侵入経路は分かったのか?」

「今のところ不明です。ザナンザ将軍が現在調べておりますが、目撃者の話は聞きません。望みは薄いかと……」


 ルーファとガッシュが滞在していることもあり、常備軍である北方軍にプラスして王軍が滞在しているため、兵の人数は平時に比べて圧倒的に多くなっている。いくら彼らが荒野を警戒していたとしても、侵入は容易ではない筈だ。

 犯人は固有魔法士で間違いない。もしかしたら、勇者召喚の首謀者が関与している可能性もある。


(もしそうなら……一度ヴィルヘルムに見てもらうべきだな)


 ガッシュはヴィルヘルムが〈神竜ノ眼〉という解析系の権能を持っていることを知っているわけではないが、自分より多くの情報を調べる術を持っていることは確信している。

 

「オレは戻る。ここはこのままの状態で保て。誰も立ち入らすなよ」

「はっ!」


 ガッシュは再び薄暗い階段を上っていった。




「陛下!」


 階段を上ったところでガッシュを待っていたのはザナンザとガウディだ。


「何か分かったのか?」

「いえ、ガウディ殿が至急陛下に話があるということで連れて参った次第です」


 既にカサンドラがリーンハルトへ吸収されることは発表されており、国民は特に混乱もなくその決定を受け入れた。いや、むしろガウディの決断は国民に歓迎されたと言った方が正しいだろう。

 この世界には魔物や汚染獣といった危険な存在がいるのため、強い国家の庇護を得たいと考えるのは自然なことだからだ。

 故に、現在のガウディの立場はカサンドラ王ではなくリーンハルトの一貴族であり、ザナンザとは同僚の立場となる。


「陛下、お耳に入れたいことがございます」


 そう切り出したガウディの顔色は悪い。

 その様子から内密な事なのだろうと予想したガッシュは執務室へと向かった。 

 

 

  


 人払いをすませ、盗聴防止の結界を発動させたガッシュはガウディに目を向ける。この部屋にいるのはガッシュとガウディの2名だけで、ザナンザは調査の進捗状況を報告した後、直ぐに仕事へと戻っていった。


「それで……話と言うのは何だ?ゴードン・デルビエルに関することか?」


 いつもであれば相手がガッシュといえど遠慮なく意見するガウディなのだが……今日はどこか様子が違う。黙したまま微動だにしないガウディに余程の事だろうと予測したガッシュは、催促することなく(いら)えを待つ。

 暫しの沈黙の後、顔をあげたガウディは静かに語り始める。


「ルーファ様が禍津教に囚われ、救出した話をしたと思うが……違うんだ。我々がルーファ様の元へ駆けつけた時には、何もかもが遅かったのだ」


 その言葉にガッシュの目が細められ、無意識の内に拳を固く握りしめる。

 禍津教がどういう組織かをガッシュは知っている。生贄に定めた者が今までどんな扱いを受けてきたのかを。


「……どういう意味だ?」


 そう問うたガッシュの声は固く強張り、ピリピリとした緊迫感が辺りに漂う。


「我々が駆けつけた時にはルーファ様は……パウロという名の冒険者に暴行を受け、お亡くなりになられていた……」


 その瞬間、ガウディは見た。

 眼帯が消え失せ、そこから現れし蒼き魔眼を。


 だがソレは美しい反面、触れれば滅びを齎す死の色だ。


  



 ――魔眼の英雄王


 その目が蒼く輝く時、悪しき者を滅ぼす神眼となり、

 その目が青く輝く時、生きとし生けるものを滅ぼす邪眼となる。


 味方には等しく勝利を与え、敵には等しく滅びを与えん。

 心正しき者には平和を与え、心悪しき者には虚無を与えん。


 汝、魔に魅入られし者ならば決して蒼き眼を覗くことなかれ。

 そこには“死”しか存在しないのだから。 


 


 “英雄王”を語る上で欠かせない蒼き魔眼。

 それがガウディの目の前にあった。  

 

 可視化するほど密度を増したガッシュの魔力が荒れ狂い、気付けばガウディは床に(うずくま)り震えていた。蒼き光が揺らめく度に調度品が音もなく消え、ガチガチと鳴る歯の音だけが無音で荒れ狂う破滅の嵐の中で響いている。


「ルーファへ暴行を加えた男はどうなった?」


 能面の如く無表情なガッシュとは裏腹に、その蒼い眼は内なる感情を表すかのように爛々と輝く。


「……死んだ。ルーファ様はその時のことを覚えてはいらっしゃらない」


 震える声で答えたガウディは頑なに床を見つめる。

 蒼い眼を覗き込むのが恐ろしく、今まで友人として過ごしてきた期間がまるで幻であったかのように感じられる。


 ガウディはこの時初めてガッシュを誤解していた事を知った。


 気の良い武に長けた王だと、そう思っていた。いや、王であるからには気が良いだけではやっていけないことは重々理解している。だが……ガッシュの生来の気質はそうなのだと。


