第二章 三十ニ話 溶け始めるミオ
「ところで、俺って今どんな立場なんだ?」
昼間の忙しい時間が過ぎ、ほっと一息つける時にふと、そんなことを思った俺はミオに訊ねる。
「私が店長だから。……君はその使用人だね」
「いや、それはないですから」
目を煌めかせたミオの言葉に即座に訂正を入れる。
「君、一々突っ込まなくてもいいよ」
「いや、違うものは違うからな」
途端にミオはふくれっ面に変わる。
「そんなこと今考えなくてもよくない? そんな偏屈な考え事をしていると、今というこの大切な時間を楽しめないよ」
そう言ってミオは俺に、例の俺が隠していたはずの看板を持ってきて手渡した。
「それにこれ。宣伝する気があるなら、もっとちゃんとやってよ。料理が美味しいとか、雰囲気がいいとか。店長は気まぐれってどういうこと?」
この隠していた看板を作った経緯について、説明を求められるかと思ったのだが、そこについてのお咎めはないらしい。
「あー、はいはい。この件については熟考が要されてるな。えーっと」
そう言って、俺は店内をぐるりと眺め、そして店長をじーっと見つめる。
しかし次の瞬間俺の額には、大きな氷塊がぶつかっていた。
一瞬冷たさが伝わってきたあと、それはすぐにジンジンと痛みに変わった。
「いてっ。おい、何投げてんだよ」
「君の行動が悪い」
そしてすぐさまミオは夜の支度をするとか何やらで、厨房に行ってしまった。
俺って、これでもパート職なんだよな?
それから三日ほど、労働に勤しんでいた。
その中で一度、昼下がりに、店長と年齢の近いような女の子達のグループが訪れてきたことがあった。
「ミオ、あんたいい人見つけるじゃん。あんたが急にここで店をやるって言い出したときには、私達も手伝わされるのかと思ってたけど。やっぱあんたしっかりしてるわ」
いえいえ、俺が多分その役になってます。
俺は彼女たちと離れたテーブルを丁寧に拭きながら、心の中でツッコミをいれる。
「それにミオらしいこの雰囲気。私達すっごく居心地がいいよ」
実を言うと、その件は俺が少し前に店のレイアウトを少し変えておきましたね。
スートラの街の大衆酒場での経験が少しは役だったようだった。
「それに最近のミオさんなんか楽しそうですよ。笑顔も前の時よりずっと可愛くなってるし、すごく嬉しそうだし……。私もここでミオさんから色々とそういうことを学んだほうがいいのかな」
ミオの友達はそれぞれミオに言葉をかける。
その辺に関しては、やはり昔なじみの友達ということなのだろう。
俺は昔のミオなんて知りもしないが、それでも今のミオが楽しそうなのは見てて分かる。
「皆、今日は来てくれてありがとね。この店作ったときはしょっちゅう来てくれてたのに、最近は全然来てくれないからさあ。いろいろと喋りたかったことあったのに」
「だってあんた、前私達が来たときに、「まだ帰らないでほしい」ってすがってきたじゃん。それにあの頃はあんたも何か沈んだ顔が多かったし…………」
彼女がその日のことを思い出して若干、ミオから遠ざかろうとする動作を取ると、
「ちょっと、マリ。そういうときこそ私を心配しに来てよ」
と言って、ミオはすぐさま彼女に抱きつこうとする。
「まあ、女の子は不安なときが一番墜ちやすいって言うしね」
ミオにされるがままになった彼女はそう言って、顔を俺の方に向けた。
いやいや、俺が自分からここの店員になりたくてなったわけではないのだが……。
「でもほら、今のミオはあの時の数倍も可愛いしさ。結果オーライだよ」
「なんでなのかは、私達にもなんとなく察しがつくけどね」
「そんなこと言ってまだ私を可哀想だ、とか思ってるんでしょ」
「はあ? ミオ何言ってんの? この期に及んで……」
「あーー、もういいや。皆、このケーキのお代タダにするから、これからも来てよね」
「「「やったーーーー!!!」」」
ちょっと、ミオさん。
その分俺の給料から差し引くとかないですよね。
まあミオがそこまで鬼畜じゃないと思うし、この店の売上も上々だしそれはないか。
ミオのいつもとは違う、柔らかく微笑ましい態度を見れて、ちょっぴり俺も得した気分だった。
俺の存在も当たり前のようになってきているし、徐々に俺のことがこの店で定着してきたと感じ始める。
しかし俺は、心の何処かでいつまでもここにはいられないだろう、ということを打ち明けるべきだと思っていたが、なかなか切り出せなかった。
「君。私を見て今まで何か疑問とか怪しいなあ、とかなかったの?」
四日連続で働いて溜まった疲労が身に沁みる。
この店から居候している屋敷まで、まあまあある距離を今日もまたゆっくりと帰るのか。
といつもながら俺が絶望していた時、ミオに突然話しかけられた。
「別に。俺この辺の事情とかよく分かんないから、そんなもの」
「ちょっと、少しくらい怪しんでくれてもいいと思う。こんな王都のそこそこ人気のある通りに、女の子一人で店を構え、一人暮らししてるんだよ? なんでだろー。とか、親とかどうなのかなー。とか」
言われてみれば、王都にはそもそもそこそこ財力があるような人しか住めないと言っていたし、ミオ一人では王都にいられる条件諸々を満たしているようには思えない。
しかしまあ俺の経験上、ライアンもルカも親と一緒にいるところなんて滅多に見たことないし、ユーリだって俺たちと出会ったときは一人暮らしだった。
「言われてみればそうだな」
