物語の行く末
これはヴィルヘルムが語らなかった物語。
知恵ある汚染獣を倒し世界に平和が訪れました。
めでたしめでたし、とならないのが現実である。
知恵ある汚染獣を倒しても瘴気が消える筈もなく、それを浄化できるのはカトレアただ1人という現状。更に瘴気が多すぎたために、彼女に出来たのは北へ流入してくる瘴気を防ぎ浄化することのみであった。
続々と生まれる新たな汚染獣に、人が住める場所は最も貧しい北方の大地のみ……その結果起こったのは前代未聞の大飢饉だ。
ヴィルヘルムが新たな力〈自然ノ化身〉を用いて永久凍土の大地を溶かし、作物が育つ気候に作り替えたものの、それでも北海道並みかそれ以上に厳しい寒さだ。
冬には深い雪に閉ざされ、作物を育てることどころか土を耕すことすらままならない。
冬以外であればまだマシであっただろう。ただ、時期が悪かった。
戦いが終結したのが晩夏、それから痩せた土を耕し畑を作り作物を育てる……そんな時間は残されていなかった。
彼らは備蓄がないままに極寒の冬を迎えることとなった。
気候を操ることが出来るのなら、ヴィルヘルムは何故もっと温暖な気候にしなかったのか……それには理由がある。その存在こそ修正力だ。
修正力とは本来あるべき姿を歪めると、それに対して元に戻ろうとする力が働くことだ。その力が大きければ大きいほど災害を引き起こし、下手をすれば世界の崩壊へと繋がる。
修正力が起こらないギリギリの範囲、それがこの気候であった。
そんな危うい状況の中、ヴィルヘルムは眷属たる竜種を生み出してカトレアの護衛とすると、彼自身は汚染獣の駆除にかかりきりになった。
いや、そうせずにはいられなかったと言った方が正しいだろう。彼は身の内に宿る憎しみの業火を鎮める術を知らず、汚染獣を殺すことによって心の均衡を保っていたのだ。
その結果、最強のストッパーたる竜王を欠いたことで、人々の理性は簡単に崩壊した。
始めに死んでいったのは老人と子供であった。
老人は切り捨てられ、彼らに回されるはずだった食料は他の者の糧となった。
体力のない多くの子供は飢えと寒さで命を散らし、それを免れた者も病に倒れた。カトレアは侵食してくる瘴気を防ぐのに手いっぱいで病人を癒す余裕がなかったことも悲劇の一因だろう。
我が子を失った母親が、年老いた両親を見捨てた息子が、恋人の死にゆく姿をただ見つめることしか出来なかった若者が、悲嘆と絶望に明け暮れ……その心に狂気が宿る。
飢えと寒さが彼らから理性を奪い、愛しき者の死が彼らの心を憎しみに染め上げたのだ。
悲劇はさらに加速する。
ガリガリにやせ細っていく人々の中でカトレアだけが美しいままでいた。それは当然のこと。彼女は食べなくても生きていけるのだから。
だが……獣と化した彼らにそんなことは分からない。
カトレアが美しいのは、食料を隠し持っているから。神獣ともあろう者が苦しみにあえぐ民を見捨て自分だけのうのうと生きている――それが彼らの真理。
神獣は食料を隠している。
神獣は自分たちを見捨てる気だ。
自分たちを癒さない神獣は“悪”だ。
自分たちが苦しいのは全て神獣の所為。
神獣が悪い。神獣が憎い。
神獣を殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!
“集団心理”、それは時に恐ろしい獣と化す。
皆と一緒だから大丈夫、皆もやっているから正しい。それが本当は間違った行為であろうとも、自分たちが正義だと思い込む。
だが全ての人が正気を失ったわけではない。エドモンやギャゾンを筆頭にカトレアを守るべく行動した者もいたのだが……それは少数であった。
彼らでは止めること叶わず、燻り続ける火種がついに炎上する!
