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深淵の支配者・上

 青く澄んだ空が何処までも広がり、緩やかに流れる風が白い雲を運ぶ。そんな穏やかな情景とは裏腹に、大地を見下ろせば毒々しい紫色の瘴気(きり)が雲海の如く広がっていた。

 赤茶けた大地は瘴気に覆われ、僅かたりとも地表を窺い知ることは叶わない。その姿は以前とは全くの別物だ。


 ここは死の大地――荒野。


 しん……と静まり返ったその場所に生命の息吹は感じられない。否、生命だけではない。普段蔓延(はびこ)っている筈の不死者(アンデッド)すら呑み込まれ、瘴気の1部と成り果てている。まるで瘴気自体が一つの生命体のように。

 最早、誰もこの地で正気を保てはすまい。全てを拒絶し、全てを蝕む……そんな救い無き地だ。



 その荒野を上空から見下ろす3つの影があった。

 当然それは普通の生命体ではなく、超越種たるルーファとヴィルヘルム、そしてガッシュだ。

 いつもの如くヴィルヘルムに抱かれたルーファは、地表を真剣な面持ちで見下ろしていた。


「瘴気が濃くなってる……」


 瘴気は質量を持っているかの如く存在感を放っており、既に霧と言うよりは分厚い雲と言った具合だ。

 ルーファとフェンが汚染獣の群れを突破した時よりも確実に濃度を増しているソレは、メイゼンターグの要塞からも容易に見て取れ、日増しに高まる兵の不安の声が最近のガッシュの悩みの種だったのだが……ここにきてその主原因が判明する。


「ルーファが吸収すると思ったのでな。周辺からも集めておいたのだ」


 上機嫌に答えたヴィルヘルムがルーファを優しく撫でる。


 正確にはマザーに頼んで大量の瘴気を荒野へ流してもらい、それをヴィルヘルムの力で汚染獣が生まれぬように調整していたというのが正しい。

 日増しに濃くなる瘴気に警戒を強めていたガッシュが愕然とヴィルヘルムを見る。その目は「もっと早く言えよ!」と語っている。


「わあ~ありがとう!これで激強(げきつよ)な守護者が創れるんだぞ!」


 そんなガッシュの思いなど露知らず、ヴィルヘルムの腕から飛び出したルーファはそのまま瘴気の海へ突入する……が、余りの不快感にあっさりと(きびす)を返した。

 ねっちょりとした何かが身体に(まと)わりついたような気がして、ヴィルヘルムに自分の身体をゴシゴシと擦りつけながらルーファは身体に魔力を通す。タオル扱いなヴィルヘルムだが……嬉しそうなので良しとしよう。


「何か気持ち悪いんだぞ……」


 ()もありなん。ルーファはこう見えても神聖なる獣。瘴気はルーファにとって(けが)れであり毒だ。


「ヴィー……」

「任せておけ」


 力なく呟いたルーファにヴィルヘルムは嫣然(えんぜん)と微笑んだ。ルーファに頼られることは彼にとって歓びなのだから。


 ヴィルヘルムが腕を振ると瘴気が渦を巻きながら移動し、まるで台風の目の如く中央に穴が開く。その中心へと降り立ったルーファは藤色の目をある一点へと向けた。


「あそこ」


 そこは(まが)うことなき荒野の中心。今から迷宮を設置する場所だ。



 ズズズズズズズ…………



 瘴気の中に突如現れた巨大な扉は、さながら地獄へ続く門と言ったところか。

 音もなく開かれた扉の向こうに広がるのは、今まで存在しなかった地下へと続く階段だ。常人であればまず間違いなく逃げ帰るであろう不気味なその先に、彼らは躊躇(ためら)いなく足を踏み入れた。

 






 ここは200階層に在る神域。


 これより荒野にある瘴気全てを使用するという前代未聞の規模で、迷宮守護者を創り出す魔法が発動しようとしていた。

 どのような不測の事態が起こってもいいように、ヴィルヘルムとガッシュがついている。ヴィルヘルムはルーファの安全の確保、そしてガッシュはそれ以外を担当する。

 そのため迷宮内に人種はおらず、それはAランクパーティである“赤き翼”だろうと例外ではない。今から発動するのは超越魔法、暴走して生き残れるのは超越種だけなのだから。


