第二章 三十一話 異地の百合根
翌日の日が昇り始めるか始めないかぐらい早い時刻、俺は一人で街の結界の境にある自然豊かなだだっ広い草原にいた。
特にこれといった理由はない。
適当に歩いていたら、いつの間にかここにいた、っと言う感じだ。
ただ日々忙しく過ごしていると、体の何処かではこのような時間の流れを感じさせないような場所に来たいと思っていたのだろう。
白兎が数匹、ちょうど今巣穴から飛び出してくる。
子どものような兎が二匹、親の周りをぴょんぴょんと駆け回る。
しかし親兎は子どもたちに見向きもせず、これからの日光浴にちょうどよい場所を探すかのように地面に鼻をくっつけて進む。
この広い草原にポツリと絵の具の白を間違えて落としたかのような雰囲気であり、何色にも溶け込まない白が俺の目には映えて見えた。
結界魔法によって、その草原はどこまでも続いているように見えてはいるが、どこかで街の外、いわば崖となって滝へと続いていく。
無論、結界門以外の場所からはこの街の外へと行くことはできないが……。
ふと、パタンと扉が開くような音がした。
この場所には家々は点々としか立っていなく、どれも中心街と比べるとお粗末でただの空き家のような感じすらある。
中からは質素な衣服に身を包んだ白髪の少女が出てきた。
その瞬間、二匹でじゃれていた兎たちが彼女に向かって走り始める。
彼女は優しく彼らに微笑みかけた。
この人気のない自然に満ち溢れた場所はそんな彼女たちを見守るかのように優しく、そよ風は心地よく吹き抜ける。
俺はその白髪の少女を見ていると、突然彼女と視線があった。
彼女は俺の存在に気づき、驚いた顔に変わる。
しかしそれは静かな驚きであり、すぐさま笑顔に変わり始める。
「こんなところにぼうっと座ってる人がいるんだねえ。お兄さん、デートスポットならもう少し東の草原ですよ。そこはここよりも男女の仲に関してならもっといい雰囲気の場所なんだよ」
可愛らしい声がそう呼びかける。
「デートスポットがなんだって……?」
しかし彼女の言葉をそれほど理解できていなかった俺は、聴き逃した彼女の言葉をもう一度……、いや彼女の真意をつかむべく訊ねた。
「早く行かないとお相手さんが可愛そうだよ。ほんとにこんなところでゆっくりしてていいのですか?」
「君、俺を諭すようで実はここから出ていってほしいのか」
俺が導き出した彼女の真意を直球で訊ねる。
「えっ?? 君面白いこと言うんだね。ワタシにはそんな気全然ないんだよね。むしろここ訪れる人なんて滅多にいないから、なんというかな。あれだよこれ。慣れ。でも、だからこそ時々場所を間違えてここに来ちゃってるって人に東の草原とか、フローディーテの花園とかその人の本来の目的地をワタシが教えてあげないっているのも人としてどうかと思うんだよね」
「多分、俺はそういう人じゃないんだけど」
「おーー!!」
彼女の驚いたような嬉しいような顔。
「じゃあ、何のために?」
「ただ、単純に日々の生活に疲れたから、こういう場所でリラックスするのもいいかなって」
「日々の生活に疲れてそのままに変な行動に及ばない分、やっぱりお兄さんはお兄さんだね」
いつの間にか、彼女の周りには小鳥たちも集まってきて彼女を優しく見上げている。
「さっきから俺のこと、お兄さんって呼んでくれてるけど、君と俺あんまり歳が離れてない気がするんだけど」
「いやー、ワタシを規定しないでほしいかな。ワタシは弟よりもお兄さんがいたらなあって思ってただけだから」
「それだけ??!」
「いやだな。あとお兄さん結構なナイスガイ的な雰囲気が出てるよ。実際のところは分かんないのだけどさ、まあ雰囲気はね」
「それでさっき俺を誰かと待ち合わせしてるって思ったわけなのか?」
「ピンポーン。ワタシ、頭がいいお兄さん、嫌いじゃないよ」
彼女は近づいてきた白兎の頭を撫でながら言う。
「俺、そんなにモテないぞ」
彼女の言葉を訂正するように言う。
「えっ、そう? お兄さん、周りをよく見れてないんじゃないの。もしくは超鈍感だったりして。女の子だったらお兄さんのこと、少しは気にかけると思うんだよなあ」
「へえ、そうなのか」
俺は若干の照れ隠しにそうつぶやく。
しかし振り返ってみると、俺は自分で言うとなんだが、意外と健全すぎる男子をしていると思う。
男、と言うものは今まで普通に接していた女の子たちをある時期になって急に意識しだす。
まるでその時期に、勝手に思考回路を捻じ曲げられたように。
しかし俺はそんな訳もわからないものに捻じ曲げられる様な精神ではない。
だから多分、俺はルカやユーリたちをそこまで女の子だと気にかけていないのだ。
というか、俺は小さいときからそんなことはどうでも良かった。
俺にとって、愛し愛されるということは無意味で何の特もないと思っていた。
もしかしたら今も昔も変わらないのかもしれない。
多分今俺は変わっていたのなら、少年期の俺はそんな自分を見て、酷く嘲笑っていたと思う。
勿論。人と一緒にいるのは楽しいという考えに変わりはない。
それがライアンであろうとルカであろうと。
俺はそのようなことを考えていると、
