方針
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深夜、双子月が明るく照らす要塞の廊下を足早に歩く男がいる。隻眼の男だ。しん、と静まり返った周辺からは物音一つしない。まるで男以外存在しないかのように。
だがその静寂も、突然に終わりを告げた。
笛の音が夜空に木霊し、兵たちの慌ただしい声が響き渡る。それに惹かれるように男の足が止まり、その視線は自然と喧騒に満ちた方角へと向く。
ここは不夜城、対汚染獣軍事要塞の1つメイゼンターグ。
アンデッドが多いこの地では夜こそが本番。
防壁の上では多くの魔法が灯り、昼夜を問わず厳重な警戒が敷かれている。だがその警戒具合は常にも増して厳しいと言えるだろう。つい先日、この要塞は陥落しかけたのだから。
汚染獣の大氾濫から2日。
多くの民は日常を取り戻しつつあるが……兵はそうはいかない。特に直接汚染獣と戦った者の傷跡は深い。それは身体ではなく、心に刻まれた恐怖という名の傷跡だ。
男――ガッシュの目に打ち上げられた〈照明〉の光が映る。
何事もなかったのだろう。暫くして光が消え、やがて元の静寂が戻ってきた。
この2日よく見られる光景だ。兵たちが少しの異変にも過剰に反応しているのだ。いや、それは異変というのも烏滸がましい。風が吹いた、鼠が背後を走った、ただそれだけで照明弾が上がり兵が剣を抜く事態へと発展していた。
ある程度は仕方のないことだとガッシュも分かってはいるが……余り頻度が多いと問題である。苛立ちが募り神経が摩耗した結果、正常な判断を狂わす事態になりかねないからだ。
ガッシュは問題の多さにため息を吐き、次いでハッと目的を思い出し再び足早に歩き始めた。
彼が向かう先は竜王ヴィルヘルムの部屋。
話があると言われて早2日、余りの忙しさに挨拶すら交わせていないのが現状である。ヴィルヘルムからも急ぎではない、と言われていたのでその言葉に甘えさせてもらったのだ。
そもそもガッシュがこれ程までに忙しい原因はヴィルヘルムにある。
それは……ヴィルヘルムがリィンへ来た際に、飛び立つのに邪魔になった光星城を綺麗さっぱり消し去ったためだ。正確には無事な部分もあったのだが……転移陣が設置してあった階より上は瓦礫すら残っていないのが現状だ。
人的被害はなく、重要な書類等は持ち出せたものの、それ以外の物は全てに灰燼に帰した。その損失は計り知れないだろう。幸いなことと言えば、宝物庫は地下にあったため被害を免れたことか。
そういった諸々の事情により、現在のガッシュは「家なき子」ならず「城なき王」となっている。
更に言えば、竜族が汚染獣調査のためにドラグニルから転移陣を利用して続々とやって来ているために、城の撤去工事にすら着手出来てない有様である。果たして新たな城が完成するのはいつになることか。
ガッシュが休めるのはまだ当分先だと言えるだろう。
ヴィルヘルムの部屋の前へ辿り着いたガッシュは、明かりが漏れていることを確認してノックする。本来であれば深夜に来訪するなど、マナー違反なのだが……相手は超越種たる竜王。睡眠を必要としないヴィルヘルムが無礼を咎めることはない。
入室したガッシュはヴィルヘルムの膝の上で死んだように眠る小さな子狐に目を向ける。倒れて以降、1度もその目が開いた事はない。
音もなく立ち上がったヴィルヘルムがルーファをそっと籠の中に入れる。その籠はルーファの為に用意された寝床だ。最高級のクッションが中に敷き詰められているのだが……常にヴィルヘルムの膝の上で寝ているため、使用されたのは今が初めてだったりする。
ガッシュの視線に気付いたのか、ヴィルヘルムがルーファを撫でる手を止め、彼の方を振り返った。