「別に私は君に隠し事をするつもりなんてないし、聞いてくれればいつでも話すつもりだったのに。君は一向に聞いてくれないじゃん。もっと、私をしっかり見てほしいというかなんというか…………。……、もう!! もっと私に尽くしなさい!! じゃなくて…………今のは忘れて。えっとやっぱり、一緒に働いていく上で信頼関係って大事だと思うの。だから、知りたいことがあったら、はっきり聞いてほしい」
ここまで、言われて何も察しない人なんていない。
その誘導に乗せられてあげよう。
「じゃあ、店長。店長はどういった経緯でこの店を始めようと思ったんだ?」
その言葉を聞いて、ミオは今まで抑えていたこと、溜め込んでいたものをやっと吐き出せるといった感じで、一つ深呼吸をした。
そしていきいきと話し始めた。
「君も知っての通り、私は王都で生まれ育ったの。ここには学校というものもあるし、ある程度決められた道に沿っていけば、将来困らないような生活が保証されている。でもね、あるときそれって、ほんとに私のやりたいことが出来てるのかなって思ってね。私は人の心の拠り所になるような存在になりたかったの。でもいざ、今まで気にしてこなかったこと……、たとえば学校で教わるこの国の歴史とか、簡単な魔法とか商売理論や交渉術以外ことに関しては、何にも知らないしできないんだなって思った。だから親に一人暮らししたいって言った。まあ、当然学校も今は一応休学扱いにしてもらってる。勿論親から反対もあった。でも、どうにかしてこの場所を買ってもらったんだ」
「……。何にもできないって料理もか?」
俺は反応に困り、思いついたことを言う。
「というか料理がうまくなりたいから、一人暮らししたような感じなの。そのぐらい料理は最初は酷かった」
今からしてみると、全く想像がつかないものだった。
何故って俺の知る今のミオは店を出せるほど、料理が上手いから。
「店長、すごいな」
ルカのように実際の場の雰囲気から学ぶのではなく、自分で一から作り上げるようにして、ここまできたことがすごい。
物事を始めるときが一番勇気がいる。
俺は出来上がったミオした見たことがないから、彼女に対して苦労というものを感じてこなかったが、ミオはここまで来るのに相当の頑張りがあったのだろう。
「では。今、両親はどこへ?」
「ちょっと、離れてるけど王都内の家にいるよ」
「まじかよ!!」
もっと悲しい現実かと思ったが、全然違っていた。
やはりこの王都に住んでいる者と庶民との感覚は違っているようだ。
もしかしたら、俺はもっとしっかりとミオを見ることができたのかもしれない。
あの白髪の少女に出会って、自然とそのことを思わされる。
「でね。いつもはもっと後なんだけど、今回は明日にでも両親のところに毎回行ってる近況報告に行こうかなって思ってるの」
「へえーー。いいことじゃん。親孝行っていうんだっけ? あっ、でもまあ俺は自分の親父しか見たことないな。正直ジジイに何度も会いたいと心の底から思ってないな」
「そこでなんだけど…………。君に特別に、明日は休みをあげるよ」
と、店長から唐突な神のお告げで啓示された。
その啓示を聞いて、多分俺の顔に若干の精気が戻ったことだろう。
「なんなら、君も私の両親に顔でも合わせたい?」
「そこは遠慮しとくよ」
久々にのんびりでもしようかな。
「まあ、いいけど。じゃあ、まあね」
「ああ、店長も気楽にな」
ミオは俺が夜の暗闇を照らすような商店街の光の中に吸い込まれていくのを見届けると、静かな店内兼自宅に戻っていった。
王都は夜でも通りは明るく賑やかだ。
通りには王の造ったものだろう、赤や黄色の光がキラキラと輝いている。
露天商も通りの人々の気を引くために、昼間にはなかった夜仕様の店の飾り付けやテンションで、中心街は昼間とは違う顔を見せている。
しかしここがどの街とも違う点は、品のある華やかさだった。
汚物を徹底的に排除したような綺麗さを人々から感じる。
明日はそこまで外出しないかもしれないし、と思って何か買って帰ろうかと思ったが、結局屋敷まで直行した。
重たくも軽い足で屋敷に戻ると、俺はいつもよりも長めに入浴をとった。
男女別で別れた大浴場は、俺以外に人がいなかった。
この屋敷の大きさに対して、浴場が広すぎではないかと初めの頃は思っていたが、これはこれで全然悪くない。
それほど高くない温度の湯にゆったり入る方が疲れが取れると聞いたことがあった。
俺はこの屋敷の様子もだいたい掴み始め、目的の場所へはスイスイと行ける。
その後は、明日は何かしようかと思いを馳せながら、自室で久しぶり"くない"を具現化させて、丁寧に磨いた。
銀色に光る刃が俺を部分的に映し出す。
周りの安全を確かめて、数回振りかぶってみる。
時々こいつの感触を確かめていないと、本当に俺は無防備ではないかと心配になってくる。
と、突然。
ドンドンドン!!!!
数回のノックの後、扉が勢い開かれた。
俺は慌てて、しかし刃先に注意しながら懐にしまい込む。
そして、扉の方を振り向いた。
見るとそこにはいつも通りの身軽そうな服と、脚をなんとも思っていないかのように大方を露出させている短めのズボンを着こなした、ユーリがいた。
息を切らしたかのように、肩を上下させているユーリを俺は驚いて見つめる。
「フィリー、明日付き合ってほしい」
???!!
二章長いから、飽きられてないかすごく心配
次回予告 「巻き込まれ体質」




