第一章 三話 変わり始めつつある日常
酒場に着き、いつもの席を見るとすでにライアンがそこにはいた。
「お前は今までどこにいたんだよ?」
無駄に働かされた俺はやや嫌味を込めて言う。
「昼寝ってさっき言ったじゃん。絶対、フィルセ聞いてただろ。て言うか、あれ。剣新しくなってるじゃん」
「よく気づいたな」
何本も剣を替えているのに、ライアンにそう言われたのは久しぶりだった。
「当たり前だし。この俺を引きつけ、アピールしてくるその金色の鞘。今回は特に気合が入っているじゃん」
ライアンの琴線にも、この剣は触れるようだった。
「ああ、いつもより高いやつだ」
「やっぱりか。でも、なんで今ごろ…………。ははーん、もしや俺の炎弾に負けないようにっていう心意気か。あっぱれあっぱれ」
そう言って、豪快に笑う。
今日のサバイバルマッチに勝ったからか、今日のこいつのテンションがおかしいらしい。
クソっ、次こそ絶対に炎弾に対して策を練り、こいつをギャフンと言わてやりたい。
「違うわ。さっき騎士団の二番隊隊長って名乗っていた人に剣選びを手伝ってもらっただけだし」
俺の何気なく言った言葉に、突然ライアンの顔から笑みが消え始める。
そして急に真剣味の混じった顔に変わった。
「…………ええー!! お前運良すぎだろっ。あの精鋭揃いの少数騎士団だぜ。絶対俺がいたら、フィルセじゃなくて俺を相手してくれたはずだ…………」
急にライアンが立って、俺の胸ぐらを掴みやがる。
思いの外、食いついてきた。
「お前じゃ絶対、あの人とは相性合わねーな。お前はまずついてけねーよ。あと、その手を離せ」
率直に感想を述べる。
ライアンにあの繊細さは釣り合わねえ。
「なんだとーーーー!!!」
その手を離すどころかさらに、熱が入っている。
「ライアン、近えって」
「はっ、フィルセが下がればいいだろ」
そうこうしているうちに、看板娘姿に着替えたルカがやってきた。
「お二人さん、やっと来たね」
「やっと、っていうほどまだ昼は過ぎてないぞ」
「んで、今日は何作ったんだ?」
ライアンが訊ねる。
「フィリーが今朝運んだ野菜をふんだんに使った"ふうに"聞こえる命名だけど、実際にはエッグがメイン。それにトーマトかな」
トーマト。
それは、一部の人々から赤い悪魔と呼ばれている代物だ。
あの何とも言えないプチッとした感触と、内には未来に可能性を秘めた黄緑色のそいつの生まれ変わりを、何体も隠し持っている。
中身は透明な液体が満ち、その中を黄緑色のそいつが蠢いている。
逆に果肉よりも、そっち黄緑色のものを好む人の方が多い気がする。
そもそも、トーマト自体の分類が曖昧だ。
野菜なのか、果物なのか。
もしかしなくても、地球外来生物なのか。
「エッグって、言ったら…………。エッグベネディクトとか、茶碗蒸し……、いや親子丼なんてのもあるな。まさか、雑炊とかじゃないだろうな」
「ライアン、そんなじゃんじゃん料理名言わないでよ」
「今、頭に浮かんだやつだ」
それを聞いて、俺も急に空腹を感じ始める。
「勝手に願望を押し付けないでよね」
