脱獄
その部屋には10人の男女がいた。
天井には小さいながらも繊細な作りのシャンデリアが輝き、毛足の長い絨毯はそのまま倒れても軽やかにその身を受け止めるだろう。
用意されたテーブルと椅子は、かの有名な家具職人ポポロ・シャンネルの作品だ。一流の家具に合わせたかのように装飾品もまた一流。そこは明らかに高貴なる身分に相応しい部屋だといえる。
だが……その中に於いて異質なものが1つ。
それは窓に嵌められた鉄格子。冷たく光を反射するソレは、明らかにこの部屋に不釣り合いな代物だ。
だがそれも致し方なきこと。ここはリーンハルトの特別監房……高位貴族を監禁するための豪奢な牢獄なのだから。
現在、そこに囚われているのはシリカの皇太子クロードと王女エリザベス、そしてその護衛騎士たちとキルゲイだ。
「では父上と母上は……」
呻くように口を開いたクロードに、キルゲイは予測を口にする。
「恐らくは操られているのかと。ジェーン様の安否も不明です」
「伯母上が逆賊だなんて!!」
そう声を上げたのはティタン・サンライト。
ジェーンの甥であり、クロードの外遊に付き従ってきた幼馴染みにして次期サンライト侯爵。
父であるダレンが死亡した際も国に帰ることを良しとせず、クロードの側を片時も離れなかった堅物でもある。
クロードはティタンの肩を宥めるようにポンっと叩く。
長きに渡りシリカを守ってきたジェーンが逆賊など笑止千万。ここにいる誰もがその世迷言を信じてはいない。
だが今必要なのは汚名を晴らすことではなく、これからどうするかということ……とは言え、囚われの身である彼らに出来ることなどないに等しいが。
「キルゲイは私たちに付き合う必要はなかったのでは?」
キルゲイはシリカの裏切りを報せるべく、命がけで書簡を運んできた人物だ。ザナンザも客室を用意したのだが……他でもないキルゲイがここにいることを望んだのだ。
「……殿下はオレに同胞を切れと仰るのですか?」
それがキルゲイがここにいる理由。
彼とて本当は剣を手に戦いたかった。敵を屠り、国を取り戻せるのならその命を賭する覚悟がある。だが……背後にベリアノスが控えているとはいえ、直接戦う相手はシリカの民だ。
心の踏ん切りがつかない現状で戦ったとしても、足手まといになることは目に見えている。
(せめてジェーンと合流できれば)
キルゲイは残してきた友を想う。
魔物ひしめく危険な坑道を進んだのは、シリカの現状を一刻も早くガッシュに伝えるため。
無謀な強行軍により、キルゲイがリーンハルトに辿り着いた時には仲間は全て死に絶え、生き残ったのは自分1人。
それでも彼は可能な限りの速さで報せをリィンへともたらした。
だが……その結果はどうだ。
唯一の希望であったガッシュは、疾うに敵におびき出され行方知れず、サンタクルスに攻め入った王軍は壊滅状態――全てが遅かったのだ。
(オレの行動は……仲間の命は無駄だったのか)
元Aランク冒険者とはいえキルゲイも人の子。その心が折れることもある。
意気消沈し項垂れるキルゲイにかける言葉を、誰も持ち合わせていなかった。いや、その余裕がないと言った方が正しいか。
誰もが焦りを抱き、何も出来ぬ無力感を噛み締めているのだから。
しん……と静まり返った室内に異変が起きたのはそんな時。何もない空間に漆黒の闇が広がり、その中から1人の男が降り立った。
「何者だ!!」
そう叫んだキルゲイはクロードとエリザベスを守るようにその前へと躍り出た。その手は無意識に腰を探るが……愛剣がないことにキルゲイは舌打ちする。
「誰かいないのか!賊だ!!」
異変を伝えようと声を張り上げたキルゲイは、そこでようやく外の音が何1つ聞こえぬことに気付いた。
油断していたのではない。目の前の男が異常なのだ。確かにそこにいる筈なのに、目を逸らした瞬間その姿を見失うほど存在感が、気配が感じられない。
それは相手が弱いからではない――逆だ。
紅い眼から放たれるプレッシャーは今まで感じたことがないほど強大なもの。それを視認するまで感じられないのは、男が自身の力を完璧にコントロールしている証拠。
――ニゲロ!
警鐘を鳴らす本能を強引にねじ伏せ、キルゲイは男に殴りかかる!
