4 帝都へ
「実はな、中里殿には竜使いとは別に頼みたいことがあるのだ」
袂から取り出した真っ白な毛糸であやとりをしながら、ましろさんは言った。
いまはましろさんたちが森の近くまで乗ってきていた馬車で倭国の帝都に向かっている。魔法があるならワープもできるのではと俺は思っていたんだけれど、ワープするには結構な魔力と、専用の道具が必要らしい。白緑がいるから魔力に不足はないが、道具がないとしっかり座標指定できなくてどこに飛ばされるかわからないとのことだ。空想から生まれた世界でも、便利なことばかりでないとよくわかった。
森に来たのは俺を探すためなんだと言っていた。知らない気配がしたのと同時に、現世の空想から生まれたのではない、幽世だけの神様がましろさんに彼を迎えに行けと知らせたんだとか。さらっと言われたけど、この世界には神様が、目に見える形でいるらしい。唯一神ってやつかな。目に見える神様がいるってどんな感覚なんだろう。神様と言えば神社が思いつく俺にはうまく想像がつかない。
白緑は手のひらサイズになって俺の肩に乗っている。竜は人間と主従を結ぶとできることが増えるらしい。体の大きさを変えるのもそのひとつだ。目の前でそれを見たましろさんはかなり興奮した様子で、でも無表情のままで声をあげていた。
白緑をひざに移動させて撫でてやりながら、ましろさんの言ったことを訊ねた。
「頼みたいことって?」
「東宮の身代わりだ」
とうぐう? とうぐうってなんだ。それも身代わり? 物騒なことな気がする。考えていたことが顔に出ていたのか、ましろさんは補足をしてきた。
「ああ、影武者なんてことはさせぬよ。東宮、皇太子呼び名はいろいろあるが、要は倭国の次の帝のことだ。あれはひどく活発でなあ、近衛の隙を見てはすぐに外へ飛び出してしまう」
なんだかやんちゃ盛りの動物みたいな言われようだ。王子様なのにそんなこといっていいんだろうか。
「ちなみに今も国にはおらぬ」
「えっ」
「そなたを探しに出る少し前に東宮が脱走したのに近衛が気付いた。はてどこへ行ったかと思うて、捜索のために水晶をみたところそなたの気配を感じ、神が私に命じたのだ。神のお告げは絶対なのでな」
そう言ってましろさんはあやとりで梯子を完成させた。四段梯子だった。誇るように俺に見せつけたあと、指から外して真ん中のはしっこをつまんで解く。次は指で輪っかを作ってそこに糸を通した。たるんだ糸に空いた手の指を差し込んで川を作る。二人あやとりがしたいらしい。昔妹に散々付き合わされたからやりかたはよく覚えている。
小指で真ん中の二本を交差するように取りながら、ましろさんの顔を見た。白い瞳はおぬしできるな、と言わんばかりに輝いている。王子様がいないのに、声音も言葉も心配しているようには聞こえなかった。たしかましろさんの肩書は皇族目付け役で、ということはその王子様のお世話係のような存在なんだろう。
「……あんまり心配していませんね?」
「あれを殺せるようなものなどそうそうおらぬよ。私の弟子は皆優秀なのでな」
「ましろさんの生徒なんですか」
「目付け役ゆえ。帝より民の魔術、魔導指導の任も賜っているぞ。そなたも私の生徒となるだろうな」
「俺も?」
「この世界では黒髪、白髪は魔力が極端に強い証となる。現世の人間であるそなたに魔力があるかはわからぬが、試してみる価値はあろう。魔力がなくとも、そのほうがうまく魔導を扱えることもある」
俺も、白緑やましろさんのように魔法を使えるかもしれないのか。ちょっとわくわくする。膝から胸元によじ登ってきた白緑が顎を舐めてきた。俺の手から考えることなくあやとりを続けたましろさんは自慢げに、といっても無表情ではあるが、そんな顔で俺を見た。二人あやとりの手はだいたい決まっている。俺がやり返すと、ちょっとだけ目を見開いていた。もしかしたら二人あやとり初めてなのかな。
「話を戻すが、なぜ中里殿に東宮の身代わりを頼んだかというとな、明日は民との謁見があるのだ。それに皇子皇女は同席せねばならぬ」
「なのにその皇子がいないのか」
「さよう。しかもな、東宮はそれはもう綺麗な黒髪なのだ。黒っぽい髪の人間はまあいれど、そこまで黒い頭は幽世中を探してもなかなかおらぬ。貴人は御簾で顔を隠すのが通例だが、今代の帝は御簾を好かぬゆえ、誤魔化せんのだ。東宮もしかりでな」
王子さまは困った人らしい。まだ顔も見たことがないのにやんちゃな印象ばかりが溜まっていく。偉いひとっておとなしいイメージだったのに。あやとりをつづけながらましろさんはわざとらしくため息をついた。
「謁見を忘れているわけではないだろうが、いつ帰ってくるかも定かでない。七日帰って来なかったこともある。はてどうしよう、と言ったところでそなたが落ちてきた」
「聞いたことある言いかた」
「そなたはほんに我らにとっていい機会にやってきたな。まあいいか。そなたの髪は東宮に劣らない漆黒だ、それも顔も似ていると来ている。まあ長さは足りんが、そんなもの魔術で伸ばせばよい」
「髪伸ばすんですか」
