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6.一矢報いる

 翌日は晴れていた。


 晴れ渡った真っ青な空をぼんやりと見上げて、私は晴れ女だったっけ、なんてどうでもいいことを考えた。

 ここへ引っ張りだされる直前に頭から水をかぶらされたけれど、身体の傷の手当てなんてまったくされてないし、身体の汚れもほとんど落ちていない。背中の傷は血が滲んでるうえにぐじぐじと膿んでしまっているし、垢じみて汚れた身体も推して知るべし、の状態だ。こんなので人前に引っ張り出されるなんて、とつい考えてしまう。

 もっとも、これから殺してポイするヤツの傷だの汚れだの、気にするほうがおかしいんだろうけど。


 この数日ですっかり衰えてしまった身体を、半ば引きずられ引っ張られるようにして処刑台に上げられると、そこから少し離れたさらに一段高くなった場所に席をしつらえて、領主夫妻とその娘が座っていた。

 伺うまでもなく、魔物の強い気配が領主自身から漂っている。ほんとうに、どうして皆、こんなにはっきりした嫌な気配に気づかないんだろう。

 けれど。

 ちらりと領主に視線を飛ばして、チャンスを得た、と考える。領主が出てこなかったらだめだと思ったけれど、領主本人が出てきてくれた。これなら、たぶん、あいつを引きずり出せる。

 初代が封印した、あの魔物を。

 ふらふらと揺れる身体を兵士に掴まれ支えられながら、小さく、初代の日記に書いてあったことを呟いた。

「“毒を抜き、悪魔のレシピの後に続けよ。最初が肝心”」

 初代の日記……“悪魔(Teufels)レシピ(Rezepte)”に続け……載っていた毒草はトリカブト(Eisenhut)夾竹桃(Oleauder)スズ(Maigloeck)ラン(chen)ドク(Wasser)ゼリ(schierling)だ。にやにやとわたしを見下ろす領主をちらりと見やる。どこに魔物が潜んでいるのかはわからないけど、絶対にこの場に引きずり出してやる。


「最後に何か申し開きはあるか」

 壇上からそう問われて、ふふ、と思わず笑みを浮かべた。わざわざ聞いてもらえるなんて。

「ひとつだけ、ございます」

 少し俯き加減のまま、わたしは魔力を込めて言葉を放つ。


「かつて封じられし魔物よ、“TREOMW”よ、お前の名にかけて命じる。この場で姿を露わにせよ!」


 領主は驚愕を顔に浮かべて、それから頭を抱え込み唸り声をあげ始めた。

「お父様?」

 隣に座る娘のヒルダに呼びかけられるが、まったく反応も見せない。

「……お、お父様? その姿は?」

 領主の身体は膨れ上がるように大きくなり、みるみるうちに変化した。獣のような頭の、背にはコウモリのような翼が生えている、鋭く尖った爪を持つ異形の魔物に。

「嫌あ! お父様、どうして?!」

「だ、旦那様?!」

 がたりと音を立てて領主の夫人と娘が椅子から転げ落ち、じりじり後退る。集まったひとびとからも悲鳴があがる。処刑台を囲んでいた兵士たちも、ひとびとを落ち着かせることも忘れて、呆気に取られたままぽかんと領主だった魔物を見つめていた。

「貴様、領主様に何をした!」

 横にいた兵士のひとりが我に返り、乱暴にわたしの腕を掴んで引き倒す。

「……何も。わたしはこそこそと姿を隠している魔物に、この場に堂々と出てこいって言っただけです。まさか、領主が魔物になりかわられていたとは思いませんでしたが」

「魔物を呼んだのか!」

「違います。わたしが呼んだんじゃありません」

「……こいつ!」

 剣を振り上げる兵士の姿に思わず目を瞑ると、どこからか何かの吠える声が響いて、この場にいた者たちの動きが止まった。

「……ウルス?」

 声のしたほうを見上げると、青い空にぽつんと浮かぶ黄金色の点。ぐんぐんと大きくなり、太陽の光を浴びて眩しく輝いている。ああ、やっぱり、ウルスはとてもきれいな竜だ。

 きらきらと輝く鱗の光に目を細めると、自然に涙が溢れた。ウルスが来てくれて、今、こんなに嬉しい。

「黄金の竜!?」

「撃つな! 太陽と正義の神の使いだぞ!」

「善き者の守護者がどうして?」

 広場に集まっていたひとびとの中から聞こえた叫びに、え? と驚く。黄金色の竜って、神の使いなの? ウルスはそんなすごい竜だったんだ。

「ソーニャ!」

 収拾のつけようがないほど混乱した場で、もう一度、竜の吠える声が響く。そのすぐあとに、わたしを呼ぶ声が聞こえて顔を上げた。

「ソーニャに、ひどいことをするな!」

 ウルスがカッと口を開いて、眩い光の息吹を吐いた。とっさに目を瞑っても、瞼の向こう側にすごい光が溢れていることがわかる。「目が」と、剣を取り落として呻く兵士たちの声が聞こえる。

