2.壊れた我が家
「……ええと、あなたの名前はなんでしょうか。わたしはソーニャです」
いい加減、名前がわからないと話しづらいなと考えて尋ねてみると、なぜか竜の青年は驚いたように一瞬だけ目を見開いた。それから少し考えるような素振りを見せて頷くと、にっこりと微笑む。
「僕はウルサストゥルナウィラス。だけど、ソーニャにはウルスって呼んで欲しいな」
おまけになんだかほんのりと頬を染めている。全くもって意味がわからない。わたしは名前を聞いただけなんだけど、なんかやらかしたのか?
「……少しびっくりしたけど、ま、いいか……うん、いいね。うん」
「はい?」
竜の青年、もとい、ウルスはやたらとにこにこしながら、訝しむわたしを見て頷いている。いったい何が「いいか」なのか。あとでお師匠様の蔵書で竜に触れているものを探して調べてみよう。直接聞くのは藪蛇な予感がする。
「あー……それじゃ、わたしはそろそろ帰って、お師匠様の部屋を調べてみようと思います。封印のことが何かわかるかもしれないし」
「もう帰るんだ?」
ウルスはこてんと首を傾げ、わたしをじっと見る。何を期待されているのかさっぱりわからないが、竜の巣穴にいつまでもお邪魔してるのはどうかと思うんだ。
「はい。お師匠様の行方を調べなきゃなりませんし、いつまでもここにいるわけには」
「別にずっといてくれてもいいんだけど……じゃあ、送って行くよ」
「え?」
「歩くよりずっと早いよ。見習いじゃ、転移魔法はまだだろう?」
「まさか、わたしを乗せて飛ぶつもりですか?」
笑顔でこくこく頷くウルスに呆然とする。
「……あの、わたし、ロバにすら乗ったことがないので、落ちないでいられる自信はないんですが」
「ひどいなあ、僕が君を落とすわけないのに、信じてくれないの?」
「いや、信じるとかじゃなくて、わたしが乗っていられるかが」
「大丈夫だよ。任せて」
結局押し切られてウルスの背にまたがり、家を目指して一路空を進むことになった。
かなり風に煽られるし地面は遥か下方だし結構揺れるし、これは少々どころではなく怖い。怖いが……。
「意外に、気持ちいいかもしれませんね」
「でしょう?」
ウルスの首のトゲトゲにしっかり摑まりながらそう呟くと、彼が嬉しそうに振り返った。
「気に入ったなら、これからも乗せて飛んであげるよ」
……いったいわたしの何がそこまでツボに入ったのかわからないけれど、ウルスがそういうのなら、たまにお願いするのは良いかもしれない。魔法じゃこうはいかない。
「冬じゃなければ、お願いしたいかもしれません」
「冬は、ちゃんと寒さ避けの魔法をかけるから大丈夫だよ」
「そうですか? あ、見えてきました」
森に囲まれて、ぽつんと建つ一軒家が遠くに見えてきた。わたしとお師匠様の家だ。こうしてみると、ほんとうに小さい家だ。けれど、留守にしていたのはほぼ1日だけなのに、帰ってくるとやはりほっとする……が。
「あれ?」
何か様子が変だ。おかしい。
いったい何が変なのかと考えていると、ウルスが少し緊張をはらんだ低い声で「燃えたみたいだよ。心当たりはある?」と聞いてきた。
「え?」
目を凝らすと、たしかに薄く煙が昇り、黒く煤けているように見える。
「心当たりなんて、そんなの……」
必死で考えるが、思いつくわけがない。お師匠様はこのあたりのひとたちとはうまくやってたし、わたしだって誰かの恨みを買うようなことなんてした覚えがない。そもそも、町にだって必要がなければ行かないのだ。ほかのひとに会う機会なんて、月に数度あるかどうかといったところだろう。
すうっと静かに着地したウルスの背から降りて、黒く焼け焦げた我が家の様子に呆然としたまま、へたへたと座り込んでしまった。
家は焼かれただけでなく、明らかに壊されて荒らされていたのだ。
「どうして……」
