シルヴィア、お化粧をする。
「……その、赤い粉を頬につけるの?」
「はい。じっとしていてくださいませ」
ターニャがずいと近づく。
その分、シルヴィアも後ろに下がった。
「じっとなんて無理!何、それ!辛そう!」
「口に含むものではないから大丈夫です!」
辛そう、といい嫌がるシルヴィア。
それを諭し、何とか試みるターニャ。
「シルヴィア様は今まで化粧をしないで生きてきたのですか?」
「当たり前よ。だって体に悪そうじゃない……」
「確かに洗い落とさないと毛穴が詰まってしまいますが」
詰まる!?喉!?窒息!?とシルヴィアが騒ぐ。
「……違います。それにしても珍しいですねぇ」
「え?」
「他のお妃様なんかはゴッテゴテのケバケバですよ」
「ご……!?けば……!?」
おぞましいことを聞いた、というようにシルヴィアが大きく体を捩らせた。
「私なんかは家が貧乏なものですから。お化粧なんて夢の夢でした。それこそお姫様に憧れたりなんかして」
「へえ……」
化粧、か。
シルヴィアは母の影響か、自分を飾り立てることが嫌いだった。
ありのままの自分を好み、ありのままの彼女を周りも好いた。
最も、化粧をすればさぞかし大人っぽくなるでしょうに、と進言した者は幾人もいた。
「少しでも自分を際立たせようとして化粧でパーツ弄って、王の気を引こうとなさってるんですよ、お妃様達は」
「……複雑なのね」
美しい顔に王に惹かれたからといって、それはその人自身を愛しているわけではない。
好かれるのならば化粧で美しく着飾った自分でなく、内面を愛してくれる人がいい。
シルヴィアは、そう思う。
「そういえばシルヴィア様はまだどなたにもお会いしていないんですよね?」
お妃様達に。
そう尋ねるターニャに、シルヴィアはこくんと頷いた。
「クリスタリア様には気をつけてくださいね」
「クリスタリア様?」
「はい」
シルヴィアは、嫌がること無くターニャに化粧を施されている。
サッサッと顔にラインやらなんやらを引いたりしていくターニャの腕には迷いがない。
シルヴィアは素直に感心する。
「クリスタリア様は御年21歳。トルメイン公爵様の御長女でらっしゃいます」
「……ふーん」
トルメイン公爵。
国一、二を争う権力を持った貴族だ。
支持する者が多いが、意固地な彼に否定的な態度を取る貴族も少なくない。
「クリスタリア様は第一夫人にあたります。陛下の御子も3人いらっしゃり、そのうちの1人がお世継ぎになると言われている第一皇子、アルトワ様です」
ターニャの口調には憎々しげなニュアンスが含まれている。
明るい彼女のこのような1面に、戸惑いを隠せないシルヴィアだった。
「……それで?」
「世ではクリスタリア様が正妃に立つのでは、と噂されております」
クリスタリア様。
シルヴィアはその名を胸に刻む。
「陛下はご存知ありませんが、女人には何かと当たりのキツイ方で。第二妃のダリア様はクリスタリア様に酷く痛めつけられたそうでここ最近病がちなのです」
痛めつけられ……!?
ゾワゾワ、と鳥肌が立つのがわかった。
どんな非道な事をなさる方なんだろう。
「クリスタリア様のせいで辞めた陛下付きの侍女を数えるのには両手だけでは足りません」
陛下付きの侍女まで……!?
お仕事を追われるなんて、可哀想。
シルヴィアは心から同情した。
「クリスタリア様は大変お美しいですが、その美しさは薔薇の様。刺々しい方で陛下に近づく女を何らかの形で痛めつけなければ気が済まないような方です」
「……はぁ」
「お気をつけください」
妃たちの、正妃争いは思っていたより壮大そうだ。
宮殿に来て早々、まだ夫となる人も見ぬまま、シルヴィアは帰りたい、という思いに駆られた。
「……はい!出来ましたよ!鏡をご覧になってください!」
「……まぁ」
ため息を吐き出すように、その一言を紡ぎ出した。
「私じゃないみたい」
元々美しいシルヴィアの顔は、化粧が施されたことにより、ぐっと大人っぽくなっていた。
白すぎて少々不健康に見えていた肌は、うっすらと赤みがさしていて初々しい桃のようだ。
キラキラと光っていることから、何かパウダーのようなものをつけたことが察せられる。
あまりパッと見ではわからない程度の変化で、派手すぎないのが丁度良い。
「……ターニャ。凄いわね」
尊敬するわ、とシルヴィアが呟けばターニャは頭を振る。
「いいえ。元のお顔が綺麗だからですわ」
わたくしは何も。
そう言って口元を隠すターニャだが、その顔には嬉しさが滲み出ている。
「さ、お召かえをしましょう!」
「ええ」