シス⑨
今度は逆に下り坂とあって、すいすいと進む。
しかしダンジョン攻略の常駐メンバーではなかった俺に、体はそう長くは言うことを聞いてくれなかった。
思っていたよりも早く体力が限界に近づく。
目の前にはもうもうと煙が天へと立ち昇る。
「ちょっと、もうへばってんの?」
見ると、そこにマギサがいた。
「お前、なんでこんなとこいるんだよ?」
「はあ、それあんたが言うわけ?」
そういうと、何かをこちらに投げてきた。
体力維持系の貴重品だった。
「あんたって、これがないとホントに戦闘スキルはないんだね」
「いちいち言うなよ」
それがそれに手を触れた瞬間、輝きながら宙に浮かぶ。
「リューゲル、何考えてるんだろうね」
「分かんねえな」
俺たちは先程来た道を全速力で引き返した。
街の入り口まで来てみると、すでに中は火の海で煙を思い切り生み出している。
「『製水』」
マギサが呪文を唱えるも、途端にそれは蒸発してしまう。
「どうする?」
「なあ、マギサ。俺に風をまとわせる呪文とかないか?」
風を体にまとわせて、火を一瞬でも体から遠ざけて、それが体に当たる前に通り過ぎてしまえば行けると思う。
ただし、止まることは許されない。
「いいけど……、『旋風』」
すると、俺の体の周りを旋風が舞い始めた。
「じゃあ、行くぞ。家へ」
「ちょっと、その火の中をどうやって?」
心配そうに俺を見る。
「走るんだよ」
今やマギサの周りにも旋風が舞っている。
俺はマギサに手を伸ばす。
二つの旋風が互いに侵食しあい、反発する。
俺は力を入れて手を伸ばした。
そしてマギサの右手を掴む。
「道は俺が選ぶから、マギサはただ走ってくれるだけでいい」
「ちょっ…………」
「ゴーっ!!」
やはり思った通り、火は一瞬の通り道を作ってくれる。
火が俺たちに当たる頃に、すでにその場に俺たちはいない。
夜なのに地上から天を赤赤と照らしている。
見慣れていた町並みは、既に灰燼と帰し、時々落下物が音を立てて倒れる。
家まで来るとそこは、例にも漏れず火が移り始めている。
急いで中に入った。
そこには案の定と言うべきなのか、こちらに背を向けたまま立っている少年がいた。
「リューゲル!!!」
マギサが彼の名前を叫んだ。
彼はゆっくりとこちらに振り向く。
彼の光を失っていた目はゆっくりとこちらに焦点を合わせ、そしてみるみると、驚きの表情に変わった。
「なんでお前らがいるんだよ?」
「おい、それはこっちのセリフだぞ」
俺は一歩リューゲルに近づく。
「何でこんなとこいんだよ?」
「なぜって、ここは俺たち家族が生きてきた場所だろ。ここにはみんながいる。俺が守れなかったみんなが」
リューゲルが大きく手を広げる。
「そんなものは違う。ここにはもういない。みんな生まれ変わるんだ」
俺はリューゲルを否定する。
だってそうじゃないとまたスタンに会えないじゃないか。
「それはただの言い伝えのほら話だろ。どうやって生まれ変わったって分かるんだ? 誰も前世のことなんて覚えてないのにさあ」
リューゲルの頭上に顕現した剣が小刻みにくるくると回っている。
リューゲルが突然あの狂気じみたものに見えた。
しかし、俺は臆さないで彼に近づく。
「それに俺たちは社会不適合者だ。だれも俺たちに想いを寄せてくれる人なんていない」
「あたしたちがいるじゃんか。現にこうやってシスとあたしは戻ってきた。ホントは皆来るかもしれなかったけど、あたしは連れ戻してくるからって約束してきた。あんたはこれだけじゃ、十分じゃないの?」
リューゲルはあっけにとられたようにマギサを見つめる。
そして段々ともの悲しげな表情に変わった。
「俺は自分を汚した。たくさん人を殺めた。そんなやつの近くにお前たちがいるべきではない。それなら俺もお前たちの言うとおり一からやり直すよ」