 ガウディは知らない――かつてのベリアノスの支配時代を。

 ガッシュがどれだけの人族を殺してきたのかを。


 それは優しさだけでは生き残れない過酷な時代だ。


 ガッシュは眠れる獅子……いや、狼か。

 その本質は苛烈の一言。一度(ひとたび)牙を剥けば相手が死ぬまでその牙を放さない。それが英雄と呼ばれ、悪魔と恐れられた男の本性だ。


「残念だ。もし生きていればこの手で引き裂いたんだがな」


 言葉と同時にガッシュは暴れそうになる魔力を強引に抑え、未だに(うずくま)っているガウディへと目を向ける。


「あ~、悪い。少し感情的になったようだ」


 どこかバツの悪そうな表情でガッシュはガウディへと手を差し伸べた。



 バシン!!



 跳ねのけられた手を見つめ、僅かに悲し気に顔を曇らせたガッシュだったが、その感情も直ぐに消え失せた。


「も、申し訳……」


 ハッと正気に返ったガウディの目には未だに隠しきれぬ怯えの色。


「気にするな。オレの魔力に()てられたんだろう。今日はもう休むといい」


 動揺するガウディを退出させた後、ガッシュは広くなった……というか家具がなくなった室内を見回して舌打ちする。


「制御が甘い……か」


 両手で顔を覆ったガッシュは壁に寄りかかると、そのままズルズルとしゃがみこんだ。暫くそのまま動かなかったガッシュだったが、やがてノロノロと顔をあげると予備の眼帯で魔眼を隠す。


 思い出すのは恐怖に歪んだガウディの顔。


 それはかつて自分を“化け物”と呼んだ人々と同じもの。敵は勿論のこと味方ですらも影でそう呼んでいたことを彼は知っている。

 人の世に紛れた異物――それがガッシュだ。どんなに人として生きることを望もうと、決して人になることは叶わぬというのに。


(……今更だ)


 自虐的に唇を歪めて嗤ったガッシュは、強引に負の思考を頭から追い出した。

 今はそんなことを考えている場合ではない。頭を切り替えたガッシュはこれからの事へと思考をシフトする。


 ――ルーファのことをヴィルヘルムに知らせるべきか否か。


 問題はこれに尽きる。

 ヴィルヘルムが現在いるのは荒野の中心にある迷宮。どこで耳にするか分からないのなら、タイミングは今がベスト。ヴィルヘルムの怒りが爆発したとしても、被害を最小限に留めることが出来るからだ。


 それに禍津教の問題もある。


 禍津教を滅ぼすのならば、ヴィルヘルムの協力が不可欠。

 ゴードンから尋問で聞き出した情報により、リーンハルト内に巣くっていた禍津教支部は全て潰してあるが……禍津教の活動範囲は思った以上に広かった。

 西部諸国は勿論のこと中部にまで影響が及んでいたのだ。


 ベリアノスとアンセルムは敵対国、中部諸国とは国交がないことを考えれば、ガッシュが対応できるのは友好国であるフォルテカ公国とシリカ騎士王国のみ。

 いや、例え国交があったとしても中部諸国の西側はアグィネス教支配圏のため、ガッシュでは手出しが出来ぬだろう。


 だが、ヴィルヘルムであれば何処の国だろうと介入できる。

 “竜王”の名にはそれだけの力があり、更にドラグニルも動くとなれば表立って逆らえる者などいはすまい。禍津教を完全に潰そうと思えば、ヴィルヘルムを巻き込むのが最良だ。


 ガッシュは自身の力の無さにため息を吐いた。

 英雄王と言われ、もて(はや)されても所詮はこの程度。


 ガッシュは己の血塗られた手を見る。

 悪魔、人殺し、殺人鬼、化け物……その全てがかつての彼の呼び名であり、その血塗られた手こそ彼の誇り。彼は殺した数以上の同胞をその手で守り抜いてきたのだから。

 例え周りから恐れられたとしてもそれは変わらない。今までも……これからも。




 ――今日からオレ達は家族なんだぞ!



 ガッシュの脳裏に不意にルーファの言葉が(よみがえ)る。


「ああ、そうだ。そうだったな」


 ガッシュの堅く強張っていた顔がフッと緩み、心に暖かな灯火が宿る。彼は……もう独りではないのだ。

 扉を開け歩きだしたガッシュの後ろ姿は、英雄王に相応しい貫禄に満ちていた。







 

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