交流と亀裂
アルマには、夜しか起きない友達もいる。
『ホォー、ホォー』
「フクロウさん、おやすみなさい!」
『ホォー』
「あ、ごめんなさい……夜は、静かにね」
『ホォー』
夜も軽い会話を得て、アルマは家へ入ろうとする。
が、その時。
「だ、誰かーー!!!」
「っ!?」
茂みの奥から悲鳴が上がり、アルマは身震いする。
……動物の声?
いや人の声!?
なんでこんな山奥で!?
しかも夜に……?
色々疑問に思うことはある。しかし悲鳴ということは、なにかアクシデントが起こったということ。
内容は分からないが、とにかく声の元へ急ぐ。まるで自分の庭だと言わんばかりに、アルマは道を踏み間違えない。
「うわーっ!!」
声の主は、すぐに見つかった。数秒に一回は叫んでいたからだ。
「た、助けてーっ!誰かーー!!」
茂みの奥には籠を担いだ男が一人。
さらにその奥、黄金に光る相貌が暗闇から覗いている。
『ガルルルルル……』
昼であれば、後ろから来る怪物の正体が熊だと気付けたかもしれない。
だが現在、太陽ではなく夜が空を支配している。そんな時間に、山奥で真っ黒な巨獣に襲われたらどうだろう。
例え成人男性だったとしても、泣いて助けを乞いてもおかしくない。
「止まって!!」
状況を見たアルマが叫ぶ。
『ガルル……?』
「ひ、人か!? 頼む、助けてくれ!!」
涙を流しながら懇願する男。
だがアルマは、男に話しかけることはなかった。
「もう、どうしたの?」
アルマが話しかけたのは__やっぱり当然というか、熊だった。
『ガルル……』
「そう、ビックリしちゃったの」
『ガルル……グワッ!!』申し訳なさそうに吠える熊は、なにやら弁明しているように見える。
「うんうん、分かる」
『グルルル……』
「その気持ちも分かるけど、でも夜は静かにね。またフクロウさんに怒られちゃうよ?」
『クゥー……』
教師と生徒、と例えると分かりやすいか。体格は生徒の方が上というのもよくある光景だろう。
流石に熊が生徒、という光景は他に無いが。
「明日リンゴ分けてあげるから。今日はおやすみ、ね?」
『ガルルル……』
熊は大人しくなると、踵を返して森の奥へ帰っていく。
(さて、あとはこの人を……どうしよう?)
帰れと言って帰る人間だろうか。何と説得するか悩み、振り返ると__
「あ、ありがとうございまずぅーっ!!」
「えっ!?」
涙やら鼻水やらを垂れ流した男が、アルマの手を握る。
今度は教師と生徒というより、"借金を抱えた中小企業"と"その中小企業と契約を結んだ大企業のエリート"といった印象である。
ちなみにアルマが大学側である。
「お、俺、ここで死ぬかと!貴方が来なかったら今頃、食われてました! 本当にありがとうございますーっ!!」
「お、落ち着いて! それとクマさんは人なんて食べないよ!」
ブンブンと手を振り回され、アルマは困惑する。
しかし『感謝』されるというのは、あまり悪い気分ではなかった。
なお、男の感嘆には早い段階で終止符が入った。
『カァーッ!!』
「えっ? あ痛ててててて!」
「ちょ、カラスさんも落ち着いて! 汚いとか言わないの! 失礼でしょ!?」
その後、アルマは男から事情を説明される。
とはいえ事態は単純だった。男曰く、森の奥に進むと沢山の果物が実っていた。
必死に果物を取っており、そこが熊のテリトリーだと気づかなかった。
その光景を熊に見られ、ここまで逃げてきた。
「……で、帰り道を忘れたと」
「はい……あの、ここから村までの道って分かりませんか?」
「それは__」
男への返事に一瞬だけ悩む。村の位置が分からなくて悩んでいるのではない。
街には絶対に近寄らない。
両親と交わした約束を破ることになる。
しかし。
「……うん、知ってる。案内するよ」
アルマは、街まで案内することを男に告げる。
「ほ、本当ですか!?」
「うん、ここから村までの道は知っているし」
アルマは快く頷く。どうやら困っている人を放置するのは、彼女の性ではなかったようだ。
それに夜遅くなのだ、少しくらい街に近付いても大丈夫だろう。アルマはそう決断したのだった。
……ちなみに、アルマは『ここから』街までの道を知っているわけではない。
ここに限らず、アルマは山の何処からでも街へ辿り着ける。
そもそも街に拘らず、山の地図全てを把握している。
熊のテリトリーが洞穴周辺だと言うならば。
アルマのテリトリーは、家の建つこの山全てなのだ。
その後、アルマは言葉通り男を案内した。
「それでお婆ちゃんったら。待ち合わせの時間より一時間早く家を出ちゃったんです!」
「わぁ……でも、遅れないからいいんじゃないの?」
「でも村の中で迷子になっちゃったんですよ!」
「あらら……」
そんな他愛もない話をして、遂に街まで数百メートルという位置まで来る。
「……あ」
「ん、どうしました?」
不意に足を止めたアルマを、男が心配そうに振り返る。
これ以上は駄目だ。
木の影になっていて、まだ街は見えない。
だが、それはつまり村からアルマのことも見えないということ。
もし木陰から出れば、街が見えるだろう。
そうなれば街からも、アルマの姿を目撃されてしまう。
「ここを、真っ直ぐ行ってください」
「え?」
アルマは、男へ道を教える。
これ以上ここから足を踏み出すわけにはいかない。
「そうしたら村が見えるはずです。そうしたら、あとは貴方でもわかるはずですから」
「いや待ってくださいよ! この夜中に、しかもあなただけで山に入るんですか!? 危険すぎます!」
「い、いや大丈夫なので! ごめんなさい!」
この話が長引くと厄介なことになる。
アルマは無理矢理、話を切って踵を返そうとして__
それが仇となった。
「魔女、ですか?」
後ろから、男の声がした。
「聞いたことがあります。山に追放された魔女がいるって。それは、貴方なんですか?」
来た。
ついにこの質問が来てしまったと、アルマは目を瞑る。
体が強張り、足が止まる。
「不思議だったんです。まるで熊やカラス、動物と話ができるみたいで。複雑な山道を簡単に進んだり。こんな夜に、山にいることも」
「…………」
「初めは、その、正直に言って……頭がおかしいんだと思ってて。だから保護ついでに同行することにして。でも貴方と話していると、そんなふうに思えなくて。」
「……………………」
「……魔女で、間違いないんですね。」
振り返ることも、答えることも、そして山へ戻ることも出来なかった。
ひょっとすると、息もできてなかったかもしれない。
この瞬間、アルマは、かつて無いほど緊張していた。
長い沈黙。
ひょっとすると、男はもう帰ってしまったのかもしれない。
気配がまだ残っているのは、気のせいかもしれない。
それとも、懐に忍ばせた短刀でアルマを……殺そうと、しているのもしれない。
後ろからピリピリと感じる殺気が、気のせいでなければ。
「……今日のことは」
口を開いたのは、男の方だった。
「俺が、山で迷ったこと。襲われたこと。あなたに、助けられたこと。全部、忘れましょう。」
「…………」
「ここで、俺は誰とも会わなかった。何もなかった……それでは」
そう言うと、男は歩き出したらしい。足音が徐々に遠のいていく。
しばらくして、アルマは後ろを振り返る。
男はもう居なかった。
それから暫く、山には静寂が漂った。
※極小のアノマリーを感知※
※進行に影響はありません※