 上記の理由により、迷宮守護者の誕生に立ち会うのは必要最低限の人数――ルーファ、ヴィルヘルム、ガッシュ、ラビのみとなる。 


 迷宮幹部さえも迷宮の入口付近に待機し、魔物が溢れ出す等の事態に備えている。

 否、彼らだけではない。

 今日という日は荒野に面するリーンハルトとフォルテカの対汚染獣軍事要塞全てに知らされているのだ。ただし迷宮守護者の創造ではなく、瘴気を浄化するという名目でだが。


 何はともあれ各要塞では兵が総動員され、瘴気溢れる荒野を警戒していた。彼らの心に宿るは奇跡に対する“期待”と未知に対する“不安”。分かっていることはただ1つ。



 今日、何かが起こる――。




  

 



『ルーファ、用意はいいかの?』


 ラビはルーファのもとへパタパタと飛んで行く。

 今から大魔法を発動させるのだ。緊張しているに違いない。


 だがしかし、当の本人はと言うと緊張に身を強張らせて……いなかった。

 ルーファの前には迷宮守護者の条件を(つづ)った紙が広げられ、一生懸命それを暗記しようとしていたのだ。僅か10項目なのだが、お頭の残念なルーファにとっては難問だと言って良いだろう。


「待って!もうちょっと……万能君万能君万能君……ブツブツ」


 このままでは(らち)が明かないことを悟ったラビは、無言でルーファに近付くとサッと紙を取り上げた。


「あー!!」

『〈亜空間〉に仕舞っておけば、いつでも確認できるじゃろう』


 しぶしぶ紙を仕舞ったルーファにラビは続ける。


『良いか?イメージが大切じゃ。どんな迷宮守護者であって欲しいかを願えばいいんじゃよ』


 偉そうにアドバイスしているラビだが、かく言う彼もかつて大失敗したことがあった。

 それは力の強い大ボス――50階層ごとに階層を守るボス――を創った時のこと。かつてない強さを誇るボスの誕生にラビも非常に喜んだのを覚えている。だがそれも束の間、そのボスには重大な欠点があったのだ。


 それは……他に類を見ぬほど怠け者だったということ。


 その結果何が起きたかと言えば、攻略者がボス部屋に入った事にも気付かずに眠ったまま殺されてしまったのだ。

 大ボスとは復活(リポップ)しない魔物であり、管理者と同様に同じ個体は2度と創れはしない。気合を入れて創ったラビの落胆具合を理解していただけるだろうか。


『そうそう、怠け者な迷宮守護者はいらんのでなぁ。その点だけは気を付けるのじゃぞ』


 ラビは今でも過去を引きずっていた。






 ラビにアドバイスを貰っているルーファを眺めながら、暇そうに佇む男が2人。いや、ヴィルヘルムはルーファを観察するのに忙しいため暇なのはガッシュ1人だ。


「ヴィルヘルム」


 ガッシュはヴィルヘルムに近づき、ポケットに入れていたギルドカードを差し出す。


「冒険者ギルドが泣きついてきたぞ。これを死神セイへ返してくれと頼まれた」


 無言でカードを受け取ったヴィルヘルムに、ガッシュはその正体に確信を抱いた。




 ガッシュは死神セイが現れた日を思い起こす。


 兵からの報告で死神セイの存在を知ったガッシュは、即座に冒険者ギルドへ交渉が得意なバハルスを遣わした。もし接触できれば自分のもとへ招く予定だったのである。


 そもそも死神セイについて知られていることは少ない。

 その容姿もさることながら、種族すら長命種だという以外分かってはいないのだ。まあ、過激で冷酷な戦闘狂というイメージから竜人族ではないかと言われてはいるが、それもあくまで噂に過ぎない。

 

 はっきり言ってこれ以上の厄介ごとは御免なガッシュは、何かが起こる前に死神セイの為人(ひととなり)だけでも把握しておこうと考えたのだが……バハルスが持ち帰った情報はガッシュの予想の斜め上をいった。


 その情報こそ死神セイが溺愛しているルウという冒険者の存在。

 当然ガッシュはルーファがルウと言う名で冒険者として活動していることを知っており、一瞬にしてその正体に思い至ったガッシュは急に痛み出した胃を(さす)った。


「頑張ってください、陛下」


 他人事のように死神セイのギルドカードを差し出したバハルスに、ガッシュは机へと突っ伏したのだった。






 

『そなたはルーファと仲が良いようだな』


 突如、頭の中に響いた声に、回想から引き戻されたガッシュがチラリとヴィルヘルムを見れば、片手でギルドカードを弄びながら変わらずルーファを見つめる姿があった。

 だが……何故だろうか。ガッシュはヴィルヘルムが自分を見ていると強く感じた。

 

