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黒い悪魔

 ルーファの前には赤と青のボタンがある。

 じっと2つのボタンを見つめていたルーファの前足がゆっくりと青いボタンに向かって伸ばされる……



 ぽちり





 ――迷宮89階層――


「くそっ!密林かよ」


 蒸し蒸しした気候に、乱暴に汗を拭ったバーンは悪態をつく。

 拭っても拭っても次から次へと流れ落ちる汗は不快の一言。更に、先程から「プ~ン」と音を立てて寄ってくる小さな虫がそれを助長する。

 虫よけの魔道具を起動させているのだが、迷宮で生きているのであればどんなに小さかろうとそれは魔物。効果はあまり期待できない。

 魔物であればどんな毒や魔法を持っているか分からなず、全員のイライラはピークに達していた。


「海よりましだ。文句を言うな暑苦しい」


 普段は寡黙なアイザックもそれは例外ではないようだ。


「落ち着いてください2人とも。冷静さを失えば魔物の思う壺ですよ」


 そういうゼクロスはいつもの神官服をしっかりと着込み、見るからに暑苦しそうだ。

 周りは樹、樹、樹、樹。見渡す限りの緑が広がっている。見晴らしも悪く、同じ景色ばかりが続く上に気温と湿度が異様に高い。


「さっきから小さな虫ばかり見ます~」


 獣型の魔物がいそうなものだが、2時間以上歩いているにも拘らず見るのは小型の虫ばかり。ここは迷宮89階層だというのに。


「嫌な感じだぜ」


 その言葉を肯定するかの如く、何の前触れもなくミーナが消えた。

 

「ミーナ!!」

「動くな!!」


 バーンが動こうとするのを手で押しとどめ、アイザックは足元に敷き詰められている落ち葉を払う。


「転移陣かっ!」


 現れた魔法陣にバーンが叫んだ瞬間、今度はゼクロスが消えた。

 迷ったのは一瞬にも満たぬ刹那の間。

 最初からこうなることが分かっていたかのように、バーンがミーナを、アイザックがゼクロスを追って転移陣へと足を踏み入れた――無事に辿り着けることを願いながら。

 だが無情にも彼らが乗った瞬間に、魔法陣の光が弾けて消えた。



「くそっ!」


 転移に失敗し、忌々し気に呟いたバーンの顔には焦燥の色が色濃く表れ、それはアイザックもまた同じ。


「バーン!!」


 相方に注意を促しながらアイザックが強張った表情で辺りを見回せば、正気に返ったバーンが己の失態に歯噛みする。



 ――囲まれている。



 すでに己の存在を隠していないのか濃密な殺気が一帯を支配し、ねっとりとした視線が2人に絡みつく。それは覚えのあるもの――罠にかかった獲物を喰らおうとする捕食者の眼差しだ。



 ザワザワザワザワザワ

    ザザザザザザザザザザザザ



 風が木々を揺らす音に紛れ、何かが落ち葉の上を移動する音が聞こえる。


 黒き津波が彼らを呑み込まんと目前まで迫っていた……





 



「きゃっ!」


 床にペタンと座り込んだミーナは、慌てて立ち上がり棍を構えると……そこには忙しそうに動き回る魔物たちがいた。



「ラビ様この資料は何処へ運べばよろしいですか?」

『机の上にワンセットずつ頼むぞい』


「おい!皿はこれじゃない!青が良いとルーファスセレミィ様はおっしゃられていたぞ!」


「ブルル!勝手に菓子を食べないでください!」

「オデ、がまん」


「デッスン!マウ(騎乗馬)は置いてきなさいとあれほど言ったでしょう!?」

「ボヘ~!」


「スッパイダー、そこにいたら邪魔だ。天井にでも張り付いていろ」

「……ギョワ」


「メ~」


 そこは締め切り間際の職場の如く混沌(カオス)に満ちていた。

 現実を直視できず、遠い目をしたミーナの肩に後ろから手が乗せられ、振り返ればそこにはゼクロスがいた。


「ここは一体……」

「あっ!ゼクロスさんもいらっしゃったんですね~」


 仲間ができて嬉しそうなミーナとは裏腹にゼクロスは戸惑い気味である。2人は元凶であろう子狐を探し(こうべ)(めぐ)らせる。


『あっ!2人共こっちこっち!』


 2人が声の方に視線を向けると、そこには案の定ルーファの姿があった。

 近づいていけば、ルーファは咥えていた物を差し出す。


「これは……?」

『メニュー表なんだぞ。好きな飲み物を選んでね』


 取り合えず、言われるがままに注文を済ませたゼクロスは気になっていることを尋ねる。


「バーンとアイザックは何処にいるのですか?」


 そう、ここにはミーナとゼクロスしかいない。

 彼らの間にも転移に時差があったことから、最初は遅れているのだろうと気にも留めなかったのだが……それにしても遅すぎる。


『うむす。あの2人は修行の真っ最中なんだぞ』

 