その手に握るは武器。
圧政に苦しむ民の如く。
弾圧された少数民族の如く。
自分達を正義だと信じて疑わない。
自分たちが刃を向けるその人物こそ、瘴気から彼らを守っているというのに……
「人種が蜂起した」その報せは即座に竜種からヴィルヘルムへと伝えられた。
彼が感じたのは激しい怒りだ。
カトレアと子は最優先で守るべき対象であり、彼が未だに生きている理由でもあるのだから。
だが……その怒りもあっという間に鎮静化した。それは、この結果が彼にとって想像の範囲内であったためだ。
対策を怠ったのは彼自身。憎しみに身を任せ、汚染獣を殺して回っていた彼の怠慢だ。
解決策を模索するヴィルヘルムの脳裏に懐かしき声が届いたのはそんな時。
その声に導かれるまま魔湖へと進路を取ったヴィルヘルムは、カサンドラ――ラビ――と出会う。
魔湖で保護されていたカサンドラはヴィルヘルムの前に恭しく傅いた。
迷宮となったカサンドラも元は地竜。竜の眷属である彼にとって竜王たるヴィルヘルムは従うべき王となる。
「そなたに頼みがある」
“頼み”……そう口にしたヴィルヘルムだが、断られるなど微塵も思ってはいない。これは頼みと言う名の王命だ。
『ははっ!この老骨に出来ることであれば何なりと致しましょう』
「北の大地に迷宮を降ろし瘴気を浄化せよ。そなたの迷宮でどれだけの食料を生産することが可能か?」
ヴィルヘルムの問いにカサンドラは難し気に唸る。
『……通常であれば北の民全てを養うだけの食料を創ることは可能ですが、瘴気が濃すぎますのでなぁ。食料を創るためにはまず魔物を大量に創りだし魔力に変える必要があるのですじゃ』
要は魔物暴走をまずは起こす必要があるのだ。しかし、それに対応するだけの力を、今の人種は持ってはいない。
「構わぬ。竜種を何体かそなたの迷宮へ送り出そう」
『それでしたら問題はありませぬ』
こうしてヴィルヘルムとカサンドラは出会い、その尽力により人種は飢餓による滅亡を免れた。
だが、当然のことながらヴィルヘルムはカトレアを傷つけようとした者を許すほど寛容ではなく、人々を扇動した首謀者である元ビアンカ王国国王とその側近は彼が見せしめとして引き裂き、その首は人々の前に晒されることとなった。
また、マサキの死から情緒不安定になっていた身重のカトレアを守るために、神域を引き払い氷冷山脈の頂に居を移したのもこの出来事が切っ掛けである。
カサンドラが人々の生活を支え、ヴィルヘルムは汚染獣の討伐と並行してカトレアを連れて大地の浄化を進めていく。
そんな生活が200年以上続き、その頃には大陸の三分の一――現在のドラグニルの位置――まで人種の生活圏が広がった。
ヴィルヘルムが人種を慈しむことは無かったが、彼らを厳しく導くと守護を与えた。
もしヴィルヘルムがいなければ人種は限られた資源を奪い合い、先のない殺し合いに身を投じたことだろう。
――全てはマサキのために。
マサキが生きていたら為したであろうことをヴィルヘルムが代わりに行っているのだ。これが彼の贖罪の形。
竜人族が産まれたのもこの頃だ。
竜種たちが人種に関わる過程で恋に落ち、竜人族という種が誕生したのだ。他の人種とは比べ物にならぬ力を秘めた彼らは、やがて人種を纏めあげて国を興した――竜王国ドラグニルの誕生である。
この時代ヴィルヘルムは神として君臨していたが、別に彼が国作りに関わっていたという事実はない。
本竜が与り知らぬところでいつの間にやら王と呼ばれていただけである。王とはいっても統治は竜人族が行い、彼は名ばかりの王であったが。
ドラグニルが国として機能し始めるとヴィルヘルムはカサンドラを西部へと向かわせた。
人種が自分たちの食料を生産できる目処が立ったためだ。元来、迷宮は瘴気を浄化するための存在であり、人種のために長々と縛り付けるのを良しとしなかったのだ。
カサンドラは西へ移動しながら徐々に瘴気を浄化していき、現在の場所に落ち着いたのはそれから千年以上先の事である。
暫くの間はヴィルヘルムが定期的に竜種を派遣することで迷宮の魔物を駆逐し、魔力へと還元していた。
ヴィルヘルムとカサンドラの交流は“迷宮都市カサンドラ”が作られ、人種が自らの手で魔物暴走を抑えられるようになるまで続いた。
さて、人種が生きられる環境を整えることに尽力していたヴィルヘルムではあったが、カトレアとその子共のことも当然守り続けてきた。
だが……ある時を境に彼はカトレアから距離を置くこととなる。
