ヤンデレ初期症状
大学2年生。二十歳。
アパートを借りて一人暮らし。
そんな私に初めて彼氏ができた。
彼氏とは付き合ってもうすぐ半年になる。
今ではお互いの家を出歩く仲だが、未だ相手について知らないことが多い、と思う。
現に、今だってバイト仲間と食事することを私の家で待っている彼氏に伝えたら、ひどく怒られている。
「それ、俺を放置してまで、行く必要あるの?」
「放置って、別にそんなつもりは・・・」
「だったら今すぐ帰ってこい」
ほら、私の彼氏は思っていたより、心が狭くて、わがままだ。
私は溜息ひとつ吐くと、若干のいらだちを感じながら反論した。
「あんねぇ、もう夜も遅いし、私はお腹が減ったの。だから、食べて帰るから。以上」
そこで、私は相手の言葉も待たず電話を切った。
その様子を見ていたバイト仲間兼友人が呆れたような、若干居心地が悪そうな様子を見せながら、私に尋ねる。
「本当に良かったの?彼氏さん」
「いいの。あいつ、頭固いんだから」
今時、外食なんて普通だ。なのに、あいつはそれを他の人と行くことを嫌う。
何度、「お前は私のおかんか」と突っ込んだことか。その度彼は「違う」とふて腐れたが。
再び携帯が震え、着信を示す。相手は分かりきっている。彼氏だ。
しつこい電話は、電源を切ってしまおう。私は携帯の電源を切った。
友人たちと別れ、家路を歩く。
私が借りたアパート兼彼氏が待っているアパートの目の前まで来ると、私の部屋の電気が未だ煌々と点いていた。
ということは、彼氏さんはまだ起きているわけで。
私を待っていてくれたんだ、なんて嬉しさがこみ上げるわけがなく、怒られるかな、と少しうんざりする。本当、お母さんと暮らしてるみたい。
彼氏としての地位が変動しつつあることを意識しながら、電源を切っていたことを忘れていた携帯を取り出し、電源を入れ直す。
少し待った後現れた画面表示に、私は辟易とした。
着信、28件。
よくやるわ、と感心すると同時に、心のどこかでこれは異常なのでは、とうっすら危機を感じなくもない。
けれど、「彼氏だから」という理由でそれをうやむやにして諦めてしまう自分がいる。
溜息を吐きながらも今更電話を返すことも面倒で、携帯をカバンにしまって部屋に向かう。
そして、なんて言われるだろう、とちょっぴり憂鬱になった。
私の彼氏の名前は匠という。
私が部屋に入ると、彼は机に向かって座っていた。
私を一瞥することなく、机の上に参考書を広げて勉強していた名残を強く残し、しかし視線はテレビに釘付けだ。
予想外の展開に、私は若干気落ちを覚えるが、同時に気が楽になった。
どうやら、私の彼氏は、今回の外食を諦めて認めたようだ。
そのことに、安堵の溜息をひっそり吐きながらカバンを置く。
「ただいま」
「・・・・」
無反応に、やはり怒っているかと考え直す。
これは、ご機嫌取りをした方がいいのか、と私は上着を脱ぐと、こちらをちっとも見ない匠の隣に座り込んだ。
けれど、それは匠の罠だったようで、そして私はその罠に易々掴まってしまったようで。
私が座ったとたん、彼は私に振り向いて、襲い掛かってきた。
上から両手首を抑えられ、じっと見つめられる。
私は突然のことに動転しながら、感情を写さない彼の目から、目をそらしてしまった。
「なんで他の奴と行ったの?」
「えっ・・・・だから、お腹減ったから」
掴んだ手に力が入る。痛みに、顔が歪んだ。
「俺じゃない奴と一緒にいて、満足した?」
なんて言おうか。素直に言ってしまえば、それなりに楽しかった。
けれど、それを言ってしまえばますます不興を買ってしまうのは目に見えていて。
匠のこういうところが、面倒くさいと思う。
けれど、これは嫉妬だとも、分かっている。私は彼に愛されているのだと、感じられる。
だから、ちょっと、意地悪したくなった。
「それなりに」
私がちょっと笑ってそんなことを言えば、匠はきっともっとふて腐れてくるだろうと思ってけれど、匠は私にキスをした。