そういって、ルカは厨房に戻ると料理を持ってきた。
「じじゃーーんん。ライアン、はっずれーー。本日はルカ特製カリーリゾット風オムレツと、シントーマトスープだよ☆ まあまあな自信作なので安心して召し上がれ!!!」
いかにも看板娘的な仕草。
しかし、ライアンは毎度のことながら、ルカよりも料理の方に興味を示す。
それらは出来立てホヤホヤのようで湯気が立ち上っていた。
暗い照明の酒場的イメージの店で、一層輝きを増す黄色のオムレツ。
ふわふわっとしていて、フォークで割って中をはやく拝みたい欲求と、そうはさせまいとする理性がせめぎ合う。
そこにトマトケチャップの魅惑の香りがその拮抗状態を崩し始める。
もう一方はというと、真っ赤なトーマトスープの今朝取り立てのトーマトを使ったようだ。
「バリうま〜〜!!!」
見た目は美味そうだなと俺は思っていると、隣がやけに騒がしい。
見るとすでにライアンがオムレツに手を付けている。
「おい、ライアン。はえーぞ。せっかく見た目から美味そうなのに、もったいないぞ」
「何がもったいないのか俺には分からないな。料理があるのに、見てるだけでお預けって方がよっぽど考え方が可笑しいぜ」
こいつは自分の欲に素直すぎる。
「お前には解析できない、視覚情報を読み取ってるんだ!!」
見た目や配置も美味しさには重要な要素に入る。
このルカらしいさが見た目にも現れてるっていうのに。
「冷める前に俺がお前のも食ってやる!!」
ーーなんでそうなるんだよ。
口に物を頬張りながら、俺の器に手を伸ばしてくる。
「おい、てめぇマジでやめろ。離せ」
「お前は見てるだけでいいなら、俺が代わりに食べてあげるだけだし」
「お前のこの手も、この食い方も、妨害行為だ。もっと静かに厳粛に食えよ。人生ソンアン」
「テメー、ちょっと表出ようか?」
「はいはい、二人とも料理の前で喧嘩しないの。私の料理が不味くなっちゃうじゃん」
もし私の料理が不味かったらそれはあなた達のせいですよ〜的なオーラを発してる。
ライアンとの会話はここまでにして、やっとオムレツに口をつける。
卵の覆いを外してみると中からカリーの香ばしい匂いが漂う。
一口食べると、カリーの辛味が舌を刺激しつつも、卵本来の甘みを消さない絶妙な味わいのある組み合わせだった。
それにこっちのシントーマトスープとか言う料理もシン(新)ってついてるし、改良した感満載で食欲をそそる。
「ぐへっ!! なんだこれ。ネタ料理か? 辛すぎでしょ」
俺がそのスープに手を伸ばす前に、ライアンのカチリと皿を置く音が聞こえた。
みると、ライアンが机に突っ伏して、のたうち回っている。
えっ。
辛い? トーマトが?
よく見るとトーマトの赤に混ざってトガラーシ(発音はラが一番強い)がすり潰されて入れてあるようだ。
「もしかして、シントーマトスープのシンって、辛いのシン(辛)のこと?」
「ピンポンピンポンだいせいかーい!! そだよー」
いきなりライアンが立ち上がった。
「おいっ、ルカも今朝の勝負を根に持っているのか? 俺の炎弾に……」
こいつ、どこまでそのことを引っ張るつもりなんだ?
