過去に囚われし竜王
語り終えたヴィルヘルムをルーファはじっと見つめる。
その表情からは悲しみも苦しみも感じられない。だが……何故だろうか。ルーファの目には今も尚、血を流し続ける竜の姿が映った。
悲しくないはずがない、苦しくないはずがない。
大切な人がいなくなる、それはこんなにも辛いことなのだから。
ましてや世界を守るために親友を手にかけたヴィルヘルムは、一体どれほどの苦しみを得たのだろうか。
ルーファには分からない。いや、誰にも分からないのだとルーファは思う。大切な人と積み重ねてきた時間も、その人を思う心も1人1人違うのだから。
ルーファはヴィルヘルムの大きくて広い背中を思う。
自分達親子を5000年以上守り続けてきた背中だ。
でも……ルーファが知っているのはそれだけだ。ヴィルヘルムが抱える苦悩も、その心に巣食う闇も、今まで気付くことができなかった。
いや、知ろうとしなかったのだ。知る機会はあったのに……。
父の話をねだる度に伏せられていた金の目は、決してルーファを見ようとはしなかった。それが何を意味しているかを考えなかったのは自分の罪だ。5000年もの間、たった独りで苦しんでいたというのに!
ルーファはヴィルヘルムに歩み寄る。
それはヴィルヘルムのことを知りたいと願うルーファの心の現れ。
普段なら即座にルーファを抱き上げるヴィルヘルムは静かにルーファを見つめるばかりで動こうとはしない。その姿はまるで裁きを待つ罪人のようだ。
『オレは……ずっと父様に会いたいって思ってた』
「…………そうか」
静かに言葉を紡ぐルーファにヴィルヘルムの声は昏く沈み、陰りを帯びた金眼からは澱んだ鬼気が渦巻く。今まで決して見せることのなかったその感情こそが彼の狂気なのだろう。
それでもルーファは恐れることなくヴィルヘルムの金眼を真っ直ぐ見つめた。狂気も憎悪も憤怒もヴィルヘルムの一部……ならば怖がる理由などない。
『父様がいないのは悲しかったけど、寂しくはなかった。それはね、ヴィーがいたから。ヴィーがずっと一緒にいてくれたからオレは寂しくなかったんだぞ』
「……マサキがする筈だったことだ。我がそなたの父を奪ったことに変わりはない」
静かに語るヴィルヘルムの心に宿るは――“恐怖”。
ルーファがいなくなった時に感じた“恐怖”とはまた別種の“恐怖”が彼の心を支配する。彼が恐れるのは“拒絶”だ。彼にとってルーファは正しく自分の“全て”なのだから。
カトレアを守るのも世界を守るのも最初は友との約束だった。
だが……今は違う。彼が守るのは全てルーファの為に。ルーファが悲しまぬように、ルーファが笑っていられるように、ルーファの大切なモノを彼が守っているのだ。
ヴィルヘルムは自覚している。いや、自覚したと言った方が正しいか。
ルーファがいなくなって初めて、自分がどれほどルーファに依存していたのかを理解した。ルーファの存在こそが自分を正気に留めているのだと。
故に彼はルーファから目を逸らした。もし、その目に“拒絶”の感情が浮かんでいたのなら……きっと耐えられぬだろうから。
「我を憎むか?」
ポツリと呟かれたその言葉に宿るのは、相反する思い。
彼が望むは断罪。
彼が望むは赦し。
その抜けること無き荊は彼の罪の証。
その流れ続ける血は彼が抱き続ける自身への怒りだ。
彼は許さない。
生き残った自分を。
親友を殺した自分を。
5千年経った今でさえ、その軛は彼を捕らえて放さない……
『尻尾アターックW!!』
ルーファは2本の尻尾でヴィルヘルムの顔面を叩いた。
ルーファは現在猛烈に怒っている。確かにヴィルヘルムは父を殺したのだろう。だがそれは、それしか選択肢がなかったためだ。
ルーファはちゃんと理解しているのだ。ヴィルヘルムは父を助けたかったのだと、今も殺めたことを責め続けているのだと。
ならば、ルーファがやらなければならないことは1つだ。父がしたであろうことを自分が代わりにするのだ。父もきっと同じことをするだろうから!