 そして、横に降り立ったウルスにそっと優しく抱き起こされて、わたしはまた立ち上がった。ウルスはわたしの腕をきつく縛っていた縄を解き、手足の鎖を引きちぎるように外す。

「……ソーニャ」

 ウルスはそれだけをやっと、呟いた。

 ──彼は、わたしの酷い有様に絶句しているようだった。顔も身体も傷だらけで腫れ上がってて、おまけに片角も折れてしまっている。ドロドロに汚れていて傷もすっかり膿んで、悪臭もたぶん酷い。髪の毛もざんばらに切られて、まったく収まりのつかない状態になっている。

「……あの、ごめんね。髪の毛、ちゃんときれいにしてくれたのに、こんなになっちゃった……」

 じっと目を眇めてわたしを見つめるウルスに、眉尻を下げてそれだけをやっと言ったところで、またぽろりと涙が溢れてしまった。

「……そんなの! いいんだよ、謝ることじゃないよ」

 ぶんぶんと、慌てたように首を振り、彼はそっとわたしの顔に触れた。

「そんなことより、遅くなってごめんね、ほんとうにごめん。君の気配が掴めなかったんだ──あいつの気配が濃すぎて……こんな酷いことをされてるなんて」

 涙声でそう呟くウルスは、いつの間に人型になっていたのか。そっと抱きしめられて、なんだかとても暖かくなる。心なしか、痛くて仕方なかった身体から、だんだんと痛みが引いていくようにも思えた。


 ひとつ息を吐き、もう一度壇上を見上げると、仁王立ちになった魔物がわたしたちをギラギラと睨めつけていた。なんていう圧力だろう。こうしているだけで魔物の持つ力に気圧されそうになる。初代はこいつにひとりで立ち向かったんだ。わたしは大丈夫だろうか。もっと万全の状態だったらマシだろうに、こんなにぼろぼろで、今にも倒れ込みたくて仕方ないくらい身体もふらついている。

 けれど。

 わたしは魔物を見上げて、負けじと睨み返した。

「ソーニャ、僕の名前、呼んで」

 ウルスがわたしの耳に口を寄せて、小さく囁く。

「……ウルス?」

「そっちじゃなくて、最初に教えたほう」

「……ウルサストゥルナウィラス?」

 ウルスはにっこりと、嬉しそうに微笑んで頷いた。とたんに、彼の力が流れ込んでくるのを感じる。

「さ、あいつを追い出そう。僕と君の力を合わせれば、足りるはずだよ」

 わたしは頷き……力を、わたしとウルスふたり分の魔力を込めて、言葉を放った。

「“TREOMW”、お前の名にかけて命じる……元いた世界に還れ!」

 ごっそりと根こそぎ魔力を持っていかれるような感覚が起こり、やつの足元にいきなりぱかりと“扉”が開く。

 魔物は奇妙な唸り声をひとつ上げ、“扉”の中へと吸い込まれるように消えた。“扉”も、魔物が消えるのと一緒にすうっと消えてしまった。

 自分が引き起こしたことなのに、いったい何がなんなのかわからず、あっという間の出来事にぽかんとしてしまう。これだけ? これで本当に魔物は還ったの?

 ……じわじわと薄れていく魔物の気配に、ああ、本当に還ったんだという実感が湧き上がったのは、しばらく呆然とした後だった。


 わたしが、ほうと安堵の息を吐くと、ウルスも、わたしの頭に顔を埋めて、ほうと息を吐いた。

 そのままウルスに倒れ込みそうになってから、ハッと気づく。

「……ウルス、ウルス、あの、わたし、捕まってから全然きれいにしてないから、その、臭いと、思うんです……だから、その、あまり……あまり……」

「大丈夫だよ」

「その大丈夫は、たぶん、大丈夫じゃありません」

 ドロドロに汚れたままの自分が恥ずかしくて、赤面してしまう。せめて、傷を治して水浴びをして、汚れてない服に着替えたい。

 なのに、ウルスはわたしを抱きしめる腕に力を込めて、ぐりぐりとわたしの頭に顔を擦り付ける。ちょっと待ってほしい。本気で待ってほしい。

「……僕、やっぱりソーニャが大好きだ」

 かきん、と音がしたみたいにわたしの身体が固まった。

「え……う……あの、その、ですね」

「うん?」

 にこにこと首を傾げるウルスを振り仰ぎ、わたしはやや目を逸らし気味に続けた。

「わたしも、です」

「ん?」

「わたしも、ウルスのことが、大好き、です」

 ぱあっとウルスが満面の笑顔になる。

「それで、未だによくわかってなくて申し訳ないですけど、名前……その、わたしの名前は、“ソフォローニア”です。

 ……ええと、ちゃんと、交換、してなかったと思うから……」

 ウルスはわたしを抱き上げてくるくる回ると、また竜に姿を変えて、わたしを乗せて飛び立った。

「ちょ、あの、ウルス、はしゃぎ過ぎです。ちょっと怖いです。あと、痛いです」

 彼の首にしがみつくわたしの必死なようすに気づいてるのか気づいてないのか、彼はぐるぐると回りながらも、わたしを乗せて一直線に巣穴を目指し、この場を飛び去った。

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