1.竜の青年
結論から言うと、南の洞窟には竜がいた。
キラキラと金に輝く鱗に覆われた、成人男性の平均身長の倍はあるんじゃないかという体長のたいへん立派な体格の竜が、洞窟の奥に寝そべっていたのだ。口元にぐるりと生えた鯰のような髭がぴくぴくと気持ちよさそうに動いているし、背中の大きな翼もだらしなくぺたりと伸ばされて、完全に寛いでる様子だ。
……これはわたしの手に余る事態だろう。ここに竜がいるなんて聞いてない。勘弁してほしい。
くあ、と大きく欠伸をする竜の口は、わたし程度であればひとくち……は無理でも、ふたくちくらいでペロリといけそうなサイズである。
物陰から、いったいどうしたものかとコソコソ中を伺いながら考えていたら、不意に竜が頭をもたげてこっちを見た。いや、こっちというか、わたしを見ている。明らかに。
「そこ、誰かいるの? いるよね、出ておいでよ」
いやそんなに軽く言われても──と思いつつも、いきなり声を掛けられてわたしの身体はびくりと固まる。やっぱりわたしも食われるのだろうか。これはミイラ取りがミイラではなく、竜狩人が竜の餌になるってことなのか。
「た、ただの通りすがりですから、お気になさらず」
がくがく笑う膝を心の中で叱咤しつつ、どうにか足を動かして外へ向かおうとするが、身じろぎすらできない。はっきりいって、ものすごく怖い。
「通りすがるような場所じゃないと思うんだけど?」
はい、ごもっともです。
竜はきょとんとこっちを見ている。蛇に見つめられた蛙の気持ちを理解できたような気がする。そんなに見つめないでほしい。全然身体が動かない。冷や汗だけがだらだらと流れ落ち、わたしの心臓がうるさいくらいにばくばくと大きく脈打っている。
「あのさ」
また竜が口を開いた。ギザギザした歯がやたらと目について、わたしはごくりと唾を飲み込む。
「僕は別に人間を取って食べたりはしないけど?」
だからそんなに怖がらないでと言われたくらいで収まるようなら、最初からたいして怖がったりしないと思う。というか、なら、お師匠様はどこへ行ったというのだ。
「……で、出て行きたいのはやまやまですが、足が動きません」
「え? 足が悪いの? それでよくここまで入って来れたね」
「いや、そうじゃなくてですね……」
あなたが怖くて身体が動かないんです、と続ければ、竜は、たぶん心底不思議だという顔をして首を大きく捻った。
「なんで? 食べないって言ってるのに」
いやいやいや、言われて納得したら憲兵とかいらないから。
「ええと……竜ってひとを食べるっていうじゃないですか」
「えええ?」
竜は心底驚いたという声を出す。
「……それってさ、赤とか青とかの連中の話じゃない?」
「色って何か関係があるんですか?」
「大有りだよ。赤とか青の連中は、ちょっとなんていうか、やんちゃだしねえ」
やんちゃ……。
「とにかく、僕はもっと穏やかなほうだから食べたりなんてしないよ。だからこっちにおいで」
「いえ……やっぱり足が動かないです」
たとえそんなに言われても、本能が納得してなきゃ身体は動きません。
竜は仕方ないなと溜息を吐いてのそりと起き上がり、こちらへやって来た。何をするつもりかと思ったら、わたしをひょいとくわえあげて部屋の真ん中へと連れていく。
……喰われるかと思った。
「ええと、ちょっと待っててね」
竜はなにやらごそごそと部屋の片隅に置いてあったいくつかの箱を漁ると、カップやら瓶やらを取り出す。なんなんだ。
「……このままじゃやりにくいなあ」
ぼそりと呟き、なにやらもごもごと口の中で何かを唱えたとたん……竜はいきなり姿を変えた。
人間に。
金髪に琥珀の瞳の人間の青年に。
年の頃は20そこそこってところだろうか。
見た目年齢がわたしよりすこし上に見えることは確かだ。
この竜は若作りなんだろうか。
あ、いやそれはどうでもいい。どうでもよくないのは──。
「人間に化けてくれるのはありがたいんですが、何か着てください」
「ああ、そうか。ごめんごめん」
竜はあははと笑ってまたごそごそ箱を漁り、衣服を取り出すと身に付けた。
「で、何でこんなとこに人間が来たの?」
竜の青年は、首を傾げながらわたしに尋ねる。
あまり緊張感もなく、へらへらと笑みを浮かべてる顔を見ている限りでは、こいつがさっきまで竜だったなんて誰かに言っても信じてもらえないだろう。ちなみに、人間としてはなかなかの美形だと思う。正体は竜だけど。
わたしは、今、なぜか竜の入れてくれたお茶を飲みつつ、ようやく落ち着いて穏やかに話をしていた。
「10日ほど前に、わたしのお師匠様がこちらへ来たと思うんですが、帰って来ないので探しに来ました」
「お師匠様? 人間だよね」
「はい」
竜の青年はうーんと考え込むように首を傾げる。
「僕がここに来たのは、少し前、夜に雷が鳴ったころだけど、誰もいなかったし何もなかったよ」
「雷……っていうと、5日くらい前ですか」
「たぶんそう。数えてないからよくわからないけど」
「つまり、10日前から5日前までの間にここにお師匠様が来て何かがあったってことですか」
「そうじゃないかな?」
竜の青年はにこにこと頷く。
「ええと、ここ、ほんとに何もなかったですか? お師匠様の話じゃ、ここには何かの封印があったみたいなんですけど」
「さあ。気づかなかったなあ。
……あ、ただ、ここって随分魔力が集まる場所なんだなあとは思った。だから、ここを僕の巣穴にしようと思ったんだよね」
「巣穴ですか」
竜の巣穴……封印の洞窟が、竜の巣穴……。なんというリサイクル。
「うん、僕もそろそろ独り立ちするのに自分用の巣穴を見つけなきゃいけなくてね、どこか良い場所がないかなと飛び回ってたら、ここを見つけたんだ。大きさといい、手を入れる余地もあって、いい感じの巣穴にできそうなんだよね。
……もう何もないんだし、出て行かなくてもいいよね?」
「いや、それをわたしに聞かれても困りますし……」
だってここ別にわたしのものじゃないし。
「じゃ、いいや。占拠したもの勝ちってことで、ここを僕の巣穴に決めよう。もう決めてたけど」
意外にちゃっかりしてるな、竜め。
「……巣穴はもう好きにすればいいと思うんですけど、ほかに何かありませんでしたか? お師匠様の落し物とか、ありませんでした?」
「落し物……落し物……あ、そういえば」
竜は何か思い付いたらしく、ぽんと手を叩いて再度箱を漁りだす。あれは竜のコレクション箱なんだろうか。中身が気になる。
「これだ。これこれ。ここに来た時に落ちてたんだけど、もしかして君のお師匠様のかな?」
竜が差し出したのは、見覚えのある八角形のメダルで……間違いなく、お師匠様がいつも身につけていたものだった。