それだけを呟くわたしに、あたりを嗅ぎまわり調べまわっていたウルスが「どこかの兵隊が来たみたいだね」と言った。
「金属の臭いと、複数の人間の臭いがするよ。魔法の痕跡はないみたいだけど。もう近くにはいないから、しばらくは大丈夫だと思う」
ウルスはそう言いながらも目を眇めて警戒を続ける。
「ソーニャ、やっぱり君は僕の巣穴においで。こんな危険なところにおいてはおけない」
「……少し、待ってください。地下室は無事かも」
「地下室?」
「そう。あなたが拾ったメダルが鍵で、扉は隠してあるから、気づかれてないかもしれない。そこにあるものは持ち出したいんです」
「わかった。じゃあ、急ごうか」
どうやら地下への扉は無事だった。魔法の痕跡はないというウルスの言葉から、ここを襲撃した人間の中に魔法使いはいなかったのだろう。不幸中の幸いと言うべきか。
お師匠様のメダルを床のくぼみに当てると扉が開き、地下室……と思いきや、そこは地下の収納庫のようになっていた。そこに収められていた幾つかの箱を、ウルスに手伝ってもらいながらすべて運び出す。すぐにでも箱を開けて中身を確認したかったが、それは後回しということにした。暗くなる前にここを出てしまいたい。少しだけ家の中を探しまわり、どうにか無事だった幾つかの魔術書や魔道具、着替えをまとめて持ち出してから、家を後にした。
「……ソーニャ、大丈夫かい?」
少し心配そうにわたしの顔を覗き込むウルスに、頷いてみせる。来るときはわたしだけだったが、戻りは意外に大荷物になってしまったため、今は徒歩だ。かなりのものをウルスの背に載せてもらっている。
「大丈夫、だと思います。少し驚いただけですし。お師匠様は、トラブルに巻き込まれたんですね。たぶんですが、封印がらみのトラブルに」
ぽつぽつと話しながら、ウルスと並んで歩く。ひとりでこの家にいるときに襲われたのだったらと考えると、ぞっとする。仮に襲撃を免れていたとしても、ひとりでこんな森の中で夜を明かしたり過ごしたりしなきゃいけないのだとしたら、どうなっていたか。
「考えてみたら、今日、南の洞窟に行くことにして……ウルスに会えてよかったのかもしれません」
そう小さく呟くと、ウルスがわたしを振り返って、おそらくだが、にいっと笑った。
もと“南の封印の洞窟”、今は“ウルスの巣穴”に到着したのは、日が暮れてからずいぶん経った後だった。
「ソーニャ、疲れただろう? ここで休むといいよ」
そう言ってウルスが示したのは、巣穴の片隅にしつらえた小さな寝床だ。乾いた草や枝を積み重ねて、柔らかく暖かく過ごせるようになっている。
「ウルスはどこで寝るんですか?」
「どこでも。僕なら心配いらないよ。お腹は空いてないかい?」
「食べ物は少し持ち出せたので大丈夫です。ウルスは?」
「竜は数日食べなくても全然平気だから、気にしなくていいよ。明日になったら、何か君にも食べられる獲物を獲ってくるよ。大丈夫、心配しないで」
笑うように目を細めてウルスが言う。なぜ彼はここまでわたしに親切なのか。
なんとなく、聞いてしまったら終わりな気がして問うことが憚られ、その代わりに、家から持ち出した箱を開けてみた。
「古い書物が、こんなに……?」
紙もインクもかなり変色して、文字がところどころ掠れてしまった書物が十数冊。書いた者はひとりではないようだ。ウルスも興味深げに覗き込む。
「これを読み解けば、何かわかるかもしれません」
「僕も手伝おうか。ふたりでやれば、そんなに時間も掛からないよ」
「そうですね。お願いしていいですか?」
「全然構わない」
それから数日、わたしたちはウルスの巣穴に籠りきりのまま、ひたすらお師匠様の書物を読み解くことに費やした。
……時折、巣穴の近くに人間が来たが、幻術を纏ったウルスが脅して追いやると、二度とは近づかなくなったようだった。