『肯定か?』


 僅かな感情の揺らぎもない落ち着いた声だ。

 だが、その声を聞いたガッシュの脳裏に激しい警鐘が鳴り響き、本能が“死”の気配を感じ取る。ガッシュはペロリと唇を湿らせ、慎重にその問いに答える。


『確かに仲は良いが……兄妹みたいなものだ。オレには兄弟姉妹はいなかったからな。妹のように感じている』


 これは偽りなきガッシュの本心だ。

 いくら同い年であろうともガッシュの中でルーファはまだまだ子供。その容姿もさることながら、何より精神面が幼いと感じる。スキンシップが激しいのも、まだ異性という意識のない子供ならではだと言えるだろう。


 ただ、ガッシュも健全な男。


 見た目絶世な美少女であるルーファに抱きつかれた時はドキマギするが、美人な姉か妹を持つ男であれば同じ反応をする筈である――多分。 


 ルーファを見つめていたヴィルヘルムの金の目がピタリとガッシュへ固定され、無言で見つめ合う2人の間に漂うのは甘い雰囲気ではなく、ピリピリとした緊迫感。

 (しば)しの睨み合いの後、先に目を逸らしたのはヴィルヘルムだ。 


『……まあ、良いだろう。だが覚えておけ。もし我が竜玉に手を出せば……殺すぞ』


 そこにあるのは紛れもない殺意。そして……当然その根幹にあるのは“嫉妬”だ。 

 

 ガッシュがただの狼人族であれば、ヴィルヘルムがこれ程警戒することは無かっただろう。人種の寿命など彼にとっては瞬き1つ程度の時間に過ぎぬのだから。

 だが……ガッシュは違う。

 自分達と同じ悠久の時を生きる生命体だ。更に、ルーファが幼少の頃から憧れていた男でもある。これで心穏やかでいられるほどヴィルヘルムは寛容ではない。


 ヴィルヘルムはガッシュの写真集を思い出す。


 眠るガッシュに寄り添う子狐(ルーファ)の姿を。思い出すだけで(はらわた)が煮えくり返るほどだ。自分は最近ルーファから、もう子供じゃないからと一緒に寝ることを拒否されたというのに!


 握り締めたヴィルヘルムの拳がギチギチとなり、ユラユラと焔の如きオーラが立ち上る。それを見たガッシュは……サッと目を閉じ見なかったことにする。その際に3歩横にずれることも忘れない。

 

 何とも居心地の悪い空気が漂い、無言で始まりの時を待つ2人の気不味い沈黙を破ったのはラビだ。


『お待たせいたしました。ヴィルヘルム様』


 救世主ラビが辿り着くと同時に、待ってましたと言わんばかりに2人は魔力をドーム状に練り上げる。


 これはルーファの魔法の影響を受けぬための用心だ。

 ヴィルヘルムの足元にいるラビは必然的にその魔力の内側にいるのだが……ヴィルヘルムは念のためにラビを抱き上げた。

 ルーファからくれぐれもよろしく頼まれたのだ。傷1つ負わせるようなことがあってはならない。

 敬愛しているヴィルヘルムに抱えられたラビはというと……動揺のあまり硬直しており、その姿は(さなが)らぬいぐるみの様である。


 神樹の側に残ったルーファは彼らの方を見つめ、手を振った。


「始めるんだぞ!!」


 


 


 ルーファは目を閉じると迷宮核へ魔力を注ぐ。


 赤き迷宮核に宿りし白銀色の炎が奔流(ほんりゅう)となりて、視界を白く染め上げる。全員が光の渦に囚われ、例え目を開けたとしても自分の手すら見ることは叶わぬだろう。



 只々白い空間で静かにソレは生まれた。


 小さな小さな黒い球体。

   

  

 ……チッ……パチッ……



 紫色の光がまるで線香花火のように小さく弾ける。


 まるでいつ消えるとも知れない儚き燐光の如く

 まるで仄暗(ほのぐら)き水の底を漂う泡沫(うたかた)の蛍火の如く  

 



 否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否!!!!!



 それはそんな生易しいモノではない!

 ソレは莫大な魔力を宿す黒球(ブラック・ホール)――全てを呑み尽くす死の球だ。

 

 

 ……ドクン……ドクンっ!



 まるで1つの生命体の如くそれが脈動し、黒球が瞬く間に光を喰らい尽くした。


 それは顕現せし黒き太陽。

 紅炎の代わりに紫電を(まと)い、全てを闇色に照らし出す。




 さあ、闇の生誕祭が始まる――。


 





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