それも、今までしたことないような、かぶりつくような、キス。
匠の舌と唇が私の唇を舐めて、私の体は硬直する。
いや、キスぐらいしたことある。けれど、こんな攻めてくるキスは、初めてだ。
強張った唇を解され、舌が入り込む。
あ、これ、ディープキスだ。
と知識だけが先まわって分かっていても、状況に全くついていけていない。
匠の舌が、私の舌と絡む。生々しい感触に、私はますます硬直して、体が震えた。
匠は私の緊張に気付いたのか、キスの逢瀬は、意外と早く終わった。
けれど、今の私にはそれで十分だ。
呆然と匠を見つめる。彼は、はぁ、と大きく息を洩らした。
「俺以外の人と、一緒に居ないで」
そんなこと言われても無理がある、と返そうとしたが、口が震えて、言葉が出てこない。
その上、これ以上彼の不興を買ったら、今以上のことをされるのではないかという気がして、とてもじゃないが言えなかった。
私は顔が真っ赤に染まるのを意識しながら、こくこくと頭を縦に振って頷く。
彼はそれに満足したようで、押さえていた私の手首を離してくれた。
私は、なんとか力を入れて起き上がる。押さえられていた手首には、彼の手形が赤く残っている。
その跡をさすっていると、彼は私を抱きしめてきた。
抱きしめられるのは初めてではないから、先ほど動揺しなかったが、挙動不審の彼に違和感を抱かざるを得ない。
「匠?」
私が彼の耳元で訝しげに呼びかければ、彼もまた、私の耳元で悩ましげな溜息を零した。
「ごめん。俺、サユリと会って変になったかも」
その性格は、元からではなかったのか。
意外に感じながら、耳元で聞こえる彼の低い声がこそばゆい。
恥ずかしくて、少し離れてほしかったけれど、彼が私を捕まえていてそれはできなかった。
「サユリが他人と話してたり、一緒に居るのを見ると、自分の中が汚いものでいっぱいになるんだ。どうして俺じゃないんだって。どうして俺といないんだ、って。今だって一緒に居るのにな」
彼の告白に、私は正直、にやけていた。
そんな風に思っていたんだと、嫉妬してたんだと思うと、自分がどれほど思われているのか分かって、匠には悪いけれど、この上ないほど、うれしいんだ。
顔を見られなくてよかったと思いながら、匠の背に同じように腕を回す。きっと、こんなにやけた顔を見せたら、怒られてしまう。「今真剣な話してるのに」って。
私は「うん」とだけ、頷いた。
彼の体は、私より大きい。
大きな背に手を添えれば、男特有の筋肉質な感触と熱を感じる。
私の背には、彼の大きくて熱い手が、触れている。
それだけで、私の心臓はバクバクと、大きな音をたてるのだ。
沈黙の後、匠はぼそっと、呟いた。
「・・なぁ、お前、一生ここにいろよ」
彼の肩に預けていた頭を、わずかに浮かせた。
「一生、俺の腕の中に居て、誰にも会わず、一緒に死ぬんだ」
その言葉に、思考が停止する。
一緒に死ぬとか、誰にも会わないとか、話が飛躍しすぎだけれど、それはつまり、プロポーズ、なんだろうか。
意識すると、一気に体中の熱が上がった。
けれど、匠は構わず続ける。
「俺、お前がいてくれれば何でもする。お腹が減ったら、俺が作ってやるし、買い物もしてやる。今から働いて、お前を養っていくのもいいな」
匠の言葉が、どんどん弾んでいく。名案だとばかりに、どんどん話が飛躍していく。
「そしたら、このアパートじゃあ小さいから、マンションでも買って、二人で住んで」
止まらない未来予想図に、私は慌ててストップをかけようとしたが、その前に匠に体を離され、向き合わされる。
匠の顔はこれ以上ないほど期待にあふれた顔で、けれどその目は現実を見ていない。
いとおしそうに私を見て細められた目には、狼狽える私が写っていない。
「だから、一緒にいよう?」
それは、プロポーズ?
なんて聞くこともできず、私は青くなりながら彼の言葉に頷くこともできなかった。