閑話:魔法使い(竜)と養い子
本当にたまたまだった。いつものように狩りをして帰ろうと思ったら、獣とは異なる気配がして……。
「ひとの子か」
少しだけ驚きながらそう呟く僕を、その子供はきょとんと見上げていた。
「わあ、どうしたんですか、この子は」
思わぬ土産を連れて戻ると、出迎えたソーニャは目を丸くして驚いた。
「うん、拾ったんだ。口を利かないんだけど、喋れないのかな」
「……ウルスに驚いたんじゃないですか?」
「やっぱりそうかな?」
子供を乗せたままそう返すと、ソーニャはくすくすと笑い、子供を抱き上げて僕の背から下ろした。
「ほら、すごくびっくりした顔のまま固まってますよ。大丈夫です。この竜は安全で頼りになる竜です。乗り心地もとっても良かったでしょう? さあ、あなたのお家はどこですか?」
「……お姉ちゃんは、竜にならないの?」
家はどこかという質問には答えず、子供はどことなく不安げな顔で僕とソーニャを見比べて、恐る恐るそう尋ねた。
「わたしは竜にはなれませんよ」
「角があって、お揃いなのに」
「お揃いなんですけど、竜にはなれないんです」
なれないのはちょっと残念ですね、と笑いながら子供に言うソーニャは、とても柔らかく優しい顔になっている。
「それよりも、おうちのひとが心配してますよ。日が暮れるまでもう一時くらいしかありません。送りますから、おうちの場所を教えてください。町から来たんですか?」
ソーニャがそう尋ねた途端、子供はまた顔を強張らせた。僕もソーニャもそれが不思議で、思わず顔を見合わせてしまう。
「……おれ、捨てられたんだ」
「……なんですって?」
「おれ、変だから捨てられたんだ」
ぐっと涙ぐんでそう呟く子供に、ソーニャが息を呑む。
「──僕には君が変には見えないけれど、どうしてそんなことになったの?」
うつむく子供の顔を覗き込むようにして尋ねると、目をそらしながら「おれは、のろ、呪われてるんだ」とつっかえながら小さく言った。
「呪い? ……おかしいな、君からそんな魔法の臭いは……あ、もしかして」
「どうかしたんですか、ウルス?」
子供にかけられた魔法の臭いを嗅ぎ取ろうと集中して、すぐに別なものに気がついた。背に乗せている間に気づいても良さそうだったのに、ぜんぜんそうだとは思わなかったからなあ。
改めて魔法を唱えて、さらに子供をよく見てみると……「ソーニャ、この子、魔法使いだ」
「え?」
「……おれ?」
ぽかんとするソーニャと首を傾げる子供に、僕は頷く。
「人間なのに、かなり高い魔力があるよ。君はいい魔法使いになれるんじゃないかな」
「なんだ、今が魔法使いなんじゃなくて、魔法の素養を持ってるってことなんですね。こんなに小さな子なのに、もう魔法使いなのかってびっくりしましたよ」
こんなに幼いのに魔法使いだったら、すごいですよねとソーニャはまた笑うが、子供はぽかんとしたままだ。
「魔法……?」
「なんで呪われてるって思ったの?」
「だって、火が……」
「火、ですか?」
「何にもないのに、あちこち火が付くんだ。おれの周りで。だから、気持ち悪い、呪われてるんだって……」
「……近くに魔法使いはいなかったんですね。魔法使いがいれば、すぐにあなたが魔法の素養を持つ子だってわかったはずなんですけど」
「ソーニャの言う通りだ。君の素養は結構強いみたいだね。だから、君の中の魔力が勝手に暴れて火が付いたんだよ。暴発しちゃう前にここへ来れて、良かったね」
子供の名前はギーナで歳はまだ10ということだった。他の種族に比べるとだいぶ早熟な人間であっても、10歳というのはまだまだ親元を離れて生きていくには難しい年齢なのだと、ソーニャは言った。
その歳の子供を森の深い場所に置き去りに……自分の手を汚したくなかったんだろうけど、だからといって捨てて無くそうとした事実は消えない。
「ウルス、この子をこのまま親のところに返しても、解決にならないと思うんですよ」
「僕もそうかなと思うけど、だから、ここで育てようって?」
「はい。私がお師匠様に拾われたのはもうちょっと小さい頃でしたけど……あの子はまだまだ大人が守らなきゃいけない歳です。ほっといたら、森の中で獣に襲われちゃうと思います」