「後数日は起きぬだろう。かなり無理をしたようだ」
「……大丈夫なのか?」
ルーファを上から覗き込み、ガッシュはそっと頭を撫でる。いつもであれば嬉しそうに振られる尻尾も、気持ち良さそうに細められる目も、今はピクリとも動かない。
「問題はない。順調に回復しておる」
言葉と同時にガッシュの手を叩き落としたヴィルヘルムの目からは、深い愛情が感じられる。当然、その愛情が向けられる先はガッシュではなくルーファだ。
叩かれた手を摩りながら、ガッシュは本題を切り出す。
「それで、話というのは?」
「全てだ。そなたの知っている全てを話せ」
ガッシュは呼び鈴を鳴らしてメイドを呼ぶと、お茶の用意をさせる。間違いなく長い夜になるだろうから。
ガッシュは魔物暴走から始まる一連の事件を、私情が入らぬように淡々と語っていく。
合成獣・汚染獣による妨害行為、アカシックレコードの不調、研究所の存在……そして知恵ある汚染獣。
語り終えたところで、目を閉じていたヴィルヘルムの竜眼が開き、ガッシュを射抜く。
「そなたの予想は?」
「オレは……研究所が勇者を召喚し、汚染獣を操っているんじゃないかと考えている。カサンドラを狙ったのはルーファがいたからだ。あの力は汚染獣にとっては脅威だからな」
ヴィルヘルムは視線を落とす。幾ばくかの沈黙の後、再びその目がガッシュを捉えた。
「可能性はゼロではない。汚染獣を従える固有魔法がないとは言い切れぬ」
「やはりっ!」
ガタリ、と音を立て勢いよく立ち上がったガッシュの耳朶を冷たい声が打つ。
「我はゼロではない、と言ったまで。可能性を狭めるな。あらゆる可能性を想定し、それに対する策を考えよ。でなければ、いずれ足元を掬われようぞ」
それから暫くはガッシュへの説教が続き、ガッシュの眼が虚ろになってきた頃、漸く本題へと返った。
「元来、知恵ある汚染獣は迷宮と神獣を重点的に狙うものよ。カサンドラが狙われたこともルーファが狙われたことも何らおかしくはない」
それは汚染獣の本能だ。瘴気を浄化する迷宮と神獣は汚染獣の天敵なのだから。事実、〈大災厄〉で真っ先に狙われたのがこの2つである。
「そなたの予想だが……研究所と合成獣、そして汚染獣は間違いなく繋がっておる。そして、知恵ある汚染獣があの場にいた以上勇者召喚もだ」
確信を持った言い方に、ガッシュの顔に疑問が浮かぶ。だが、ガッシュが疑問を口にするより先にヴィルヘルムが口を開いた。
「研究所の情報を誰から貰った?」
「それは……」
ガッシュは言い淀んだ。
バーンとアイザック……いや、赤鬼と黒鬼と言うべきか。
ヴィルヘルムが彼らを裁くとは思えないが、それでもその名を口にするのは躊躇われた。ガッシュに彼らを捕らえる気はないのだから。
「バーンとアイザックか?」
「何故その名を……」
「5年程前に出会ったことがある。場所は……汚染獣の研究所だ」
「はあ!?」
驚きに目を見張るガッシュを余所に、ヴィルヘルムは懐かし気に目を細めた。
彼にとってもあの出会いは忘れがたいものであった。勝機はないと分かっていながら、汚染獣相手に一歩も引かぬ気概と、その身の内に宿す純粋なる憎しみを。
「何を驚くことがある。汚染獣は我の管轄ぞ。2人が喰われそうになっておったところを助けたのだ。あれで終わったかと思っておったが……どうやら思った以上に根が深かったようだな」
ヴィルヘルムは苦々しく思う。
あの当時に他の研究所の存在に気付いていればと。まあ、ヴィルヘルムが調べていたのは汚染獣についてのみなので致し方ないことなのかもしれない。基本的に彼は人種の営みに干渉しないのだから。