「殺すぞニンゲン」
その瞬間、キルゲイの動きがピタリと止まる。それは恐怖からではない。目に見えぬ力がキルゲイをその場に縫い止めたのだ。
(バカな!?オレは固有魔法士だぞ!?)
何をされたのかすら分からない……それこそが彼我の実力の差。
驚愕に目を見開くキルゲイを嘲笑うかの如く、男の背に3対の翼が広がり、金属が連なったような尾が弄ぶようにキルゲイに絡み付く。
それを見た護衛騎士の動きは早かった。
「お逃げください!」
叫ぶと同時に、彼らはクロードとエリザベスを隠すように壁を作る。全員が使命を全うしようとするその姿勢は実に見事。だが、それに反するようにエリザベスが前へと進み出た。
「全員お下がりなさい」
握り締められた手は恐怖で震えているものの、彼女はシリカの姫騎士。毅然とした態度で男と対峙する。
「試練迷宮の守護者様、無礼をお許しください」
そう言って頭を下げたエリザベスに、クロードは慌てて男――ロキを見る。
何故気付かなかったのか……禍禍しい魔力に重なるように漂う神聖なる力に。
ふわり、と空気が動く。
その瑞瑞しい香りは雨上がりの深緑のように清々しく、熟した果実のように芳醇だ。夜空の星と見紛うばかりの白銀色の髪は幻想的で、淡い藤色の目は静謐さを湛えた明鏡止水。
その醸し出される雰囲気はエリザベスが以前会った天真爛漫なルーファとは明らかに異なっていた。
厳かな空気がその場を満たし、自然と全員が跪くと頭を垂れた。今や“場”を支配しているのはロキではなくルーファだ。
「クロード、そしてエリザベス・ヴァン・ジュール・シリカに問おう。貴方達に覚悟はあるか?仲間を屠る覚悟が、祖国を滅ぼす覚悟が」
それは無慈悲な言葉。
この世の何処に、それに迷いもなく“是”と返せるものがいるだろうか。
静まり返った室内で、1番最初に顔を上げたのはクロード。
「私は……民を救いたい。祖国を助けたい。そのためになら何でもするつもりです。ですが……もし、もし我が国が西部侵略の足掛かりとなるのなら、この手で祖国を滅ぼしましょう」
震える声で言い切ったクロードは、しばしの沈黙の後再び口を開く。その顔は苦痛に歪みながらも、新緑色の眼には激しい炎が宿っていた。
「かつて我が祖先が勝ち取った独立を今ここで失う訳にはいかない!ここで立ち止まることこそがシリカの教えに反すること!祖国を滅ぼすしかないというのなら、私は共に殉じるまで!これが私の覚悟です!」
「兄上だけを行かせはしません!わたくしもシリカの王族として……いえ、1人のシリカの民として戦います!!」
かつてジュール・シリカは主君に、祖国に剣を向けた――己の正義を貫くために。その不屈の心は200年の時を経て尚、彼らの心に生きていた。
その確たる決意と鮮烈なまでの覚悟に、キルゲイは眩しそうに目を細める。
(オレは何を迷っていたのか)
操られ、同胞に剣を向ける事こそが最も忌むべきこと。もし自分が操られていたのなら、こう叫んだことだろう――殺せ、と。
キルゲイの……否、全員の“葛藤”を取り払ったのは、クロードの圧倒的なまでのカリスマ。それは民を導く王たる資質であり、神獣が動くに相応しき存在。
藤色の眼が優しく彼らを見つめ、その手がクロードへと差し出される。
「ならば私が力を貸そう」
クロードの手がルーファのそれと重なり、1つ運命が確定した。
――それは神獣による王の選定。
その瞬間、クロードは王になることを決定づけられた。そのことを本人が理解するのはもう暫く先のことである。
「逃がす必要があるのか?」
そう呟いたロキに、ルーファは顔を向ける。
クロードたちはロキの深淵へと詰め込まれ、ルーファとロキは脱獄させるべく絶賛移動中だ。
「シリカは彼らの手で奪い返さなければならないんだぞ。このまま行けば、クロードとエリーちゃんは廃嫡になるから」
いくら操られているとはいえ、彼らの父である国王が盟友であるリーンハルトへと牙を剥いたのだ。当然、その責任は負うこととなるだろう。だが……
「……それは何手先の話だ」
ロキは呆れたようにため息を吐く……いや、それは畏れか驚きか。ロキですら未だどう動くべきか決めかねているというのに。