少し上目遣いのソーニャが僕を伺うように見るのに気づいて、なんとなく笑ってしまう。これは、僕が反対してもなんとか口説き落とそうと考えてる時の顔だ。
「僕はソーニャがいいなら、構わないよ。あの子が魔法の訓練をしなきゃいずれ暴発しちゃうのは間違いないし、子供を護って導くのは大人になった竜の義務でもあるからね」
「そうなんですか?」
ほっとしたように息を吐いて、ソーニャは「じゃあ、ギーナは今日からうちの子です」と笑った
「それじゃ、ウルスにひとつお願いがあります」
「なに?」
「あの子はどう考えてるかはわからないですけど、あの子の家族には、ちゃんと話をしたほうがいいんじゃないかなって思うんです」
「うん」
「だから、明日、あの子の親を訪ねてみたいので、ウルス、お願いします」
「……しょうがないね」
翌朝、ギーナにこれからは僕たちのところにいるのだと話をすると、彼は明らかにほっとしているようだった。
「いちおう、ギーナの家族にそう伝えて来ようと思います。その間、留守番をお願いしていいですか?」
「……父さんも母さんも、たぶん、おれがいなくなったからって、何も気にしてないと思うけど」
ギーナは俯いて視線を泳がせた。親とはあまり折り合いがよくなかったのか。
「家族はそれだけですか? 伝えたいことはありませんか?」
「……妹に、ピアに、心配するなって」
「わかりました。妹さんですね」
ソーニャが頭に優しく手を置くと、ギーナは小さく頷いた。
「……種族だけじゃなくて、魔法の素養まで厭うなんてね」
ソーニャを乗せながらそう呟くと、人間っていうのはどうしてそうなんだろうと考えたことが伝わったのか、「たぶん、知らないからなんだと思いますよ」と返ってきた。
「知らないなら、知ればいいんだよ」
「たぶん、知らないことを知らないんじゃないでしょうか」
ソーニャが僕の首にしがみつきながら囁く。
「知らないことを知ることができるって知らないから、なんだかよくわからなくて皆と違うことを怖がるだけなんですよ。それが何かわかれば、怖がる必要はなくなるんだっていうのもわからないんです」
「……なんでそんなことになるんだろう」
うーん、とソーニャは考える。
「機会がないんじゃないですか?」
「機会?」
「はい。勉強したり本を読んだりって、だいたい魔法使いか身分の高い人しかやらないんです。普通の町のひとや町に住まないひとは、本を読む必要なんてないし、だから文字を習う必要がないって考えていますから」
「それは……すごくもったいないね」
「そうですね。あ、見えてきました。あれじゃないですか?」
さすが、ウルスの翼は速いですねとソーニャが指差す先に、小さな集落が見えた。
そっと地面に降りて身支度を整え、ギーナの生家だという小屋の扉を叩こうと近づく……と、途端に中から甲高い小さな子供の声が響いた。
「お兄ちゃんはどこにいったの? お兄ちゃんがいないの。ねえ、どうしてお兄ちゃん帰ってこないの?」
「……ギーナのことは忘れろ。あんな呪われた子はうちの子じゃないと何度も言ってるだろう。本当の親の悪魔が来て連れてったんだ」
「どうして! お兄ちゃんは悪魔じゃないのに!」
「あいつは悪魔の子だったんだ。お前の兄ちゃんじゃない。悪魔のところへ行ったからもう帰ってこない。忘れるんだ」
「……パパとママのばか!! お兄ちゃんはそんなんじゃないもん!」
「ああ、もう、ピア! いい加減に聞き分けなさい! あの恐ろしい子がいなくなって、お前も安心なんだよ?」
「ばか! お兄ちゃんはお兄ちゃんなのに! ママのばか!」
ばたばたと音がしてバンと扉が開き、小さな女の子が飛び出していった。呆気に取られてソーニャを見ると、いつもにこにこと柔らかく微笑んでいるソーニャが珍しく表情を強張らせ、目を眇めていた。
「ピア、待て! ……あんたたちは? 誰だ?」
娘の後を追って扉を出てきた男が、僕たちに気づいて怪訝そうに眉を顰めた。
「──こんにちは。ギーナは悪魔の子ではありません。ちょっと強い魔法の素養を持って生まれただけですよ」
「魔法?」
男はますます訝しむように顔を顰める。
「はい。ですから、あの子は私たちが立派な魔法使いに育てます。あなたたちは心配なさらないでくださいね。それだけを伝えに来ました」
