大戦の兆し
――ランドルフ・ボルヘルミア侯爵の謀反
その報せは真夜中にリィンへと齎された。
既に戦線は開かれ、南方軍とボルヘルミア軍が争っている状況だという。いや、報告によれば南方軍の被害は甚大。負けるのは時間の問題だ。
僅かの間にこうも戦局が動いたのには訳がある。
元々、南方軍はジターヴの略奪から民を守るためにボルヘルミア領の沿岸沿いに広く展開していた。そこへジターヴとベリアノスが大艦隊を用いて攻撃を仕掛けて来たのだ。
南方軍将軍アンジェラ・ロッドは即座にボルヘルミア候へ援軍を要請。そして……援軍だと信じていた相手に背後をつかれたのだ。
「クソッ!」
報告を受けたガッシュは、内心の苛立ちそのままに机を殴った。彼の中にあるのは焦りより怒り。何故なら、アンジェラには再三、ボルヘルミア候には注意するように言っておいたのだから。
(いや、これはオレの落ち度か)
他国に攻め込まれた状況で、仲間内で争っている場合ではない。アンジェラがランドルフに援軍を要請したのは至極真っ当だと言える。
咎は……ランドルフがアグィネス教徒だと教えなかったガッシュにある。
ランドルフに怪しまれぬように最低限の情報しか与えなかったことが裏目に出たのだ。
「陛下!各将軍揃いました」
普段は冷静なバハルスの声にも焦りが見え、乱れた髪が顔にかかる。
ベリアノスが大艦隊を動かした時点で事態は小競り合いの域を越え、リーンハルトの命運をかけた大戦へ発展することは確実なのだから。
――200年の静寂がここに破られたのだ。
「陛下!状況は!?」
ガッシュが会議室へ入ると同時に、普段は礼儀を重んじるザナンザが挨拶もなしに口を開いた。
だが、それを咎める者はこの場にはいない。気持ちは皆同じ。誰もが言いようのない焦燥を感じていた。
「南方軍は壊滅状態。アンジェラの安否は不明だ」
ガッシュは自分の眼前に控える各将軍を見渡す。
王軍 ザナンザ・アインクライン
中央軍 フィン・スワロウ
北方軍 ダイアノス・シーリー
東方軍 ユーリー・マウマウ
西方軍 トゥーイ・ホースピア
いつもは同様に並んでいる筈のアンジェラだけがいない。その事実にガッシュはこぶしを握り締める。
この2百年、いつかこの日が来るとは思っていた。それでもガッシュには自信があった。自分が動けば余裕で切り抜けられるだろうという自信が。
その根幹にあるのはアカシックレコード。
戦とは機を制する者が勝利を治めるもの。
敵軍勢の規模も、開戦の場所とその時すら知ることの出来るガッシュに負ける要因などありはしない。
だが……アカシックレコードが使えぬ現在、その優位性が崩れ去ったのだ。
それは……驕り。
かつてのガッシュであれば、ランドルフを泳がせることなどしなかった。裏切りが確定した時点で始末していた筈だ。
(オレは……気付かぬ間に随分と甘くなっていたんだな)
ガッシュは自嘲すると一度目を閉じ、雑念を追い払う。今は反省している時ではなく、自分が動く時だ。
「恐らくランドルフに呼応してベリアノスが動く。だがその前に……裏切者どもを叩く」
その言葉に驚く者はいない。
アグィネス教が貴族を取り込んでいるのは周知の事実であり、強敵であるベリアノスを相手に背後を突かれることは敗北を意味するのだから。
ここからは時間との勝負になる。
ベリアノスが攻撃を仕掛けてくる前に、リーンハルト軍がどれだけ体勢を整えられるかが勝負の分かれ目だ。
「ランドルフ・ボルヘルミア、ロンデス・サンタクルス、エンヌ・ビビット、チャペリン・トグワ、オーデン・クレイジール……こいつらがリーンハルトに巣食うアグィネス教だ」
「バカな!?サンタクルス伯は穏健派貴族の代表格ですぞ!?」
サンタクルス領はリーンハルトの東北、シリカとの国境に位置する場所だ。北部を任されているダイアノスにとっては旧知の間柄となる。酒を酌み交わしたこともあるほどに。
「オレの言葉が信じられないと?」
冷気を纏う言葉が響き、しん……と室内が静まり返る。
全員を見回し、ガッシュは命じる。
「ロンデス・サンタクルスは王軍が叩け。エンヌ・ビビット、チャペリン・トグワは中央軍、オーデン・クレイジールは西方軍に任せる。ビビット子爵には注意しろ。“暗殺貴族”……お前たちも一度は聞いたことがあるはずだ」
それは貴族相手に暗殺を請け負うリーンハルトの闇。
今まで幾度となく接触を試みたが、一向に尻尾を掴ませない狡猾な相手だ。噂によればいくつもの貴族の弱味を握り操っているいう。
「ビビット子爵が……」
「暗殺貴族がアグィネス教の尖兵だったとは」
騒めく将軍たちをひと睨みで黙らせたガッシュは、バハルスへと向き直る。
「ベリアノスの動きはどうなっている?密偵からの報告は?」
「ジターヴとの共同演習という名目で海軍を動かしたようですが、国境に大規模な軍隊を移動した形跡はありません」
ボルヘルミアが動いた時点でベリアノスも準備を終えている筈。形跡が確認できない事こそが異常だと言ってもよい。