そう言って目を伏せる。
バチーーン
俺はリューゲルの頬を全力で殴った。
俺は非力だからそこまでの威力はなかったかもしれない。
リューゲルは右手を頬に当てて俺を見ようとする。
俺はすぐさまリューゲルの襟首を掴んだ。
「お前、ふざけるなよ。何がまた後で、だ。あそこで自分の役割は終わったとか思ってたんじゃないのか。あの時から生きようって意志はなかったのかよ。自分はいい役を演じてそれで終わりとか何なんだよ」
「ちょっと、シス」
「あんたは俺を見捨てた奴らと変わらない。自分ができることは他人にやっておいて、できないことになると知らんぷりしてほったらかしにする。全然お前が自分で思ってるほど善人じゃないぞ。むしろ俺たちと関わった分たちが悪い」
「………………」
「それに勝手に死のうとしてんじゃねえよ。それならみんなに謝れよ。スタンだってよ……。やりたい……こと……あっだっでいゔのに………。お前は本当は強いんじゃねえのかよ」
部屋の中に火が入り込み、燃え広がり始める。
マギサが、俺たちの間に止めに入った。
「シス、そろそろここから出ないと」
俺はまだいいたいことは山ほどあったが、マギサの焦った様子にリューゲルから手を離す。
「もう、俺はあんたを止めない。自分で決めてくれ。用は済んだ」
リューゲルはしばらく自分の手の平を見つめ続け、そして口を開いた。
「ああ、俺も行くよ。悪かったな。ただ俺はしばらく仕切り役を降ろさしてもらう。俺はお前たちが選んだその先が見たい。シス、お前がやるべきだ」
リューゲルの目には涙が溜まっていた。
多分今まで、自分が選んできたことに後悔していたのだろう。
「その話はここから出られたあとにしようぜ」
俺はリューゲルに優しく声をかけるが、内心今の状況を見て途端に焦り始めていた。
煙のせいで視界は最悪。
蒸されるぐらいクソ暑いし息苦しい。
しかも焼かれる前にこの懐かしの家にぺしゃんこにされるという可能性も十分ありえる。
マギサのさっきの魔法もこんな場所で旋風なんか起きそうもないし、起きたとしてもぺしゃんこを誘発するだけだ。
万策尽きたように思われた。
「シス、なんか案ないの? 急がないとやばい気がするけど」
「…………」
「しょうがねーな。『洪水』」
リューゲルが唱えた呪文で大量の水が顕現する。
しかしそれも焼け石に水状態である。
「あっ、ホントだ。これは、や、ば、い、かも」
リューゲルが呟く。
俺は自分の短絡さに反吐が出た。
帰ってくる方法も考えておくべきだった。
こんな緊迫した状況の中でいい案なんぞ浮かぶはずがない。
家にあった思い出の品を容赦なく灰へと変えていく。
例えここから出れたとしても、街の外までの道は、火が何ほどよりも何倍も大きく威力を上げている。
「俺、一生リューゲルを恨むわ」
「はあ、俺は清々しく人生を終えたかったのに」
それらは、人生に絶望した声ではなかった。
どこか日常を思わせる……。
その言葉を聞いてマギサが何か決意を決めたような顔をする。
その顔は火の粉にまみれ、髪の毛はすすが張り付いていたが。
マギサは、俺の後ろに回ると俺に抱きついた。
俺は驚いた。
しかし、彼女が震えているのを感じて、そっと前にかかる彼女の腕に手を添える。
「今までありがとね。あたし、本当は怖かった。この世界にあたしを思ってくれる人はいないんだって。あたしの存在なんかなかったように死んでいくんだって。でもそれは違った。こんな状況想像してなかったし、ここでこれを言う羽目になるとは思ってなかった。ただ、あたし一人じゃないのなら、多分怖くない。そのまま手を載せておいてよね。あたし、あんたに言いたかったことが……」
「『ガンマ・レイ』」
その瞬間、俺の背筋に悪寒が走った。