まあ、そこまであの巨大な炎弾が、自信ある隠し玉だったことはわかったけど。
「違う違うって。トガラーシって代謝を良くしたりするとか、栄養価が高いとかで結構体にいいんだよ。ちゃんと健康を考えての料理だって!! 次ネタ料理とか言ったら、一ヶ月間ライアンに料理作ったあげない!!」
この言葉は、ライアンにクリティカルヒットした。
それを聞くとすぐさま座って、続きを……若干静かに、食べ始めた。
シントーマトスープも辛いけど案外イケる。
酒場はまだ昼なのに飲んだくれが結構いて、繁盛している。
ライアンはともかく、俺はその中の一人にはなりたくないなあーとつくづく思う。
傍から見れば俺らも結構騒がしいかもなっ。
そんなことを思いながら、ルカの料理を堪能していると、いつの間に食べ終わってしまった。
「この料理も普通の客に出してもいいんじゃないくらい美味しかったよ」
「いや、でもニンミンの甘みをもう少し活かしたほうがいいんじゃないか? でも、カレーとオムレツは凄く相性が良かったと思う。美味しかった。それと、スープはトーマトの甘みをトガラーシが少し消してるだろ? ルカが育ててるトーマトは、皮が柔らかく甘いのが特徴なんだから、もっと活かさないと…………」
最後に二人から評価をする。
主に改善点を述べるのはライアンだったが。
俺は美味しいぐらいしか感想が言えない。
ここで毎度のことながら、ライアンの評価は細かい。
良い点も悪い点も。
「もう少し研究して、完成したら、また出すね」
「ああ、わかった。でも三日後以降でいいぞ」
「それは、私が頑張らなくてもいいって、ことですか〜??」
ルカが、あざとく言う。
俺は深くにも笑いがこみ上げてくる。
屋敷にいたらきっと体験できないかけがえのない時間だ。
「午後からは、一回ジジィの所に行ってくるよ。早めに行っとかないと色々とマズそうだから…………。多分、いや絶対、ライアンのアレのことで言われるんだろうなあ〜」
アレとは、ライアンの朝の魔法で、山の一部が荒れ地と化したことだ。
「よろしく頼むぞ、フィリー」
「お前はフィリー言うな、張り倒すぞ!!」
そう言って、酒場をあとにした。
空腹が解消され、疲れが取れた気がする。
これもトガラーシの効果かな。
程よく真っ白な雲が優雅に流れ、青空が清々しかった。
屋敷への道を進む。
この街は白を基調にしていて、清潔感がある。
屋敷の庭で衛兵たちの訓練の掛け声が聞こえてくる。
屋敷と言っても、城と言っていいような頑丈な作りで、何よりも広い。
何人いるかも分からない隊長さんにも、遭わないわけである。
屋敷へ入り、ジジィへ通じる最短ルートの廊下を通る。
宴会場や訓練場を兼ね備えた立地の良い屋敷の中でも、一際作りに凝っている、かつ街の壮大な景色が一望できるジジィの部屋の目の前にきた。
「ジジィ、いるか〜? 入るぞ〜」
ノックしたが、返事を待たずに中へ入る。
まず目に飛び込むのは、デカデカと書かれた『我が上の星は見えぬ』の墨字。
自分の運命は誰にも決めることができず、自分で掴み取るものだ、と言うものらしい。
ジジィの信念だ。
窓から外を眺めているジジィと兄貴がいた。
「おいフィル。お前ら、今日の朝に森の一部を吹き飛ばしたらしいな。住民から苦情があったぞ。それに今回は、爆音が起こった直後は、それに怯えた犬やら猫やら雀やらが一斉に鳴き出してたまらんかったぞ。そんなに暇を持て余しているなら、騎士団に入れ!! お前らがしでかしたことで、衛兵が跡地を調査したり、俺が住民に謝りに行かないといけないんだからな!!! 雑務を増やすなー、雑務を〜!!!」
いきなりの言葉攻め。言いたいことがいっぱいあるみたいだ。
怯えた動物たちがヤケを起こして、騒いだのだろうか。
それだったら、俺たちはそこまで直接的に悪くないんじゃないかと思う。
「しょうがないじゃん。真剣に決闘してるんだから……。それに、住民に迷惑が掛からないように街の外でやってんのに…………、住民が神経質過ぎるんじゃない? 前なんか、外で魔獣を倒しまくっていたら、褒めてくれたくせに、態度変わりすぎじゃね? 訓練場も使わせてくれないし」
「当たり前だろ。だったら騎士団に入れ!! そしたら使わせてやるぞ」