『オレがヴィーを憎むなんてありえない!いつだってヴィーは一緒にいてくれて優しかった!それとも……ヴィーはオレが父様の子だから愛してくれたの?優しくしてくれたの?』
「違う!!我が愛しているのはルーファ自身だ!!マサキの子だからではない!!」
金の目から狂気が消え、代わりに激しい情愛がその目に浮かぶ。
その嘘偽りのない感情にルーファは安堵する。ルーファもまた不安だったのだ。自分の存在がヴィルヘルムから自由を奪ったのではないかと思って。
『オレも同じなんだぞ。ヴィーは父様の代わりじゃない。ヴィーがヴィーだからオレは大好きなんだぞ』
ふわりと浮かび上がったルーファは鼻先をチョンっとヴィルヘルムのそれにくっつける。藤色の大きな瞳に映るのは戸惑いに揺れる金色の瞳。
『ヴィー、生きててくれてありがとう』
それは肯定。
ルーファはヴィルヘルムの全てを赦し、受容し、肯定する。
己を責め続ける竜がその感情から解き放たれることを願って。
それと同時にルーファは決意した。
ヴィルヘルムがマサキの死後多くの人種を救ったように、自分もまた多くの人を救おうと。フェンがこれから救ったであろう命をルーファが代わりに助けるのだ。フェンがルーファにしてくれたように。
――バーカ!ヴィルヘルムは気にしすぎなんだよ。
不意にヴィルヘルムの耳に懐かしい声が届く。
それはきっと都合のよい夢のようなもの。だが確かにこの瞬間、困ったように笑う友の声を聞いた。
ヴィルヘルムも分かっていたのだ。マサキが自分を恨んでいないことなど。ただ……どうしようもなく許せなかった。
何故、もっと早く覚醒しなかったのか。
何故、超越種に進化したことに気付かなかったのか。
彼はマサキを失った日の事をこれからも忘れることはないだろう。
あの日感じた絶望と悔恨も未だ彼の内にある。自分が死にマサキが生き残るべきだったと、ずっとそう思って生きてきたのだから。
だが……この瞬間初めて彼は感謝した。自分が生きていることに、ルーファと出会えた奇跡に。
「マサキ……すまぬな。そなたの子は我がもらうぞ」
小さく呟かれた言葉は誰にも届きはしなかったが、ヴィルヘルムは嫌そうに顔をしかめたマサキの姿を幻視した。
ヴィルヘルムはルーファを見つめる。
その目に宿る感情は甘く優しく、熱く激しい“愛”という名の甘美な毒。
「……そなたの言葉は我にとって救いの言葉だ。では我からもそなたに同じ言葉を返そう。生きていてくれてありがとう……ルーファ」
その“毒”に気付かぬままにルーファはポロポロと涙を溢す。そして……
ビッターン!!
空気を読まない子狐は勢いよくヴィルヘルムの顔面に張り付き叫ぶ。
『グスっグズズっ!!さあ、ヴィーよ!我が胸で思う存分泣くが良いぞ!!』
大泣きしながら張り付かれた影響で、涙、涎、鼻水と顔面がルーファの三大汁塗れになったヴィルヘルムは、そっとルーファを引き剥がした。
ヴィルヘルムは子供の頃に戻ったかのように、わんわんと声をあげ泣きじゃくるルーファを見つめる。いや、この姿こそ本来のルーファなのだろう。
いつの頃からかあまり泣かなくなったルーファを大人になったのだと思っていた。だが……それは果たして正しかったのか。
神域に閉じ込めることで守っているつもりだった。
いや、それはただの言い訳であり、誰にもルーファを渡したくなかっただけ。
自分だけを見つめ、自分だけに語りかけ、自分だけを愛して欲しい……ヴィルヘルムの独占欲がルーファの心を少しずつ、少しずつ殺していたのだ。
――壊す訳にはいかない。ルーファの優しく豊かな心を。
ヴィルヘルムは決意する。
これからはルーファの意志を尊重しよう、と。
(大丈夫だ、何も問題はない。邪魔になれば秘密裏に殺せばいいだけのこと)
彼が反省する日は永遠に来ない……のかもしれない。
ルーファの背を優しく撫でていたヴィルヘルムの手が止まり、その目が壁に……正確にはそこに空いた穴へと向けられる。
「そろそろ入ってきたらどうだ?」
ばつの悪い顔を覗かせたのはガッシュだ。
「あ~、取込み中すまなかった。2人に来客があって……」
「ルーファ!!」
ガッシュを押しのけて部屋へと侵入したのは白銀色の髪の美女――カトレア――だ。
ドラグニルからルーファの無事を知らされたカトレアは即座にリーンハルトへ向かおうとしたのだが……安全が確認されるまでドラグニルで足止めを食らっていたのだ。
許可が出たのは今朝がたのこと。
ヴィルヘルムにとってルーファが全てであるように、カトレアにとっても唯一無二の存在。
初めて愛した男のたった1つの忘れ形見であり、失意のどん底にいた彼女をルーファの存在が支え続けたのだから。
ルーファが家出してからというもの、カトレアは生きる気力を失い伏せっていた。その間、ルーファの無事を只ひたすら祈り、不安に押しつぶされそうな時を過ごしてきたのだ。その歓びは言葉では言い表せぬ程。
涙を流しながら我が子のもとへと急ぐカトレアの姿に、ルーファの涙腺が再び決壊し、ヴィルヘルムの腕から飛び出すとそのまま母の胸へと飛び込んだ。
パイイイイイイイイン
おっぱいと言う名の最強兵器に弾き飛ばされたルーファはそのまま床に墜落し、しゅたっと着地を決めると再びその胸へと飛び込む。
『母様ぁ~!』
「ルーファ!!」
今度こそ母の胸へ抱きしめられたルーファはわんわん泣きながらその鼻先を豊満な谷間へと突っ込み、甘えるように鼻を鳴らす。
「どれほど妾が心配したか……よく、よく無事で……」
『ご、ごめ゛んな゛ざ、い』
初めて見る母の涙にルーファはどれほど自分が心配をかけたのかを知った。
広い世界を知るために、小さな箱庭を飛び出したことに後悔はない。
ただ……どうしようもなくやり方を間違えたのだとルーファは思う。知らせることは出来たのだ。竜の眷属に会った時も、ガウディに会った時も無事を知らせるチャンスはあった。
それをしなかったのはルーファの我儘。
もっともっと強くなってから2人に会いに行きたい、その思いがルーファの行動を狭めた。
心配しているだろうと分かっていたのに……いや、分かったつもりで本当は理解していなかったのだろう。強い2人なら大丈夫だろうと。
ルーファは2人の剥き出しの感情に触れ、漸く理解した。
ヴィルヘルムとカトレアがルーファを守り支えてくれていたように、ルーファもまた2人を支えていたのだと。
一方通行ではあり得ない――それが“家族”なのだと。