「今回の件、1つ不可解な点がある。汚染獣は何処から現れた?あれ程の数の汚染獣が荒野にいきなり現れるなど不可能。痕跡を辿ったが……恐らくは海が始まりだ。そこから先は読み取れぬ」
ヴィルヘルムも今まで遊んでいた訳ではない。ルーファの側に付きっ切りだったものの、〈神竜ノ眼〉を駆使して汚染獣の痕跡を探っていたのだ。だが彼の目を以てしても海から先を視ることは叶わなかった。まるで忽然と現れたかのように。
「海で産まれたという事か?」
ヴィルヘルムの片眉が跳ね上がり、それを見たガッシュの尻尾がブワっと膨れた。
(説教を)警戒するガッシュを冷たい目で一瞥し、ヴィルヘルムは続ける。
「誰にも気付かれずに80万体にまで汚染獣を増やすことが出来ると思うか?瘴気の濃度が増したのもここ最近と聞く。その短期間で……更には汚染獣の餌が少ない荒野で、ここまで数を増やすことなど不可能と知れ。知恵ある汚染獣に隠蔽の力はない。ならば決まっておろう。何者かが汚染獣を運んだのだ」
ガッシュの眼が鋭く細められ、ヴィルヘルムを射殺さんばかりに睨みつけている……が、これがガッシュの所謂真剣な眼差しである。
「汚染獣を本当に従えているのか、それとも封じて運んできたのか……どちらにせよ勇者を召喚した何者かは汚染獣の動きをある程度制御できることは間違いない。必ず何処かに汚染獣を保管・増殖している場所があるはずだ」
一旦言葉を止めたヴィルヘルムの目が鋭さを増す。
「アカシックレコードのノイズはいつ頃から起きた?」
「オレが気付いたのは1年と少し前だが、いつも起こっていた訳じゃないからな……案外もっと前かもしれん」
ガッシュはヴィルヘルムの様子にアカシックレコードの異常が、自身が思っているよりも遥かに重要な事だと理解した。
悔やまれるのは彼がこの異常を気にし始めたのが最近だという事。彼がもっと早くに気付いていたのなら……何が隠されていたのかを把握できただろうに。
「我が生じてから今まで一度もアカシックレコードにノイズが走ったことなど無い。ここに来るまで一度もだ。分かるか?この異常は大陸西部でしか起きてはおらぬ」
ガッシュの目が驚愕に見開かれ、口から疑問が零れ落ちる。
「どういうことだ?」
「確証はない。だが……」
ヴィルヘルムは遠き過去に思いを馳せる。それは彼にとって大切な思い出。
ヴィルヘルムの目が柔らかい光を宿し、懐かしそうに細められる。
「我が会ったことのある勇者はマサキだけだ。あれはアカシックレコードで読み取れなかった。本来、勇者は……異世界人はこの世界にとっての異物。異物が混入したことでアカシックレコードが異常をきたした可能性がある」
ヴィルヘルムを囲むように光の羅列が展開する。
これがアカシックレコード。情報の渦だ。まるでコンピューターの画面のように文字や記号が踊る。新たな情報が現れては流れるように消えていく。その中で何か所か黒く塗り潰された箇所がある。
「オレのアカシックレコードとは随分形状が違うんだが……」
ガッシュも普段使用しているアカシックレコードを展開した。
彼の使っているものはインターネットの検索画面に近いだろうか。自分が欲しい情報を思い浮かべれば、それに近い情報から開示されていく仕組みだ。更に言えば、ガッシュはヴィルヘルムのアカシックレコードを理解することが出来ないでいる。
「そなたのは翻訳された情報の一部が表示されているにすぎぬ。これは情報そのもの。世界の言葉で記されておる。この方が情報の密度が高いのだが……ふむ、今度教えてやろう」
その言葉にガッシュの尻尾がビクっと跳ね、力なく垂れ下がった。
そんなガッシュの様子を気にすることなく、ヴィルヘルムは黒く染まった箇所を指さす。
