獅子身中の虫
大海原を一隻の船が行く――大型の魔導船だ。
大型の乗り物は、この世界において大変珍しい。
何故なら重量のあるものを動かすには、強い魔力を秘めた魔石を利用しなければならないからだ。そして、強い魔石には魔物を大量に引き寄せる作用があり、過去にはそれが原因で滅んだ国さえ存在する。
故に魔導飛行船や魔導列車等の乗り物の運用は世界協定で禁止されているのだが……その唯一の例外が海を走る魔導船だ。何故なら、海には力の強い大型の魔物が存在しないのだから。
さて、海に強力な魔物が存在しない理由を語る上で欠かすことの出来ない重要な要素がある。それが原魔の森と迷宮についてだ。
まず、魔物が発生するのは原魔の森か迷宮、それ以外で発生することはほとんどない。しかし、これはその近辺にしか魔物がいない、という意味ではない。
原魔の森から外へ出た魔物が普通の森や平原で繁殖したものから、迷宮の魔物暴走により解き放たれた魔物がそのまま外へ定着したものまで、至る所で多種多様な魔物を見ることが出来るだろう。
それでもやはり原魔の森と迷宮の周辺が最も魔物が多い危険地帯であることに変わりはない。
そして、根本的な問題として原魔の森には海がないのだ。
いや、一応海に面してはいるが、それはあくまで森の外での話しであり、原魔の森出身の海洋型の魔物自体が存在しないのだ。
河に住む魔物が長い時をかけて海に適応することもあるが、その数は極わずかに過ぎない。
次に迷宮だが……これは語らなくとも分かるだろう。
迷宮内に確かに海はあるのだが……例え魔物暴走が起ころうと海中を泳ぐ彼らが外に出ることは不可能なのだ。
上記の理由により海には強力な魔物がほとんど存在しない。
「ほとんど」と称したのは稀に生まれることがあるためだ。
これは叡智ある魔物同士が海の近辺で戦った魔力の影響で、その近海に住む海洋生物が魔物化する事例である。ただし、大半は魔力に当てられ死亡するので滅多に起こることではない。
結果、海というものは世界でも比較的どころかかなり安全な場所となっている。
ただし、空を飛ぶ魔物が原魔の森周辺に多く生息するため、大型魔導船を使用できるのは原魔の森から離れた南岸沿いの海域だけとなる。
まあ、南岸沿いとは言っても東はドラグニルから中部諸国を抜け、西はリーンハルトまでと幅広いが。
さて、そんな南海にしか見られない魔導船の甲板に1人の男が佇んでいた。
見るからに怪しい男だ。
黒いフード付きマントを深く被り、垣間見えるズボンと上着も黒。更に黒革の手袋まで嵌めている。
暫くぼんやりと海を眺めていたその男は、海に背を向けると船室へと向かう階段を下っていった。
「ふう」
部屋に入ると同時にフードを脱ぎ去った男の容姿が露わになる。
黒髪黒目、異世界人の特徴を持つ少年だ。そう、彼こそがベリアノス大帝国の勇者にして、他の異世界人を支配することを条件にベリアノスに与した裏切者・皇朝人である。
とは言うものの、彼がベリアノスに忠誠を誓っているかと言えばそうではない。彼はベリアノスを利用しているに過ぎないのだから。
備え付けられたベッドの上にマントを投げ、腰を下ろした朝人の顔に笑みが浮かぶ。
船に揺られ続けること3ヶ月。
漸くリーンハルトの湾岸都市アクラムへと到着するだ。まあ、補給のため幾つかの街に寄港したりもしたが……それも僅かな時間とあって、彼にとっては3カ月ぶりの陸地だと言っても過言ではない。
朝人がベリアノス皇帝ジャイヴァロックからシリカ騎士王国の攻略を命じられてから早8カ月。何故彼が船でアクラムへ向かっているのかと言えば……それには深い訳がある。
ベリアノスとリーンハルトは常に小競り合いを続けており、いつ戦端が開かれてもおかしくない状況だ。そんな国同士の国境を自由に出入りできるだろうか……答えは否だ。
それは冒険者のみならず商人であろうと例外ではない。
正規の手続きでリーンハルトに入国するための方法は2つ。
1つは友好国である中部諸国・またはドラグニルから出ている定期便での入国。
勿論、入国審査はあるものの冒険者は身分証の提示と簡単な質疑応答だけで入国可能だ。
もう1つが難民・移住申請による他国からの移住者。
これが存外に難しい。30か国以上が入り乱れ争いの絶えない中部諸国であればいざ知らず、西部諸国は僅かに6カ国――ベリアノス、アンセルム、リーンハルト、シリカ、フォルテカ、カサンドラ――のみだ。