「嫌か? この国では短いほうが目立つぞ。伸ばさずとも、香油をつけて烏帽子をかぶってしまえばわからぬが」
「伸ばせるなら色も変えられるんじゃ」
「出来んことはないが、黒は面倒くさい」
伸ばすのは面倒くさくないのだろうか。あきれながらあやとりを続ける。俺の番になって川に戻った。一周したのだが、ましろさんはあきずにまた手を伸ばしてくる。この話の流れだと、俺はものすごい大任をさせられそうになるのではないか。丸め込まれる前に否定しておくことにした。
「俺、そんなたいそうなことできません」
「問題ない。高みに座ってにこにこしておればよいのだ」
「大きな失敗をするかも」
「大丈夫、帝は器の大きいお方だ。笑って誤魔化してくれよう」
駄目だ。ましろさんのなかでもう確定してる。考えなおす気が全くない。顔が引きつった。ましろさんがにやりと笑う。俺が考えていることはお見通しだったらしい。こういうときだけ、ましろさんの表情筋はしっかり動く。
「……わかりました。できる限りのことはします」
「おお、そうかそうか。すまぬな、中里殿。なに、東宮が帰って来なかったときのみだ。まあ今回限りのことではないが」
なんだか腹が立って、ちょうどいい手が回ってきたときにカエルを作ってやった。俺がいつも妹にされて悩みまくった形だ。何回もやられたからどうすれば次につながるのかはさすがに覚えている。ましろさんはなんだこれは、と小さくつぶやいたあと、しばらくうんうん唸ってから降参した。解きかたを乞う姿は見た目相応で可愛らしかった。
***
なんだか現世の古い遊びに詳しいましろさんと時間をつぶしていたらふと馬車が止まった。あやとりから手遊びに移ってしばらくしたころだった。ましろさんはお、と小さく声をあげ、御簾の外を覗いた。御者をしていたおつきの人が降りてくる。野原で俺が説明を受けていたときに、ましろさんの行動にあきれていたひとだ。たしか理市さんと言った。
「ましろ様」
「ご苦労」
理市さんが手を伸ばすと、ましろさんはその手を取って馬車から降りた。白緑を肩に乗せて俺も続こうとすると、理市さんの手が目の前に来た。断るのもなんだか失礼なような気がして、ありがたく力を借りる。
「ありがとうございます」
「私などでお力になれたのならば光栄です」
理市さんは柔らかく微笑んだ。このひとめちゃくちゃさわやかだ。自然な笑顔もさることながら滑らかに出てきた丁寧な言葉に感動する。俺は大人になってもこうやってかっこよく言える気がしない。
馬車から降りた目の前には木造の古びた小屋があった。引き戸で、錠前はなく、側面には上辺に蝶番の付いた窓っぽいものがある。これはたぶん窓だ。なかから開けて、棒でつっかえて固定する。まえにテレビで見た。隣接している馬小屋に、理市さんたちが馬車を入れた。
ましろさんはノックすることなく引き戸を開けた。ぎょっとしていると、理市さんたちに中へ入るよう促される。なんだか少し不安になって、白緑に触れながらましろさんに付いて行った。のどが鳴る音を聞くとすこし安心できる。
中には誰もいなかった。そのうえなにもなかった。床も畳もなく、ただ地面が続いている。外身だけの張りぼてだった。ましろさんは右の角あたりで地面に手のひらをつけている。
「ここは?」
「まあ見ておれ」
ましろさんがそういった途端、その細い手首に茶色い輪っかが現れた。魔法を使うときにでるものだ。ましろさんが何かを引っ張るように腕をあげると、手を置いていた地面がもぞもぞと動き出した。土が割れる。でてきたのは底の深い長方形の木箱だった。宙に浮いたそれをましろさんが手に取ると、手首の輪っかは消えていった。
「ここから都に転移するぞ」
「道具がないからできないんじゃないんですか?」
「道具があればできるのだ」
ましろさんは木箱を開けて中身を取り出した。金属の輪っかが五つある。木箱を埋まっていた近くに置くと、小屋の隅に輪っかを配置した。
「すぐこちらに来られるようにしておれよ」
指の周りに白い輪っかが浮き出る。ましろさんは俺の近くに置いた輪っかのすぐ上から指を滑らせた。とてとてとひとつとんだ輪っかまで走る。それを五回繰り返してもとの場所に戻ったときには、地面に白い星型が浮き出ていた。星の頂点をなぞって円を描くと、その円に沿って細かい文字らしきものを刻む。そろそろですよ、と理市さんに声をかけられた。
「できたぞ、私のそばに。輪は動かさぬようにな」
ちょいちょいと手招きするましろさんのそばへ小走りで進む。肩で白緑が踏ん張るのを感じて、そっと制服の胸ポケットにうつした。少し苦しいかもしれないけど、ちょっとだけ我慢してくれな。ポケットのうえから撫でると、きゅるる、と可愛らしい返事が返ってきた。
ましろさんのそばへ行くと、右手をぎゅうっと握られた。その手を見ると、すくすくと笑う声がする。
「すこし足元がぐらつく感覚がある。しっかりつかまっておれ」
つま先がとがった見慣れない靴を履いたましろさんの足がとんと地面をたたいた。すると足元の白い図形が強く光って、ぐらりと、足元がゆがんだ気がした。