それは他の二人も同じだったようだ。
俺は首に巻かれた腕に力を入れられ、きつい、とその腕をさすった。
「紳士淑女の皆さん、武器だったかな?」
俺たちの周りで音を立てて燃えていた炎が、そのままの形で凍っていた。
しかし、俺たちの家の周りは依然として変わっていない。
背筋に悪寒が走ったというより、ありのままの、気温が急激に下がっていた。
その氷像の合間を白銀の長い髪を後で一括に結っている、ニ十代にも四十代がこちらに向かって歩いていた。
この暑そうで寒そうな中、長いローブを長身にも関わらず地面にずり、眼帯もしている。
「何者だ?」
リューゲルが剣先を、彼に向けて訊ねる。
「シャハハハハ、いやあよかったよかった。間一髪だったな」
彼は俺たちをぐるりを見る。
「こんな紳士淑女を殺そうだなんて、この街の御えらいさんは一体何を考えておるのだ。解せぬ」
「あのう、あんたは?」
マギサが俺の首に腕を巻いたままの状態で俺の後ろから顔を出して訊ねる。
「おっと、自己紹介が必要だな。余はシェレンベルク。この国の王だ」
それを聞いて、リューゲルの目つきが変わる。
「それが本当だったら、俺はあんたに蹴りを入れなきゃ気がすまねえ。あんたがこの街を訪れようとしなければこんなことにはならなかった」
リューゲルの剣が、王に真っ直ぐ飛んでくが、王は何一つ表情も動作も変えない。
ピキン!!
王の周りには防御結界があるらしく、リューゲルの剣は軽々と弾かれる。
「それは悪いことをしたな。だが余にもやらなければならないこともある。時間は戻らない。どうだ、行く場所がないのなら余についてくるか?」
「そんなもん、嫌に……」
「俺たちは三人だけではありませんよ」
リューゲルの声をかき消すかのように俺が声を荒らげる。
「そんなもの、三人も三十人も夜に変わりはない」
王はきっぱりと言った。
「大人には俺たちの境遇なんて分かんねーよ。シス」
「いや、ここは従っておくべきだ。というか、従うしか俺たちにこの場を乗り切る道はない。この人をどうにかできても結局焼け死体になるだけだ」
王は俺たちに話し合いの時間をくれるようだった。
「あたしもシスに従う」
「……。そうだな。俺もさっきシスに従うって言ったしな」
リューゲルは浮いていた剣を手に取ると、鞘に収めた。
マギサが不思議そうにそれを見ていた。
「浮かすのにも魔力を消費するんでな」
結局俺たちは王に従うことにした。
王は魔法で凍らせているようだった。
その後はみんながいる場所へ王を連れて行った。
皆、「王」と聞いて、ひとまず安心したようだった。
それからは王が野宿していたという場所へ向かった。
言ってみると俺たちよりも人数が少なかった。
王は真っ先に赤い鎧を着ている騎士に声をかけている。
「シェレンベルク。これはどういうことだ? 少し散歩してくるだけではなかったのか」
「すまんな。余はまだそこまで腐ってはおらんのだよ。ギルバードよ」
彼は見るからに強そうだった。
腰にある大きな斧のような武器も赤く輝いている。
しかし、先程の炎の燃えるような赤ではなく、どちらかというと透明に近いピンクがかった色だった。
「ではもう一度、結界を張り直すぞ」
王がそう言って何やら呪文を唱える。
普段弱い効果の結界内でしか生活してこなかった俺たちは、なんだかその中が、暖かく感じた。
王が魔法で出した寝袋を一人ずつちゃんとみんなの分配ってくれた。
人の好意には必ず裏があると心得てきた俺たちでも、この人がこの国の王であると分かるとどこか信頼できた。
実際先程、九死に一生を得てきたばかりだったからかも知らない。
その夜は星が流れていた。
しかし、そんなものを大人たちが嗜んでいる間、俺たちは横でぐっすりと眠ることが出似た。