「分かるか?黒く染まっている箇所は大陸中部より西側だ。ナスタージアの周辺まで含まれておる。勿論、そなたの国も」
「……この国で勇者召喚が行われている可能性もあると?」
「否定は出来ぬ」
難しい顔をして黙り込んだガッシュに、ヴィルヘルムは続ける。
「ルーファが目覚め次第、我は原魔の森へ向かう。そなたは自国と……フォルテカ、シリカを洗え。それ以外は眷属にやらせよう」
フォルテカとシリカはリーンハルトの友好国だ。今代国王とも友誼を結んでいるため、事情を話せば協力してくれることだろう。ガッシュは了承の意を込め頷いた。
「原魔の森へは何をしに行くんだ?」
ヴィルヘルムの口が弧を描く……が、その目は全く笑ってはいない。静かに立ち上がった彼はルーファの眠る籠をそっと窓辺に移動させ、ガッシュを振り返る。
「何を聞いておった。先程、汚染獣を保管しておる場所があると申したであろう。そなたであれば何処に隠す?」
「……原魔の森だな」
「その近海もだ。あそこに人種は近づかぬ。調べてみる価値はあろう」
その言葉が終わると同時にヴィルヘルムの姿が消えた。
ガッシュの目にすら捉えられぬ程の速度。正に神速という名が相応しく、その動きは竜種でさえも反応することが出来ぬだろう。
だが、ガッシュは即座に反応してみせた。それは生存本能ゆえか……それとも闘争本能ゆえか。
テーブルを蹴飛ばしたガッシュは、顔を庇うように魔力を纏わせた両腕をクロスさせる。
それは絶対の防御にして攻撃。虚空ノ神の力を纏いしそれは、触れたモノの存在全てを消しさるのだから。だが……ヴィルヘルムにとってはその力ですら紙切れ同然。
乾いた音と共に両腕が砕け、ヴィルヘルムの手がガッシュの頭を掴んだ。
ドガアアアアアアアアアアン!!
叩きつけられた壁が粉砕し、それでも勢いは弱まることなくガッシュは次なる壁へと打ち付けられた。
常人であれば致死の一撃。だがガッシュの目に僅かの戦意の衰えも見受けられず、即座に両腕を再生させると反撃へと移る。
その様子に口角を上げたヴィルヘルムの尾が、赤い軌跡を描きながらガッシュの両腕に絡みつく。再び砕かれた両腕にガッシュはくぐもった声を上げながらも、蒼眼を力強く輝かせた。
「……良い眼だ」
満足したように笑ったヴィルヘルムはガッシュを解放する。
「ゴホッ……どういうつもりだ」
〈虚空消滅〉を受けてさえ微動だにしないヴィルヘルムを睨みつけ、ガッシュは低く問うた。
「あれから二百年。そなたが腑抜けておらぬか試したまでのこと。弱き者にルーファは任せられぬ。我のおらぬ間ルーファを頼むぞ、ガッシュ」
悪びれることなく笑ったヴィルヘルムに、ガッシュはため息を吐きながら思い出す――竜族という存在を。彼らの知能は人種よりも遥かに高い……が、そんな彼らが好んで使うのは肉体言語。つまり殴り合いだ。
ヴィルヘルムはそんな戦闘狂の王。これが竜族流の挨拶なのだろう、とガッシュは無理矢理納得した。
ガッシュに背を向けルーファのもとへと向かうヴィルヘルムの足が止まり、振り返ることなく静かに語りかけてくる。
「そなたはもっと強くなれる。それは知っておろう?何故だ?何故そこで立ち止まる?」
その問いに応えはない。いや、無言こそがガッシュの答えなのだろう。
それは人種として産まれたが故の未練。彼は捨てられない――人種としての自分を。
「我には分からぬ。だが……それがそなたの選択だというのなら、我は何も言うまい」
一度言葉を止めたヴィルヘルムは、ガッシュを振り返り囁くように呟いた。
「後悔だけはせぬようにな」
その真摯な眼差しにガッシュは僅かに目を見開く。
一瞬交わった2人の視線は直ぐにそらされ、ヴィルヘルムは今度こそ振り返ることなくルーファのもとへと戻っていった。