 その言葉に顔を見合わせたゼクロスとミーナは、同時に立ち上がった。

 

「私たちも行きます~」


 棍を握りしめ決然と言い放ったミーナは、キリリとした表情でルーファを見つめる。その真剣な眼差しを受け止め、ルーファは静かに問う。

 

『後悔しない?』

「勿論です~!私たちはチームですから」


 にっこりと笑うミーナの笑顔はまるで晴れ渡った蒼穹(そうきゅう)の如く澄みきっており、それを見たルーファは仕方なし、とため息を吐いた。


『黒い虫が嫌いかと思って気を使ったんだけど……余計なお世話だったみたいだな』

「え゛!?そ、それってもしかして黒くてテカテカして偶に飛んじゃうアレですか~?」


 コックリと頷いたルーファに、ミーナの米神(こめかみ)からツツゥと汗が流れ落ちた。急に挙動不審になったミーナが視線をウロウロとさ迷わせたその時……

 

「ジンジャーエールとソーダフロート、紅茶をお持ちしました」


 タイミングよく目の前に置かれたジンジャーエールに、素早く椅子に座り直したミーナが何事もなかったかのように口を付ける。


「ふぅ。どうやら私は足手まといのようですね~。このまま大人しく2人の帰りを待つことにします~」

「ミーナ……」


 ゼクロスからの非難がましい視線がミーナに突き刺さる……が、ミーナは決して顔をあげようとはしない。1つため息を吐いたゼクロスも椅子へと腰かけた。

 ヒーラーたるゼクロスの真価は防御役がいて初めて発揮されるためだ。


 “赤き翼”のアタッカーはバーンとアイザックだが、防御と遠距離攻撃の両方を担っているのはミーナだ。

 故にゼクロスは常にミーナの結界に守られており、メンバーのコンディション――怪我の有無は勿論のこと、残魔力量や精神状況まで――目を光らせることができるのである。

 ちなみに、目眩ましや臭い玉などの有用な魔道具の使用もゼクロスが主導で行っている。


「ところで……何故修行を?」

『うむす。オレはあの2人が力を求めているのを知っている。そこで!ガッシュにどうやったら強くなれるのか聞いたのだ!それはズバリ、自分を知ること……自分の弱点を克服してこそ人は強くなれる。故にオレは2人が苦手とする力を持つ強敵を用意したのだ。これを見よ!!』


 その言葉と同時に映像が現れる。


「ヒッ!」


 そこには埋め尽くさんばかりの黒い悪魔――ゴキ○リ――に追い立てられ、必死に逃げるバーンとアイザックの姿があった。



  




「クソッ!!」


 本日何度目かの悪態をつき、〈爆炎〉を後方に放ちながらひたすら足を動かすバーンの肩には、アイザックが荷物のように抱えられている。敵の移動速度が速く、アイザックでは直ぐに追いつかれてしまうためだ。

 だがアイザックも何もしていない訳ではない。〈看破〉と〈分身〉を駆使し、敵の分析を行っていたのだ。


「不味いな……」

「何か分かったのか!?」


 〈疾風〉〈剛力〉〈金剛体〉をフル活用し、障害物をなぎ倒しながら爆走していたバーンが、噛みつくようにアイザックへ尋ねる。

 バーンが焦るのも無理はない。敵は下位格の属性魔法が一切効かず、先程放った〈爆炎〉も効果がないどころか、その炎を身に纏いながら2人に肉迫(にくはく)してくる始末。恐らく……いや、確実に敵も上位格魔法を保持しているのだろう。

 敵と遭遇してこの方、彼らは逃げることしか出来ていない。早く対処法を見つけなければ先に力尽きるのは間違いなく彼らだ。


「アレは一匹だ」

「はあ!?どういうことだ!?」


 バーンを追いかける黒い津波はどう見ても群体である。


「本体がいるってことか?」

「いや、あれらは同一個体だ。恐らくは……オレの〈分身〉に近い」


 嫌な予感にバーンは顔を歪める。


「……つまり?」

「アレ全部倒す必要がある」

 