「さあ?それは知らないけど……必要な事だとは分かる。これを機にリーンハルトとシリカのアグィネス教徒を一掃するんだぞ」
それはルーファらしくない言葉。
それはこの戦争を、多くの人の死を利用するということなのだから。だが……人を人とも思っていないロキはその不自然さに気付かない。
「ルーファが望むならそれでいい。何ならオレがベリアノスを壊してこようか?」
無邪気な笑みを浮かべたロキが、幼子が虫を踏み潰すかの如き残酷さで問う。
いや、ロキにしてみればベリアノスの存在など虫と同義か。何故ガッシュが回りくどいやり方でベリアノスと相対しているのか、何故ヴィルヘルムがアグィネス教を容認しているのか……彼は全くと言っていいほど理解してはいなかった。
「ロキは……オレのこと好き?」
「当たり前だろ」
間髪入れず返された答えにルーファは微かに微笑む。
「なら、覚えておいて。ロキがオレのことを好きなように、他の人も大切な誰かがいるの。ヴィーもガッシュも……そしてオレにも。ふふっ、そんな顔しないで。一番大切なのはオレの家族だから」
不満気な表情を浮かべるロキをあやす様に、ルーファはその髪を優しく撫でる。
「ただね、大切な誰かを奪われた人の気持ちを想像してみて。ロキはオレがいなくなったら嫌でしょう?」
「オレからルーファを奪う者は誰であろうと殺す!!」
漆黒に染まった目を見てルーファは思う。
この子は良くも悪くも純粋なのだと。ロキが求めるのは自分とルーファだけの小さな世界。
それではいけない……それは停滞を意味するのだから。停滞する世界はやがて淀み、成長することなく腐敗するだろう。
「みんな同じなの。誰だって大切な人を奪われたくなんかない。ロキも他の人もそう」
「違う!オレの思いの万分の一もあいつらは持っていやしない!ヒトはそう言う生き物だ……愚かで薄汚い、己の利益のために簡単に同族を殺す」
「そして、誰かの為に自分を犠牲にするのもまた人」
ルーファの呟きにロキは口を閉ざす。
ロキはルーファの記憶を持っている……ルーファが育んだ絆も、ルーファの為に命を懸けた人の姿も。
その沈黙こそがロキの迷いの証。魔物としての本性と、神獣としての記憶の狭間で揺れ動く無意識の領域だ。
むっつりと押し黙ったロキを見て、ルーファはロキを信じることに決めた。
◇◇◇◇◇◇
「ここは……?」
ゆっくりと起き上がったクロードの足元には草原が広がり、見上げれば双子月が仲良く闇夜を照らしている。
「お兄様。あれを……」
エリザベスの指す方向にクロードが目を向ければ、僅かに明かりが見えた。その浮かび上がったシルエットは見慣れたリィンの外壁だ。
「どうなってんだ?」
「夢でも見ているのでしょうか?」
首をかしげるキルゲイに、頬をつねるティタン。
狐につままれたような顔で互いにか顔を見合わせている彼らの耳に、涼やかな声が届く。
「目が覚めた?」
双子月を背に翻る白銀色の髪を見つめ、彼らはようやくここが現実なのだと知る。
「私が手を貸せるのはここまで」
その言葉と同時に地面に穴が開き、そこから5体の鷲獅子が飛び出す。その背には鞍が付けられ、明らかに騎乗を目的としている。
「ルーファスセレミィ様……」
エリザベスが感謝の気持ちを込めてその名を呼べば、ルーファはふわりと彼女に近付く。
「いつも通りルーファちゃんって呼んで」
そう笑いかけた表情は以前と同じ親しみに溢れるもの。
だがそれも一瞬で消え去り、神秘さを増した藤色の目が真っ直ぐにエリザベスを捉える。
「よく聞いて。王城には固有魔法士以外近付いてはならない。みんな支配されてしまうから」
「それではどこへ行けば……」
たった10人で出来ることは限られている。
支配系固有魔法士の排除――それが最も手っ取り早い方法だ。固有魔法士が王城にいるとは言い切れないが、それでもその可能性は高いだろう。
故に彼らは危険を承知で王城へ潜入しようとしていたのだが……その計画はあえなく却下された。
その代わり、ルーファが示したのは別の道。
「ジェーン・サンライトの元へ。場所はこの子たちが知っている」
「ジェーンは無事なのですか!?」
割って入ったキルゲイにルーファは頷く。
「彼女に伝えて。いずれ風が吹く。それまで耐えよ、と」