口だけは笑みの形を作ると、呆気にとられる男を放って、ソーニャは「ウルス、行きましょう」と僕の腕を掴んで歩き出した……ピアのいなくなった方向へ向かって。
「ソーニャ、もういいの?」
「……ウルス、あのひとたちとは、たぶん話をしても仕方ないと思います」
「ソーニャ?」
「けど、そうですね。ギーナの妹さんにだけ、ちゃんと話をしましょう」
少し硬い声でどんどん歩いていくソーニャの肩に手を置いて抱き寄せる。
「どうして?」
「……あの親はだめです。本当に、ギーナのことなんてどうでもいいと思ってます。ギーナを突き放す振りではありませんでした。ギーナのことを心配してるのは、妹さんだけです」
「……確かにね」
あの少しの会話を聞いただけで、ギーナがいなくなって清々しているということが伝わってきた。自分たちの子供のはずなのに、どうしてだ。
そのまま少し歩くと、大きな木の根元に蹲って泣きじゃくるピアを見つけた。ソーニャはゆっくりと彼女に近づき、その傍にしゃがみこむ。
「こんにちは。あなたはギーナの妹のピアですね? お兄ちゃんからの伝言を預かってきましたよ」
「お兄ちゃんの?」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、ピアはソーニャを見上げた。
「はい。お兄ちゃんは元気です。心配しないでほしいって言ってましたよ。あと何年か頑張れば、きっととても立派な魔法使いになれますし、そうしたら、あなたにもまた会いに来られます。
そうですね、これを御守りに持っているといいでしょう」
ソーニャは僕の剥がれた鱗で作った小さな護符を差し出す。
「これ? ……きれい」
「みんなには内緒ですよ。ギーナの大事な妹に、贈り物です。本当に、もう本当にどうしようもなく困ったときに、この護符に祈ってください。そしたら、黄金の竜が助けに来てくれますから」
ソーニャがくすくす笑って、ね、ウルスと僕に言う。
「黄金の竜……神様の、御使い様?」
「そうですね。でも、1回だけですよ? それと、自分で頑張らない子は助けてもらえません。お兄ちゃんに会えるまで、あなたもちゃんと、立派な淑女になるよう、頑張ってくださいね」
こくこくと頷いて、ピアは僕の鱗の護符を首に掛けた。
「あたし、いい子にして、頑張る」
「……いい子っていうのは、大人の言うことをただ聞く子じゃなくて、ちゃんと自分で考えて、やらなきゃいけないことをきちんとやれる子のことを言うんです。忘れないでくださいね」
ソーニャは「それじゃ、ちゃんとおうちに戻ってください」とピアを立たせて涙でどろどろになった顔をきれいに拭ってやると、ぽんと彼女の背を叩いた。
「あなたのお兄ちゃんが立派な魔法使いになったら、また会いましょうね」
振り返りながら家へと戻るピアを見届けて、僕らはまた帰路についた。
「ただいまです!」
「……おかえりなさい」
じっと待っていたらしいギーナが、幾分かほっとした顔で出迎えた。
「お腹すいたでしょう。ごはん作ります。ちょっと待っててくださいね」
ひとつ頭を撫でてからぱたぱたと台所へと入っていくソーニャの背中を、ギーナがじっと見つめている。
「ねえ、ギーナ」
声を掛けると、ギーナは首を傾げて僕を見上げた。
「心配しなくても、僕たちは君を追い出したりはしないよ。君が出て行きたいなら別だけど」
少し不安げな顔の彼を見下ろして、僕は続ける。
「君が魔法使いになりたいって思ったなら、ここに留まったほうが得策だ。なんせ、ここには結構優秀な魔法使いがふたりもいるんだからね」
くすりと笑って、まあ、君の選択に任せるとは言っても……と続けながら、僕はギーナの頭をぽんぽんと叩いた。
「実は、ソーニャがピアに約束しちゃったんだ。君を立派な魔法使いにして、また会わせてあげるって。だから、僕たち、君に一人前の立派な魔法使いになってもらわないとちょっと困るんだよね。それまではここにいてくれないかな?」
首を傾げて顔を覗き込むと、ギーナは少し考えたあと、こくりと頷いた。
「じゃ、ごはんを食べよう。ソーニャの作るものはすごく美味しいんだよ」
差し出した手をぎゅっと握るのを待ってから、僕はギーナを連れて食卓へと向かった。