ベリアノスの沈黙に嫌な予感を覚えつつも、ガッシュはソレを胸の奥へと仕舞い込んだ。
考えることは彼の役割ではない。彼の領分は戦うこと。リーンハルトを守る最強の剣にして自由の象徴なのだから。
「東方軍はそのまま国境から動かすな。北方軍は半数を国境へ回せ。オレが南を片付ける間、全軍の指揮権はザナンザに委譲する」
ベリアノスがいつ攻めて来るとも知れぬ現状で軍勢を南へ集結させる訳にはいかない。
ガッシュの狙いは単純だ。ベリアノスが動く前に南を片付ける。言葉にするのは簡単だが、それはとてつもない離れ業。だが、その決定に異を唱える者はこの場にいなかった。
彼らは信じているのだ。
彼らの“英雄王”を。
「後は頼むぞ!」
「「「「「ハッ!!!」」」」」
全員が力強く頷いたのを確認し、ガッシュはその身を翻した。
◇◇◇◇◇◇
ボルヘルミアに続き戦禍の炎が上がったのは中部。
チャペリン・トグワが軍を率いてリィンへと進軍したのだが……彼は運が悪かった。
敵勢力により南部へと向かう長距離転移陣が軒並み破壊されたことにより、空を行くガッシュとトグワ子爵軍がかち合ったのだ。
勝負は一瞬でついた……誰一人生き残ることなく。
彼らは気付かない。自らの手で滅亡級の災厄を解き放ったことに。
――愚かな事だ。
そのまま大人しくしていれば優しい狼は自らの力を封じ、人種の営みを見守っていっただろうに。だが……狼は目覚めた。縄張りを荒らされ、同胞を殺され……灼熱の怒りにその身を焦がしながら。
英雄王――そう呼ばれるリーンハルト守護神の力を彼らは身を以て知ることとなる。
トグワ子爵軍の壊滅を引き金に、戦禍は勢いよくリーンハルトを駆け抜ける。
ザナンザは中央軍をビビット子爵領へと集中させ、時を同じくして西方軍がクレイジール男爵領へと進軍した。
僅か数日という短期間での強行軍。
それはリーンハルトの焦りの表れだ。
いつベリアノスが攻めて来るとも知れぬ状況が彼らから余裕を奪ったのだ。それでも用意した軍勢は相手の5倍以上、負ける要素は見当たらない。だが……彼らは結局のところ戦果を挙げられずに帰還することとなる。
何故なら……双方ともに屋敷はもぬけの殻。
いや、それどころか屋敷に踏み入った瞬間に起爆式魔道具が火を噴き、両軍ともに少なくない被害を負うという何とも苦い結果となった。
エンヌとオーデンの行方はようとして知れず、リーンハルトに暗い影を落とした。
一方、サンタクルス伯爵領へと進軍した王軍は順調に戦果を挙げていた。
伯爵領なだけあってエンヌとオーデンとは比べ物にならない規模の軍勢を有してはいるものの、その練度は精鋭のみで構成されている王軍の方が遥かに格上。
更に指揮を執っているのはザナンザの副官の中でも最古参のシェパード・トルヴィアス。
ザナンザが将軍になる以前から先代の副官として仕え、多くの戦場を駆け抜けてきた歴戦の猛者だ。その指揮能力も高く、若くして将軍の座についたザナンザを支えてきた信任の厚い男でもある。
シェパードの指揮のもと、徐々に激しさを増す抵抗を王軍は最小の犠牲で切り抜けてきた。
そして……ロンデスが居を構える領都サンタを王軍が捉えたのは、戦闘が始まって半月が過ぎ去った頃のことであった。
大門は固く閉ざされ、徹底抗戦の構えを見せている。逆に言えば、もう後がない状況だということ。
「シェパードさん、もうすぐ帰還できそうですね」
そう声を掛けて来たのはココナ・ミルキス。彼女もザナンザの副官の1人だ。
各将軍には3名の副官がおり、有事の際は各々が軍を率いることもある。全軍の総指揮権を委任されたザナンザがリィンから離れられないため、ロンデス・サンタクルス討伐にこの2名が選ばれたのだ。
「油断するな。この状態で籠城を決め込むとは援軍の当てがあるということだ」
「では、やはり暗殺貴族が?」
「さて……奴が得意とするのは大規模戦闘ではない。警戒するならばワシらの暗殺か。フッ、その心配は最早ないがな」
「なるほど……流石は未来を見通すと言われる迷宮神獣様です!」
実は戦闘が始まる前に、ルーファは陣中見舞いに訪れていた。
その時に渡されたのは大量の治癒石と神獣の気まぐれ。そして最後に、ルーファは内緒話をするようにこう言った。
「神獣の気まぐれはスープに入れるといいんだぞ!」
その心は……スープに入れたら美味しくなるよ!というアドバイス。
だがしかし、そこにルーファの残念さを知る者はいなかった。よって、彼らはこう解釈した――暗殺に警戒せよ、と。
奇しくもルーファのお陰で、エンヌ・ビビットが仕込んだ毒殺攻撃は不発に終わることとなったのである。
「今日はもう兵を休ませよ。明朝仕掛けるぞ」
そう言い残してシェパードは天幕へと戻った。
彼は気付かない――本当の敵が目前に迫っていることに。
カチリ、カチリ、と運命の輪が回る。
その先に何があるのか……未だ知る者はなし。