ヴィルヘルムは神域からドラグニルへ住処を移し、カトレアに会おうとしなくなったのだ。
勿論、距離はおいても常に複数体の竜種を神域の警護に回し、毎日異常がないか目を光らせてはいたが。
――何故か。
それはヴィルヘルムの内より溢れる新たな感情が原因。
彼はカトレアが愛しくて愛しくてたまらなくなったのだ。
(側にいたい。守りたい。誰にも触れさせたくない)
この感情に彼は困惑すると同時に絶望した。当然だ、カトレアはマサキの妻なのだから。
ヴィルヘルムは自分の感情に蓋をする……が、竜の伴侶を想う本能は日に日に増していき、理性では抑えることが困難なほど膨れ上がった。
このままでは遠からずマサキを裏切ってしまう……そう感じたヴィルヘルムは神域を飛び出し、カトレアとの関わりを一切断ち切ったのだ。
この状態のまま3千年の時が過ぎ、一体の聖獣がヴィルヘルムを訪ねてきたことにより漸く変化が訪れる。
その用件を一言でまとめるのなら、カトレアのマタニティーブルー――妊娠中にあらわれる情緒不安定な状態――だ。
いや、事はより深刻だと言ってもよいだろう。何せカトレアの腹は膨れてきてはいるものの、3千年以上産まれてくる気配がないのだから。
本当に産まれてくるのか、このまま死んでしまうのではないのか……彼女の不安は如何ばかりか。神獣が子を産んだ事例がないことも、その考えに拍車をかけた。
その結果、カトレアは寝所から起き上がれぬ程に衰弱していったのだ。
そこで聖獣はヴィルヘルムに〈神竜ノ眼〉で子供を視てもらえないかと思い訪ねて来たという訳だ。
子供が元気であればこれ程喜ばしいことはないが、仮に死産であったとしても早い方が傷が浅いのではないかと考えたためだ。
カトレアを避けていたヴィルヘルムもこれには慌てた。
大切な大切な竜玉が死んでしまうのではないかと思って……
どれほど慌てていたかと言えば、カトレアの〈神域〉を破壊した勢いで屋敷も破壊し、非常に見晴らしの良くなった彼女の部屋に飛び込んだほどである。
彼が〈神竜ノ眼〉を通して視たのは――小さな小さな子狐。
その瞬間、電流が彼の身体を駆け抜け、甘い痺れが全身を支配した。
際限なく高鳴る鼓動に全身が炎になったかの如く熱く燃え上がり、グツグツと煮えたぎる脳が彼の思考を止める。
カトレアに抱いたのとは比べ物にならぬ程の激情が彼の内を荒れ狂ったのだ。
(身を引く?距離を置く?諦める?不可能だ。何人たりとも竜玉に触れさせぬ。コレは我だけのモノ)
許可なく触れた者は殺す。
傷つけた者は殺す。
近付く者は許さない。
コレは我が魂の片翼なのだから。
カトレアに愛しさを感じた理由、それは腹の中にルーファがいたからに他ならない。
全てを理解したヴィルヘルムの行動は早かった。その日の内に退位を宣言し、さっさと神域へと引っ越したのだ。
この日からルーファが産まれるまでの間(※約2千年間)、ヴィルヘルムはカトレアにひたすらに尽くした。
カトレアが動こうとすれば即座に飛んできてお姫様抱っこで移動し、滋養強壮に良いと聞けばどんなものであれ取り寄せた。片時も彼女の側から離れず愛おしむその姿を見た人々は誤解した――竜王の竜玉はカトレアであると。
これが多くの人に誤解を与えた真相である。
余談だが、カトレアとヴィルヘルムの仲が悪くなったのはルーファが産まれてからだ。
想像してみてほしい。今まで自分に優しく大切にしてくれていた男――断じて恋人ではない――が子が産まれた途端に豹変し冷たくなる姿を。それも露骨なほどに。
例えば、外出した時のお土産はルーファのものばかりでカトレアのものは1つもなく、隙あらばルーファをカトレアから奪い取ろうとするのだ。
いや、それだけではない。ルーファ以外に対してデリカシーのデの字もないヴィルヘルムは、おっぱいをあげるカトレアの部屋に無断で入室した挙句、自分もやりたいと言ってカトレアの乳を搾ろうとしたこともあった……ルーファが泣いたために事なきを得たが。
ちなみに、この日以降ルーファがヴィルヘルムを威嚇するようになり、しばらくの間側に近寄らせてもらえなかったという。
こうした事件が積み重なり、ヴィルヘルムとカトレアは現在の関係――会えばいがみ合う――に落ち着いたのだった。ある意味当然の帰結だと言えるだろう。
竜王編はこれにて終了です。
ちなみに、エドモン・マクロワさんは「勇者と汚染獣」の作者です。気付いた方おられましたでしょうか?