難民・移住希望者の審査は厳しく、出身国は勿論のこと犯罪歴や家族構成までありとあらゆることを調べられることとなる。
一度怪しいと思われれば、難民申請に半年以上の期間を要するほどだ。
当然、人族至上主義を掲げるベリアノスとアンセルムからリーンハルトへの移住など認めてはいないし、難民も人族以外の種族に限られている。
では、コッソリ潜入すればいいのでは?と思われるかもしれないが、不法入国中にギルドカードを使用すれば一発で足が付くために使用できないという問題がある。
魔力を登録しているために偽造が出来ず、国によって仕様が異なるために出身国を誤魔化すことも出来ない。更にキャッシュレス決済が主流の御時世に、常に現金で買い物する人物……怪しいことこの上ない。
そういう事情もあり、朝人はまずベリアノスの友好国経由で多種族国家へと入国し、難民としてギルドカードを手に入れたのだ。
そこで朝人はとある冒険者パーティに引き合わされた。
Aランクパーティ“輝く剣”
リーダーはドマノフ。
如何にも南海出身といった浅黒い肌の引き締まった体躯の男だ。
そして小柄な斥候らしき男がルイージ、魔法使いで唯一の女性であるギネモア。
固有魔法士として登録しているのはドマノフのみだが、実際は3名とも固有魔法士という規格外のパーティとなっている。
まあ、朝人の支配魔法に抵抗できるのは固有魔法士だけなので、ある意味当然の対策だろう。
このことからも分かるように、朝人は未だにジャイヴァロックから全く信用されていないのである。
そして当然彼らはただの冒険者ではなく、中部で活動しているベリアノスの間者。
朝人は“輝く剣”に加入した後、彼らの協力のもと一気にCランクまで引き上げ、アクラム行きの船に乗り今に至る。
ちなみに何故Cランクまで上げたかと言うと、冒険者にはランクごとに一定期間における最低受注依頼数が決められているためだ。
仮にDランク以下で船に乗れば、乗船途中でその期間を過ぎてしまい、ギルドカードが失効になるのである。
ゴロン、と朝人がベッドに寝転がったところでノックもなしに扉が開く。
「ノックぐらいしてよ」
朝人の苦情に眉1つ動かさずにドマノフが入室し、その後にルイージとギネモアが続く。彼らもまた、シリカ攻略のメンバーとなる。
「明日には着く。迂闊な行動はするな。これからの計画は分かっているな?」
朝人をジロリと睨みつけたドマノフの目には全くと言っていいほど温かみが感じられない。
それも当然だろう。ドマノフにとって朝人は同じ人ですらなく、躾のなってない犬程度の存在。
そんな態度も今に始まったわけではなく、既に慣れっこの朝人はダルそうに起き上がりながらも、やる気無さげにヒラヒラと手を振った。
「何度も聞いたし心配いらないよ。カサンドラへ向かう途中で盗賊に襲われていたシリカの貴族を助け、気に入られて断り切れずにシリカに入国……だろ?」
「分かっているならいい。アクラムに着けば入国審査がある。最低限の荷物を残し他は見つからんように〈影収納〉に仕舞っておけよ」
言いたいことだけ言って去って行くドマノフに「はいはい」とお座なりに返事をした朝人は再び寝転がった。
「ドマノフさんしか喋らないんだったらあとの二人来る必要ないと思わない?」
誰もいないと思われた船室に3つの影が生じる。
全員が朝人と同様に全身黒ずくめの服に身を包んでいる……が、その姿は朝人より怪しさ満点。
目以外の全ての箇所を覆い隠し、これぞ「ザ・不審者」といった正に不審者の見本市のような男たちだ。
「お前が大人しくしているかどうかの確認だろう」
中央にいる灰色の目の男が答える。
彼らこそ朝人の本当の見張り。
暗殺など後ろ暗いことを担当する影の部隊、その一員である。
朝人がベリアノスへ寝返ってから風呂もトイレの時間すらも付きまとっている監視者だ。
「アシュレイたちがいるのにわざわざ?信用されてないんじゃないの?」
皮肉気に嗤った朝人が灰色の目の男――アシュレイ――に目を向けた。
「それだけお前の〈支配魔法〉を警戒しているんだろう。現にオレたちはお前に支配されている」
アシュレイの言葉に、ククっと面白そうに嗤った朝人は今までの経緯を振り返る。
朝人はジャイヴァロックに幾つかの嘘をついた。
それは魔法に関することだ。誰が自分の権能を親切に全て教えるものか。朝人の武器はこの力だけなのだから。
朝人は素手で触れた者であれば誰でも支配できる、と話した。その方が警戒されないと思ったからだ。