「ワタシ、お兄さんのこと分かったかもしれない」
「どんなふうにだ?」
「信頼できる人だって」
一体、俺の何を分かって、そんなふうに思ったのだろう。
「おおーー!! そろそろだね。今日は特別客も含め、続々と皆が集まってきたかしらねえ」
言われて遠くの方を見てみると、今度は茶色っぽい色をした毛並みを持つ馬のような牛のような動物もいる。
「一体、今から何するんだ?」
「まあ、まあって」
彼女は真っ直ぐ俺に微笑む。
白髪の髪を風に揺らせながら、一歩前に足を踏み出す。
「ららら、ららら、ららら、ららら、らららららら……
(レソラ シレド ドミレ レソファソレシソラシ……)」
言葉のない唄を彼女は歌い始める。
その超絶技巧な音程が言葉がないにも関わらず、この唄を歌であること決めつける。
俺と同様に、動物たちも静かに聞き入っている。
何処とないメロディーが哀愁を漂わせながら、俺たちにやすらぎを与える。
俺はこの時になって気づいたのだが、空気中の魔力が彼女の唄に連動するかのようにかすかに震え、彼ら同士のほつれや乱れを直すかのようにしている。
それらが本来持つ力を最大限に発揮できる形へと戻ろうとしていた。
彼女の唄が終わると、俺は観客代表として一人拍手を送った。
「やっぱり人に聞いてもらうとワタシのこと、ちゃんと見ててくれてるんだなあって、嬉しくなるね。これ」
「いや君どう見ても可愛いから、ちゃんと見ない人なんて逆にいないと思うぞ」
さっきの気恥ずかしさをお返しする絶好の機会だと思った。
しかし俺には彼女は可愛いと認める心はあっても、その先にどうしたい、というような感情はない。
「まあ。それはワタシがこんなところに住んでるのが悪いんだけど、やっぱり、こういうの久しぶりだからね」
「すごい綺麗な歌声してんだな。俺的には歌詞があったほうが心に訴えかけるようなものがあっていいと思うぞ」
「歌詞かーー」
彼女は俺の隣に腰を下ろすと蒼天を見上げて言う。
「この唄にはすでに意味を持っているから……。歌詞なんて必要ないなんて思ってたけど、なんかお兄さんに言われると歌詞をつけようかな、なんて思えてきたぞ」
「そりゃ、よかった」
なんだか、ここに来る前に予想していたよりも随分休めた気がする。
俺は屋敷に戻るべく立ち上がった。
「お兄さん、また来てくれる?」
「日常が俺を解放してくれたらな」
「それだけ聞くとすんごい抱え込むような人のように見えるけど、お兄さんは実際、もっと気楽な感じで生きてるように見えるね」
「そうかもな」
実際、時間が解決してくれるようなこともある。
ただ流されて決めた行動は自分の意思で決めたとき以上に後悔の念は深くなるのだがな。
「まあ、早いうちに歌詞でも作っちゃおっかな」
「そうだな。思い立った吉日って言うしな」
「ワタシはティティー。ずっとこの場所にいるから」
「俺はフィルセね。もし俺がここに来れなくても恨むなよ」
「そんなもん、皆の一人が欠けたくらいで恨んだりしてたら、それこそ依怙贔屓だよ」
俺は唄のお礼を言うとその場から去った。
ただその時、彼女の目の奥に薄っすらと何やら魔法陣が描かれているのが目に入った。
それからは俺は適当に街の中をぶらぶらしていたつもりだったが、いつしか街の困っている人たちの手助けをしていた。
飼っていた飼い犬を探すだの、薬や食材などを運ぶのを手伝ってほしいだの。
まあ、有意義といえば有意義な有給休暇を過ごした。
俺はいつもよりも軽い足取りで普段よりも三十分ほど早く二日ぶりのミオの店に向かう。
朝というものがはここ王都の時間はゆったりと流させる。
しかし、そこには昼間の騒がしさや熱狂をすでに潜ませてはいるわけだったが……。
ミオの店に着いてみると、店の雰囲気はほとんど変わっていなかった。
「あっ、戻ってきた。今日はなんか早いじゃん。何か言うことあるとか?」
俺を見つけると、ミオはツカツカと近づいてくる。
髪はきれいに整えられて艶々といしている。
前は一日水浴びをしていなかったから、そこまで神経質ではないのかもと思っていたが、これを見るとやはり身なりには気をつけている、といったようだ。
それにエプロンが以前よりも可愛いものに変わっている。
花の飾りとか、刺繍とか。
「エプロン可愛いね」
「へっ?! 勝手に何言い出してるの?」
勝手に言い出したわけではないと思うのですがね。
絶対何か意思があって服装変えたんじゃないのですか。
「昨日は店の調子はどうだった?」
「君、私が店長なんだよ? もっと信頼してよ。あと何その上からの物言い」
ジト目のまま、俺の瞳を直視してくる。
流石に俺は直視できない。
俺はごめん、と軽く頭を下げて謝る。
しかし俺が顔を上げたときにはもう、目を輝かせたいつものミオに戻っている。
「さあ、君もフルチャージで復活したわけだし。今日も一日頑張ろう」
もう俺がこの店乗っ取ってもいいんじゃないかレベルで、また今日も俺はミオと働き始めた。
作中の唄のメロディーは
『主よ、人の望みの喜びよ(バッハ』
です。自分のクラッシックの中で一二を争うお気に入りです。
ユーチューブで検索すればすぐ出ると思います。
次回予告 「溶け始めるミオ」