 チラリとバーンは背後を振り返る。

 一匹一匹が手のひらサイズ。普通のゴ○ブリに比べて大きいものの魔物の中では小さい方だ……が、それが何十万、何百万といるのだ。

 広範囲殲滅を目的とした固有魔法を持っていない限り手も足も出ないだろう。


「どうすんだよ!!」

「逃げるしかないだろ」


 その言葉に呼応するように黒い悪魔が動く!



 ブゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン

   ブゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン

      ブゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン



「ぎゃあああああああああ!!!!飛んだぞ!!」

「……○キブリだからな」


 冷静に受け答えしているアイザックの目は既に虚ろだ。

 だがこの危険な状況においても、彼らには危機感が感じられない……何故か。それはこの件にルーファが関わっていることを確信しているからだ。


 ミーナとゼクロスが謀ったかのように戦いが始まる前にいなくなり、強大過ぎる敵がそのことを如実に物語っている。

 上位格魔法を操る魔物が出てくるのは100階層を守る大ボスから。つまり、アレは間違いなく深層の魔物であり、それを別の階に移動できる者など彼らが知る限りルーファとラビの2匹のみ。


 だがしかし、そうだと分かっていながら、どうして黒い悪魔に呑み込まれることが出来ようか。いや……無理だ。精神的に受け付けない。


「分身が湖を見つけた!右に向かえ!」


 僅かな希望を胸にバーンは右――とは言っても後ろから黒い悪魔が迫っているため実際は斜め右方向――に進路を取る。それと同時にアイザックが〈分身〉を2体身代わりとして放ち、自分達には〈気配完殺〉をかけたのだが……あっさりと〈分身〉が黒い海に呑み込まれた。


 ピタリ、と動きが止まる黒い悪魔。


 期待したのも束の間、それらは一斉にバーンたちへ向かってきた。


「おい!見破られたぞ!」

「知るか!急げ!」


 右に進路を取ったことが(あだ)となった。側面からも黒い悪魔が押し寄せ、彼らは急速に包囲されつつある……







「た、大変です~」

『うむす。キーゴ君は初めての侵入者に大張り切りなんだぞ!本来は170階層のボスをしてるから、今ままで誰も来なかったんだって』


 170階層という言葉にミーナとゼクロスは蒼褪める。100階層以降が前人未到エリア、それより70層も下である。その強さは計り知れない。


『安心するがよいぞ。これで2人を救うことができるんだぞ』


 ルーファは赤いボタンを差し出す。

 ゼクロスがそれが何かを聞くより早く、ミーナがボタンに向けて思いっきり手の平を打ち付けた。



 ポチン!



  



(クソッ!囲まれた!)


 最早逃げ場はない。お互いに背を預け、2人は笑い合う。


「いつ以来だ?」

「忘れた」


 絶体絶命の中、生き残るために2人で足掻いた日々を思い出す。

 仲間や友人が増えていく中で忘れていた感覚が蘇る。お互いしかいなかった頃、彼らは常に最悪を想定して動いた。

 強敵と遭遇した時の対処、逃げる方法、それを支える数多の魔道具……どんな汚い手を使ってでも生き抜いてきた。全ては犯罪者(ゴミ)を殺すために。


 だが、信頼できる仲間の存在が、逆に彼らに“甘え”を与えた。


 仲間の持つ力が彼らの足りない部分を補い、仲間の足りない部分は彼らが補った。それは正しいことだ……その力を当てにして努力を怠たりさえしなければ。

 身に着けていた魔道具はいつしか減り、常に最新の魔道具を調べていた彼らが、最後にそれを確認したのはいつだっただろうか……。


 自分たちの弱点など疾うに分かっていた筈なのに!


「はは!笑えるぜ。強くなったつもりでそうじゃなかったってことかよ」

「違うな。強くなったからこそ油断が生まれた。オレ達の装備は最善じゃない」


 己自身の力に拘らずもっと貪欲に力を得るべきだったのだ。

 彼らに足りないモノ――それは“多”を殺す力。


 迫りくる黒い津波を前に、彼らはそれでも己が武器を構えた。




 


 

 

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