「やだね、そんな規則規則生活だなんて」
「まあまあ、フィルも熱くならないで!! 父上がフィルの後始末をやってくれてるんだから」
「別に頼んでね~し」
「頼んでなくても、苦情は、こっちに来るんだぞ」
「仕事が増えてよかったじゃん。ホントっ、領主って何やってるかわからないような感じだから、住民に仕事してますアピールが出来てさー」
「…………。だったら、王都の方角とは真反対の森で魔獣を退治してこい。そしたら苦情も来なくなるし、なんなら前のように褒めてやる!!」
「父上、それはちょっと危険すぎません? そっちの方角は奴らの国が近いですし、何よりも魔獣のレベルが全然違います」
「えっ、あっち側の森って魔獣のレベル違うの? 全然いいよ」
「ちょっとフィル。ホントにあっちの森の事情分かってないでしょ? 騎士団に入団できるレベルじゃないと入らないほうが……」
「兄貴は何も心配しなくていいよ。ジジィもこれで当分迷惑をかけないつもりだから、良かったね!!」
そう言って扉に向かって歩き出す。
「絶対に死ぬなよ」
「ああー。大丈夫。だって仲間がいるから」
後ろ手で扉を閉め、ジジィの部屋から出る。
「本当に大丈夫なんでしょうか?」
「最近奴らが、再び行動を起こし始めているらしいしな。前回の戦争から、だいぶ月日が流れてる。シェレンベルクの野郎はしっかりした対策を取ってるんだろうけど、あいつのことだ。俺の街のことはどうせ後回しにしそうだしな。こちらも戦力を鍛え上げたほうが良い。備えに早いも遅いもないからな。お前もそろそろ、初めて奴らと戦うときが来るかもしれん。それに、…………、フィルセもそろそろこの街の外を見たほうがいい時期なのかもしれん。生まれてこの方、あいつをここから出してやれてない。お前はそこまで心配する必要はないぞ。どうせフィルセのことだから、なんかあったらとんでこの部屋に駆け込んでくるはずだろ?」
「それもそうだけどなあ……。ところでシェレンベルクって?」
「ああ、俺が昔タッグを組んでた奴の名だ」
「そうですか。……………、フィルセが本当にあっちの森に行かせていいのでしょうか……」
「兄という立場は色々と悩みが多そうだな」
「あんたが何言ってるんですか?」
アーカイム家の悩みの種は尽きそうになかった。
俺は走って屋敷から帰っていた。
明日の朝からの日課が決まった。
今まであれほど行くなと言われていた方向に探索していいと言われたんだ。
舞い上がれずにはいられない。
やっとあのサバイバルマッチにも、一区切りがつく。
最後にライアンに負けたのは悔しいけど……。
でも、実際に魔獣と戦えるのは嬉しい。
初めの頃は、肉を斬る感触が不快だった。
これまでしっかりと、つながっていた細い糸を切るような、斬ることで取り返しのつかなくなることを実感させるようなあの感触。
手に伝わる肉の感触は少し力を加えれば、剣がすんなりと切断していく光景。
しかし、戦いの中ではそうも言ってはいられない。
今はもう慣れた。
まあ魔法だったら、そんな感触を味わわなくても済むのだろうけど……。
今あったことを伝えに三度ルカのいる大衆酒場に向かう。
あーあ。やっぱりこの街は広そうに見えて、案外狭くて退屈だな〜。
あのすぐ外のその森にさえ行ったことがなかったし、中にどんな魔獣がいるのかも知らない。
でも明日から、出入りの厳しい反対側の門をくぐってその森に行ける。
また、魔獣と戦えるのだ。
あの高揚感と臨場感が待ち遠しい。
なんだか、俺はルカたちのいる酒場までの道のりを短く感じた。
予定通りの15時更新です。
卵料理っていろいろと、幅がありますよね。
一番簡単といえば、TKG(卵 かけ ご飯)ですが……。
自分の母親が実は、トマト農家で働いてましてね。自分もトマトは好きです。
その農家のメインがトマトということで、品種改良していて、皮は柔らかいし、汁の部分が多いし、凄く甘くて瑞々しいんです。
もう、スーパーのとは全然違う感じで。
だから、トマトが嫌いな方も行けると思います。実際、自分はスーパーのトマトは皮が固くて苦手です。
さて、明日は必ず一話更新です。というか、平日二話はキツイっす。
次回予告 「共闘戦線」
お楽しみに〜