黒革の手袋を嵌めているのも、「支配するつもりはありませんよ」という意志表示。本当は素手であろうとなかろうと……いや、身体の一部さえ触れれば簡単に支配できるというのに。
――それだけではない。
触れなくとも時間をかければ彼には支配可能なのだ。
重要なのは彼の魔力。魔力を徐々に相手に浸透させていけば魔力の弱いものであれば数日で支配可能となる。
朝人がその気になれば、ガイアス城にいる大半の人種を支配下に置くことすら容易だ。まあ、〈看破〉や〈鑑定〉といった権能もあるらしいのでやらないが。
問題は……固有魔法士の存在。
彼らを支配するのは難しい。だが……不可能ではない。アシュレイもまた固有魔法士なのだから。
アシュレイが持っている固有魔法は隠密系。
〈支配魔法〉は感知能力も内包してはいるが、隠密系の権能を持つ固有魔法士を見つけるのは不可能に近い。
何故なら感知系と隠密系の権能に限らず、相反する性質を有する固有魔法同士は、熟練度の高い方が優先されるからだ。
朝人はこの世界に来て日が浅く、どう足掻こうと熟練度はアシュレイの方が圧倒的に勝っている……筈だった。
――僅かに1月。
朝人の熟練度がアシュレイを越えるのに要した時間だ。
これが異世界人の恐ろしさ。彼らの魔法への適性はこの世界の住人と比べて異様なほど高く、幼少の時から訓練を続けてきたアシュレイをあっさりと追い抜いたのだ。
だが……もし朝人が慎重に行動していなければ今ここにはいなかっただろう。
現在は一人一人の違いが分かるまで気配を感じることに長けたが、当時は朧げに「誰かいる」と感じる程度であったためだ。
もしこの時に行動を起こしていたのなら……アシュレイの存在に気付くこと無く、速攻で処分されていたことだろう。
当時、朝人を見張っていた影は全部で6人。
3人1組でその内の1人は必ず固有魔法士であった。
当初、彼は常時2人が見張っているのかと思っていたのだが、召喚された時にその場にいた何人かは〈支配魔法〉で気配を探れなかったことを思い出し、朝人は他にもいるのではないかと考えた。
そしてそれは正しかった。彼の慎重さがその命を救ったのだ。
アシュレイの気配が感知できるようになった時、朝人は賭けに出た。
賭けるのは自分の命、成功報酬は固有魔法士。
アシュレイを選んだのは彼の力が隠密系だったということもあるが、最大の理由がさぼり癖があったこと。そこに朝人は付け入る隙を見出した。
アシュレイがさぼっている間に固有魔法士出ない2人を狙い、支配した2人から情報を引き出すことに成功した。それから朝人はアシュレイを支配する可能性を探りだす。
朝人が目を付けたのは封魔具――魔力を封じる魔道具の存在。
魔力を封じれば固有魔法士であろうと支配できるのではないのか、それが彼が導き出した答えだ。出来るかどうかは一種の賭けのようなものだったが。
封魔具を手に入れるのはあっけないほど簡単であった。支配した2人にお願いすれば直ぐに手に入ったからだ。
そして朝人は賭けに勝った。
アシュレイは仲間の二人が支配されていることに、自分が支配される瞬間まで気付かなかった。朝人が自分の権能を誤認させていたことが、結果的に彼を勝利へと導いたのだ。
それから朝人は情報収集に明け暮れた。
周辺の地理にベリアノスに敵対している国家。
だが、彼が最も力を入れたのは神獣の情報だ。
彼は知った、知ってしまった。
異世界人はいずれ汚染獣に変わる存在であると。
そして……それを防ぐには神獣の力が必要だと。
恐らくは腕に嵌められた腕輪がタイムリミットを指している。
彼の腕輪は……既に5割が黒く染まっていた。
「神獣……必ず手に入れてやる」
ポツリと呟いた朝人の眼差しは強い輝きを宿し、ギラギラと輝いていた。
彼はこれから知ることになる――リーンハルトに神獣が到来したことを。
ここで〈影移動〉について補足説明をします。
この力は影を移動するためだけの力であり、本来は隠密効果はありません。むしろ、継続的に魔力を使うため、魔力感知が得意な者には何処にいるかバレバレです。そのため国境や街へ〈影移動〉でコッソリ入るのは難しいと言わざるを得ないでしょう。
アイザックが〈影移動〉を駆使して誰にも気付かれることなく動き回っていたのは、彼の〈気配完殺〉の熟練度が他に類を見ぬ程高かったためです。
アシュレイの熟練度もそこそこ高いので、朝人のお目付け役に抜擢された形となります。残り2人もアシュレイの隠密能力で気配を遮断することが可能です。




